巡り合わせ
王族専用のフロアーへ上がる階段を昇り切ると、閉めきった扉の前で剣を携えた二人の騎士が警備をしていた。
ゴンドルフが進み出ると彼等は扉を開け、包帯だらけでマスクを付けたカサルが通り過ぎるのを唖然と見送る。
「殿下、こちらが姫様のお部屋です」
ゴンドルフは両開きの重厚な扉の前で立ち止まった。
ドアがノックされてしばらくすると、中から紺色のワンピースを着た若い女が現れる。表情は硬く、疲労を物語るように顔色は冴えない。
ゴンドルフに黙礼すると、切れ長の目を走らせてカサルの容姿を確認する。
包帯だらけでマスク姿のカサルは彼女にも不審に映るらしく、あからさまに眉をひそめている。
「そちらの男性は?」
「カサル様だ。姫様にお会いするためお見えになった」
「カサル?まさか……リマ様の」
女は一瞬だけ細い目を見開き、得心した様子で二人を部屋へ通す。
室内には数脚の椅子とテーブルが置かれ、たくさんの花が飾られていた。リマの姿は見えない。
「この者は幼少の頃より姫様にお仕えしている従者です」
「フロラと申します」
女はゴンドルフから紹介下されると、ニコリともせずに硬い表情のまま名乗った。
「そうか、リマが世話になったな。礼を言わせてくれ。それであいつは何処だ?」
「隣の寝室です」
フロラはピクリと眉を動かし奥の扉を指差した。
(リマがこの先に……)
「お待ち下さい!」
無遠慮に扉を開けようとしたカサルの前に、フロラが立ち塞がる。
「いくらリマ様の想い人とあっても、ご婦人の寝室にいきなり足を踏み入れるのは無礼ではありませんか?」
「止んか。お前にもいずれ事情は話すが、今はカサル様をお通しするのだ」
ゴンドルフに制され不満気にカサルを睨むフロラ。彼女の言うことは全く持って正論だが、カサルのデリカシーの無さは今に始まったことでは無い。
「ありがとうよ。あんたみたいな護衛がいてくれたら、リマも安心だ。これからも、よろしくな」
「貴方に言われるまでもありません。リマ様の身はこの私が命に代えてもお守りします」
フロラはツンと鼻を天井に向け、身を引いて扉を開ける。
部屋の中央には光沢を放つ天蓋の付いたベットが置かれていた。まわりには沢山の花が並べられ僅かな香気を漂わせる。
リマはベットに埋もれるように横たわっていた。目を硬く閉じ、唇は色を失い、肌は青みを帯びるほどに白い。リマは生命あるものとは別種の、妖しい美しさを湛えていた。
(まさか)
その姿にカサルは最悪の事態を想起する。
「一昨日まで、時折うわ言であなたの名前を……。ですが今は脈も弱く、体も冷え切っていらっしゃいます」
後ろから声を掛けたフロラは俯き、主君の不幸に耐えるように手を合わせ震えている。
「そうか……よかった」
カサルはぎゅっと瞼に力を籠めて目を閉じ、大きく息を吐き出した。
(間に合った、間に合ってくれた。リマは生きている)
それを証明するように、リマの胸は微かに上下を繰り返している。母の二の舞にだけはすまいと街道を急いだ。それさえ適えば傷の痛みなど対価にすら値しない。
「リマ……少し痩せたか?お互いボロボロだな」
リマに微笑みかけ頬に手を添える。別れの時に触れた暖かさは失せ、真冬の陶磁器のような冷たさが、手の平の体温を吸っていく。
「何がよかったんですか!最期を看取れば満足だと?冗談じゃ、冗談じゃないわ……」
堪え切れなくなったフロラは、目に涙を浮かべその場にしゃがみ込んだ。
「悪かった、誤解させたな。俺が言いたいのはそういうことじゃない」
これからやることを説明しようとした時、ガチャガチャと音を上げ、シーガルガが隣の部屋に現れた。
「お待たせいたしました。少々手間取りまして」
両手で持った木箱には薬を磨り潰す乳鉢や大小の匙、蓋つきの薬瓶といった調剤用の器具が満載されている。
「丁度いい、お前も見てろフロラ」
説明するよりも見せた方が早い。カサルはテーブルにそれらの器具を並べるように指示を出す。
「君に薬剤の知識があったとは驚きだよ。それで、薬は何処に?」
シーガルが器具を並べながら、意外そうに顔を仰いだ。もっとも、カサルには野山で採取できる薬草の知識はあるが、薬剤の知識などと自慢できる程のものはない。
「薬ならそこに入ってる」
「これでございますか?」
カサルが扉の隅に置かれた自分の荷物を指差すと、ゴンドルフはレガリアの入った大きな鞄を掲げる。
「いや、違う。その弓だ」
「は?何と?」
「だから、その弓を取ってくれ」
ゴンドルフは首をひねって再度聞き直したが間違いではない。カサルが再び指指したのは鞄ではなく、傍らに置いてある弓だ。他の二人も真意を量りかね、弓を見つめて不思議顔だ。
「あー、悪かった」
この話の流れで、弓に意味を見出せないのはもっともだ。カサルは弓を手に取ると、弦を外してシーガルに渡す。
「そいつの握りに近い部分、白い所を削り出して粉末にしてくれ」
手渡した弓は中心の弓束側が白く、先に向けて黒から真紅へと色を変えている。
「ちょ、いいのかい?これは君が常にその身から離さずに携帯していた弓じゃないか」
「そんなに凄いものなのか?」
ゴンドルフが弓をしげしげと見ながら尋ねる。
「ええ、もちろんカサルの腕もありますが、この弓は一射でオークの心臓を打ち抜いた強弓です。私も何度かその力を見させてもらいました」
「なんと!姫様をお助けしたというのはこの弓であったか。国宝級の一品ではないか!」
「大げさなんだよお前等は!そんなもの、リマが死んじまったらなんの意味も無い」
「一体この弓にどんな秘密があるっていうんだい?」
語気を荒げるカサルに、シーガルは怪訝そうに尋ねた。今まで自分達を何度も助けた弓を、惜しげも無く破壊しようというのだから、その疑問はもっともだ。
「それはユニコーンの角で作った」
「ユニコーン!」
シーガルたちが声を合わせて驚きの声を上げた。
「ユニコーンてホントにいたのね」
「角は万病に効き、あらゆる毒を取り除くっていうあれですか」
「数多の王族が求めるという、稀代の妙薬ではありませんか」
「解説ご苦労さん。ああ、その通りの品だ……」
三人の驚きを余所に、カサルは複雑な心境で弓を見つめた。かつて、病の母のためにやっとの思いで手に入れたユニコーンの角。
しかし、想いは叶えられることなく、母は帰りを待たずに死んだ。それが今、別の形で生かされようとしている。
(母さんが巡り合わせてくれた)
これが偶然であるものか。もしこの弓を手にしたことに意味があるなら、それはこの瞬間のためにこそあった。カサルはこの運命を母に感謝した。
「それじゃ!リマ様は助かるんですか?」
フロラが明るい声を上げた。疲れ切った顔に、希望の色が浮かんでいる。
「効果は実証済みだ。なにせコイツで辺境の弓職人を悩ませた水虫は治ったんだからな」
ユニコーンの弓を制作中、ドルフは角の真贋を試すために削りかすを服用した。効果はカサルが言った通りで、わざわざ靴を脱いで自慢して見せた。
「なんと!」
「もったいない」
ゴンドルフは驚いて声を上げ、シーガルが呆れ顔で続け、フロラがうんうんと頷く。
「種明かしは済んだろ。言われた通りにやってくれ」
「わ、分かりました」
恐る恐るといった体で、シーガルは弓をテーブルに押さえ付け、短剣の刃を立て削り込んでいく。石同士を擦り合わせるような、乾いた音が室内に繰り返し響く。
角が硬いせいか作業は捗らず、シーガルは何度も額の汗を拭った。
「変わるぞ、シーガル」
「いえ、どうか、どうか私に最後までやらせてください」
ゴンドルフの申し出を丁重に断った。この行為があたかも騎士に与えられた神聖な儀式であるように、額の汗を輝かせながら作業を続けていく。
大匙一杯分の粉末を作り終える頃、シーガルの騎士服は汗ですっかり濡れていた。
「よし。ご苦労さんシーガル」
カサルは出来上がった粉末を乳鉢に入れ、水を加えて混ぜ合わせる。乳白色の薬液が出来上がった。
「これで完成だ。フロラ、手伝ってくれ」
「分かりました」
出来上がった薬を手に寝室へ入り、その後をフロラが続く。ゴンドルフとシーガルは、開け放たれた扉の向こうからその様子を見守っている。
「リマ様、お薬です」
フロラがリマの上体を起こし、手を添えて優しく口を開かせる。カサルはベットに腰かけ、液体を匙で掬い、そっと口内に注いでから閉じさせる。
(頼む、飲んでくれ)
祈りながらリマの喉元を見つめるが、嚥下している様子は無い。
「フロラ、もう一度口を開けてやってくれ」
「はい……」
再び口を開けさせると、乳白色の液体が口から零れ落ちた。リマは薬を飲んでいなかった。
「そんな!」
フロラが悲痛な声を漏らし、口から零れた薬を拭う。
「もう一回だ」
はやる気持ちを押さえ、カサルは再度薬を運んだが結果は変わらない。
(いくら薬があっても、飲み込めなければ同じだ。どうする、いっそ……)
「あなたにお伺いしたいことがあります」
いっそ無理にでもと思ったカサルに、フロラが尋ねた。
「なんだ、こんな時に」
「こんな時だから尋ねるのです。あなたはリマ様を愛していらっしゃいますか?」
それがこんな時に尋ねることなのか。しかし、彼女は真剣そのもので、真っ直ぐな眼をカサルに向けてくる。
「ああ、俺はリマを愛している」
照れも誤魔化しも必要ない。カサルはリマを見つめながらハッキリ答えた。返事を聞いたフロラは何故か悔しそうに小さく舌打ちをする。
「おめでとうございます。カサル様のことはリマ様から伺っておりました。で、あれば眠れる姫を起こすの
は殿方のお役目。言っている意味が、お分かりになりますか?」
「ああ、分かった」
おめでとうの言葉とは裏腹に、面白くなさそうなフロラ。カサルはその言葉に意を決するとマスクを下し薬を口内に含んだ。
その素顔を初めてみたフロラは驚きに目を見開き、扉の向こうで見守る二人の騎士にとっさに視線を送った。
ゴンドルフとシーガルは全てを承知していると言わんばかりに大きく頷き、その意を解したようにフロラもゆっくりと頷き返す。
「そこまでは伺っていませんでしたけどね」
彼女は呆れた様に呟くと、笑ってそっぽを向いた。
(リマ……)
カサルは眠れるリマにそっと口づけをして、口内に含んだ薬を流し込む。
彼女の唇は冷たく柔らかで、薬を送り込む舌は溶けていく。ゆっくりとした口移しに、リマの喉が僅かに震え、薬を飲み下していく。
やがて唇と舌が温かみを取り戻し、肌に赤みが差してゆく。カサルは唇を離し、息がかかるほどの近くでリマを見つめた。
閉じられていた目がゆっくりと開いてゆく。潤んだ瞳はしばらく動かず、中空を見つめているようだった。そして、目の前に気付いたようにカサルを見返した。
二人の視線が重なる。
「ふふ、傷だらけ」
彼女は口を開き、小さく笑った。潤んだ瞳からは、涙が一筋頬を伝い落ちる。
その声を聞いたフロラはカサルから奪う様にしてリマを抱きしめ、ドアの向こうにいる二人の騎士が歓声を上げた。
カサルとリマは笑顔で互いを見つめ合い続け、シーガル、ゴンドルフ、フロラの三人は涙と鼻水で笑い顔を濡らした。