俺に任せろ
カサルが久しぶりに見た王都は、以前といくらか様子が違っていた。
市壁の外に住む避難民が数を減らし、瓦礫と化したテントが散在していた。市街では軒を閉ざした店が以前よりも増えていて、街を行きかう人々の表情もどこか暗く、活気がないように感じる。
王都全体が曇り空に覆われたような、薄ら寒い空気を発しているといっていい。
王宮では塔から吊るされていた黒い布が撤去され、臙脂の服を着た騎士が城門の警備を行ってていた。彼等は険しい表情で、人の出入りから荷物の確認まで行っている。
「カサル、君の素性はまだ僕や団長、それにリマ様しか知らない。だから、不便でも王宮内ではしばらく僕から離れないようにしてもらえないか?」
「そうだな。俺もまだ目立ちたくないと考えていた」
カサルはフェイスマスクを上げて牙を隠した。
シーガルはすでに農民の衣装を脱ぎ、騎士の旅装である臙脂の外套を着ている。城門で同僚の目顔で帰還を知らせ、カサルと共に王宮へと入る。
内も城門と同じように騎士が多数で警備に当たっていた。包帯だらけのハーフ・オークがうろ付いていたら、問答無用でしょっ引かれるはずだ。
2階へ上がる階段へさしかかった時、カサルはリマと別れた後に見た男のことを思い返す。
(そうだ。確かにここで両耳に大きなピアスをした男を見た。奴は牙を生やしていた)
ルゼンの言っていたはハーフ・オークの兵士と共通する点がある。
しかし、リマは王宮にハーフ・オークはいないと言ってなかったか。あれは見間違いだったのか、狩りで鍛えた自分の目がそんな見間違えをするとは思えない。
(内情に詳しい奴に、確認する必要があるな)
その考えを察したというわけでも無いだろうが、シーガルは騎士団長室へカサルを連れて行く。
「ここはあのオッサンの部屋だろ?どうして此処へ」
「4階は王族専用なので、僕一人では君を連れて入ることが出来ないんだよ。なにせ、君の帰還はお忍びだからね」
「そうか、丁度いいぜ。俺もオッサンに訪ねたかったことがあるしな」
二人が団長室へと入ると、ゴンドルフは目を吊り上げ今にも吼え出しそうに机を睨んで座っていた。
「団長、お連れしました」
「ムッ?」
声を掛けられてようやく気が付いたといった様子で、カサルの顔を見て飛び上がるように立ち上がった。
「殿下?殿下なのですか!」
ゴンドルフの発した大声に、シーガルは慌てて廊下を扉を閉める。
「団長!お気持ちは分かりますが声が外に漏れます」
「おお、殿下、そのような怪我をなされて……」
シーガルが諌めるのも構わず、まるで久々に初孫と再会した老人のように、巨体を縮めてカサルに近づく。
「失態だぞゴンドルフ」
カサルは尊大な態度で断じた。もちろん、扉のことでは無い。
ゴンドルフの顔は冷水でも浴びせられたように硬直し、その場に片膝を着いた。
「申し開きもございません。ゴンドルフ、一生の不覚。如何様な処分でも受ける所存です」
頭を垂れ、感情を押し殺すような声だった。子供の頃から仕えてきたリマを守れなかった責任。この男は近衛騎士団長として誰よりも感じているに違いない。
「ですが、どうか、どうか姫様と王家を……」
どうしてくれという具体的な言及をしない。そのための方策が見つからないからだろう。それでも言いたいことは痛いほど伝わった。
「任せておけよ。俺はそのためにここへ来た」
カサルは膝を着き、ゴンドルフの腕に手を当て笑って見せた。そのためにはやらなければいけないことがある。
「膝を上げてくれ。いくつか確認したいことがある。まず大臣の野郎はどうしてる?」
今ではこの国の実権を握っているというメルツ。その出方によっては対応を急がなければならない。
「それが、先日の王国会議の内容ですが……」
ゴンドルフは感情を押し殺すようにして訥々と内容を語った。
「ふん。リマの計画を踏襲をするわけか。確かに、奴に出来ることはそれくらいしかないな。それよりも……」
話を終えたゴンドルフは、憔悴した顔で壁の一点を見つめていた。無理もない、幼少からその身を守り続けたリマと国民の命、どちらを優先するかメルツは天秤に量らせたのだ。残酷にも程がある。
「ゴンドルフ、お前まさか妙なことを考えているんじゃないだろうな?」
「いえ、私は何も……」
「例えば単身ヤルカンに乗り込んで、族長と刺し違えようとか」
カサルの問いかけに、ゴンドルフが厳つい体をぴくりと震わせる。
「図星かよ!そんなことしたって奴等は止まらない。アホのすることだ」
「あなたも同類と思いますが……」
「俺は違うぞ!」
シーガルがツッコミを入れた。思考レベルがゴンドルフと同じということは、カサルのリマ馬鹿振りも相当な域に達したということだ。認めたくないものがある。
「心配するなゴンドルフ。リマは俺が必ず救う。お前の責任の取り方はこれからもあいつの側で支え続けてやることだ」
リマの回復があたかも決まったことであるように、カサルの声は自信に満ちていた、。ゴンドルフは顔を上げ、赤い目で体を震わせた。
「そのためにも俺にはやらなきゃいけないことがある。手伝ってくれるな」
「ハッ!どのようなことでも」
「20年前、オーク討伐で母が捕虜にされた時、ハーフ・オークの兵士がいたそうだな?」
「ハーフ・オークですか?」
「そうだ。両耳にピアスを付けていたそうだ。そいつが俺の母を人質に取り、ゾンダルテを助けた」
「なんと?い、いえ。王国軍にハーフ・オークが在籍していたとは聞いたことがはありませんぞ」
「ハーフ・オークはいなかった?お前は俺の母が人質に取られた時、現場にいたのか?」
「私は第一陣の突撃隊に編成されていたので、残念ながら本隊にいた陛下のお傍には」
ルゼンが嘘を付くとも思えない。見間違いをしたのだろうか。そして、王宮で見かけたピアスの男も見間違いだった。否、そんな偶然はありえない。
「俺は先日王宮内でハーフ・オークを見かけたぞ。そいつの両耳にもピアスがあった」
「まさか!王宮は限られた人間しか入ることは許されません。失礼ながらオークやハーフ・オークが入り込んでいるなど、考えられません」
「団長の仰る通り。僕もそんな人を見かけたことはないよ」
シーガルまでもが不思議そうに否定する。リマも以前、王宮にハーフ・オークはいないと言っていた。
(なんだこの食い違い。確かに俺はこの目で奴を見たぞ。みんな見落としている?確か……以前にもこんなことがあったはずだ)
そう、あれはエルフの谷へ向かう渓谷の入り口。カサルに見えて、リマやシーガルに見えない入り口の存在。あの時と場所と対象こそ違え、現象が一致している。
「見えてない認識」
こめかみに手を当て、ブツブツと独り言を言いながら考える。出てくる答えは一つしかない。
「そうか、そういうことかよ。やっぱり同じ野郎だ」
先日見かけたピアスのハーフ・オークは必ず実在する。カサルは確信した。
問題ははどうやってその男を見つけ出すか。そのためにはカサルの目で確認する必要がある。
「ゴンドルフ、さっき言ってたメルツから頼まれたっていう王宮広場の警備。あれを引き受けろ」
「ですが!」
ゴンドルフは語気を強めた。その申し入れを受け入れることは、メルツに恭順を示したに等しい。
「いいじゃねーか、元々王宮の警備はお前らの仕事だろ?」
こともなげに言い放つカサルに、いかにも不服そうな顔を向けるゴンドルフ。
「お前がすることになるのはリマの護衛だ。メルツのためじゃない」
「姫様の?しかし……。殿下は一体何をなさるおつもりで?」
「これからリマが目覚めてから説明する。言っただろ、俺に任せろって。さあ、あいつを起こしに行こうぜ」
自信満々なカサルに促され、ゴンドルフは扉を開けてリマの部屋へと歩き出した。




