大臣の野心 7
国王の喪が明けた。
王宮謁見の間は入り口から臙脂のカーペットが真っ直ぐに敷かれ、真紅の雛壇へと続いている。真紅は王家を象徴する色であり、王族以外は身に着けることも、足で踏むことも許されれない。
王女は真紅のマントを羽織り、雛壇に融けこむ様に立っていた。
王女の前には臙脂の外套を着た旅装の近衛騎士が列を成して並び、悲壮な表情で主君を見つめている。メルツは騎士達から離れ、雛壇の横に離れて立っていた。
沈黙が支配する中、王女はゆっくりと騎士達を見回して口を開く。
「皆、既に聞いての通りと思います。私はこれよりヤルカンとの和平交渉に赴き、この命を持って王国を終焉させ、平和を成す所存です」
王女は静かな面持ちで、透き通るような美声を響かせた。誰一人異論を挟む者などいない。
「みなさんには申し訳ないと思っています。これは私の我が儘。どうか一人でも多く、故郷の足を踏むよう心掛けて下さい」
「王女殿下。ここにおる者は皆、既に家族との別れを済ませております。王国に平和を成し、殿下と共に死ぬ。我らにとってこれほどの栄誉がありましょうか。ただ一言、殿下は“続け”と仰って下さればよいのです」
列の中央、頭一つ飛び出した大柄の近衛騎士団長ゴンドルフが、まるで幼子にでも話しかけるような笑顔で王女に語りかけた。
あれほど厳つい武人から、このような優しい声音が出るのかとメルツは驚く。団長だけでは無い。並んだ騎士は誰もが笑顔を浮かべている。
その顔に見守られた王女は目に涙を浮かべ、崩れそうになる顔に微笑み作ると、口を真一文字に強く結んでから口を開く。
「私に着いて来て」
その言葉が終わった瞬間、並んでいた騎士は待ち焦がれたいたように一斉に鞘から剣を抜き、王女に向かって高々と捧げた。その動作は一糸乱れず、謁見の間には鞘と剣の擦れる乾いた金属音が一つになって響いた。
王女も、騎士も、視線を揺るがせることなく、ただ前だけを見つめている。王女の頬に、一筋の涙が伝った。
(これが覚悟した者の顔か)
皆、この和平交渉という名の死出の旅に納得しているというのか。いったい総勢57名の近衛騎士の内、何人がこの旅に参加を表明したのか。
メルツは出席者を数えようとしたが、そんなことをする自分が惨めに思え、途中で数えるのを止めた。
「杯です」
王女が僅かに頬を振るわせて言うと、ゴンドルフが右手を上げ、それを合図に騎士達は剣を鞘に納めた。
外に控えていた給仕の女官が現れ、騎士達に陶器の杯を配り葡萄酒を注いでいく。騎士全員に杯が行き渡ると、最後に宝石をあしらった金属製の杯が王女に手渡された。
誰もが無言で、表情は引き締まり、身じろぎ一つとしてしない。この行為を神聖な儀式とし受け止めている。
「民の安寧と騎士の献身に」
「王女殿下に!」
王女が杯を掲げて乾杯の声を発し、団長のゴンドルフが言葉を返した。
王女が盃に口を付けると、騎士達は続いて杯を飲み干し床に叩きつけて割る。陶器の破裂する硬質な音が、これから失われる命を象徴するように連鎖して続いていく。
天井を仰ぎ見る者、剣の柄に手を添える者、目を閉じ頭を垂れて祈る者、臆する者など誰も無く、騎士達の顔には鋭気が宿っていた。
(世が世なら、どれだけの王となっていたことか。恐ろしいことよ)
一人ぽつねんとその様子を眺めていたメルツを寒気が襲う。
(だがそれももうすぐ終わる……)
その時、雛壇で杯を手にする王女に異変が起きた。数回手を震えさせると杯を床に落し、震えを堪えるように肩を抱きすくめた。雛壇の床にはこぼれた葡萄酒が赤黒い染みとなって広がってゆく。
目の前に立っていたゴンドルフが、主君の異変に気づいて表情を凍らせる。
「姫様!」
王女は膝から砕けるようにして雛壇に倒れ込んだ。金属を引っ掻くような女官の悲鳴が響く中、ゴンドルフは雛壇に駆け上がった。抱え起こされた王女は大量の汗を顔に浮かべ、目を閉じたまま僅かに口を動かす。
「カ……ル」
苦悶の王女が僅かに漏らした声を、横に控えていたメルツは聞いた。
「こ、これは何事か!」
「下がっておれ!」
メルツは叫びながら雛壇へと近づいたが、ゴンドルフに怒声で制された。騎士団は騒然となり、口ぐちに王女の名を叫び雛壇を取り囲んでいた。
最後の出兵。それは王女に毒が盛られることで制止された。