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ハーフ・オーク

「防ぐかよ!それを!」


ルゼンは人間の身の丈程もある棍棒を、座った姿勢で軽々と振るって矢を防いだ。


こちらを見据えながら、左足を地面に釘付けにしていた矢を引き抜き、棍棒を支えにして立ち上がる。


「笑っていやがる」


憤怒でも、恐怖でもなく、ルゼンの顔には凶暴な笑みで満ちていた。口を吊り上げ、牙を向きだし、獲物に襲い掛かる獅子の顔そのままに笑っている。


(おっかないこったぜ)


カサルは身を屈め、残る2本の矢を持って走り出した。


姿を確認されてはこの場所からの狙撃はもう適わない。場所を変え、死角から撃たねばまた棍棒で弾き落される。


広場は建物に囲まれ、屋上からならどの建物でも狙撃は可能だ。だが、広場に面する市庁舎と隣の建物の間には路地が通り、屋根越しに直接移動することは出来ない。


路地の幅は最も狭い場所で5メトル。


「これくらいなら余裕!」


カサルは路地向かいの低い屋根へ、飛び降りるように跳んだ。天井に敷かれた赤瓦が踏み砕かれ、高質の破砕音を上げるが、広場の喧騒ならルゼンに聞こえない。

さらに屋根を進んで行くと、また路地だ。


向かいの建物は高く、屋上は今いる足場より上方で、目の前にあるのは壁と窓のみ。カサルは迷わずその窓目がけて跳び、吸い込まれるように屋内へと入った。


全ての経路は昨日までに確認し、オークの侵攻で逃げ出し無人になった部屋の窓を予め開けておいた。


屋内から屋上へと上り、再び広場を見下せる場所まで移動する。これ以上は隣接する建物と隔てる路地の幅が広く、屋上越しに跳び移るのは不可能だ。


(ここで十分!)


狭間越しから慎重に広場を覗くと、ルゼンは市庁舎から周囲の屋上へと視線を巡らせている。注意は主に市庁舎とその周辺で、2本の路地を隔て、右後方に位置するこちらまでは意識が及んでいない。


(周囲の地形を把握して、獲物を仕留めるのは狩りの常道だ。お前はこの広場の周りを把握していたか?ルゼン)


狭間に背中をもたれかけ、ゆっくり息を吐いた。


(あの場所から移動しないのは、弓矢を防ぐ自身があるか、足へのダメージが大きくて移動が適わないのどちらか)


カサルがユニコーンに矢を番え、最大限に引き絞る。


(さあどっちだ!)


屋上の狭間から、ルゼンの右肩目がけて矢を放った。


その直前、誰とも分からぬ声に反応したルゼンがこちらを振り向き、飛んでくる矢を叩き落とした。


「クソッ!」


決定的な好機の消失。最早、この場所からは高低差と路地に阻まれ、屋上からルゼンの死角へ移動することは出来ない。残された矢は一本。防がれることを前提に放つのは博打に等しい。


カサルは狭間の上に立ち広場を見下した。


ルゼンが見ているのはカサルでは無かった。観衆の1点を睨み付け、足を引きづり、棍棒を杖にして歩いて行く。


一人のオークを残して、周りは逃げるようにその場を離れた。


残されたオークはカサルの方を指差し、必死に何かを訴え掛けていた。ルゼンはその訴えを無視し、棍棒を頭へ振り下ろす。オークは頭から赤い塊を周囲に飛び散らし、その場に崩れ落ちる。


結局、矢を打ちこめたのは白羽根の矢が1本、緑の羽根矢が2本。


足こそ殺したものの、右手はルゼンにとっては軽傷に等しいだろう、左手に至っては無傷だ。遠間からの攻撃はこれ以上は適わない。広場に戻って、近接戦闘に応じるしかなかった。


カサルは屋内を通って、広場に面した入口から外へと出た。


待ち構える観衆の視線は鋭く、卑怯者、恥を知れと不満と罵声がカサルに浴びせられる。興奮した観衆は今にも殴りかからん勢いだったが、デルロイにによって制止された。


デルロイはカサルを指差すと「まだ決闘は続いているぞ」と言わんばかりに、その指先をルゼンへ向けた。ルゼンはカサルが放った矢を手に持ち、獅子の形相でこちらを睨んでいた。


怒号が飛び交う中、カサルは広場へと戻る。


「興を削いだクズは始末しておいた。よもや反則だなどと言うんじゃあるまいな」


「そんなつもりは無いぜ。ただまあ、あんたも観客に助けられるなんて、存外つまらん男ということか?」


観衆を利用して有利に戦いを運んだというのなら、ルゼンが追って来れぬように謀ったカサルも当てはまる。しかし、観衆の敵意を己に有利に利用することと、観衆の贔屓で助けられることとは根本的に違う。


「分かっておるわ!」


昨日の自身の言葉で挑発されたルゼンは、怒りも露わに自らが叩き落とした矢を己の右肩に深々と突き刺した。


思わぬ行動に、さっきまでカサルへの罵詈雑言で騒がしかった観衆は静まり返った。


「この矢が当たれば勝てていた、などと思っているんじゃあないだろうな?この右手は今死んだ。これから、左手のみで戦ってくれる。さあ、続きを始めるぞ!」

「ふっ、後悔するなよ?」


矢で狙ったのは確かに右肩、その処置が公平性を持つかどうかは問題では無い。そこまでして戦いを楽しむことを優先する、ルゼンの狂気めいた闘争心が恐ろしいのだ。


カサルはさきほど置き去りにした剣と、矢筒のある場所まで走る。


「慌てぬでも剣を拾うまで待ってやる」


いくら負傷していようと、素手のカサルなど相手にならないと言っている。ならばその余裕に乗じさせてもらおう。


カサルは矢筒から矢を全て取り出し、地面に並べ三本手に取り、片膝立ちになって弓を構えた。


「行くぞ」


口に出したのはルゼンだった。左手に棍棒を持ち、右足を引きずる様にして、真っ直ぐに少しずつカサルへ向かって進んでくる。


「そこに辿り着いた時がお前の最後」とでも言いたげに、ルゼンの顔は嬉々とした欲望が浮かんでいる。


観衆は興奮を取り戻し、広場は決闘の熱気に包まれた。


「残る矢は十三本。これを全てお前にくれてやる、ルゼン!」


一射目、ルゼンの胸元へと狙いを付けて放たれた矢は、手にした棍棒で易々と弾き落される。


「二!」


「三!」


カサルは怯まず、二射三射目と、肩、足と狙う場所を散らし、数字を大声で数えながら、矢継ぎ早に撃ち込んでいく。


ルゼンは己に向かって超高速で飛来する矢を、全て左手の棍棒だけで叩き落としていく。


矢で射抜かれた股関節と左大腿から出る大量の血で、ズボンに赤黒い大きな染みができ、地面にはなおも血が滴る。


それでもブレず、歩みは止まらず、一歩ずつ着実にカサルへと近づいて行く。この近距離で上体だけを使い矢に反応していく様は、文字通り人間業では無い。


「遅い!遅いぞ!そんな矢で、俺の前進は止まらん!ぬははは!」


矢を弾きながら、高笑いをする余裕すらルゼンにはあった。


カサルは矢を防がれても気にしない。いや、矢を防がせるために一射目からペースを乱すことなく変わらぬリズムで矢を射続けている。


全ては最後、この矢のために。四本の矢を同時に手に取った。


「九!」


ルゼンに九射目を放つと、掛け声を発さず刹那の間で次矢を番えて放つ。


ペースを狂わせ放たれた矢は同時に三本。狙いを付ける必要は無い。ルゼンは目前まで迫っているからだ。


最速で番えた矢は、胸、腹、腰へとルゼン目がけて縦に飛んだ。三本同時に防ぐのは不可能。最低でも二本は当たる。


しかし、カサルの目論みは叶わなかった。


ルゼンは棍棒を体と平行に立てることで腹と腰の矢を受け止めた。残る矢は右胸に突き刺さったが、分厚い胸板を貫通するには至らない。


「ぬおぉー!」


形勢逆転。ルゼンは咆哮を上げ、手にした棍棒を薙ぎ払った。


カサルは咄嗟に後方へ飛び退く。


太い、湿った木を折るような鈍い音が、体内から耳へと伝わる。カサルは右腕もろとも胴体を棍棒で打ち据えられ吹き飛んだ。右腕から胸にかけ激痛が走る。


「ガハッ!」


咳と共に、気管を通った血が飛沫となって目の前を飛び散る。


(--!)


痛みと衝撃で思考が停止し、何が起きたか理解が及ばない。


(何だ!腕折れて!棍棒!)


足への怪我で踏ん張りが効かないにも関わらず、ルゼンの振るった棍棒の威力は常軌を逸していた。


(腕が!折れちまった!来るぞ!)


ルゼンは尚もゆっくりとカサルへ迫り、防御もままらない体勢に棍棒を振るう。衝撃を殺そうと、棍棒が振るわれた方向に倣って飛ぶが、速さと威力はとても殺し切れない。


麦でも刈り取るように足を払われ、体が半回転しながら飛ばされる。


受け身など取る暇もない。頭から地面に落ちたカサルの額は割れ、大量の出血が目に入り視界を赤くボヤけさせる。


(足は、折れていないか?動けるか?)


骨は折れてはいないようだが、片足に全く力が入らない。ガクガクと震える足に力を込めても、ほとんど片足で立っているような状態だ。


右腕は骨折で力無く垂れ下がり、左手を腰に当て、防御もままならぬ体で立ち尽くす。


(終わらせるなよ。俺はまだ戦える)


「これで終わりにしてやるぞ、ハーフ・オーク!」


ルゼンは攻撃を止める気などさらさら無い。棍棒を振り上げ、カサルの頭上へと振り下す。


(食らえば死ぬ!)


オークの頭を爆ぜさせた一撃を、カサルは半身をずらしてすんでで躱し、忍ばせていた短剣を棍棒を持つ前腕に突き立てる。


ルゼンは前腕を深々と刺され、手にしていた棍棒を落す。


「まだそんな物を隠し持っていたのか、やるじゃあないか」


怒るどころか、むしろ感心したと言った様子で、ルゼンは刺された左腕を見ている。


「はっ、騎士の友人がくれた物でね。最後のとっておきだ」


辺境の村でシーガルから渡された短剣を、カサルは腰の裏側に忍ばせていた。


短剣を手にしたカサル、素手のルゼン。お互い満身創痍で、満足に歩くことすらできない。出来ることは最早限られている。


「ルゼン!ルゼン!ルゼン!」


観衆の興奮は頂点に達し、盛大なルゼンコールが起こっていた。誰もが卑怯者のハーフ・オークが倒されることを望んでいる。


「ハーフ・オーク」


聞き間違いか、それとも罵声か。カサルはルゼンに混じって自分を呼ぶ声を聴いた。


「ハーフ・オーク!ハーフ・オーク!」


(何だ?)


聞き間違いではない。


確かにハーフ・オークと叫んでいる声がする。


観衆を横目に見たカサルの視界に入ったのは、昨日話を聞いた帽子を被ったハーフ・オークだ。男は握り拳を天に突き上げ、オークに混じって最前列でカサルに声援を送っていた。


(あの野郎)


周りのオークから小突かれ、鼻血を流しても声援を止めようとしない。


声は一つでは無かった。観衆を見回せば、少ないながらもハーフ・オークが混じり、同様にカサルに向かって声援を上げている。


日頃、ハンパ者としてオークから蔑まれるハーフ・オークが、最強の族長と決闘を行い、あろうことか傷を負わせて善戦している。彼らにとってこれほど痛快なことがあるものか。


「くっ、その気概を普段から見せろよ」


カサルは苦笑した。


「決闘でこれだけの時間を掛けた相手は久しく無かったぞ。名前を聞いておこう、ハーフ・オーク」


今更ながらに名を訪ねたルゼン。獅子の形相は緩み、満足げな笑みが浮かんでいる。


「……カサルだっ!」


言い終わるよりも早く、カサルは左手に持った短剣でルゼンの左腕目がけて切りつけた。


ルゼンは反応素早く短剣をかわすと、腕だけを鞭のように振るい、顔面に素早く拳を打ち込む。


リーチと膂力の差は圧倒的だ。


(あ、何が?)


カサルは軽く振るわれた拳で、意識を一瞬飛ばされ思考に空白が生じる。


その間隙を突いた、ルゼンの2撃目。引き絞り、力を込めた拳を顔面に浴び、カサルは後ろに吹き飛ぶ。


果実の潰れるような嫌な音、口腔内に広がる鉄の味。鼻骨が折れ、大量の血が鼻から地面に滴る。呼吸はままらず、震える足でなんとかその場にひざまづく。


(剣は……)


短剣はとうに手放され、前方ルゼンの足元に転がっていた。


遠い。


僅かな距離の移動すらとてつもない苦役に感じる。


ましてそれをあの男が許すものか。


カサルは両手をだらりと垂らし、時間がゆっくりと流れる中、ルゼンが近づいて来るのを眺めた。動かなければ殺される。しかし、意識に反して体はこれっぽちも動かない。


ルゼンはすくい上げるように拳を腹に打ち込んだ。


カサルのアバラが乾いた音を上げ、体が宙に浮き上がってそのまま前のめりに倒れ込む。


血を吐き悶絶していると、休む間もなくさらに蹴りが腹へと振るわれる。


負傷していることを微塵も感じさせない丸太を振るうような蹴りに、カサルの体は地べたをごろごろと転がっていく。


(静かだ、まるで音が聞こえやしない。このまま寝ちまえばどんなに楽か)


もっとも、そんなことは他でもない己自身が許さない。カサルは幽鬼のように、ふらふらと立ち上がった。


闘いは最早一方的になっていた。目の前で繰り広げられる凄惨な光景に、あれほど湧き立っていた広場は静まり返っている。


気が付けば目の前にはルゼンの巨体が立っていた。


カサルは首を掴まれ、上方へと掲げられた。足は地面から離れ、気道が塞がれ呼吸もままならず、苦悶の表情を浮かべる。


「直ぐ楽にしてやる」


ルゼンは締め上げている左手に力を込めた。窒息させようなどと思ってはいなかった。首をへし折ろうとしているのだ。負傷した左腕で、なおこれだけの力が出せる。


化け物にも程がある。


「ぐっぐっっ」


振り解こうにも体に力が入らず、脳への血流も遮られ意識が遠のいて行く。


(これでおわりか?)


薄れていく意識の中、カサルの脳裏に浮かんだのはリマの顔だった。


出会った時のに見せた手を差し出す笑顔。背負われる時見せた恥ずかしそうな赤い顔。絵画の前で初恋を語る少女の顔。別れに見せた涙を浮かべた顔。その全てが愛しい。


(そうだ、俺はあいつを、あいつを守る!)


カサルは左膝を曲げ、ブーツの中に手を入れた。


取り出したのは半分に切った緑の羽根矢。切り札と呼ぶにはあまりに小さい。それを首を締め上げるルゼンの上腕へ、渾身の力で矢を突き立て捻り上げた。


「ぬおおお!お前はまだ諦めぬというかあ!」


矢は腕を貫通し、矢じりが反対側へと突き出ている。さしものルゼンも、左腕を2度も刺されれば力は入らない。


激高するルゼンを尻目に、拘束を解かれたカサルは、短剣目がけて転がり込んでいく。


左手を潰された怒りか、短剣を取られることを致命的と判断したか、ルゼンは体裁も構わず這うようにして迫っていた。


「お前と生きるぞリマ!」


カサルの絶叫が広場に響き、静まり返っていた観衆から喚声が巻き起こる。


これで終わりにする。もう動き回る力は残ってはいない。短剣を手に取り、振り向き様に後ろから追いすがるルゼンの胸元目がけて突ぎだした。


最後の一太刀を、ルゼンは右手を使って防いだ。


「使ったな右手を……」


カサルの弱々しい呟きに、ルゼンは何事が起きたのかと己の右手を見つめた。


そして、全てを理解したように苦々しい顔を浮かべ、棍棒を拾い上げてカサルを打ち据えた。

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