族長、ルゼン
王都からバーグに掛けての一帯は平野でほとんど起伏が無い。畑が広がり所々に農村と森林が点在していた。
二つの街の間には、戦争状態にあるオークと人間の所謂“前線”が有るはずだ。しかし、道中目にしたのは、街道を騎馬で走る兵士と、点在する村に駐屯する小規模な人間の部隊だけだった。もっと大規模な部隊が野営をしている光景を想像していたカサルは拍子抜けする。
時折、王都へ向かう避難民とすれ違いながら街道を西へと進む。徐々に人間の姿が減ってゆき、遂にオークを見かけるようになると、勢力圏の変化を実感する。
ヤルカンの勢力圏に入ってからは、素顔を晒して街道を進む。ハーフ・オークであることを知らせた方がトラブルを避けられるからだ。
明るい内は1日中歩き通して、王都を出てから四日でバーグへ辿り着いた。
「なんだありゃ?」
目にしたのは市壁に囲まれたバーグの街に、内と外から立ち上がる幾本もの煙だ。その光景は王都の避難民キャンプに似ている。異なるのは煙が市街内部からも上がっているのと規模が大きいことだ。
(火の回りに、オークの人影。何をしてやがる)
市壁の外から上る煙の元をたどると、屋外で焚かれた大きな火をオークが取り囲み、肉の塊を焼いてかぶり付いている。
(あれが煙の原因か。じゃあ市街地のも同じか)
カサルは堂々と街道を市街へ向かって進んで行く。道沿いには農家と思しき家が建てられ、軒先に牛に引かせる有輪犂や鍬が打ち捨てるように放置されていた。
途中、家から出てきたオークと出くわしたが、チラリとカサルの顔を見ただけで気に留めない。
(あいつら、ここで寝起きしているのか。随分と数が多いな)
オークは市街に収まりきらないのか街の外に溢れていた。市街にいる数も含めればいったいどれほどになるのか。
男も女もみんな一様に、革のベストを着て黒いパンツを履いている。この街にいるオークは全員が戦士ということだ。
何人ものオークとすれ違いながら、市壁に囲まれた街へと辿り着く。砂岩で作られた壁に門が設けら、上には物見塔が建っていた。門番は置かれておらず、物見塔に黒い人影が見えるだけ。門からはオークが頻繁に出入りし、中にはハーフ・オークの姿もあった。
(いくら俺がハーフ・オークだからって、まったく怪しまれないとはな)
大らかなのか、それとも抜けているのか。
カサルは門を潜って市街に入った。
密集するように建つ赤瓦に白い壁の家、くねくねと曲がり方向感覚を狂わせる道、太陽の差し込まない路地裏、この街の景観は軽い眩暈を覚えさせる。
昼間というにも関わらず、ほとんどの家の窓は鎧戸が閉められていた。耳を澄ませば住人が住んでいるという気配は感じるから、外に出ることを避けているのだろう。
街中にはオークが溢れ、いたる所で肉を焼いては齧り付いている。彼等の傍らには必ずと言っていいほど、丸太のように大きな棍棒が転がっていた。そんなさまを見せられては、自分まで食われてしまうと恐怖を感じる人間もいるだろう。引きこもるのは無理も無い。
以前滞在したオークに支配された街は、住人が逃げ出していたとはいえ、少なからず人間が働き都市機能を保っていた。
オークは狩猟採集で生きる種族。街に暮らそうとすればインフラを支える人間の存在は不可欠だ。制圧されてから間もない此処は、まだ街としての機能を回復させていないということだ。
カサルは街道から見えた鐘楼らしき建物を目指して歩いた。
(ここがヤルカンの前線であることは間違いない。後はどうやってそいつを探すかだ)
何度か道を行ったり来たりしながら進むうちに、建物の規模が徐々に大きくなり、やがて石畳の大きな広場に辿り着いた。
広場は鐘楼を備えた市庁舎、教会、穀物倉庫が壁のように円形に囲んでいる。本来であればこの広場は、周辺の農家や外来商人が開く市、ギルドの集会、犯罪者の処刑と、様々な目的に使われる公共空間だ。
今この広場に市民の姿は無く、代わりにあるのはオークの人だかりだ。
何百人ものオークが広場中央を取り囲み、歓声を上げていた。顔は上気して、拳を振り上げ、乱闘でも始まるのではないかと思わせる熱狂ぶりだ。
何事が行われているのかと広場の中央を見たが、自分より遥かに背が高いオーク達に遮られ、様子を伺い知ることは出来ない。仕方なしに、近くにいたオークに訪ねてみても、こちらなど眼中に入らないようでまったく相手にされない。
一際大きな歓声が起きた。
「ルゼン!ルゼン!ルゼン!」
連呼しているのは人名だ。カサルは小突かれながら群衆をかき分けて進み、人だかりの前面に出た。
そこには赤髪のオークの男が、棍棒を手にした三人のオークと対峙する姿があった。
赤髪の男は、傷痕だらけで巌のように逞しい上半身を晒している。武器を手にした三人を前に、手に何も持たず、落ち着き払った表情で微動だにしない。
対する三人は汗を浮かべ、押し付け合いでもするように互いに視線を送り合っている。
(この男がルゼンか?)
止むことの無い歓声は傷痕だらけの男に向けらたものだ。
傷痕の男は片眉を吊り上げ、退屈そうに首を数回振るってズンズンと前に進み出た。
停滞が破られ、三人は己を鼓舞する様に奇声を張り上げると、ほぼ同時に棍棒を振るって襲い掛かる。男は次々に振られてくる棍棒に掠ることすらない。股間を蹴り上げ、腕を折り、目を潰し、三人を地面に叩き伏せ、勝負は一瞬のうちに終わった。
異常なまでの強さだ。武器を手にした三人のオークに対し、最小限度の動きで効果的に相手を無力化していた。人間よりも遥かに強いオークの中で、さらに次元の違い見せつけている。
近づいてきた全身黒づくめの若いオークから、毛足の長い金色の毛皮を手渡されて身に纏い、鋭い眼をギロリと光らせ群衆を見回す。
一際激しい歓声が起こる中、黒ずくめの男達を従え、鐘楼を備えた建物へと入って行った。
(あの男が族長か?)
視線が一瞬交錯したように感じたのは気のせいだろうか。脇から冷たい汗が滴るのを感じた。
熱狂が冷めて群衆がばらけだすと、傍にいたオークに話しかける。
「なああんた、これはなんの騒ぎだったんだ?」
「なんだお前は見てなかったのか」
オークはジロリとカサルを睨み付ける。
「ああ、生憎さっきこの街に着いたばかりでな」
「族長の決闘が行われたのよ。三人を同時に相手して圧勝だったぜ」
(やっぱりそうか、さっきの赤髪の男が)
探そうとしていた族長を早くも見つけることが出来た。己の運の良さに、苦笑しそうになる口元を押さえる。
オークはそれだけ答えると、早々に立ち去ってしまった。今度はハーフ・オークの男を見つけて話しかける。
「ちょっと聞きたいんだが、族長が決闘したって?」
周りのオークより一回り小さい帽子を被った男は、話しかけられると一瞬びくりと肩を跳ねあげた。怯えるように振り返った男は、カサルを見て自分と同じハーフ・オークであることを知り、安心したように肩を下す。
「なんだお仲間か、ビックリさせやがって。そうさ、ここに来て族長が決闘するのは初めてだからな、大盛り上がりさ、ククク」
「あいつら、しょっちゅうこんなことを?」
「ああ、毎日だ。ここは元々、市なんかが立つ広場だったらしいが、奴等暇つぶしにここで決闘していやがる」
オークの男は強さこそを至上とする社会。集団での地位は強さで決まり、それを証明するために決闘を行う。カサルもそういう風習がオークにあることは、母から聞かされて知っていた。
「族長、ルゼンというのか?奴が決闘することもあるんだな」
「そりゃそうさ、オーク共に忠誠を誓わせるには、己の強さを見せつけるのが一番早い。族長が決闘から逃げてたら、誰も付いて来やしない。もっとも、誰彼かまわず受けてたらキリが無いから、相手は選んでいるけどな」
「弱い奴を選んでる?」
「そんなわけあるか!逆だ、強い奴や一族しか相手にしない。最強のルゼン様だぜ?今日なんか相手に不満で三人同時だ。それでもまるで問題にしない強さだ、クク」
さも嬉しそうに話すこの男も、族長の強さにあてられ忠誠心を抱いたか。なるほど、下剋上を夢見る奴全員を相手にしているほど、族長も暇ではないということか。
「いままで族長とやって勝てた奴は?」
「いるわけないだろう!もしそんな奴が現れりゃ、相当な地位に就く。一気に族長候補の仲間入りだ」
そんなことで族長を決めるとは、強さに価値を求めるオークらしいと言っていい。それでも、血縁だけで王位を継げる人間よりよっぽどましだ。
「ハーフ・オークも出られるか?」
「は?」
「俺も決闘に出られるかと聞いてるんだ」
「正気か?俺達ハンパ者がオークに勝てると?ハーフ・オークが出たなんて聞いたことが無いな。つまらない冗談だが、もしそんな時がくれば応援してやるよ」
男は顔を歪めて嗤い立ち去った。
(さて、あそこに族長がいることは確か。あとはどうやって会うかだな)
鐘楼の付いた建物を広場から遠巻きに観察した。建物は3階建ての白砂岩作り、建物に向かって左端に鐘楼と入り口がある。オークの出入りは少なく、その中にハーフ・オークの姿は未だ無い。
カサルは建物の構造を確かめるために裏路地へと入って行く。
鐘楼の付いた建物は、元々市庁舎として使われていて作りは頑丈だ
。窓には分厚い丸ガラスが嵌めこまれていて、割って侵入することは容易でない。
しかし、正面から見ても分からなかったが、裏手では隣の建物と完全に壁が繋がっている。屋根続きなら屋上への侵入は可能そうだ。
(正面切って乗り込むか、はたまた忍び込むか)
目的はあくまでも話し合い。忍び込んで警戒されるよりは、正面から行く方が話はこじれない。それに、ルゼンが会う根拠もある。
「考えるまでもねーな。小細工なしで正面からだ」
カサルは広場に回り、市庁舎の入り口から堂々と中に入った。




