故人
国王崩御に伴い、王宮は喪に服すことを表した。塔からは大きな黒い布が吊るされ、城門は閉じ、表立って出入りする人はいない。
市民の生活は普段とほとんど変わらない。国王が死んだ翌日も、商店はいつも通り営業していたし、通りを行く人々の数も変わらなかった。
異なる点と言えば、いつもより黒い服を着た人が若干増えた程度だ。もとより国王は長く病に伏していて、国は大臣たちの手で回っていたから、市民にことさら慌てる理由は無い。
カサルは鐘の音が鳴らされた時、その理由を確かめに市街へ向かった。もっとも、わざわざ街へ足を踏み入れるまでも無く、テント街はすでに国王崩御の話題で溢れていた。
国王の死。その話を耳にして真っ先に思い浮かべたのは、絵画の中の実父では無くリマの姿だった。
街で噂をする人々の口からも、リマの名を聞かされることが多かった。多くの人々がリマの慈しみある人柄と美しさを称え、国王就任を歓迎している。しかし、一部に彼女の若さと、戦時での判断力を不安視する声があったのも事実だ。
リマは王位を継承するのか。
そんな疑問がカサルに浮かんだが、考えてみればどうでもいいことだった。王位に就こうが就くまいが、リマは国民のため、出来る精一杯のことをしようとするだろう。それは今までと変わらない。
(お前のためならいくらでも力を貸すって言いながら俺は結局何もしていないのか)
国民と言われてもピンとこなかったカサルだが、今ではパミラとチュモという実像を思い浮かべるようになっていた。
カサルは狩りを終えテントに帰る道すがら、遠くに見える王宮を見ながら自問した。
国王が死んでからすでに4日。
カサルはテント街の外れで寝起きしながら、郊外で狩りをして過ごしていた。獲物が少ないとは言っても、休耕地や所々にある木立を回れば、半日程度で兎やリス、野鳥といった小動物は手に入った。
捕えた獲物は自分たちが食べる分だけを残し、市街の肉屋に売る。王都は住人が増え、需要も増して肉の値も上がっていたので、多少の小銭に換えることは出来た。
カサルはそうして得た金で野菜やパンを仕入れて、仕留めた肉と一緒にパミラ母娘のいるテントへ向かう。
「今日は帰って」
「随分とつれないじゃねえか。聞いてるぜ、若い男を掴まえたんだってな?」
テントを訪ねた昼過ぎ。パミラとチュモ、そして中年の男の姿があった。
「あの人はそんなんじゃないわ。妙な勘繰りは止めて」
「誤魔化すこたぁねー。お前だって若いんだ、男抜きじゃ夜も寂しかろうさ。だからって、こっちの相手を疎かにしちゃあいけねえぜ。今まで通り可愛がってやるぜ」
「帰って!」
涎でも垂らしそうな薄ら笑いを浮かべて顔を近づかせる男。パミラは険しい顔で拒絶する。チュモは男を怖がって、母の足元にしがみ付いていた。
「チッ。そんな忌み子を抱えて、お前等母娘がここで生きてこれたのは、俺達が目こぼしをして周りを押さえてやっているからだぞ。、俺を蔑にすれば、どうなるか分かっているだろうな」
「そんな!」
男は薄笑いを消し、声を低めてパミラの肩に腕を回す。パミラは嫌悪を浮かべて身を仰け反らせた。
「やってみろよ」
「カサル!」
聞くに堪えない言葉を吐く男に、カサルは呆れながらテントへ近づいていく。パミラ驚いてカサルの顔を見ると、すぐに視線をそらして決まり悪そうに俯いた。
「な、なんだあ、テメーは!」
「その若い男だ」
男は身構え、威嚇するように大声を張り上げる。カサルは怯えるチュモの頭を優しく撫でてから、男に顔を向ける。
「もう一度言ってやる。やってみろ。ただ、覚悟をしておけ。今この瞬間から、この母娘が泣いたり、怪我をしたり、ここから出て行かなきゃならないようなことになった時、俺はその原因が全てお前にあると決めつける」
「は、はあ?」
「その時俺は、この矢筒にある矢を全てお前の体にブチ込んでやる。お前が何処に逃げ隠れしようと、見つけ出し一本ずつ、足先から脳天まで丁寧に打ちこんでやるよ」
「な、何をぬかしやがる若造が。やれるもんならやってみろ!」
勿論脅しでは無く本気だ。カサルは怒りを見せるでもなく、冷めた目で相手を見下した。男は脅しには屈しないと、薄笑いを作って凄んで見せるが、額には汗が浮いている。
「出来ないと思うか?俺はお前の言う忌み子だぞ」
口を隠していたフェイスマスクを下し、牙を剥き出して笑って見せた。
「て、テメーは、ハーフ・オーク!」
「そうだ。お前みたいな汚らしい人間が俺は大嫌いなんだよ」
男の薄笑いは一瞬で凍りつき、額の汗が頬を伝って落ちていく。狼狽は隠しようもなく、口を半開きにして震えさせ、身を守る様に後ずさる。
「やれやれ、君は本当にやりそうだから怖い」
突然の声に、カサルと男は顔を向ける。立っているのは臙脂の詰襟スーツを着て荷物を両手で持ったシーガルだ。
「き、騎士様。ハーフ・オークです。ここに、ハーフ・オークがおりますよ!」
「ええ。承知しています」
「ざまあねえな、ハーフ・オーク。王都はお前のような忌み子が、居ていい場所じゃねーんだよ」
救世主の登場に、色めき立って詰め寄る男を無視してカサルは尋ねる。
「どうしてお前がここに?」
「探しましたよ。目抜き通りで見かけたと言う声を元に尋ね歩いて、ようやくここまで辿り着きました」
また会おうと言ったシーガルの言葉が早くも実現するとは。
テント街に留まって、市街と行ったり来たりをしていれば再会しても不思議はないが、それなりの感慨をもって別れただけになんとなくきまりが悪い。
「そうです、ハーフ・オークが王都に入り込んでいるんです。捕えてやって下さい。私も手伝いますぜ」
その言葉を聞いて勘違いした男は、存在するだけで逮捕の対象と言わんばかり促す。
「ですから承知していますよ。彼は私の友人ですから」
「おっさん、少し空気を読め」
「ええ!」
ハーフ・オークを友人と呼んだ騎士に男は驚きを隠せない。話の腰を折られたカサルは、心底邪魔に感じて退場を促す。
「フフ、君が空気読めとか言いますか」
「抜かしてろ」
思い出し笑いでもするようにツッコミを入れる。カサルは自分の過去の言動を思えば、否定することもできない。気の置けぬやり取りをする二人に、男は隠れるように身を縮めて退場していく。
「おい、おっさん。さっきの俺の言葉を忘れるな」
とどめの一言を浴びせると、男は堪らずに駈け出して行った。改めてシーガルに向きなおる。
「で、なんの用で来た」
「これを渡しにきました」
シーガルは両手で持った荷物を、丁重に胸の位置までかざした。光沢を放つシルクに包まれた布と、その上に真紅の鞘に納められた直剣が置かれている。どこがで見た気がする代物だ。
「分かった、場所を変えよう」
「ええ、そうしましょう」
シーガルは再会で見せた和んだ表情を消し、陰りが浮かべた。それに言葉使いもおかしい。
「パミラ、すまなない急用だ。こいつはチュモと食べてくれ」
「は、はい」
手にした食材を渡すと、パミラは不安そうな顔を向けた。警察権を持つ近衛騎士がハーフ・オークを尋ねて来たとあっては無理も無い。
「前にも言ったが、こいつは俺の友人だ。だから何も心配するな。チュモ、怖いおっさんは追っ払ったからな」
「うん!カサル好きー」
母娘を安心させるために笑顔を作り、チュモの頭をまさぐるように撫でた。
カサルは二人の元を離れ、少し離れた場所に張った自分のテントへシーガルを連れて行った。テントと言っても、綿布で天幕を張っただけの簡単な作りで、その下に毛布が置かれている。
「こんな所に住んで、一体何をしていたんです」
「どこに住もうが俺の勝手だ」
「まあ、そう……いえ、もうそういう訳にもいかないと思うんですが」
「何を分からないことを。で、その荷物はなんなんだ」
含みあるシーガルの物言いが自分を咎めているようで用件を促した。
「ええ、これをお渡しするよう、リマ様から仰せつかりました」
「リマがこれを?」
シーガルが丁寧に両手でかざした荷物から剣を取った。真紅の鞘に納められ、握り赤いエナメルで、柄頭には大きな赤い宝石が嵌めこまれている。
「これは……」
「抜いてみて下さい」
鞘から剣を引き抜く。白く光る剣身、鍔元から延びる浅い血溝、間違いない絵画で若きゾンダルテ国王が手にしていた剣だ。
「どうしてリマはこれを俺に?」
「あなたが持ち主だからでしょう」
「はあ?言ったはずだぞ、俺は国王を父と認めないって」
「剣の裏側を見て下さい」
声を尖らせるカサルに、シーガルは落ち着いて促した。
「これは……」
言われた通り剣を裏返すと、剣身の鍔元側に大きく飾り文字で“カサル”と刻まれていた。
「待て、これはどういう意味なんだ。元から彫られていたものか?」
「文字が読めませんか?」
「馬鹿にしてんのか?字は読める。ここに刻まれている意味、理由が分からないと言ってるんだ」
「団長によれば、少なくとも20年前にそのような文字は刻まれていなかったそうです」
「それじゃあ、その後に彫られたっていうのか。リマが?」
「リマ様が?まさか。それはヴォルクス王国のレガリア、王権の象徴である剣“シュヴェリーン”。正当な王と認められたもの以外、手にすることすら恐れ多い。まだ王位の継承も発表されていないリマ様が、陛下が亡くなって数日でそんなことをなさるわけが無い」
混乱は深まるばかりだ。その様を見たシーガルは頷く。
「そうですね。私と団長も、リマ様からそれを見せられた時は同じように混乱しました。リマ様も同じだったそうです。ですが、レガリアに新たな文字を刻ませる。そんな真似が出来るのは陛下以外におられない。ですから……」
もったいぶる様に言葉を切り一呼吸おいた。
「ですから、何だ?話を続けろよ」
じれたカサルが続きを促す。
「ですから、この文字はあなたの存在を知っていた陛下が彫らせたもの。そう考えるしかないでしょう」
「は?俺を知っていた?なんだってそんな真似を」
「分かりませんか?」
今日のシーガルはどうもよそよそしい。カサルは違和感を覚えつつ頷いた。
「亡き陛下が殿下の存在を認め王位を託した。そういうことです」
シーガルは改まってカサルを殿下と呼び、恭しく一礼して答えた。
「国王が俺に王位を?」
「はい」
カサルは絵画の中にいる男の姿を思い浮かべた。
真紅のマントを身に纏い、シュヴェリーンを手に、すまし顔でこちらを見下す若き実父。母を塔に幽閉し、子を孕ませ、父を死に追いやった張本人。
(奴が俺を認めた?)
忌み子として蔑まれるハーフ・オークを、人間の王である実父は息子と認め、あまつさえ王位すら託そうというのか。
「ふざけるな!たとえ貴様が認めても、俺がお前を拒絶する!」
カサルは体の奥から熱を持って沸きあがる怒りを、ぶちまけるように叫び否定した。己の死に際し、善人として今更過去を清算しようとでもいうのか。そんな都合のいい話を許してなるものか。
「殿下……」
「その呼び方を止めろ!俺を友と思うなら止めてくれ」
友にそんな呼び方はされたくないと懇願するカサル。その目をシーガルは見つめ、少しの間を空けて表情を緩めた。
「わかったよ。ただ、友として言わせてくれ。君の母上と父上、陛下の間に何があったのか。それは団長の言う通りだったのかもしれない。だけど、故人の気持ちまで完璧に推し量ることが僕らに出来ようか」
「どういう、意味なんだ」
「あるがままを認めるしかないと言うことさ。君の気持ちがどうであれ、陛下は君を息子と認め、王位を認めた。その事実を」
何が事実で真実なのか、当事者達からもう聞くことは出来ない。それならば、カサルは己の中の真実を優先する。
「……分かった。その上で言う。俺は王族になる気はない」
「うん、いいじゃないか。王位を継承する必要はないよ」
「そうなのか?」
拍子抜けするほどシーガルはあっさりしていた。