鐘の音
朝、東の空が紅く色づき始める。
カサルは横で寝息を立てる母娘を起こさぬようにテントを出た。秋の早朝はすでに寒く、吐き出す息の白さが冬の到来が近いことを告げている。
遠目に見えるテント街からは幾本かの煙が上がっていた。昨晩の燃え残りか、それともカサルと同じように早くから起き出している者がいるのか。
肩から矢筒を背負い、王都に背を向け畑を進んで行く。王都の郊外にはなだらかな起伏を描いて広大な畑が広がり、所々には木立が残されていた。
朝焼けが畑を照らす中、腰に下げていたユニコーンに弦を張り、矢筒を確認する。
その中に「やられっぱなしのお返しだ」とエルフ谷を離れる前に、カリキュラから渡された矢が入っている。
エルフの作った緑の羽根矢が五本。矢柄に軽銀が使われ、矢羽は緑鷹の尾羽。適度に重く頑丈な矢は振動せずに飛び、最大に引き絞ったユニコーンの弾性力にも耐えられる。飛距離と威力はドルフの作った赤羽の矢以上だ。
「さあ、狩りの時間だ」
王都郊外のこの地では、どんな獲物が手に入るのか。初めての地での狩りは、いつも期待と適度な興奮を与えてくれる。
「なんてこった……何にもいやしない」
最上の弓と矢を用いても、獲物がいなければ始まらない。それでも太陽が高く昇る頃まで粘って、なんとか野兎を一匹仕留めることができた。
「森や野原のようにはいかないか。野草も少ないしな」
獲物を見つけるのが至難の業だ。大型の獣に至っては一度も姿を目撃しなかった。それに辺りは畑ばかりで、休耕地でも食べられる野草は殆ど見つからない。
「避難民に採られ尽くしたか?兎だけってわけにも……あ、そうか」
すぐ側には街があることを、すっかり忘れていた。何も狩猟採取だけが食べ物を得る術ではない。長年、森や山で食料を賄えてきたから、購入するという概念が無いのだ。
仕留めた兎を腰にぶら下げ街へと向かった。
王都は国の商業の中心であり、城へ通じる目抜き通りはその中核となる商店街だ。
木戸を閉めきった店が何軒かあるものの、石造りの立派な建物に、綿や毛織物、仕立て屋、金細工、ワイン、さらには銀行とカサルが利用したことのない様々な商店が並んでいる。目抜き通りの中央には朝市も立ち、採れたばかりの色とりどりの野菜が売られていた。
商店街は元からいた王都の住人に加え、避難民の客も混じり、人々の喧騒で溢れかえっている。
見回す限り人間、人間、人間。亜人種などまるで見かけない。王都の住人がハーフ・オークの世継ぎ出現を喜ぶようには思えない。
(俺に出来るのはこれぐらいだ)
買い出しを始め、野菜、パン、毛布、綿布、と色々な店を回って行く。あまりの買い物量に、持ちきれずに手提げ袋を買い足す始末だ。
金を出して買い物をしたのは久しぶりだった。
リマと旅をするようになってから、カサルが金を使ったことは一度もない。食事や日用品に至るまで支払いは全てシーガルが行っていたので、手元にはアーマインで貯めた金と、リマからの給金である金貨20枚はそのまま残っていた。
(マスクで顔を隠さなきゃならないのは面倒だが、街の暮らしも金さえあれば便利なもんだ)
まるで文明人になったような気分だ。
手に毛布と手提げ袋の大荷物で、市壁の外にあるテント街へと戻って行く。
パミラのテントは明るい陽の光の下で見ると、よけいに孤立感が際立って見えた。
テントの前ではチュモが一人で座り、消えたかまどの灰をいじって遊んでいた。昨夜、街道で見つけた時もそうだが、ああして一人でいる姿は、捨てられた子供を見るようで不安を感じる。
「おかえりなさい」
「おう、ただいま」
チュモはテントに近づく姿に気付くと、嬉しそうに駆け寄った。
ニッコリ微笑む幼子に、思わずカサルの口元も緩む。チュモは大荷物のカサルを興味深げに見回し、腰にぶら下げた兎に気が付く。
「それなあに?」
「兎だ。食べたことあるか?」
「兎ー?わかんない」
「そうか。お母さんはどうした。まだ寝てるか?」
「うん。お母さんね、いつも遅いの」
「じゃあ、起こさないようにしないとな」
カサルは辺りに適当な低木を見つけると、兎を逆さに縛り付けて解体に取り掛かった。
皮を剥ぎ内臓を傷つけないように取り出す。兎の毛皮は売り物になるので、余計な傷をつけぬよう扱いに気を付ける。内臓も食べられる部位は有難く頂戴する。
解体を終え、テントに戻ると中からパミラが顔を出した。寝ぼけ顏で胸元をはだけさせ、カサルと目が合うと一瞬の間を置いて、慌ててテントへと引き返す。
「ごめんなさい!すっかり忘れてたの」
カサルが昨夜泊まったことを失念していたらしい。テント内に置いたままにしててある荷物に気付かないところをみると、よほど朝に弱いのか。
パミラは胸元を直し、ほつれた髪をなで付けと外に出てきた。
「お母さん兎ー」
部位ごとに解体され鍋に入れられた薄いピンク色の肉を指差し、真新しいオモチャでも見るように目を輝かせている。
「まあ、どうしたのそれ?」
「カサルが捕まえたんだって」
「ああ、さっき仕留めた。チュモに食べさせようと思って。シチューにすれば2日は持つ」
「そんな、悪いわ……」
「昨日の礼くらいさせろよ」
パミラは申し訳なさそうな顔で、嬉しそうにしているチュモの頭を撫でた。
カサルはかまどの前に座り、手提げ袋からニンジンや玉ねぎといった野菜を取り出す。それらの食材をナイフを使い、器用に手の中で刻んでいく。
「パミラ、火を起こしてくれるか」
「え、はい」
丸めた藁に火打石で火を点け、かまどに放り込むと上から細木を被せる。ぱちぱちと木の爆ぜる小気味良い音が響き、さらに大きな薪が3つほどくべられる。
カサルは鍋でみじん切りにした玉ねぎを炒め、次々に具材を放り込んでいく。焦げ付かぬように木べらを使ってかき回し、溶け出した兎の脂と野菜が音を立て絡み合う。
傍らに座り込んだチュモは、カサルが料理をする様子を楽しそうに見ていた。
「面白いか?」
「うん」
「じゃあ、やり方覚えて、お前もお母さんにご飯を作ってやれ」
「チュモ、ごはん作るようになるー」
パミラは目を細めてチュモを見ていた。その笑顔に悲しみが入り混じっているように感じてしまうのはカサルの感傷か。
肉の焼ける香ばしい匂いが漂うと、瓶に入った水を鍋に注ぎ、味を確かめながら塩を加えて煮込む。単純な兎と野菜のシチューの完成だ。
「さあ、食おうぜ」
朝から水以外口にしていないカサルは腹ペコだ。パミラがシチューを取り分け、チュモがカサルに運ぶ。昨晩を再現するように、食事が始まり、チュモは夢中になって鍋をほおばり始める。
「おいしい?」
「うん、あまいー」
(あまい?おいしいって意味か?)
その様子を嬉しそうに尋ねたパミラに、チュモは口の中のシチューを飲み込んでから笑顔で大きく頷いた。私も頂きますねと、パミラはシチューを口に入れる。
「おいしいです」
パミラはカサルを見て笑った。
「ほら、パンも食えよ」
手提げ袋に入った大きな白パンを差し出し、パミラは半分にちぎってチュモに渡す。
「白いパンなんて久しぶりです」
「ああ、そうか……」
遠慮するようにパンを見つめているパミラ。以前、森で父母と暮らしていた頃に、カサルが食べていたのはライ麦で作った黒パンだ。小麦で作る白パンは贅沢品で、良かれと思い買ってきたが余計に恐縮させてしまったようだ。
(王族になったつもりかよ俺は!)
カサルは自嘲して口元を歪めた。
「なあ、お前達を世話してくれる人はいないのか?俺も御覧の通りで、母の事情もあって人間の街でもオークの街でも暮らすことは出来なかった。だけど、義理の父が面倒をみてくれた」
パミラはシチューが入った皿を見るように俯く。
「いや、悪い。話したく無ければいいんだ。つまらないことを聞いちまったかな」
「いえ、私は生まれ育った村に婚約者もいました。けど、その村はヤルカンの侵攻経路にあったために襲われて。私を守ろうとした彼は殺されました。そして私はオークにさらわれて……」
珍しくは無い。オークに限らず異民族間の紛争ではよくある話だ。
だが、立場は逆とは言え同じような境遇の母を持つカサルは、その話を聞いて怒りを抱かずにはいられない。
「お腹が大きくなると、捨てられたんです。私が囲われていたオークの街にも沢山の人間が暮らしていて、ハーフ・オークもいたんです。だから、そこで暮らそうとも思ったんです。でも、この子を産んで、お腹が元に戻ればまたオークに……」
パミラはまだ若く美しい。その考えは当たっている。
「だからオークの街を逃げ出し、避難民の一行に混じってここに辿りついたんです。でも、産まれたこの子を見た人たちは、私たちを受け入れてくれませんでした」
オークの脅威から逃れて来た人々は、憎しみと怒りでその子供を忌み嫌う。
「貯えの無い私が生きてく術なんて」
「分かった。すまなかった」
カサルは拳を握りしめ口元を歪めた。この場で怒りをぶちまけたい衝動を抑え、チュモに顔を見られぬように背ける。
(どれだけ俺達みたいなのが生まれ続ける!)
襲い掛かる過酷な運命。それを避ける術は人間はもちろん、オークである母にも無かった。この母娘にはこれ以上不幸であって欲しくない。しかし、己に何ができるというのか。せめてもっと安全な所は無いのか。
「ここはいずれ……」
いずれオークが侵攻して戦場になる。それを伝えて何になるというのか。母娘二人で逃げても庇護者がいなければ生きていくことはできない。
カサルが頭を抱えた時、初めて耳にする音が鳴り響いた。大きな金属を地面に叩きつけるような、太く、高い音。その音が繰り返し繰り返し、止むことなく響き続ける。
「なんだ、この音は?」
その音は遠くから聞こえてくるようで、方向が判断しづらい。カサルは立ち上がり、辺りを見回した。
「王都の、鐘の音だと思います」
「鐘の音?教会なんかに吊るされているあれか?」
「はい。大きな街では大事を報せる時に、使われることがあるんです」
チュモは母の足にしがみ付き、響き渡る音から逃れるように顔を埋めている。カサルはいつまでも止まない鐘の音に、胸騒ぎを感じ王都の方向を見た。




