王宮に行きましょう
リマが王都メクレブを出てから数十日後。
今彼女は騎乗の近衛騎士30名に守られながら王都を目指していた。
国境の村からの帰路は刺客やオークに襲われることも無く、至って平穏な道中だったと言える。馬に乗って街道を行くリマの横には騎乗のシーガルともう一人、マスクで口元を隠したカサルの姿があった。
「あの丘を越えれば王宮が見えます。ずっと歩き通しで疲れたでしょう?」
「馬になんか乗ったことが無いからな。おれにはこの方が楽さ」
「君もこれからはリマ様と行動を共にするなら、馬の乗り方を覚えないとな」
カサルも国境の村で馬に乗ることを勧められたが断っていた。乗馬の経験など無かったし、勿論、馬上で弓を射る練習もしていないからだ。
近衛騎士はシーガルから往路での襲撃を知らされた団長によって派遣されていた。
リマは近衛騎士に信頼を寄せているようだったし、シーガルもこれで帰路は万全だと団長の判断を手放しで喜んでいた。
もっとも、カサルは近衛騎士という得体の知れない者達を、まだ信用する気にはなれない。カサルは馬上の一軍から離れて、後尾から王都まで付いて行こうとしたが、そんなカサルをリマが強く引き止めた。
結果、彼女の希望を聞き入れる形で、今の隊形に納まったと言うわけだ。
騎士にとって王女に随伴することは名誉ある行為ではないのか。その右手の位置に、徒歩とは言え得体の知れない狩人姿の男が付き従う様子を、周りはどの様に見ているのだろうか。
カサルは何とも言えない窮屈さを味わっていた。
「カサルは王都に行くのは初めてですよね?」
「ああ、そうだ」
「湖に浮かぶ小島の王宮と、対岸の並木の美しい大きな公園。市街地には白亜の壁と赤瓦の家々が並び、目抜き通りの両脇には色々なお店があるんです。郊外には麦畑が広がっていて、もう夏穀の収穫を終えた頃でしょうか。エルフの谷も凄かったですけど、大きさと美しさではメクレブだって負けてませんからね!」
「そうか、お前がそう言うなら期待しておくぜ」
リマは笑顔で自慢げに故郷を語って聞かせた。
元々、周りに不安や辛さを極力見せないようにしている節のあるリマだったが、それでも王都へ近づくに伴い口数が増え、緊張が和らいでいくのが伺えた。流石に、命がけの旅から解放されると言う安堵感があるのか。
だが、そんな彼女の表情は丘を越えて一変した。
丘の上から見えたのは王都郊外に広がる、避難民の無数のテントだった。布で作られた白いテントの屋根が、休耕地にばら撒かれた白い小麦のように無数に点在している。その数は百や二百ではきかないだろう。
リマは馬の足を止め、絶句して王都を見下した。
彼女だけでは無い、シーガルや近衛騎士も皆同じように足を止めている。誰も驚いたように目を見開き、久しぶりに見る故郷の異様に驚愕している。無言はやがてざわめきへと変わり、騎士達はそれぞれに憶測を口にする。
「副団長。みなさんが王都を発ったのは何日前ですか?」
「ハッ。約15日前です」
「それまでに変わった様子は?」
「いえ。このような事態に発展する兆候は見られませんでした」
「すると、その後にこれだけの人々が押し寄せたということでしょうか」
リマは隊を取り仕切っていた副団長に王都での様子を確かめた。シーガルがその会話に加わり、事態を把握しようと考えを口にする。
「私とリマ様が出発する前も、郊外に避難民のテントはありましたが、これほどの数ではなかった。テントの人々は全て国民でしょうか。そうだとしたら、迎えの騎士団が王都を発って後、近郊の街から押し寄せたということでしょうか」
「そうだな。考えられるのはヤルカンしかあるまい。これだけの数だ、かなり大きな街や地域が侵攻されたと考えねばなるまい」
副団長は眉間に皺を寄せ、忌々しげにヤルカンの侵攻を口にした。
「王宮に行きましょう。事態の確認をしなければいけません」
リマの顔からは故郷を目にする前の安堵感は失せ、口元は引き締められていた。
副団長の指示を受け、王女の帰都を知らせるために騎馬の使者が城へと走り、カサル達と騎士団は街道を進む。
郊外の収穫を終えた畑と休耕地には、不規則に大小様々なテントが密集している。テントといっても、木材の柱に布切れで天蓋を付けた粗末な作りが殆どで、中には衣服で間に合わせているものさえある。無造作に干された洗濯物と、いたる所から上がる焚火の煙、便所さえ満足に無いのだろう辺りには悪臭も漂う。
人々の顔は疲れ、テントの中では老人が身動きせずに寝そべり、大人は地べたに力無く座り込む。普段であれば、熱狂したように近衛騎士の後を追いかける子供達にそんな元気は無く、呆けたように目の前を通り過ぎる馬を眺めていた。
異様は郊外だけでは無い。市街では物乞いや浮浪者が溢れ、目抜き通りの商店では店主が店先の避難民を追い払う。
リマは一言も喋らず、馬上から王都に溢れた避難民を沈鬱な面持ちで見回していた。
カサルが目にする王都メクレブは確かにリマが口にした通り大きく整然として、平時にはさぞ美しく映ったことだろう。だが、今目に入るのは痘痕のように歪に膨れ上がったテント群と、疲れ果てた大量の避難民だった。
「オーク共め……」
近衛騎士の一人が歯を噛みしめ、怒りを押し殺したように呟いた。
カサルは人間からもオークからも逃れて、秘境の森で暮らした自分達家族を思い出していた。もし自分が人間なら同じような怒りを抱くのだろうかと、騎士の呟きを聞いて思った。