お前達が手を貸してくれ
風呂を終えたカサルが客室へ戻ると、リマはデーブルでシーガルと話をしていた。
「団長には報せを出しておきましたので、計らってくれているはずです」
「そうですね。その点についてはシーガルにお任せします」
テーブルにはヴォルクス王国の地図が広げられ、帰路について話し合っていた。
「お帰りなさい、カサル」
「意外に長風呂だね君も」
いつもと変わらぬ様子でカサルを出迎えたリマがイスを勧める。
「それで、シーガルとも話をしたのですが」
リマが話を切り出しかけた時、ドアがノックされた。シーガルが対応すると、現れたのは意外な人物だった。
「お邪魔してもよろしいかな」
「イエイライ様。どうぞお入りください」
リマが立ち上って出迎えると、イエイライは要件を切り出した。
「少し、お話をしておきたいと思いまして、参上したしだいです」
「そうでしたが、どうぞお掛け下さい」
イエイライがイスに腰掛けると、テーブル越しに向かい合う形でリマとシーガルが腰かけた。我関せずとばかりに窓際で離れて様子を見ているカサルだったが、リマに促されて彼女の隣に加わる。
「この親あってこの子あり。不出来な娘と谷の者が見せた態度。どうかお許し頂きたい」
イエイライは頭を下げて謝罪した。言葉の意味から察するに、エルフを代表してカサルへ見せた態度を詫びているのだろう。
「別に、俺は気にしちゃいないぜ。それよりも、あんたの態度の変化の方がよっぽど気になるくらいだ」
「カサル!」
会合で見せた尊大な態度を思うと、どんな心境の変化が起きたのか訝しむのは当然だ。だが、リマはそんなカサルをたしなめる。
「いえ、構いません。実際私の態度が変化したのは事実でしょう。実は娘や谷の者が、あなた……いえ、ハーフ・オークを罵るのは理由があるのです。懺悔としてその話をお聞きいただけないでしょうか」
イエイライはそう言うと居住まいを正した。その表情は真剣で、ただ詫びを言いに来た以上の決意を滲ませている。
「承知しました。お聞かせ下さい」
カサルに代わって、リマが話の続きを促す。イエイライは一度小さく頭を下げてから、話を始める。
「今から30年近く前になりましょうか。この谷に、ハーフ・オークの少年が流れ付きました。人間の街で迫害を受けたと言う少年は痩せ細り、その姿に同情した谷の者達は彼をこの地に受け入れました」
「ハーフ・オークを?」
カサルが声を上げた。谷の者達が自分に示した嫌悪を思えば、当時の対応は意外に感じる。
「左様。我々は認識阻害の術を用いて谷への侵入を拒んでいますが、元々あれは人間に向け施されたもの。全ての種族を拒んでいた訳では無いのです」
なるほど、それでカサルには谷の入り口が認識できたという訳か。
「心に傷を負っていたのでしょうか、少年は酷く寡黙でした。谷の者もそんな彼の境遇を憐み、随分とよくしていたのを覚えています。彼もしばらく谷で生活を続けるうちに心を開き、術士の手伝いなどをしながら谷の者達と打ち解けたように思えたのです」
そこまで話すとイエイライは言葉を切り、眉間に力が籠る。
「だがそれは間違いでした。彼は懇意にしていた術士たちを皆殺しにすると、財宝を奪い、多くのエルフを殺してこの谷から消えたのです。あの少年とカサル様は同じ種族。愚かにも我々は憎しみを引きずり、カサル様に重ね合わせてしまいました」
声のトーンには暗い響きが籠り、その時の惨状が如何に悲惨なものであったかを告げている。なるほど、年配の者が見せたカサルに対する態度には、過去のそんな出来事が関係していたのか。
「私は娘がカサル様を罵る姿に恐ろしさを覚えました。憎しみは連鎖します。我々が見せる態度、行いは別の憎しみを産む。そして、それはいずれこの谷に還ってくるのです」
憎しみは連鎖する。その言葉が持つ意味をリマ達はすぐに思い知ることになる。
「私はこの谷の長として間違いを認め、正し、エルフを安寧に導く責任がある。憚りながら、人間はハーフ・オークを蔑みます。だが、そんな中でリマ様とシーガル様があなたに寄せた信頼が、私に間違いに気づかせてくれた……」
そこまで話すとイエイライはカサル達3人を見回し、膝に手を乗せて大きく頭を下げた。
「頭をお上げ下さい、イエイライ様。今のお話、民を導く立場にある者として感じ入りました。私も肝に銘じなければいけないと」
リマは席を立つとイエイライの元まで歩み寄り、膝を着いて手を差し出した。イエイライはその手を見つめ、硬直した表情を緩めると両手で握った。
「そう言って頂けると恐縮です。それで、出来れば先程の会談の続きをしたいと思い、ここにまかり越した次第です」
「会談を?それは願ってもないことです」
話の途中で打ち切られた会談は、この場でカサル達3人とイエイライで再開された。
「実は、先般のリマ様の話において、何点か気になることがありました」
「そう仰いますとなにか?」
「ヤルカンがなぜヴォルクス王国に侵攻するのか、その理由についてです。元々の発端、戦となった経緯をお話し頂けますか」
「シーガル、お願いします」
「はい。約20年前にヴォルクス王国の西方国境地帯にオークの部族が住み着いたのが原因でした。もっとも、当時はまだヤルカンという呼称は使っていませんでしたが、付近の村々で家畜の略奪などの被害が発生したのがことの始まりです」
軍事についてはシーガルが専門とばかりに、経緯を話を始めた。
ゾンダルテ国王は今でこそ病床に伏しているが、元々は獅子王と異名を取った武勇の王。他国との争いで陣頭に立つ珍しくなく、この被害で王は自ら近衛騎士を引き連れ、戦場を駆け巡ってオークを追い払った。
ヤルカンとの戦の経緯についてはカサルも知る部分はあり、シーガルの話には身贔屓過ぎると感じる部分もあった。
実際の所はオークの3倍の戦力をもって集落に奇襲を掛け、族長を負傷させてなんとか撤退に追い込んでいる。
「そうでしたな。その際にオークの族長が負傷している」
「ご存知でしたか」
(?このオッサン、さっきは知らないような素振りじゃなかったか)
どうやらイエイライも経緯については把握していたらしい。先ほどの会談では知らぬふりをしていたということか。中々のタヌキ振りだ。
その上で彼はシーガルも知らない情報を話し出す。
「オークの男というのは欲望が強く、戦いを楽しむようなきらいがある。ただ、決して殺戮を楽しんだり、自らの権勢を示すために戦争を仕掛ける種族では無いと私は考えています」
「そんなことは!」
シーガルは語気を強め、否定の意思を示している。だが、この点に関してはカサルもイエイライに同意見だ。かつて自分が滞在したアーマインも、けして地獄のような町ではなかった。
「では、その時の傷が元で族長が死んだというのはご存知かな?」
リマとシーガルがかぶりを振る。
(族長は死んでいた?それじゃあ、奴らの戦の目的は……)
カサルもそのことを聞いたのは初めてだ。
「そうでしたか……族長亡き後は、彼の息子が後を継ぎました。そして、父の名前をとって部族をヤルカンと名乗り始めたのです。ところで、このヤルカンというのはとても仲間意識が強い部族でしてな。一族の誰かが殺害された場合、家族が殺害されたと同じにみなして復習を実行するのです」
「そんな!それじゃこの戦いは」
その意味に気付いた、リマが色を失う。
「そうです、これは憎しみの連鎖。ヤルカンにとっては葬い合戦。彼らの掟に沿った闘い。元より、和平など望むべくも無いのです」
エルフがリマやシーガルも知らない情報を持っているところは恐れ入る。
彼らにしてもヤルカンの行動は決して対岸の火事という訳では無く、自分達の生活が脅かされる可能性があるか調べていたのか。もっとも、その上でエルフの谷にまで攻め込まれない可能性を知って、静観を決め込んでいたのなら、中々に強かだ。
「憎しみの連鎖か……なるほどね。ヤルカンの復讐は掟だ。仇を取るまで止まることは無く、和平を持ちかけたところで、同意するわけないぜ」
「おい、カサル。もう少し言い方ってものを」
リマの苦労を思えばシーガルが口を挟むのも分かる気はするが、結局のところ和平の依頼は成らず、得られた情報も僅かだ。リマは押し黙り、深刻な顔でテーブルを見つめている。
「何か、事態を打開するような手はありませんか?」
シーガルが無言の主に代わって尋ねた。イエイライはリマを一瞥すると、言葉を選ぶようにしばらくの間を空けてから話し出す。
「私の口から申し上げられることは無いでしょう。ですが事態を打開する手はあるはず。皆さんはそれに気づくでしょう」
何か手があるような、なんとも思わせぶりな台詞ではないか。その言葉の意味を探ってでもいるのか、リマは視線を動かさずテーブルを見つめ考え込んている。
カサルはイエイライの言葉から考えを巡らせた。
ヤルカン侵攻の理由は復讐。その対象は等価交換で彼らが対価として求めるもの、それは失った者と同じ立場にあたる者だ。
(20年前の戦から、今も残るのは国王……。そうか、リマもそれに気づいているのか?)
リマがカサルと同じ答えに行きついているとすれば、彼女の立場でそれを表出せないのは当然だろう。それを証明するかのようにリマは口を開こうとしない。
「私が力をお貸しできるのはこれまで。谷にはいつまで居て頂いても構いませんが、ここで出来ることは限られましょう」
「リマ様、例の術については?」
引き上げようとするイエイライを目にして、シーガルは黙り込んでいるリマに小声で話しかけた。リマはパッと顔を上げて、そうだとばかりに尋ねる。
「イエイライ様!エルフの秘術、認識阻害についてお教え頂けないでしょうか?」
「認識阻害……」
その言葉を聞いてイエイライは顔を曇らせる。
「お恥ずかしい話ですが、我らヴォルクス王国は今瀬戸際にあります。もし、その秘術が我らにとって有用なものなら、お力添えを頂けないかと考えています」
「お気持ちは分かります。しかし、その術は我らにとっては最早過去のものになってしまったのです」
「過去のもの?」
「左様です。先ほどお話しした、ハーフ・オークに殺された術士たち。それが秘術の使い手だったのです」
皆殺しにされた術士と財宝、それが認識阻害の術士たちだ。
「谷の入り口に施された認識阻害も昔のもの。今も作用はしていますが、不完全な形です。我一族も術の再興に力を注いでいますが、未だ道半ばといった現状です」
「そうでしたか……」
リマが落胆に肩を落とすのがカサルからも見えた。元々不確かな話ではあったが、藁にもすがる気持ちでいたに違いない。シーガルは主の気持ちを察して、唇を噛んでいる。
「残念です。私もお力添えできることがあれば差し上げたいのですが……」
イエイライは立ち上がり、リマの心中を慮るように告げた。リマは気を取り直すように一度目をつぶってから立ち上がり、出口まで見送る。
「そうそう、カサル様。カリキュラがあなたに会いたがっていました。谷を離れる前に一度会ってみてはいかがかな」
イエイライは思い出したようにカサルに振り返り、伝言を伝えた。あの弓使いの青年が自分になんの用があるというのだろう。
「リマ様。お逃げなさいと言ったのは、私の真実の気持ちです。貴国と貴殿が無事であらんことをお祈りいたします」
「ありがとうございます。このご親切は忘れません」
イエイライは最初の会談で持ち出した提言を繰り返した。彼の眼は真実を語るように真っ直ぐにリマを見据え、その忠告に相手を見下す気持ちが無いことを告げていた。
見送るリマの表情は硬い。
話し合いは終わったが、果たしてどれだけ有用な情報が得られただろうか。もうここにいる意味は無くなったと言っていい。
「……リマ。これからどうする?」
カサルは彼女の身を案じ尋ねた。
「王国へ帰ります。大臣とも話し合い、今後の方針について協議する必要がありますから」
リマは視線を落したまま、重々しく答えた。
大臣というのはメルツのことか。シーガルの言う通り襲撃の黒幕が大臣だとしたら、国に帰っても難問が増えるばかりだ。
「カサル。失礼ながらお父様のことをシーガルから聞きました」
リマは突然話題を変えると、視線をカサルに向けた。自分が風呂に戻るまでの間にシーガルが話をしたのか。
「お前」
カサルはシーガルをジロリと睨んだ。父親についての話をリマにする気はなかった。これ以上彼女に問題ごとを抱えさせたくないからだ。しかし、シーガルは悪びれない。
「言ったろう、カサル。僕とリマ様は君の力になりたい。それが相手にとって負担だと考えるのはよくないことだよ」
「そうです。私たちも出来ることはしたいの、甘えてください。」
リマは余計な心配はするなとばかりに協力を申し出た。この谷に着いてからと言うもの、二人にはやられっぱなしではないか。道中での立場と逆転している。
「それで、お父様のことですが、ごめんなさい、私も詳細は知りません」
「そうか、知らないか」
「ええ、当時はまだ近衛騎士の方達とお話しする機会も少なくて」
リマは申し訳なさそうに頭を下げたが、無論この件で彼女に責任があるはずがない。
「それでカサル、シーガルの言う様に、私達と王都まで行きましょう。私も出来るだけのことはさせてもらいます」
「そうだよ、カサル」
シーガルはさっきからまるで兄のような口ぶりだ。
(いいだろう。時には甘えることも友としての務めというのなら、ここはもう好意に乗せさせてもらうぜ)
カサルの腹は決まった。
「分かったよ。俺は王都に行こう。向こうではお前達が手を貸してくれ」
「勿論です!」
カサルが王都への同行を告げると、先ほどまで深刻そうにしていたリマの顔がパーッと花やぎ、いつもの輝いた笑顔を咲かせる。
旅は終わらず、意外な形で続くことになった。
例え一時とはいえこうして彼女の顔が和らいだのなら、王都行きも悪い選択ではなかったのかもしれない。カサルはリマの笑顔を見ながら、そんな風に思った。




