我が友
「カリキュラ、お前の矢はあと1本だ!小細工は無しだ、正面からやり合おうぜ!」
カサルは大声で呼びかけると、ゆっくりと背中の矢筒から矢を取り出し、1本ずつハッキリと視認出来るように谷底へ放り投げていった。
「俺もこれで残る矢は1本だけだ!さあ、弓のエルフはハーフ・オークと正面から戦う勇気があるか!」
4本の矢を全て谷へ捨て、カリキュラの反応を待った。
「いいだろう、ハーフ・オーク!お前の申しで受けてやる、上まで昇ってこい」
しばらくの間を空け、風車の軸に隠れていたカリキュラが姿を見せて答えた。観衆の面前で見下しているハーフ・オークにこれだけのアピールをされて、プライドの高い彼が無視できるわけが無かった。
「その素直さだ、狩人としてのお前の欠点は」
ひたすら獲物を待ち、自分の優位性を捨てずに相手を狩る。それが狩人だ。
カサルとてこのままカリキュラに待ちの一手で勝負を続けられては、上層へ向かわざるを得なかったかもしれない。安全に上層へ上る手段は幾つか思いつくが、最も楽で確実な手段がこれだった。
カリキュラからの不意打ちは無いと確信していた。カサルは顔に浮かびそうになる笑みを押さえ、梯子を昇り広場を見下す吊り橋へと歩いて行った。
「カサル!」
顔に緊張を浮かべた観衆が見上げる中で、リマ一人が青い顔で祈るように手を組んでいた。さっきカサルが谷底に飛び込んだ姿を目撃したに違いない。横にいるシーガルはやれやれと呆れるように両手を広げる。
(また、心配掛けちまった……)
リマの顔にカサルの心がざわめく。この谷に来てからというもの、碌なことをしていないとカサルは自嘲する。
カリキュラはカサルが吊り橋に現れるのを待って、風車から姿を見せた。どこにそんな設備が隠されていたのか、風車を吊るす鎖に掛けてあったロープを持つと、振り子のようにぶら下がってカサルがいる吊り橋まで一瞬で降り立つ。
吊り橋の中央で二人の狩人が対峙する。
「随分と好き勝手言ってくれたなハーフ・オーク!」
「御託は結構だ。さっさと始めよう」
カリキュラは忌々しげにカサルを指差し、カサルは挑発する笑みを作り手にしたユニコーンをかざす。
そしてお互いが申し合わせたように、一歩ずつ後ろに退き始めた。
互いに顔から視線を外さず、残る一本の矢を手に弓を構えている。広場から二人を見上げる観衆は静まり返り、谷に吹く風と風車の回る音だけが辺りを支配した。
そして、遂に二人は吊り橋の端まで後退する。距離にしておよそ70メトル。
「ハーフ・オーク!」
カリキュラが感情を爆発させるように雄たけびを上げ、長弓を引き絞った。カサルも同時にユニコーンを引き絞る。
弓を引き絞り、狙いを付けるのはお互い一瞬。
しかし、その一瞬にも差は生まれる。カサルはカリキュラよりも早く弓を引き終えていた。しかし、敢えて弦を引く指を離さず、カリキュラが弓を射るまで待った。
「一射絶命!」
カリキュラが長弓を引き終え矢を射終えた直後に、カサルは仰け反るようにしてユニコーンを放った。
白い一直線を描き、空中で擦れう二つの矢。
相手に先に到達したのはカサルの矢だった。カリキュラは弓を掴んでいた左手にまともに矢を浴びて、弾けるように手にしていた矢を落す。カリキュラの放った矢は、仰け反ったカサルの眼前をまたしても飛び去っていった。
「それまで!」
モラエスの勝負終了を告げる絶叫が広場から響いた。観衆からはどよめきが起こり、勝敗の憶測で広場が騒然となる。弓を手から弾かれたカリキュラ、仰け反るように倒れたカサル。観衆たちは高速で放たれた矢を目で捕えることが出来ていないのだ。
カサルは仰向けになっていた体を起こすと、吊り橋の中央へ進んでいく。一方からは弓を拾い上げたカリキュラが進んでくる。
カサルと対峙したカリキュラは眉を吊り上げ、悔しさに唇を噛んでいる。
「おいおい、なんだよあのロープは。この谷にはあんな仕掛けもあったのか?」
カサルは驚いたように目を開き、鎖からぶら下がるロープを指差した。勝敗よりもそちらが大事と言わんばかりだ。
「む?あれは風車の保守点検や非常時の際に使われる、移動用のフライングロープだ」
カサルが見せた態度にカリキュラの顔から力が抜け、呆れたようにロープを説明した。
「はあ、なんだよそりゃ。走った俺が馬鹿みたいじゃねーか」
「なんだ、卑怯だとでも言うつもりか?」
「卑怯?まさか!狩人が周りの環境を利用するのは当然じゃねーか!お前の動きにはホント驚かされたたぜ」
弓の技術も、地の利を生かす戦いも弓のエルフと豪語するだけの卓越したものだった。カサルは心底そう思い、敬意を込めてカリキュラの胸を拳で軽く叩いた。
「お前こそ、まさかあそこで谷に飛び込むとは思わなかったぞ。お陰で必中と思った矢を外された」
「はー、ホント、あの時は俺も焦ったぜ。あんな真似は二度としたくない」
カリキュラはすっかり毒気が抜かれた様子で、笑顔で拳をカサルの胸に当てた。
「待て待て待てー!二人ともさっさと広場に戻らんか!」
モラエスが二人の間に割り込むように、広場から声を上げた。
「はあ、勘弁してほしいな。モラエスさん勝敗を説明させるつもりだよ」
「ボヤくなよ、観衆にサービスして楽しませろって言ったのはお前だぜ」
「そうだった……。余計なことをいうんじゃあなかったよ」
カリキュラは肩をすぼめた。二人は勝敗の行方に騒然とする広場へと戻って行く。
観衆たちは皆、勝敗の行方が気になるのか予想を口にしていた。曰く「エルフが弓の勝負で後れをとるわけがない」曰く「カリキュラの方が早かった」。
だが予想の殆どは希望的な観測に過ぎなかった。そして他でもないこの少女も。
「遅かったのじゃーお前等!どうであった?もちろんカリキュラの勝ちじゃろう?」
先ほどまで青ざめていた顔もどこ吹く風、パラミライは期待に目を輝かせてモラエスに近づいた。
「どうした?もったい付けず、早う勝敗を教えるのじゃ!」
「お待ちください姫様。今、皆の前で結果を報告します」
モラエスはカリキュラから聞き取りを始め、ホッとした表情のリマがカサルに歩み寄る。
「お疲れ様でした、カサル。怪我も無いようで何よりです」
「まったく、大したものだよ君は。あの速度で矢を放ち、なおかつ相手の矢を避けるなんて」
「私もシーガルに聞いて驚きました!凄い速さなんですもの」
シーガルは放たれた矢の軌道をしっかりと見極めていたようだ。
「そうでしたね。リマ様はカサルが全速力で谷に飛び込んだ時など、悲鳴をあげられていましたから」
「ちょ、シーガル!何をいいだすの!嘘です、嘘ですからね、カサル!」
リマはシーガルの腕を叩いて否定する。いくら必死になってみても、さっきの祈るような表情でバレバレだ。カサルは勝負の緊張も解け、苦笑しながらその様子を見守った。
「勝敗を伝える」
モラエスの一声に、勝敗を予想して騒然としていた広場が静まり返る。
「勝者カサル!彼はカリキュラの放つ矢を避け、手にする矢を弾き落した。その技量は比類なく、行為に偽りなし。正々堂々たる戦いである」
勝者の宣告に、観衆からどよめきが湧き上がった。その声は驚きと失望の混じったものだった。
弓勝負はカサルの完勝に終わった。エルフが弓勝負でハーフ・オークに負けると言うまさかの番狂わせにざわめく観衆。
その声に交じって、少ない拍手が上がる。手を叩いているのはリマとシーガルだ。二人とも実に嬉しそうな笑顔でカサルの勝利を祝福している。その拍手にモラエスが追従し、敗者であるカリキュラも加わった。小さかった拍手はやがて観衆全体に広がっていく。その拍手はカリキュラにも向けられ、二人の狩人の勝利と健闘を称えた。
「ふぎゃー!」
一際大きく、屠畜場に連れ込まれた家畜のような悲鳴を上げる者がいた。パラミライだ。
「負けたのじゃー!エルフが負けたのじゃー!豚に弓勝負で負けたのじゃー!」
パラミライはとうとう辺り構わず泣き出した。童子のように泣きわめく姫の姿に辺りは静まりかえり。勝負に立ったカリキュラは唇を噛んで俯く。
「こんなはずがないのじゃ!豚がズルをしたに決まっておる!豚だから平気で汚いことをしたのであろう!」
パラミライは泣き顔を歪めながら、カサルを指差し因縁をつけ始めた。
プツツン。
何かが切れるような音をカサルが後ろに感じた時、リマが前に進み出る。
「エルフの姫よ、我が友に対する侮辱はこのヴォルクス王国王女たる私が許しません」
「そして、我が友に対する侮辱は、ヴォルクス王国騎士たる私への侮辱と同義とお心得下さい」
リマは冷たい目でエルフの姫を見下し、厳かな声でハーフ・オークを友と宣言した。リマだけでは無い、シーガルもまた頭を垂れ、礼を持ってしかし決然とカサルを友と呼んだ。
カサルは心臓が大きく拍動するのを感じた。二人の言葉が液体となって心に沁み込み、乾いていた心を満たしていく。
カサルはその液体が心から溢れ出てしまわぬよう上を向いた。
「姫、勝負は公正に行われました。そのような物言いは勝者とカリキュラに対する侮辱となります、お控えください」
「申し訳ありません、姫様。私の力不足であります」
姫のあまりの無様な様子を見咎め、モラエスが諫言する。カリキュラは己の負けを認めることで、カサルの正当性を主張した。
「ぶみーーーー」
遂には従者たちからも諌められ、四面楚歌なパラミライ。もう泣くしか出来ることはなさそうだ。
「リマ様、カサル様。我が娘の不徳をお許しください」
今まで勝負を静観していたイエイライが娘の言動を詫び、モラエスに娘を連れて行くように目顔で促す。パラミライはわんわん泣きながら、二人の従者に広場から連れ出されてしまった。あれだけ無様で情けないながらも、どこかに憎めなさをを見せるのは姫の徳なのだろうか。
「お見苦しいところをお見せした」
「いえいえ、いいんです!私も少し怒ってしまいましたから」
謝るイエイライに、リマはブンブン手を振り否定すると、いつもの柔和な笑顔で気遣いをみせる。
「いやー、ホントだぜ。おれはリマが怒るのを始めてみたわ。あんなにおっかないと思わなかったぜ」
「いやいや、流石はリマ様。あれも王女たる威厳というものですね」
カサルは本気で怒れるリマを怖いと感じていた。
しかし、彼女が初めて見せた怒りが、自分のために生じたのだと思うと、嬉しくてからかわざるを得ない。そしてシーガルのフォローは相変わらずどこか的外れなものだった。笑い出す二人に、困惑した様子でリマが頭を振る。
ハーフ・オークとそれを忌み嫌うはずの人間、その戯れる様子をイエイライは無言で見つめていた。