旅に出ることは悪いことじゃないさ
「お袋さんのことはお前の責任じゃあない」
「……」
カサルの気持ちを察するようにドルフが声をかけた。その慰めもカサルにはただ空しく響くだけだった。自分がもっと早く帰っていれば母は死なずに済んだ。その思いはすでに真実としてカサルの心に刻まれている。
「チッ、オメーはまったく。今日は泊まっていくんだろ?」
「ああ、そうさせてもらうつもりだ」
「遠慮なんかしてんじゃねーよ、うちのババァも喜ぶ」
「誰がババァだって?」
母屋から顔を出してきたのはドルフの妻エルビイだ。彼女はドルフに近づくと、腰を捻ってレバーに強烈な一撃を打ち込む。
「ゴブッ!こ、この、ババ……」
「久しぶりだねー、カサル。元気にしていたかい?」
悶絶するドルフを無視して、エルビイは嬉しそうにカサルの腕をぽんぽんと叩く。ドルフにみせた苛烈な対応とは別人のように、表情と仕草には愛情が溢れている。
「ああエルビイも、相変わらずだね」
夫婦は気兼ねなく、甥っ子にでも対するようにいつもカサルに接してくれた。
ドルフとカサルの義父ラダックは王都の頃からの古い付き合いだった。カサルは義父に連れられて度々この村を度々訪れ、その都度この家に泊まっている。
カサルは優しくそれでいて少し乱暴な、職人気質のドルフが好きだ。
「今日は泊まって行くよ」
「ああ、そのつもりだったよ。腕によりをかけてご飯作るから、期待しておいてね」
エルビイは微笑み、母屋へと戻って行った。
「ご飯うまかったよ。あんなにうまい飯は久しぶりだった」
晩飯を終えエルビイに礼を言った。母親よりは大分年上だったが、母性を感じさせる態度と匂いはいつも落ち着かせてくれる。
「ケッ、こんなババァでよけりゃ、いくらでもくれてやゴフッ!」
エルビイの拳がまたドルフに決まり、苦痛で背筋をまるめ込む。
三人でいる時は始終エルビイに向かって悪態を突くが、最後はいつも拳で黙らされる。それでいて夫婦関係が破綻していないのだから、これも一つのスキンシップと考えるべきだろう。
「ドルフもよく弓を仕上げてくれたな、礼を言うぜ。まったく、こんな辺境の村に住むには惜しい腕だ。王都に戻って、また職人やったほうがいいぜ」
「け!よせや。色に狂った国王に、プライドばかり高くて弓の実用性を認めない騎士。そんな奴らがデカイ顔する王都なんざ、こっちから願い下げだ」
「アンタ!そんな言い方およしよ……」
エルビイは王宮で女官として働いた経歴を持っている。王族を悪しざまに言われるのは、あまりいい気がしないのものらしい。
「相変わらずだな二人とも」
ドルフの国王と王都嫌いも相変わらずだ。それでも以前、この家に王都から騎士のお偉いさんが尋ねて来たことがあったと言うのだから、その腕が相当なものだろうとカサルは思っている。
「おめえだって、その腕と弓がありゃ、騎士は無理だとしても、兵士としてそれなりに出世できるだろうぜ?」
「馬鹿言うなよ、俺は出世にも金にも興味は無いぜ。」
「まったく、そういうところは親父のラダックにそっくりだぜ。血がつながって無くても、オメー等はやっぱり親子だな」
カサルと5年前に失くした父ラダックの間に血の繋がりは無い。
「それに王国にハーフ・オークの兵士何ているのか?」
「お、おう?そう言われてみればそうだな」
ドルフはバツが悪そうに頭を掻いた。
実際、王国軍にハーフ・オークは存在しないということだ。もっとも、そんなことも失念してしまうのは、それだけカサルに対して人間と隔てを抱いていない証拠だ。その感覚が嬉しい。
だからこそ、この夫婦にだけは伝えておかなければならない。
「二人とはお別れだ」
カサルは居住まいを正すと二人に告げた。
「お別れって、おまえ……何処かに行くのか?」
藪から棒の言葉に二人は眉を寄せて顔を見合う。
「何処っていうのは無いな……」
実際あてなど無かった。ただ、すでに森の家は片付けてきたし、明日を最後にこの村からも離れると決めていた。
「なんだ、あても無ーってのか。じゃあ、いつ頃帰るんだ?」
様子を不審に思ったのか、ドルフが自分の子供の相手をするように、遠慮無く問いただす。
「もう戻らない」
「戻らないって……」
自分の行き先は分からなかったが、もう戻る所が無いことだけはハッキリと理解していた。父を失い、母を亡くした今、ここに居る理由が無くなった。それだけのことだ。
ドルフとエルビイは言葉の意味を推し量るように、カサルの顔を見つめる。
「お母さんのこと、気に病んでいるんだね」
「……」
その通りだ。エルビイの言葉に、カサルは返事をすることが出来なかった。
「行っておいで。男の子だもの、旅に出ることは悪いことじゃないさ」
その様子を目にしたエルビイは愛しむ母のように優しい声で告げた。
それから三人に言葉は無く、最後の夜が更けていった。
朝。カサルは濃緑の外套と先の尖ったハンター帽子という、狩に出る時のいつもの恰好で、村の出口で見送られる。
「カサル、元気でやるんだよ。自分家だと思っていつでも尋ねておいでよ」
「ああ、そうだね」
エルビイの声は優しい。この夫婦なら文字通り我が家のように迎えてくれるだろう。だからこそ、それが許されない行為のような気がして、曖昧に返事を濁した。
「おい、これも持って行け」
ドルフが手渡したのは、柳の矢が詰まった矢筒と、赤い矢羽の付いた3本の矢だ。
「なんだこれは?」
「その赤羽の矢は8分割した火柳を張り合わせて作った特別製だ。通常の矢よりも硬く丈夫、しなりもあって矢柄が長い。矢羽は赤鷹、軽くて張りがあり、強い回転を矢にあたえる。普通の弓矢なら射程が落ちるが、ユニコーンなら補ってくれるはずだ。時間が無くて3本しか作れなかったがな」
ユニコーンの角と腱で作った弓の名称が、いつの間にかユニコーンまで簡略されていた。どうやら、この弓の名称はそれに決定したらしい。
カサルは手にした矢の重さ、長さ、鏃の形を確認していく。確かにドルフが言うように、通常の矢よりも重量と長さが3割ほど大きい。
「矢じりも返しが無いんだな」
「ああ、貫通力を高めるためだ。鎧や盾だってブチ抜けるだろう」
「……何と戦わせるつもりなんだよ」
よもや狩りだけではなく戦闘にも使えというのか。流石に王都で職人としてならした人間の考えることは剣呑だ。
「最近はオークの軍勢が、王都近くまで迫って来てるって話だ。あいつらは騎士なんかよりよっぽど強えーからよ。用心するにこしたこっちゃないぞ」
オークの話などカサルにとって初耳だ。もっとも、人との接触も殆どなく、秘境の森で暮らしていれば当然だ。
「餞別ってわけか?面倒見がいいな」
「バカヤロー、そんなんじゃねえ。そいつの代金もしっかり頂く」
「代金?そうか、うっかりしていたな、幾らだ?」
確かにそう言われてみれば矢の代金はおろか、弓の支払いすら済ませていないことに気がついた。ドルフは少し考える仕草を見せたが、女房に肘で突かれ代金を口にする。
「金貨20枚だ」
「はあ?金貨20枚?」
横で代金の正当性を主張するように、エルビイが笑顔でうんうんと頷いている。急に守銭奴に目覚めたというわけでもなかろうし、この夫婦はどうしたというのか。
「俺はそれだけの仕事をしたぞ。弓の出来はお前が一番分かっているだろ」
「そりゃそうかもしれねーけど、金貨20枚って俺がいつも持ち込む鹿の皮にすると何枚分だ?」
「なんだ、おめえ金貨も知らねえのか」
「馬鹿にするな!俺だってこの世に金があることくらい知ってる。だが金貨なんて見たことは無い!」
力強く見栄を切るカサル。
秘境の森で育った彼にとって、外界との接触言えばこの村くらい。父から教育を受けていても、どうしても常識や世情で抜けてしまうことはある。
「ヘッ、自慢するようなことかよ。激烈田舎者が。鹿皮1枚が大よそ銀貨2枚。金貨20枚分だと、鹿皮1000枚分だな」
辺境の村の住人に田舎者呼ばわりされるのは変な気分だが、元は王都の住人ということだから、その言葉は甘んじて受けよう。
「1000枚か!鹿を1000頭も狩らなきゃいけないのかよ。参ったな。流石にそんな鹿皮持ち合わせが無いぜ」
カサルにしてみれば硬貨よりも、鹿皮で計算したほうが価値が分かりやすい。ただ、どちらにしたところで、そんな大金があるわけも無く、支払いを思うと頭が痛い。
「今払えなければ貸しにしといてやる」
「そうは言ったってなあ」
貸しといっても、担保もなくこの地を離れるカサルにしてみれば、事実上の踏み倒し容認と同じだ。正気とも思えず、真意を計りかねる。
「何年かかってもいいから、返しに来いってことだ。どうしてもダメってんなら、ウチで働かしてやる。だからよ、お前はこの村に帰ってくる理由があるんだぞ」
カサルは顔を上げた。ドルフは頬を赤くしてそっぽを向き、女房は相変わらず笑顔でうんうんと頷いている。
ここまで言われたら、激烈田舎者にだって真意は伝わる。ドルフは「ここを故郷と思って帰ってこい。俺たちが待っている」そう言いたいのだ。
「はっ!あんたみたいなガサツなおっさんの下で働くなんて、ゾッとしねーな!」
「お前がガサツとか言うかよ!」
思ってもいなかった申し出と、ドルフが見せる仕草に咄嗟に憎まれ口を叩いた。
ドルフが頭にげんこつを見舞おうと拳を振り上げた時、顔を見られぬように後ろを向く。
「じゃあな、ドルフ!エルビイ!」
カサル振り返ることなく、別れの挨拶を二人に告げ、街道へと向かって歩き出す。背後からは二人の声が聞こえる。
「チッ、最後まで生意気なヤローだ」
「フフ、馬鹿だねアンタ。あの子ね、笑ってたよ」
カサルの表情をエルビイは見逃していなかった。