こんな険しい道を歩くのは初めて
大陸が隆起して作られた巨大な山々が見渡す限り続いていた。
巌を敷き詰めたような山には、わずかな土を奪い合う様に草木が茂り、登るほど緑
は少なくなっていく。
カサル達は山々の横面を繋ぐ1本の糸のように、グネグネと曲がりくねった細い道
を進んでいた。
先頭にカサル、リマを間に挟んで最後尾はシーガルが務めた。
「リマ様、足元にお気を付け下さい」
「ええ。それにしても、こんな険しい道を歩くのは初めてです」
道の下は急斜面を描いて谷底へと続いている。遮る物など無く、落ちれば一気に谷
底まで転がり落ちるだろう。
「巡礼者や商人はこんな危険な想いをしてまで、大陸の南を目指したんですね」
今歩いているのは、かつて大陸の南で栄えた帝国へと繋がる、巡礼の道と言われる
山道だ。
帝国の都には大陸の西方で広く信仰されている宗教の総本院が置かれていたため、
往時には1日に何組もの人々が聖地を目指し、この険しい山道を歩いた。
「この地図は確かなんだな?」
「ああ。地図は古いが、当時の巡礼道は現在でも残っているそうだ。もっとも、ど
こまで通行可能な状態で残っているかは分からない」
先頭から尋ねるカサルに、シーガルが答えた。
「これだけ確かな道があれば何の問題も無いぜ。ご丁寧に所々に目印が置かれてる
」
巡礼道の要所要所に、石を積み上げて朽ちた道しるべが朽ちて往時を偲ばせている
。
「問題無いか、田舎育ちのハーフ・オークは逞しいな」
「ぬかしてろ」
確かに秘境の森や山で狩猟生活を送っていたカサルにしてみれば、この程度の山道
は舗装道路にも等しい。
「フフフ」
二人の掛け合いを聞いて、リマが出し抜けに笑い出した。
「どうされました、リマ様?」
「いえ、二人はいつの間にか仲が良くなったのね」
「ああん?」「はい?」
カサルとシーガルが同時に、異議を申し立てるように怪訝な声を発した。
「いえ、決してそのようなわけでは無いのですが……」
照れ隠しでもするように、シーガルは頭を掻いた。確かにカサルがシーガルを無視
することは無くなっていたし、またシーガルも蔑むような物言いをすることは無く
なっていた。
しかし、この程度の間柄で仲が良いと判断するとは、二人の関係が今まで悪すぎた
のか、それともリマが余程の博愛者なのか。
「少し休憩にしよう。俺は水を汲んでくる」
カサルは岩の下から湧き出している清水を見つけた。高地で強くなった陽射しの中
、勾配のある山道を歩くのだから汗をかく量も多い。
「気を付けてくださないねー」
険しい崖を下るカサルに、リマが上から声を掛けた。
(仲がいいって?俺とアイツが?まさか)
自分では否定をしてみたものの、シーガルを見る目が変わったことは確かだ。
人間と関係性を重ねていくことなど、今までドルフ夫婦以外には無かった。もっと
もあちらは物心つく前からの付き合いだ。新たに始まった同年代との交流で、芽生
えた感情に理解が及ばないのも仕方のないことだった。
休憩を終えて巡礼道を南へと進んでいく。
道中に村など存在しないので、横になれる岩陰などを見つけて野宿をした。標高が
上がり、平地に居た頃に比べて気温は低くなっていたが、焚火をすればなんとか野
宿でも過ごせた。
巡礼道を進んで3日目。今まで順調だった山道に、問題が発生した。
「道が無くなってるな」
カサルは足を止めると、ゆっくりと崖を覗き込んだ。険しい岩肌の斜面をくり抜い
て作られていた山道が、谷側からえぐり取られるように無くなっている。谷底には
崩れ落ちた岩が放射状に散らばっていた。
「大分、上の方から崩れたらしいな」
仰ぎ見れば、まだ苔すら生えていない真新しい岩肌が、山頂へ向かって伸びている
。
「渡れなさそうか?」
人一人が通れる幅しかない山道で、最後尾のシーガルが尋ねた。
カサルは山道の山側と谷側を見た。足場を探せば、崖を下りられないことは無いだ
ろう。だが、山道に慣れた自分ならともかく、リマにこの崖を下りさせるのは危険
が大きすぎる。
「別の道を探すしか無さそうだ」
「危険は冒せません。別の道を探しましょう、リマ様」
「面倒をかけます」
リマが申し訳なさそうに俯いた。またツマラナイ自省をしていると、カサルは考え
を払拭させるために、少し大げさな身振りで顔をしかめて見せる。
「おい、勘違いするなよ。こんな崩落したばかりの崖を進むなんて俺でも御免だ。
何が起こるか分かりゃしない」
「そうです。戻りましょうリマ様」
結局、巡礼道の代わりになるようなコースは見つからず、カサルの判断で尾根伝い
に山を越え、崩落した巡礼道の先に復帰することを選んだ。
尾根は人一人がやっと歩けるほどに痩せていて、両側は砂礫の急峻な崖が遥か下ま
で続いている。足を踏み外して転げ落ちれば、蟻地獄のように這い上がることは不
可能だ。三人は慎重な足取りで、ゆっくりと尾根を進んでいく。
「風が出てきたな。このロープで体を結べ」
カサルは自分の胴体にロープを巻きつけ、伸ばした先をリマに渡した。
「これをですか?」
「そうだ、万が一お前が転げ落ちても、俺が受け止めて引っ張り上げる。お前体重
は?」
「は、はい?」
リマは質問の意味が分からないのか聞き返す。
「だから、体重だよ。重さだ」
「そそそそそ」
答えにならない返答をして、リマは顔を赤らめ俯いてしまった。その質問が乙女に
とって、時に辱めを伴うことをカサルは知らない。
「お前、分かってて聞いてるのか?」
シーガルが呆れたように、やれやれと言わんばかりに首を振ってみせた。
「なんだ。ダメな質問なのかこれは?若い女ってのは難しいな。まあ、いい。その
細い体じゃ、俺の半分と少しと言ったところだろ。それくらいなら、俺が受け止め
てやるさ」
「わわわわわ」
リマはさらに顔を赤らめ、遂に両手で顔を覆ってしまった。彼女が見せた不可解な
仕草に、カサルは頬が緩むのを感じる。
(まただ、なんだこれは?)
自らの頬を緩めさせた感情の正体が分からない。そう言えば、以前もこんなことが
あった気がする。
「さっぱり分からん!」
不可解な現象を断ち切るように、カサルは前方に向き直ると尾根を歩み出す。腰に
巻かれたロープに、ほんの僅かにリマの重みが感じられた。
尾根は上り下りを繰り返しながら、ジグザグを描いて少しずつ山頂へと近づいて行
く。風が強まり、時折、右手の足元から白い靄になった雲が駆け上がり、体に巻き
付いて左の谷底へと下って行く。
天気が崩れる前に巡礼道へ復帰したい。休憩は山頂に着くまでお預けとなった。
山頂では見事な絶景が三人を迎えてくれた。眼下の谷底に流れる糸のように白い川
、幾つも続く峰々、その遥か奥に霞んで見える山。カサルは遥か北西にある霞んだ
山並みを眺めた。
(あの中のどれかは、母さんが眠る山か。これだけ離れてしまうと、流石に見つけ
ることは難しいな)
縮尺の大きい詳細な地図でもあれば、母のを埋葬した山を特定できるだろうが、今
はそれも適わない。それでも、目に映る山の一つは確実に母の墓標だ。
カサルは故郷を捨てて来た自分に、望郷の念が浮かんだことに驚く。
「お前達にとって国はどんな意味を持つんだ?」
出し抜けな質問に、リマとカサルが顔を見合わせる。
「私にとって、国は自分の家のようなものでしょうか。民は子供であり、私たち王
族は子供が安心して暮らせるように、家を守る親でなければならない。母からはそ
う教えられ育ちました」
「僕にとってはリマ様が国であり、リマ様がお守りする国は、僕にとっても守るべ
き存在だ」
二人は暫く考えてから答えを口にした。温和な顔で国を語るリマと、誇らし気なシ
ーガル。答えは違っても、意味は似ているのではないだろうか。家族を失い、帰属
意識の無いカサルにはそれが少し羨ましくもある。
「そうか、お前達にとって国は家族のようなものか……」
「カサルさんにご家族は?」
「いない。父は失い、母は半年前に死んだ」
カサルの母は実父について語ること無く逝った。母は身籠った状態で義父ラダック
に助けられて碧い森まで逃げ落ち、そこでカサルを産んだことを教えてくれた。
「そうでしたか。カサルさんはお一人になられたのですね」
「父上を失ったとは、どういう意味なのだ?」
「俺の父は騎士だった。父は俺が初めて一人で狩りに出た日、谷底に落ちて死んだ
。遺体を回収することもできなかったと、母は言っていた」
その答えにシーガルは口を開き、何か言いたげにカサルの顔を見つめた。
カサルが12歳の時。父から一人前の狩人として認められる試験として、森に入り
白鹿を射止めて帰るよう試練を出された。
カサルは二日掛けてこれを成し遂げ、父と母の喜ぶ顔が見たくて大急ぎで家へと帰
った。だがそこに父の姿はなく、沈鬱な表情で迎えた母から父の死を告げられた。
母は黙してそれ以上語ろうとしなかった。
カサルは父が足を滑らせたという谷川の下流を、何日もかけて探し回った。しかし
、結局遺体はおろか、遺留品の一つも見つけることができなかった。
我が子として自分を育て、色々なことを教え導いてくれた優しい父は、今もあの冷
たい川底で眠っているのだろうか。カサルはあの日の谷川の冷たさを想い出し、手
に震えが起こるのを感じて揉み合わせる。
冷たくなったカサルの手に、暖かくやわらかなリマの手が重ねられた。リマは優し
い笑みでカサルを見つめ、無言で手を包み込んで温める。その温もりが干天の慈雨
のように、カサルの心に沁みていく。
「先を急ごう。こんな尾根道で天気が崩れたら、休むことも出来ない」
先ほどまで見晴らせた峰々は、いつの間にか白い雲の幕に覆われ姿を消していた。
舞う風は湿り気を増し、時折水滴となって肌に纏わりつく。




