ここは頼んだぞ
「ハーフ・オーク。お前、屋内で人間と戦った経験は?」
「無い。屋内どころか殺し合いをしたこともな」
シーガルは意外そうな顔をした。狩りは命がけの戦いだが、殺し合いではない。街道でのオーク戦も遠距離からの一方的な攻撃で終わっている。
「けど問題は無い。相手が熊や狼程度の強さならな」
狼や熊が持つ爪と牙が剣に代わっただけ。秘境の森で狼の集団を相手にすることを思えば、人間との戦いも本質は変わらないとカサルは思った。狩る者と狩られる者、その関係に過ぎない。
「熊とやり合ったのかよ……。いいだろう。この建物の構造と、周囲の環境は把握してるか?」
「おおよそな。野宿じゃ猛獣から襲われることもあるからな。周囲の警戒は怠れない」
「野宿じゃ無いけどな」
カサルにとっては野宿も他人の家で寝ることも、同じようなものだ。
「入り口はそこと、リマ様が寝る別室にもう一つ。敵は両方から侵入してくるだろう。灯りを点けるとこちらが気づいたことを勘付かれてしまう。敵の目的は間違いなくリマ様。僕はリマ様をこの土間にお連れして、裏口からの侵入者に対する。お前はそこの入り口から入る賊を射殺せ」
「分かった」
「人間は痛みに弱い。覚悟の無い者は深手を負わせれば、戦意を無くす。気配から察するに、敵はおそらく10人前後だろう。どういう配分でくるかは不明だが、入口は小さい。侵入してきた時が好機だ、。土間は広い、全員入れては不利になるぞ」
「ああ」
土間は広く、弓を使うにはこちらが適する。それを踏まえての配置、的確な指示だ。
シーガルは早口で状況を説明すると、この場を任せて足早に隣室へと移っていった。暗闇の中を夜目が効かない人間が、平然と歩いて行けるのはどういう訳か。
「リマ様、足元に段差があります、お気を付け下さい」
すぐにシーガルが手探り状態のリマの手を取り導きながら土間に戻って来た。
「こちらへ隠れていて下さい」
入口から離れた囲炉裏の脇にリマを導き、寝藁を積み上げててリマの身を隠す。
「ここは頼んだぞ、ハーフ・オーク」
「任せろ」
「二人とも気を付けて」
リマが藁の中から声を掛けた。自分が戦いでは役に立たないことを知っているのだろう、身動きせずに二人に命を預ける。シーガルは隣室へ移り、囲炉裏の前にはカサルが陣取る。
カサルは赤羽の矢ではなく、矢束にある普通の矢を三本手に取り弓に番える。
(殺意を持った人間との戦いか)
無音の土間には緊張感が満ちていた。
人間よりも夜目が効くハーフ・オークでも、土間に差し込む僅かな月明かりでは部屋の全容はぼんやりとしか浮かんでこない。人の目には見えない僅かな光が土漆喰の壁に吸収され、材質の異なる木戸を僅かに浮き上がられせていた。
きしみを発していた木戸が、ほんのわずかな音を立てゆっくりと開かれていく。蝶番に油でも差したか。カサルは木戸が開く音に合わせるようにゆっくりとユニコーンを引き絞る。
少しずつ月明かりが室内へと射しこみ、土間は僅かだが輪郭を表していく。室内は相変わらずの薄暗さだが、カサルが行動するには十分だ。
扉から黒い影が液体のようにぬるりと侵入した。一人、二人、三人目が入り口を跨ごうとした時、カサルは引き絞られたユニコーンを放つ。
「ギャ!」
先頭の賊が胸を射抜かれ倒れると、直後に2発目の矢が後ろの男を貫く。三人目の賊が異常に気付き、警戒してその場にしゃがみ込んだ時、顔面を矢が貫いた。賊の頬に突き刺さった矢は矢じりが後頭部から飛び出していた。
時を同じくして、隣室でも闘いが始まった。男の短い絶叫が2回響いた後、激しい足音が屋外へと移動し、刃を打ち合う剣戟が始まる。
土間に後続の侵入者の恐れはあるか。カサルは土間の出口から外の様子を伺う。
(裏では騎士が戦ってる。敵の目的は寝室のリマだった。屋内の配置を知っていたのか?)
入り口で黒装束を着て倒れ込む男を掴み上げ、盾にして注意深く外の様子を探る。
(正面に敵は見えない、本命は裏手か!)
カサルは身を翻し、土間へ戻ると隣室の様子を確認する。板張りの床には血だまりが広がり、室内に二人、外への出口に一人の賊が倒れている。
土間と合わせると倒したのは6人。シーガルの読みが正しければ残るは四人前後といったところか。
(どうする、裏に出てヤツの助太刀をするか?)
逡巡している暇はない。カサルは情報を整理して判断を下すと、弓を構えてリマを守るように囲炉裏の前に仁王立ちする。
外ではまだ闘いの音が続いている。少なくともこの音が続く限りシーガルはまだ生きている。
カサルは逸る気持ちを押さえて、五感に集中し自らの周りに神経という糸で出来た蜘蛛の巣を張り巡らす。
わずかに感じる油の匂いと、濃くなっていく人の気配。
土間の入り口からオレンジ色をした灯りが放物線を描いて飛び込み、土間に落ちてガラスの破砕音を響かせた。ランプが投げ込まれたのだ。
砕け散ったランプは僅かに灯心を燃やすだけだったが、薄暗かった室内に陰影を刻み、カサルの居場所を浮かび上がらせる。
(来る!)
入り口から、湾曲したナイフを手にした黒装束が、駆け込みながら侵入をしてくる。
(一、二、……四、何人いやがる!)
カサルは先頭の男の顔面に矢を打ち込んで無力化する。
しかし、残る黒装束たちは素早い動きで一気に間合いを詰めて、次の矢を番える隙を与えないほどに連携して素早くナイフを振るってきた。
(これ、は、ヤバ、いっ!)
避けるのが精いっぱいだ。三人が繰り出すナイフはカサルの頬を掠め、服を切り裂き、腕を切り付け、少しずつ体の刀傷を増やしていく。
室内に侵入した黒装束は総勢5人。すでに無力化された一人、カサルを攻める三人、後方で待機する一人。リマを放置して屋外に逃げ出すわけにはいかない。
(万事休すか?)
カサルの頬を汗と血が伝い落ちる。
「カサルさん!」
力の限りの叫びが室内に響いた。リマは藁の中で立ち上がり、今にも泣き出しそうな顔でカサルを見つめていた。隙間から様子を覗ってでもいたのか、標的である自分の身を自ら晒している。
「バ!」
「馬鹿野郎隠れていろ」そう叫びそうになったが、彼女が危険を賭して作り出したこの好機を見逃してなるものか。三人の黒装束はカサルを攻め立てる動きを一瞬止め、リマに視線を向けた。
カサルは手にした矢を目の前の黒装束の顔面に突き刺す。
「グアァァ!」
男の絶叫が響き、潰された片目を押さえてその場にしゃがみ込む。
そして目の前に臙脂色の影が飛び込んだ。影は銀の閃光を発して黒装束を一合で切り伏せ、体を回転させるように翻して、もう一人を切り伏せる。
「スマン、手間取った」
駆けこんで来たのはシーガルだった。屋外での激闘を物語るように、美丈夫の騎士は顔に汗を浮かべ、肩を息で弾ませている。
(チッ、格好良すぎだろうが)
まさにオーク戦での汚名返上と言った働きだ。カサルは苦笑を漏らし、シーガルの流麗な剣捌きに素直に感心する。
部屋にいる黒装束の賊は全て無力化された。
だが、まだ全て終わったわけではない。カサルは入り口に進んだ。赤羽の矢を取り出してユニコーンに番え、辺りに神経を張り巡らせて気配を伺う。
(いた!)
弓を引き絞り、200メトル先にある農家の方向へ射た。農家の物陰から顔を覗かせていた黒装束の顔面に矢が突き刺さり、断末魔も上げずにそのまま崩れ落ちる。
「部屋に乗り込んでいた来た最後の一人だ、外へ逃げてこちらを伺っていやがった」
「こんな月夜で……どれだけ目がいいんだ、ハーフ・オークってのは」
「目で言うなら、お前こそどうなってる。暗闇の土間で難なく身動きを取っていた。騎士というのはオークのように夜目も効くのか?」
シーガルがの驚きに、カサルはその言葉を返すように気になっていた土間での動きを訪ねた。
「一緒にするな、見えはしない。部屋の大きさや家具の配置を記憶して、暗闇でも動けるようにしておいただけだ」
カサルは目を見張り、改めて月光に照らされる金髪の騎士を見た。うろうろと落ち着きなく土間を歩き回っていたように見えたのは、暗闇でも動けるように部屋の間取りを記憶するためだった。隣室のリマの湯あみが気になっていた訳でも、カサルとの沈黙に耐えかねたわけでもなかった。
(やってくれるぜ、まったく)
敵に囲まれた状況での的確な指示も、戦いで見せた動きも、全ては騎士としての高い能力を示していた。これには感服せざるを得ない。
「フッ……」
不意に、カサルは口やかましいだけと感じていた騎士に対し、親しみを覚えたことが可笑しくなって口元を綻ばせた。
例え一瞬といえど、笑ったのは辺境の村でドルフ夫婦と別れてから初めてのことだった。
「お前こそどうしてあの場を離れなかった?場所を変えて戦うことも出来ただろう」
笑みを浮かべたカサルに、シーガルは真剣な眼差しを向けた。敵意や嫌悪しかぶつけて来なかった目に、初めて別種の感情が宿っていることをカサルは感じた。
「あそこから動くわけにはいかねーだろ。それに、お前に頼まれたからな」
その返事に今度はシーガルは目を見開き、肩の力を抜くようにフーっと息を吐いて口元に笑みを浮かべた。
「こいつを持っていてくれ。さっきのような戦いで必要になる時が来るだろう」
シーガルは自分の腰に差してある、黒塗りの鞘に納められ短剣をカサルに差し出した。カサルは差し出された短剣を受け取り、柄頭には彫り込まれた家紋を確かめるように指でなぞる。
「二人とも怪我はありませんか!」
囲炉裏の横、山と積まれた藁の中からリマが這いだし二人に無事を訪ねた。
「フッ」「プ、プ、ププ」
「何が可笑しいのですか二人とも?」
リマの有様に笑みを漏らすカサルと、笑いをこらえるように口元を隠すシーガル。先ほどまでの緊迫した空気が嘘のような二人の態度だ。
「リマ様、藁まみれです」
白いチュニックとズボン姿のリマは寝藁にまみれ、頭からも何本もの藁を飛び出させている。リマは慌てて自分の身なりを確かめるように、ぱたぱたと頭や体に手をあてがっていく。
「もぉー!シーガルが押し込んだんでしょ!知りません!」
二人への心配が肩すかしに終わった脱力と、笑われたことが重なって、リマは頬を赤らめてそっぽを向いてしまった。