ユニコーンの弓
オークはとても正直だ。好きなだけ食べて、よく寝て、たくさん子供を産む。
人間はとても我慢強い。好きなものを我慢して、寝る間を惜しみ、よく働く。
二つの種族は仲がよくないが、それでも間に子供が産まれることがある。
人間から忌み嫌われ、オークに見下される中途半端な存在、ハーフ・オークだ。
青年カサルの外観は人間と殆どかわらない。
赤い髪に切れ長の目、綺麗に伸びた鼻すじ、絵画に登場する英雄のように逞しい体をしている。唯一、下あごから上に向かって突き出した2本の牙が、彼をハーフ・オークであるとを示していた。
生まれ育った家から、歩いて半日ほどの距離にある村。藁ぶきの屋根と、土漆喰で建てられた粗末な家が40件ほど集まり、辺境にしては大きい集落を形成している。
カサルは夕刻にこの村に着くと真っ直ぐに弓職人の家に入って行く。
「邪魔するぜ、ドルフ」
「カサルか。出来てるぞ」
出迎えたのは白髪混じりのボサボサ頭の、いかにも職人と言った気難しそうな男。吸っていた煙管を作業台に置き、間仕切りで隔てた隣の部屋に姿を消す。
工房は雑然として、炉や金床が据えられ、壁にはハンマーや鋸、やっとこが並ぶ。元は弓職人のドルフも、この村では弓から農具まで、なんでもこなす鍛冶屋として働いている。
「この3か月、何をしていやがった?」
「……何って、石拾いだ」
「石拾いー?また、妙なことをしやがる」
隣部屋から声を掛けたドルフに、少し考えてから答えた。何十日もかけ石を集めて、母の墓を作っていたとは言い辛い。
「お前の言うとおりに作ってみたがな……」
ドルフは奥から輪になった木製品を持ち出しカサルに手渡した。遠慮のないドルフにしては珍しく歯切れが悪い。いつもなら、自分の仕事を自慢するように、苦労話などを語り出すところだ
「なんだよ。なにか問題があったのか?」
幼少の頃からの付き合いだが、こんな態度を見せるのは初めてだ。腕前には全幅の信頼を寄せているが、そんな様子では気になる。
「どれ」
カサルが木製品に巻かれていた紐を解いて、切れ目から輪を逆側に引っ張る。大きく開いて反った木の端と端を紐で繋ぐと、2つの山が連なるような逆反りの弓が出来上がる。
弓は中心の弓束側が白く、先に向けて黒から真紅へと色が変わる。これは弓の素材として動物の角が貼り付けられているだ。
カサルは弓の重さを確かめ、目線の高さまでかざし、光に当てて仕事ぶりを確認する。一見すると問題は無いように思えるが、一体何があるというのか。
「ふーん、見たところ問題はなさそうだぜ?」
「ああ、言われた通りに作ったが、そりゃいかん。とても人間に引けるような代物じゃない」
「引けない、弦をか?」
「お前はなんなく弦を張りやがったが、普通じゃそいつも一苦労だ」
「まあ、俺はハーフ・オークだし。これぐらいはな」
カサルは弓束を持つと、弦に指を掛け力を入れる。
「ああ、なるほど。確かにこいつは固いな」
ドルフの言うとおり、これは尋常な膂力では引けないだろう。
(驚いたな。ひょっとするかこれ)
正直に言えば、カサルは弓の出来に期待などしていなかった。使い道のなくなった角で、半ばヤケで頼んだ弓作りだが、手に伝わる感触は望外の出来を予感させる。
「試せるかコレ?」
「もちろんだ。裏で試射してみろ。だが、どうなるかは知らんぞ。俺は弓を固定して両手でようやく弦を引いた」
ドルフの家の裏手には試射場が設けられている。背の高さまで積まれた土塁に、輪切りにした木を的にして置いてある。
カサルは試射場で弓を構える。
弦を通して指先に伝わる緊張。少し離れた所で、ドルフが期待と不安の籠ったような眼差しで見つめる。
カサルが弓を引き絞り指を開いて弦を解放した瞬間、甲高い破裂音をが響いた。幾つもの小さな木片が飛びり、試射場にいる二人に当たる。
「なっ!なんだー?」
ドルフは何が起きたのか理解出来ない様子で、弓と的を何度も交互に見比べた。
カサルの右手の矢は無くなっているが、的に矢は刺さっていない。矢は弦が解放された瞬間、弦からの強烈な圧力に耐えきれず四散していた。
「弓の力に矢が耐えきれなかったな」
カサルは顔に着いた矢の破片を拭い、ドルフに向かって弓をかざして見せた。まさか、これ程の力を見せるとは思ってもいなかった。
しばらく呆けたように弓を見ていたドルフは工房へ駆けて行く。
「こいつを試してみろ」
ドルフは工房から持ち出した矢をカサルに渡す。
「火柳の矢だ。蘆の矢よりも重いが、弾性があって強度も強い」
矢は先ほど番えた物よりも径が太く、しなりが強い。カサルは左手を突き伸ばし、人差し指から薬指まで3本の指を使って、新たな矢を番える。足を開き背中の筋肉を収縮させ弓を引いていく。
(これは……)
弦が引き絞られ、蓄えられた弓の力が両手を伝わり、思考を含めた全身が弓の一部になったような一体感に包まれる。カサルの体はまったく揺るがず、弓を引き絞って静止した。
「おお、すげえな!」
横で見守っていたドルフが、思わず感嘆の声を上げた。
緊張して見つめられる中、カサルの指が開かれる。弓の背と腹が、張られた弦が、弓を構成する幾つもの部位が刹那に弛緩し、矢と共に空気を切り裂く。弓はツバメの鳴き声を思わせる綺麗な音を響かせ矢を放った。
(通った……)
あれほど強い抵抗を示した弓が、弓を放った瞬間に反動をほとんど感じさせなかった。
弓に見入っていたドルフは、瞠目して的へ視線を向けた。的の中心には何も刺さっていない。
「外したのか?」
「イヤ」
意外そうなドルフ。しかし、カサルは的の中心に当たった瞬間を目撃している。
「まさか!」
ドルフは驚き期待の入り混じったような声を上げ、土塁へ駆け寄り的を取り上げる。的の下、土塁には何も見当たらない。まさかまさとドルフが呟きながら土塁を掘り返すと、遂に矢羽が頭を覗かせる。矢は的を貫いて土塁を突き進み、矢羽まで埋まってようやく止まっていた。
「っはー!流石はユニコーンの弓だな!」
「……」
ドルフ土塁に埋まった矢引き抜くと、手を広げて嬉しそうに自らが作り上げた弓を称賛した。ドルフが見せる興奮とは裏腹に、カサルは冷めた目で土塁を眺めている。
「なんだ、不服そうだな?」
そんなことは無かった。弓の出来に感心し、放たれた力に驚いている。だが、何の感激も湧いてこない。
「加減をしたからな。全開に引けば、その矢でも耐えられなかったと思う」
「これで加減したってのか!」
誤魔化すように口にすると、ドルフは弓と矢を見比べ、その威力に呆れた様に両手を広げる。
木を輪切りにした的は、人間の胴体の抵抗を模して作られている。それを打ち抜く程の威力は、金属製の弩でなければ得られない。的を難なく打ち抜き、土塁深くまで突き刺さった弓の威力は、それすら凌駕する。
自らが仕留めたユニコーンの腱と角で、木を両側から挟み込んで作られた5層の弓。人間の膂力では引くことすら出来ない規格外の代物だ。
しかし、驚異的な弓の威力を目の当たりにしても、カサルの心は湧き立たない。
「しかし、よかったのか?こんなことにユニコーンの角を使っちまって。作った俺が言うのもなんだが、その角があったら、王都で不自由のない暮らしを送れるだけの大金が手に入ったろうに」
「いいんだよ、これで。もう俺には何の意味も無かったんだから……」
今更、こんな物を作ったところでなんになるというのか。
ユニコーンの角は病の母のため、碧い森を何十日も探し回りようやく手に入れた。しかし、カサルが戻った時、すでに母は死んでいた。万病に効くと言う角も、ユニコーンを仕留めた高揚も、母が生きていなければ何の意味も無かった。
母を死なせてしまった力無さが許せず、さんざん泣いて自らを罵倒した。そして遂に涙は枯れ、乾いた心だけが残された。
こんなことなら、ずっと母の側についていてあげればよかった。その手に触れ、最期の時を共に過ごせていたら。母を亡くしたカサルに残ったのは、取り返せない後悔とこの弓だけだった。