第70話 楠瀬、覚醒
『タイム!!!』
「内野陣!!集まってください!!」
味方のエラーや自分の四球などでさらに1点を失い、なおまだ1アウト満塁という絶体絶命の大ピンチを迎えたところでベンチから伝令役の選手が走ってきた。
「拓海さん!すんません…、自分のエラーのせいで…。」
「わりぃ!!拓海!!ホームラン打たれた直後にタイムとるべきだったのに動揺しすぎて頭真っ白になっちまった…。」
いやいや、それはしょうがないことでしょ…。
というか元を辿っていけば逆転弾を打たれたオレが悪いんだけど………?
ってんなこと言える空気じゃねぇな。
オレまでいったら余計に空気が悪くなっちまう気がしたから黙っておく。
「とりあえず監督からの伝令です。………………
っというわけです。」
「まぁ、決勝戦試合終盤まで来たら誰だってそうするわな。」
監督の伝令を聞き、間髪入れずに新城が監督の意向に同意した。
「………いいのか?」
「何言ってんすか。光南高校のエースは他の誰でもない、拓海さんだけですよ。むしろ拓海さんでダメだったら誰だって文句は言わないんじゃないっすか?そうでしょ?みなさん。」
戸惑いを隠せず、伝令役に監督の意向にもう一度いいのかと伝えるとショートを守る蒼井があたかも当然かのようオレに投げろと言い、他の内野の人たちに同意を求めた。
「何言ってんだ。蒼井の言う通りだぞ?」
「全くもって同意だ。お前で打たれりゃみんな納得がいく。」
「何ならオレが投げようか?」
「「「いやいやお前、(ザキさん)ピッチャーやったことないだろ(でしょ)?」」」
「うっせえ!!………っ言うわけで頼んだぞ、拓海!!!」
みんなでサードを守るザキに総突っ込みを入れてそれに拗ねたザキは一足先にサードの守備位置に戻り、一拍置いた後それ以外の野手もそれぞれの守備位置に戻り、それと同時に伝令はベンチへと戻っていった。
最後に新城が何も言わずにミットでオレの胸を叩き、ホームへと歩いて戻っていった。
マウンドに残されたオレは伝令役がオレたちに伝えた監督の意向を思い出していた。
『この試合は勝っても負けてもお前ともに心中する………。お前の右腕に託した。』
オイオイ………。
揃いも揃ってバカじゃねぇの………?
こんな試合終盤で逆転ホームラン打たれてんだぞ?
何だよ『お前で打たれりゃ納得がいく』って………。
ホントバカばっかだよ………。
監督も監督でプレッシャーかけんじゃねぇよ…。何をそんな根拠でオレに期待を込めてるんだか…。
オレはベンチの中で初回から変わらず、腕を組み無表情でグラウンドを見つめる監督に向かって苦笑いを浮かべる。
確かにホームラン打たれた直後はショックだった。
だけどそれ以上にショックだったのが味方が吉見を攻め立てリードを作り、超強力打線を相手にしても0に抑えててくれたのにたった1球でそれを不意にしてしまったことだ。
今まで戦い夢半ばで破れ去った高校球児たちの分の想いまで背負って、オレはここに立っているんだ。
そんなオレがこんなんでどうするんだ…。
目を閉じながらグラブをはめている右手を胸のところへ、帽子を左手で取り帽子のツバで目元を隠す。
集中力が高まっていくのに比例し、徐々に回りの音が聞こえなくなり自らの心音が聞こえ始めてきた。
底がない水の中に沈んでいくような………、それでいて静かな闘争本能が目覚めるような不思議な感覚だ…。
目を開け、帽子を被り直すとそこには新城とバッターボックスに入っているバッターが大きく写し出されそれ以外は遠く音もない世界があった。
ーーーこれ以上は打たせやしない………。
新城が出すサインを覗き込み、構えるミットにオレが持てる最高のボールを投げ込むため足を高く上げた。
Side S.Minase
『ストライーク!!』
審判の右腕が高々と上げられる。
バックスクリーンに写し出されるスピード表示は何と『156km/h』。
ベンチからでも凄まじいキレを誇るストレートなのだから、きっとバッターボックスから見れば体感速度はそれ以上なのだろうが、オレとしてはそんなことはどうだっていい。
とうとう楠瀬も『ゾーン』に入ったか…。
やっぱお前はオレのライバルだよ…!!!
我が好敵手の覚醒に自然と頬が緩んでしまう。
9番が追い込まれてから148Km/hのフォーク、先頭に戻って1番が楠瀬の渾身の155km/hのストレートで連続三振でこの回が終わる。
いよいよ最終回で2点のリードはあるものの、あちらは確実に楠瀬に回ってきて1人得点圏にランナーが進めば4番の水野を迎える。
この試合もいよいよ最高潮だな………。
Side Y.Takizawa
拓海くんの最後の力を振り絞るような力投で、浦話学院の反撃を食い止めた。
もしかしたらこのまま逆転できるんじゃ…。
光南高校サイドの人たちなら誰しもが抱いた希望を、浦話学院のエース吉見くんが拓海くんに負けじと力を振り絞り光南高校打線に立ち塞がった。
9回表ツーアウト点差は2点…、下手したら最後のバッターとなるかも知れないという窮地に追い込まれいるというのに拓海くんはゆっくりとした足取りで左バッターボックスに向かう。
試合に出ていないのに汗が、身体の震えが止まらない。
隣に座る彩菜さんは、顔面蒼白でもうすでに失神寸前だ。
ボールカウントは1ー2と、拓海くんが追い込まれていた。
わたしは再び祈るように手を組み、顔の前に持っていき目をギュッと閉じる。
お願い拓海くん………打って!!!
Side out
追い込まれた。
ストレートとスライダーで追い込まれ、オレに対して初めて見せたパームボールが高めに外れ1ー2。
いつもなら焦るようなシチュエーションだというのに、いつも通り落ち着いている自分を俯瞰で捉える。
どうやら前の回から感じている不思議な感覚がまだ続いているようだ。
決めに来るつもりだ。
何故だかそう直感したオレは、何度もうちの打線を手玉に取ってきた高速シュートにヤマを張る。
リリースして球種を判別するチェックゾーンを越えたとほぼ同時にスイングを始動させ、振り抜いたバットは高速シュートを捉えた。
捉えた打球はグングン伸びていき、センターオーバーの三塁打となる。
さぁお膳立ては整えたぜ………?決めろ、主将。
Side H.Mizuno
ーーー打つ。必ず。
どこのコースに来ようが、どんなボールが来ようが知ったこっちゃない。
これが甲子園最後の打席だとか、オレがここで打たなきゃ負けるとかそんなことオレの頭には毛頭ない。
ただ、オレの頭の中は『必ず打つ』という意思しかない。
吉見が投げたボールに対して素直に出したバットが、ボールを捉えた。
少し詰まったが、強烈なバックスピンがかかった打球は高々と舞い上がる。
打球が何処に向かって飛んでいるのか………、なんて確認しなくても分かる。
バットをゆっくりと歌舞伎投げをしたオレは、バットが地面につく前に1塁に走り出す。
右腕を高く上げ人指し指を指差しながら………。
Side out