第45話 緊張ってものが無いのか?
厳しき冬を乗り越え
球春到来を告げる声が春風に乗って運ばれる。
永遠の夏へと繋がるプロローグ。
「くぁ…。」
春の訪れを知らせる風が、思わず漏らしてしまった欠伸が宙に乗って遥か彼方に飛んでいく。
「お前にゃ緊張って物が無いのか?」
目の前には新チームの絶対的扇の要として力をつけた新城 修也がキャッチャー用具を身に付け、じんわりと汗をかいている表情を変化させて呆れ返るように見ていた。
「いんや?それなりに緊張はしてるけど、こうまで心地いい風が吹いてるとね…。」
「お前のその強心臓少しでもいいからオレにも分けてくれよ…。」
吐き捨てるように言い残した新城の顔は、試合前に食べたものを全て吐き出しそうな表情をしていた。
おいおい、頼むから試合中に吐いたりとかしないでくれよ?
「おい、お喋りはそれくらいにして並べ。審判団が出てきた。」
新チームの主将になり、光南高校の精神的支柱の水野 大翔がオレたちにベンチ前に整列しろと呼び掛ける。
並んだと同時に審判団の号令の元、両チームが一斉にホームベースを挟み整列し挨拶を済ませる。
じゃんけんの結果後攻めとなったオレらは、先に各々が守るポジションの定位置に付くために走る。
ホームベースから2番目に近いオレの定位置は、ダイヤモンドの中心にある白いプレートが埋め込まれ、甲子園の土で他より少し高く盛られた山の頂点だ。
マウンドに上がるとすぐさま新城からボールが投げられ、それを左手にはめたグラブでキャッチする。
普通のモーションから3球とセットポジションから3球の合計6球身体の調子とマウンドの傾斜を確かめるように投げると、キャッチャーからバックの野手陣にボールを下げる指示が飛ぶ。
ボールがベンチに戻るのを確認した後、クイックモーションでボールを投げ込み、キャッチャーからショート・サード・セカンド・ファーストの順番にボールを回していく。
「締まって行くぞ!!」
ファーストから再度ボールを受け取ると、新城からオレたちに向けて声を張り上げる。
それに答えるように返事が後ろから帰ってきたと同時に相手チームのアルプススタンドから吹奏楽部によるヒッティングマーチが流れ出し、審判は試合開始の合図を出す。
試合開始を告げるサイレンが鳴り響くなか、素早くサイン交換を終えたオレたちはノーワインドアップモーションからボールを投げた。
Side out
Side S.Minase
今日の関東地方は1日中雨が降るという予報で、グラウンドも大きな水溜まりが湖になりかけているので早朝の段階で急遽オフということになった。
他のみんなはオフになったということで、あるものは部員を引き連れまたあるものは彼女と遊びに行ったりしていた。
が、生憎雨のなか歩き回る趣味も愛する彼女の存在も持っていないオレは寮の食堂で今日の甲子園の試合をスコアブックを付けながらテレビで観戦していた。
「んぁ…?水瀬お前1人かー?」
「まぁね。」
ボサボサの頭を掻きむしりながら隣、座るぞと一声かけてオレの隣の席に腰掛けてきたのはうちのエースに成長した吉見健斗だ。
蒼井とは性格が違うけど、何故か馬が合ってよく一緒に行動することが多い。
「今日はどこにも行かないのかい?せっかくのオフなのに。」
「んー…。出掛けるつもりだったんだけどメシ食って寝て起きたら誰もいなかったからなぁ…。」
相変わらず野球以外のネジがユルユルだ。
そんな吉見も野球関係の事になればスイッチが入り、性格も言葉遣いも雰囲気も180°変わる…いわゆる変人だ。
「んー?………おぉ。楠瀬くんやるじゃん。…でも楠瀬くんって150オーバー投げられる筈だよな?」
ここまでの試合経過を記録したスコアブックに目を通した瞬間、寝ぼけ眼だった変人・吉見の目つきが変わった。
テレビで中継されている試合は9回表ワンアウトまで進み、10得点以上の大差をつけて光南高校が勝っている。
光南高校先発の楠瀬は、ここまで8回1/3を投げて被安打4で無失点。奪三振こそ5つだが、1人当たりに投げている球数は4球行くか行かないかという省エネピッチングで夏の時よりも落ち着いたマウンド捌きを見せている。
そしてスコアブックに小さくイニング毎の最高球速をメモしているのも見逃さなかった吉見だが、数字を見て疑問を漏らしている。
今日このゲームで記録した楠瀬の最速は4回に記録した145キロ。平均しても142キロ台と甲子園で出てくる平均的なピッチャーと対して変わらない。
確か最速152キロを記録している楠瀬のピッチングスタイルからしてみれば、今日の彼のピッチングは何だが物足りない気がしてならない。
制球重視のピッチングにモデルチェンジしたのか、はたまた何か別の思惑があるのか…。
『ゲームセット!秋田県代表光南高校!投打がガッチリ噛み合い2回戦進出!プロの注目が高まる光南高校先発、楠瀬甲子園初戦完封勝利!!!』
最後のバッターをセンターフライに打ち取り、光南高校は白星発進となった。
オレはリモコン操作でテレビの電源を消した後、スコアブックを手に持って立ち上がる。
「あれー?どっか行くのー?」
食堂のドアの出入口近くにある自販機で買ってきたのであろうホットココアを飲んでいた吉見がオレが立ち上がったのに気付いた。
「軽くバット振ってくる。」
そう言い残し、オレは食堂を後にした。
Side out