ちんぱんじーうぉー
この物語に出てくる登場人物、および生物名はフィクションですので、現実のそれらと混同しないようお願いいたします。
ある初夏の日の事だった。大陸中央部、ベルヘイム帝国帝都・アルカロイドの街。
私たち帝国魔法兵団は、領内東部地域の森林地帯にて、不審な集団が暴れているとの通報を受け、この街にある本部で対策に追われていた。
兵団は、まず事態を把握する為に斥候として十人規模の小部隊を派遣した。
これにより不審者集団が何者で、どの程度の数があるのか、実際にどの程度脅威なのかの確認を取ろうとしていた。
しかし、斥候は誰一人帰還することなく消息を絶ち、結果、無駄な時間ばかりが経過していった。
少数部隊では埒が明かないと判断した私たちは、百人隊規模の強行偵察部隊を編成。これを東部へと向けた。
最初に斥候として送った者達と違い、ある程度戦闘に慣れ、指揮官も戦場での判断力のある者をつけての編成だったのだが、これが功を奏し、私たちは、ようやくにして敵の正体が何なのか知る事となる。
敵は、人のような姿をした獣『チンパンジー』であった。その名を聞き、私たちは戦慄した。
チンパンジーとは、二つ足、または四足で歩く怪生物で、人より低い背丈をしている。
人と違い濃い体毛に覆われているのだが、この生物の最たる特徴として、非常に力が強い。
その豪腕たるや巨木を片手で引き抜き、投げ飛ばせる程で、チンパンジー一匹が森に住み着くと、もうその森はエルフすら住めない不毛の土地と化してしまうと言われていた。
餌として象や犬を主食とし、時にはエルフやオークをも襲って捕食すると言われており、森に住まう全ての生き物共通の天敵、生物災害である。
通常、チンパンジーが出没した森においては、この害獣一匹を退治するのに、普段は敵対しているエルフとオークが共同戦線を張り、集落ごと消耗戦を仕掛ける覚悟で挑み、一月二月かけてようやく駆逐できるかどうかという話であった。
場合によっては駆逐に失敗し、そのまま生存戦争に敗れてしまう集落もあるほどで、その脅威たるやまさに生きた災害である。
そのような化け物が集団で暴れている。
私たち人間にとっても当然ながら、生易しい相手ではない。
正直隣国全てと戦争をやらかした方がよほどマシな結末が見える程である。
かと言って放置して今以上に数が増えでもすれば、いずれは国家、いや、大陸全土に関わる死滅戦争になりうる可能性があった。
事は、既に兵団の本部ではなく、国家レベルの最重要案件となったのだ。
国家上層部は、まず最初に、このチンパンジー騒動を隠蔽しようとした。
先導したのは貴族院の議員、アルバトロス伯爵。
彼は、自身の領土に直ちには影響しないと考え、この生物災害に対して悪戯に干渉するのはかえって逆効果であるとし、問題の解決よりも今は放置し、自然にいなくなるのを待つべきだと主張した。
無理に関わって被害を被り、他国に知れ渡っては恥であるとし、問題そのものを隠蔽すべきだと言うのだ。
これに賛成する議員には現地から遠く離れた西部やある程度防備の整っている中央部の領主が多く、多数派の理論によって少数派たる東部の領主らの悲鳴交じりの抗議は黙殺されるかに思えた。
しかし、ここで女帝エスカリーテの鶴の一声が挙げられ、状況は一変する。
「少なからぬ数の我が臣民が苦しむ中、それを放置しようとは何事か。恥を知りなさい!」
厳めしい顔立ちの歴戦の騎士も居並ぶ中、年若き女帝は民を優先して行動すべきと規範を示した。
実際に被害が出たという報告は入っていなかったが、女帝がこうして断言したのだ。否定などできようはずもない。
楽観的雰囲気の漂っていた議場の空気は議員らの動揺で再び騒がしくなり、女帝の顔を立てようと票を翻す者が続出したらしい。
こうして、私たち帝国魔法兵団は、貴族院からの正式の命令を受け、チンパンジー討伐部隊の編成を行う事となった。
帝国魔法兵団を構成する軍単位部隊は5つあり、今回の作戦ではその内の3つを使う事が許されていた。
まず、チンパンジーをけん制しつつ、明確な勢力範囲や移動予測位置を調べる為、先遣部隊としてグローラー将軍率いる第一軍が出撃。
次いで、先遣部隊と合流後、大規模な攻撃を指揮する役目を担ったレイラ将軍の率いる第二軍が準備を整え次第後を追う。
三つ目の軍を率いるのは第五軍のバークレー将軍で、これは予備兵力および物資搬入の為の要員配置である。
一軍と二軍の進軍速度を稼ぐ為、物資の大半はこちらに積み込み、後から追う形で現地入りする形となる。
その為に五軍は戦闘行為をはじめから念頭に入れられておらず、予備兵員もわずかばかりの護衛能力を有する程度で、頭数こそ多いもののあまりあてになるものではなかった。
こうして最初に現地入りした第一軍がチンパンジーと遭遇戦に突入。戦争が幕開けした。
当初、敵は獣である為、対人間用の戦術・戦法は通用しないもの・必要ないものと考えられた。
そのため彼らの行動は言ってしまえば敵を見つけ次第攻撃を開始、というシンプルなものであったが、これがいけなかったのか、第一軍は大打撃を被ってしまう。
チンパンジーは、確かにあまり知性を感じさせない生物であった。
普段何をしているのかもよくわからないこの怪生物であるが、森に住まう以上は森に特化された身体能力を持っている訳で、彼らは住処の移動以外では森から出たりしない。
つまり、必然的に森の中で戦う事になったのだ。
わが国を代表する精鋭部隊だけあって、他国の騎士団のように正面から殴りかかるような愚策は流石に弄さなかったが、開幕の魔法攻撃によって撃破できたチンパンジーはわずか3匹で、興奮したチンパンジー達が投げつけてきた樹木によって第一陣のおよそ2割が死傷した。
幸い指揮系統そのものにダメージはなかったため即座に撤退し事なきを得たが、これにより無策で挑むのは危険と判断、対チンパンジー対策の為の作戦を練る時間が必要となった。
都合のいいことにチンパンジーは森から出てこないため、グローラー将軍とその部下たちは、森の外に設置した野営地でじっくりと計画を練る事が出来た。
最初に考案されたのは、「森そのものを焼き払ってしまってはどうか」という案である。
魔法兵団の力を以ってすれば、木々に火を放ち一帯を焦土とする事など実に容易い。
チンパンジーは逃げ惑い、その多くは焼け死ぬだろう、と。
しかし、これは「森を焼き払うなんて非人道的すぎる」と多くの将兵により反対され、あえなく却下となった。
どれだけ怒らせようと森の外に出さえすれば追いかけてこないのではないかという思考の元、ヒット&アウェイによる被害抑制案を考えた者も居た。
チンパンジーに最大火力の魔法を浴びせてやり、相手が死のうが死ぬまいがそのまま逃げて森の外に出るのだ。
しかしこれには致命的な欠点があった。
彼らは、微妙に深い場所に巣食っているのだ。
攻撃を加えてから離脱しきるまでに、ほぼ確実にチンパンジーの反撃が飛んでくるのが予想できた。
そもそもの身体能力からして、人間とチンパンジーでは相手にならないほどの差がある。
彼らは機敏に動き、場合によってはこちらが魔法を撃ち終わる前に反撃に入り始めるかもしれない。
あちらは魔法をかわせても、こちらは飛んできた樹木を回避できない。また被害が増えるのではないか。
結局、そのような意見によって封殺され、ヒット&アウェイは実行に移される事はなかった。
二軍が到着するまで調査に専念するのはどうか、という意見は、「それでは二軍に手柄を全て持っていかれる」と反感を持った者によって打ち消されてしまった。
上手く一匹ずつ追い込んで確実に数を減らす戦法を考えては、という意見を出した者も、「具体的にどうすればそのような状況にもっていけるのか」という疑問に答える事はできず、うやむやにされた。
そもそも彼らは、チンパンジーとの戦争行為は初体験であった。
対人戦闘を考慮して作られた魔法兵団は、当然ながら、対人特化の魔法戦術・用兵理論によって運用され、日ごろからそのように訓練を受けていた。
兵士一人ひとりにいたるまで鍛え抜かれたその戦闘能力は、しかし対人であればこそ発揮できる代物で、チンパンジーなどという訳の解からない化け物の集団を相手に、対人用に構築された技術が通用する訳がなかったのである。
結果結論的に、議論はいつまでも似たような話題を蒸し返しては反論によって頓挫しての繰り返しで、場の空気は徐々に悪くなっていく。
次第に口論が始まり、将兵達の間には疲労感が漂い始めた。
これをどうにかする為、グローラー将軍は会議の場で画期的な案を出す。
「とりあえず、森に火を放って焦土戦にしてしまってはどうか。被害も少なく済むだろうし、チンパンジーどもも地の利を失う」
疲れ始めていた将兵達は両手放しでこれを受け入れ、めでたく次の作戦が決定した。
こうして、一軍の策により森は焼け落ち、森に住み着いていたチンパンジーは愚か、まだ奥深くでひそかに抵抗していたエルフとオークの集落も焼き払われる事となった。
しかし、これでチンパンジーの集団を皆殺しにできたなら安い対価である。そうなるはずであった。
――結論から言うと、その程度ではチンパンジーは死滅しなかった。
森は確かに焼き払われた。しかし、チンパンジー達は地面を掘り進んで森を脱出、野営地の後方にある別の森へと移動したのだ。
グローラー将軍らがこれに気づいたのは、焼き払った森で見つけた奇妙なトンネルがそこに続いているのを知ってからである。
とても残念な事に、一軍の作戦は失敗に終わり、後には巻き添えで焼け焦げた元エルフやら元オークやらが転がった黒い森跡のみが残った。
二軍が到着したのはそれからほどなくの頃で、一軍の不手際に呆れた二軍のレイラ将軍は、一軍とは別機軸の作戦を考案した。
まず、一軍の戦闘記録を元に想定した敵の数をからして、これは正面切っての戦闘で手に負える相手ではないと判断、搦め手によって敵を追い込む作戦を思いついた。
最初に実行したのは、森の至る所に罠を仕掛け、愚かにも罠にかかったチンパンジーから殺していくという地道な手法。
猛毒を塗りたくったトラバサミや落とし穴、果てには踏み抜くと爆発する地雷魔法陣や強制的に森の外に吹き飛ばす転送魔法陣まで活用し、徹底的にチンパンジーを追い詰めてやる事にしたのだ。
これはある程度成功し、罠にかかったチンパンジーはそのまま死ぬか、瀕死になって身動きが取れなくなったところにとどめを刺される事となった。
その結果だけでは満足しないレイラ将軍は、更に手負いのチンパンジー自身を囮に罠を仕掛ける事にした。
痛みに苦しむ仲間を助けようと近寄ってきたほかのチンパンジーを巻き添えに爆発させるという手法で、これによりかなりの数のチンパンジーが爆死したり重傷を負ったりした。
しかし、ここで状況は全くの予想外な展開を迎える事となる。
次第に、罠の毒が全く効かなかったり、爆発に巻き込まれても無傷のままとなるチンパンジーが現れ始めたのだ。
更に恐ろしい事に、二軍が仕掛けた罠が気がつけば森の入り口にも張られており、そうと知らず森に入り込んだ二軍の兵が、かつてチンパンジーにしていたようにブービートラップの囮にされたのだ。
まさか自分達が罠にかけられているとは考えもせず、チンパンジーの罠にはまり、助けようとした仲間ともども飛んできた樹木の餌食になる始末。
途端に森への侵入そのものが難しくなり、レイラ将軍はそれ以上の作戦強行は危険と判断。
時間との勝負になると考えるや、グローラー将軍との話し合いの末、五軍の到着を待つ事にした。
そうして到着した五軍であったが、彼らはあまりやる気がなかった。
元々練度の高かった一軍や二軍とは違い、五軍の兵士達は基本的に後方任務を期待して入隊した兵士達ばかりで、指揮官層も前線に配備されては困る貴族の跡継ぎ等が多かったのだ。
その為、彼らはこの度の戦場もピクニックか何かのつもりできただけで、戦う気など更々なかったのだ。
そもそもの予定からして、到着した頃には既に片がついてるか、まずいようなら即座に撤収する腹積もりであった。
あくまで予備の兵力。せいぜいが補給任務までが彼らの仕事であった。
戦うのは無理として、とりあえず任務として補給物資を一軍二軍に分配し始めた五軍兵士達であったが、ここで問題が発生する。
どうしても遊び気分の抜けない若い兵が多かったからか、あらかじめ危険とされ侵入を禁止していたにも関わらず、何人か勝手に森に入り込んでしまったのだ。
戦場における食料は乾いたパンやらカビの生えた干し肉やらで、そういったものが気に入らない若い兵士が、こうして勝手に方々をふらつき、食材を狩り集めたりするのも珍しい事ではなかった。
だが、今回はあまりにも危険すぎた。彼らの迷い込んだのはチンパンジーが棲家としている森である。
歴戦の魔法兵達ですら容易に蹴散らされるほどの難敵の巣窟に、戦い方もろくに知らない若年兵が数名。
もはや自殺行為としか言いようがない。
ベテランの兵士達はその消息を心配したが、翌日朝、意外な事に彼らは誰一人欠けることなく無事に生還した。
それも、妙にほくほくとした表情で、それぞれが背負ったサックには、零れ落ちそうなほど沢山の果物や生肉、香草が入っていたのだ。
彼らの生還に驚いた兵たちであったが、これを聞きつけ彼らの元へ駆けつけたバークレー将軍は、彼らに事情を聞くことにした。
「森の中で迷ってたら背の低い爺さんが沢山いて、一晩泊めてくれたんですよ」
「軍の食事がまずいーって笑い話で話したら、なんか食材を分けてくれるって言い出して」
「あ、一応僕たちも一度は断ったんですよ? お礼もできないし、ただでもらうなんてみっともないじゃないですか。そしたら『困ったときはお互い様さ』ってすごくいい笑顔で渡してきて……」
「あれは断れなかったよなあ」
案内された会議用のテントで、彼らは口々に語った。
「……君たちは、チンパンジーに襲撃されなかったのかね?」
「えっ? チンパンジーって何ですか?」
「よく知らないですけど、でもあんなお爺さんばかり暮らしてるような森だし、大して害じゃないんじゃ?」
彼らの話す老人達が何者なのか、という議論も起きたが、何より話を聞いたバークレー将軍は、彼らの向こう見ずさに呆れてものも言えなくなっていた。
「君たち……我々は一応、そのチンパンジーを討伐する為に編成された部隊なんだが……」
「そうなんですか? でもそれらしいのなんていませんでしたよ?」
「変な毛深い背の低い爺さん達しかいなかったよな。最初見たときはびびったけどすごくいい人たちだったし」
屈託なく笑う彼らに、バークレー将軍は、何かひっかかるものを感じた。
「……その爺さん、背が低くて毛深いのか?」
「ええ、そうですよ」
将軍の問いに、若い将兵が答える。
「もしかして、片手で樹とか引き抜いたりしてなかったか?」
「ええ、してましたね」
「あれは驚いた。人は見かけによらないっていうか――」
「あいつら話せたのかよ!?」
野営地に、バークレー将軍の叫びがこだました。
その後、バークレー将軍の提案により、チンパンジーとの和解を試みる事にした魔法兵団は、意外なほどすんなりと彼らとの和解に成功し、一連の騒動は事なきを得た。
後になって分かった事だが、彼らは森に住めればそれでよく、別に人間に危害を加えるつもりは更々なかったのだという。
ただ襲われたから反撃していただけで、これ以上自分たちに危害を加えないなら何もするつもりもないし、お互い死者が出たのだから痛み分けにしよう、というのが彼らの言い分であった。
エルフやオークは彼らから見て食料扱いらしいが、人間はそれらとは違い餌として見る気はないとのことで、害意さえ持たなければ人間的にはさほどの害獣ではなかった事も発覚した。
元々は人の言葉をしゃべる事はできなかったらしいのだが、抜群の学習能力を持つ彼らは、森に現れた魔法兵団の声を聞いて言語を習得。
それにより対話が可能になったのだという。
こうしてチンパンジーと和解し、騒動を解決した魔法兵団は帝都へと帰還。
民衆からの拍手喝采を受けながら、堂々と女帝に一連の出来事を報告した。
「さすがは我が魔法兵団よ。誇らしき事よな」
女帝も鼻高々に笑い、兵団の苦労をねぎらったのだった。
めでたしめでたし。
「――これが今回の事件の顛末だよ」
新聞記者のエミィにここまで説明すると、私はデスクの上の紅茶を一口、ずず、とすする。
「チンパンジーってすごく賢い生き物だったのね。今まで謎だった生態が一気に解明された感じ」
「そうだね、確かにそうだ。彼らはすごいよ。わずかな情報量からかなりの部分推測だけで考えてそれを習得してしまう能力を持っている」
野生の獣にしておくのが惜しいほどの逸材であった。
実際今、彼らの一部は帝都で暮らし、人間の商人や大工等に弟子入りしてその技術を獲得し始めている。
彼らが帝国市民として貢献してくれる日がくるのもそう遠くはないだろう。
「ねぇ、ずっと気になってたんだけど」
「うん?」
「なんで彼らはエルフやオークを餌として見てたのに、人間は餌にしなかったの?」
「んー、それは、ここかな」
エミィの質問に、私は余裕たっぷりに笑いながら、耳を指差す。
「耳?」
「そう、耳が自分たちと同じだから、そんな自分たちと似た生き物を食べる気はしなかったんだそうだ」
何を基準に判断されるのか、それは生物個々の感性によるものなのだろうが、よりにもよって耳である。
確かにエルフやオークは耳がとんがっていて、彼らチンパンジーとは似ても似つかない。
対して我々人間は、確かに彼らと似たような形状をした耳を持っていた。これが命運を分けたのだ。
チンパンジーという強い味方は、もしかしたら私たちの耳がとんがっていたら、対処不可能な不倶戴天の敵となっていた可能性もある。
そう考えると、耳を尖らせないでくれた神様には感謝しても足りないな、と、苦笑してしまった。
「いい記事が書けそうだわ、ありがとうねカリオン」
「ああ、約束どおりいい記事が書けたらデートしてくれよ」
「新聞が売れたらね。それじゃ」
我ながら上手い具合に釣られたもんだな、と自分の軽さに苦笑しながら、私はエミィが去っていくのをのんびりデスクで眺めていた。
帝都の夏は、まだ始まったばかりだった。