混沌始動②
続け様に飛んで来るナイフを疾駆して置き去りにし、左右の壁を蹴って一気に建物の屋上へと躍り出る。
屋上に着地した瞬間を狙って投擲されたナイフを、上体を傾けて躱し、直後の足元から突き出て来た岩槍を跳躍して回避。
そこに滞空中を狙い、新手の男が猛然と距離を詰めてくる。手には鋭利な抜き身のナイフ。
寝かせた状態で心臓めがけて突き出された怪しく煌くナイフを、歯で上下から挟み込んで受け止める。
そのまま着地し、しっかりと噛んだ上体で首を振って驚きから硬直する相手の体勢を崩し、逆手に握っていたナイフを足の付け根に突き刺し、胸に蹴ると言うよりは押し込むと言う方が近いように足を叩き込み、そいつの後ろからテンポ差攻撃を仕掛けようと迫って来ていた奴へと押し付ける。
受け止めるか、躱すか、それとも突き飛ばすか、そのどれかだと予想し対応の準備していたおれの眼に映ったのは、押された側が自分の後ろに居た奴の肩に手を置き、そこを起点に自分の体を持ち上げて宙返りを決めて飛び越えた光景。
そこに間髪入れずに、迫って来ていた奴の拳打。
指の間を空けた不自然な構え方に違和感を覚えたのも束の間、突き出される瞬間にそこから刃が飛び出して来る。
あらかじめ小さな刃物を握りこんでおき、手首を曲げる動きだけで刃を押し出す、おれもそれなりに使った事のある技術。
警戒していた為に回避できたが、完璧でなく頬を掠めてそこから血が流れる。
お返しとばかりに突き出された腕の手首を掴んでやろうとするが、想定していたのかすぐに引っ込める。
続けての左の拳も同様に、身を引く事で範囲から逃れる。
全部フェイクだ。
本命は右手による、さらに1歩奥に踏み込んでからの、肩口を狙った鉄槌――と見せ掛けて、空振りに終わる隙に左拳を引き戻してからの正拳。
それを相手がしっかりと捉えて対応しようとする直前で、打ち込む拳の速度を一気に速める。
「ッ!?」
尚も対応し、拳が当たる瞬間に身を引いて衝撃を軽減しようとするのはさすがだが、これもやはりフェイクだ。
「シィッ!!」
直前で寸止めし、今度こそ本命の、右足によるミドルを叩き込む。
これにも大幅に後れを取りながらも対応しようとするのは見事だが、まだ終わりじゃない。
蹴りの軌道は直前で変化し、膝を狙ったローへ――と見せ掛けて最後にもう1回変化して側頭部を狙ったハイに。
完全に相手が蹴りを見失ったところに、直撃。
首の骨が折れる満足感の行く手応えが伝わり、吹っ飛んだ死体が地面を転がって力なく体を投げ出す。
「2人……」
分が悪いと見たか、足に傷を負った生き残りの男が踵を返して逃走に移る。だが足の怪我が響いているのか、その速度は芳しくない。
チャンスと間合いを詰めようとした所に、1つ向こう側の、いま居る建物よりも少し高さのある建物の屋上から、おれの足元目掛けて圧縮された水の矢による狙撃が行われ、地面に穴を穿つ。
その狙撃におれが足を止めた僅かな隙に、男はその狙撃手の居る建物に飛び移るが、踏み込みの際に体勢を崩した為に飛距離が足りず、縁にしがみ付いてようやく飛び移った。
「まだまだ固いな……」
さらに続けて撃たれる水を回避し、後を追いかける――途中で首の骨が折れた死体を掴み、放り投げる。
放られた死体は建物の間を飛び越え、向かい側の建物の屋上に落ちる――直前で上下に分かれ、血を撒き散らしながら片方が下に落ちていく。
足にナイフが刺さっている事を差し引いても、不自然極まりない動作。
加えてワイヤーを利用したトラップはおれもよく使うため、艶消しされて不可視となっていても、何となくそこに何かが仕掛けられている事は予測が付いた。
死体の血をたっぷりと浴びて、両者共に視界を潰されて硬直している隙に、必要以上の高さを誇る跳躍をし、向かい側の建物に乗り移る。
そして着地の際に転がり、体を跳ね上げて、跳躍の勢いをそのまま乗せた後ろ回し蹴りを狙撃手に叩き込む。
アバラが砕け、宙にくの字に折れ曲がりながら持ち上がったところに、延髄目掛けた鉄槌。
地面に叩きつけられた所に、ビョウ仕込みの靴を踏み下ろして頭蓋骨を踏み砕く。
「3人……」
即座に反転し、虎爪によるフックを放つ。
人差し指が相手に引っ掛かるのを確認し、指の角度を調整して眼球に指を押し込む。
「ギャッ――!!」
相手が悲鳴を上げ終えるよりも早く、眼窩に指を引っ掛けて引き倒した所に左手の掌底。
「4人……」
鼻骨を砕き、破片が脳髄を引き裂いたのを確信して右手を引き戻し、ナイフを引き抜く。
顔を上げると、新手がさらに4人。
互いに等間隔に、扇状におれを囲むように展開している。
そして、全員が示し合わせたように同時に距離を詰めてくる。
それに対して、おれはそいつらを全て無視し、前を向いたまま引き抜いたナイフを背後に向けて突き出す。
「ガァ……ッ!?」
狙いとしては肝臓を狙ったのだが、思っていたよりも相手の背が高く、肝臓を外して下腹にナイフが埋まる。
「虚だけでなく、虚実を織り交ぜるべきだったな」
力ずくでナイフを捻り上げ、一気に喉元まで引き上げる。
そして喉元まで到達したところでもう1度捻り、頚動脈を切断して引き抜く。
同時に、接近してきていた4人の姿が虚空に溶けて消え失せる。
幻影を使用して不意を打つという手自体は悪くなかったが、何もないところに魔力があれば、そこに本体が居ますと宣言しているようなものだ。
せめて自分自身も幻影に混ざり、最初から正解が無いのではなく、正答率を下げるように攻めていれば、多少なりとも手を焼いただろう。
「5人。残り12」
相手のほうが数が多い場合、正しい戦い方は少しでも厄介な奴から狙うか、もしくは少しでも弱い奴から狙う事だ。
実力の基準は、魔力の過多だ。
必ずしもそうとは言わないが、魔力の保有量は非常に分かりやすい目安となる。
それを元に、潰す優先順位を決める。
前者は相手の集団が烏合の衆であるか、もしくはワンマンである場合に。
後者は相手が高度な連携をこなす、整然と統率された集団である場合に。
今回の相手は、どちらかと言えば後者よりだった。
整然として連携をこなす、個々のレベルもそれなりに高い集団だった。
そして練度の割に実戦経験に乏しい、歪な相手だった。
通常、実力は実戦経験に比例する。特に、こういった闇討ちや暗殺を生業とする者はその傾向が顕著だ。
だが、こいつらは実戦経験が少ないか、もしかしたら皆無だ。
能力は本物だが、それを発揮し切れていないような印象を受ける。
先ほどのワイヤートラップ然り、いまの幻影を用いた戦法然り。
勿論、おれが進んで弱い奴から狙って――最初の1人と5人目は例外ではあるが、始末していた為に、実戦経験の無い奴に当たっていたという可能性も十分にある。
だがもし、残る12人も全員がそうであるとするならば。
そんな集団で、おれを狙う理由がある連中は限られてくる。
「……関係ないな」
こいつらがどこの誰で、どこの所属であろうが。
何の理由でおれを狙うのであろうが。
全てが等しく関係ない。
八つ当たりに、無秩序な暴力にそんなものは必要ない。
「この人強いよ、イース兄様。もう5人もやられちゃった」
「そうだね。でも問題ないよウェスリア。お前が居てくれれば、僕たちは無敵だ」
屋上に繋がる扉を開けて現れたのは、兄妹と思われる会話を繰り広げる2人の子供。
両者共に身長差は殆ど無く、年齢はどれだけ上に見積もっても10代前半を超えそうに無い。
「無敵なんてのは、人間にはあり得ねえんだよ」
死体を掴み、放り投げる。
そして死体の陰に隠れるように距離を詰め、死体の上から蹴りを叩き込む。
狙うのは妹のほう。
年齢相応に経験も未熟なのか、兄のほうは早くも失言を犯していた。
妹が居れば無敵という発言は、受け取り方を変えれば、妹が居なければ無敵でないという事だ。
そもそも人間に無敵なんてものが存在しないという事を除けば、兄の発言から推察するに、無敵と豪語できるだけの何かを妹が持っているという事になる。
果たしてそれがどれ程のものかは分からないが、下手に手間を掛けるよりも、最初に妹のほうを狙ったほうが合理的なのは間違いない。
「……ッ!?」
だが、おれの蹴りは、そして放った死体は、不自然に軌道を変化して妹の体を逸れる。
それも掠めるようなささやかな変化ではなく、手前30センチ辺りのところから滑らかな曲線を描いて、上方に逸れていった。
しかも、変に抵抗を受けた訳でもない。
まるで、あたかも最初からそういう風に蹴りを放ったかのように、自然に外的干渉を感じる事もなく蹴りは、そして死体は逸れていった。
「いきなり蹴ってきたよ、イース兄様」
「大丈夫だよ。僕の言ったとおりだったろ、ウェスリア。この人の攻撃は絶対に当たらない」
手に持っていたナイフを、イースと呼ばれている兄に向けて投擲する。
結果はやはり、ナイフは途中で軌道を変化させ、明後日の方向に飛んで行った。
「えいッ!!」
間の抜ける掛け声と共に、妹が拳を腹部目掛けて放ってくる。
技術も何もない、しかしそれなりの速さだけはある拳。
それを、不自然な現象の原因が能力であると仮定した上で、それを確認する為に受け止める。
もし拳が、おれの手を逸れるのであれば、それで良し。
逸れずに受け止められるのであれば、即座にいなしてカウンターを狙う。
「なっ……!」
そのつもりで拳を左手で受けるが、直後に襲い掛かってきた信じられない圧力に、慌てて側面から包むように拳を弾き飛ばす。
相手の技術がない為に、碌に抵抗らしい抵抗もできずそれは成功するが、それでも僅かな間拳を受け止めた左手がズキズキと痛みを訴えてくる。
もしあのまま力比べをしていたら、間違いなく押し込まれていただろう。
「ちぃッ――!!」
カウンターの蹴りも、その次の軸足を交換しての回し蹴りも、やはり自然な動きで軌道が逸れていき当たらない。
抵抗がない故に、軌道が変化する際に体勢を崩す心配がないが、それが一層不気味さと違和感を強めていた。
「ハッ!!」
妹のよりも気合の篭った掛け声と、そして多少なりとも技術の感じさせられる、兄の跳躍からのミドル。
身長差故に、おれが拳で2人を狙うことは難しいが、相手も胴体を狙うことは難しい。
それ故の跳び蹴りを、左腕を掲げ、重心を落として踏ん張りを利かせた状態で受ける。
「ガッ――!?」
蹴りを受け止めた瞬間に感じたのは、戦斧の1撃。
もしくは、大槌の1撃。
それも並外れて巨大で、圧倒的質量を持った物による。
受けた瞬間には踏ん張りも虚しくガードごと胴体に蹴りは叩き込まれ、間に重なった状態で挟み込まれた前腕と上腕からは異音が響き、尺骨と橈骨と上腕骨が、そしてそれを支える鎖骨までもがへし折れるのがハッキリと感じられた。
尚も蹴りの衝撃は収まらず、おれの体を容易に持ち上げ、横に冗談みたいな勢いで吹っ飛ばす。
元居た建物は愚か、複数の建物を途中で弾みながら飛び越え、向こう側の大通りまで到達し落下。
咄嗟に受身は取ったものの、続け様に咳き込み、血混じりの唾液が出てくる。
おそらくはアバラも折れ、しかも肺に刺さった結果だろう。
「何だ、ってんだ……」
道理に合わない剛力だった。
見た目が子供であるという事を差し引いても、感じ取った魔力量から考えてもあり得ない。
確かに保有魔力量はそれなりに多い方だったが、仮に循環させ、魔法を使用していたとしても、あそこまでの剛力は出て来ない。
それがあり得ないとするならば、あり得るのは能力か。
「……人払い済みか」
やけに1つ隣の大通りの人口密度が高いと思えば、こちら側から流入して来ていたのか。
お陰で人ごみに紛れる事もできない。
そして、おれが吹っ飛ばされるのを待ち構えていたかのように、近付いてくる気配が1つ。
「……上等だ」
先手必勝を狙い、気配の持ち主が通っている路地を見据える。
そして手近な無人の店から、家庭用のナイフを拝借して順手に構え、大通りに出る直前を狙ってナイフを突き入れる。
「きゃっ――!?」
「……ッ!?」
響いたのは、おおよそ戦地には似つかわしからぬ悲鳴。
そしてその悲鳴を上げた当人は、両手で顔を庇うように竦んでいた。
その反応に、動きを止める。
もしかして無関係な人間が紛れ込んでいたのかという可能性を考慮して。
その直後に、そいつが顔見知りであるという事に気付く。
「お前、アルトニアス!」
「へっ!? って、あんた!」
そこで向こうもようやくおれを認識したという風に、おれの顔を指差す。
直後に表情を硬直させておれの背後を見て、いきなり手を掴んでくる。
「おい――!」
「話は後! とにかく付いてきて!」




