混沌始動①
「ウェイン、おいウェイン!」
「あっ、しょぼい方の副団長」
「誰がしょぼいだ!?」
「痛ッ、すいません口が滑りました」
「つまり本心な訳か!」
「痛ッ、痛いッ! すいません、本当すいません。で、何の用です?」
「何の用です、じゃねえよ! お前また暗殺しくじったろ!」
「はぁ、すいません」
「すいませんじゃねえよ! お前これで何度目だ!」
「本当すいません。何故か僕が事前に調査した結果よりも、護衛の数が大幅に増えてまして。酒場で口を滑らせて計画をぶちまけたのがいけなかったんですかね?」
「明らかにそれが原因だろ! 何度目だよ、その軽い口が原因でしくじるのは!」
「軽い訳じゃないですよ。僕が自ら進んで話した訳じゃないんですから。ただ、ついうっかり口にしてしまっただけで」
「それを軽いって言うんだよ!」
「そうですか、以後気を付けます」
「待てコラ」
「何ですか、まだ何か?」
「団長が失踪した。捜すから手伝え」
「またですか。今度から手枷を嵌めておいた方が良いんじゃないんですか?」
「お前さ、明らかに俺らの事舐めてんだろ?」
「いえ、団長の事は尊敬してます。貴方の事は侮ってますけど――って、痛い痛い、痛いですって!」
「上下関係って言葉を知ってるかよ、若白髪」
「これは地毛ですよ!」
「どっちだって良い。ンな事よりも、他のメンバーにも招集掛けてるところだから、お前も集まれ」
「いや、僕は――」
「お前の失敗を誰が尻拭いすると思ってんだ?」
「……了解しました」
「分かれば良い」
「はぁ……」
吐き出した息が白くなる程ではないが、それでも気温は低く肌寒く感じる。
そろそろ暖かくなっても良い頃なのだが、日中の気温は中々思うように上がらず、温暖期の到来はまだ先であると感じる。
とは言え、この通りに居る限りにおいては、その気温の低さを気にする事は無いだろう。
何故か少し前から通りの人口密度が跳ね上がり、ごった返しになっており中々前に進めない。
少し進むだけで隣の人と強く密着し、お陰で首から下は随分と暖かく感じる。
ただし、外気に触れている首から上はそうもいかないが。
牛歩よりも酷い進み具合に、少しだが苛立ちを感じる。
同時に口元にも少しばかりの寂しさを感じるが、さすがにこれ程までの人口密度の中で火をつける事は、周囲から尋常でない顰蹙を買うであろう事は想像に難くない為我慢する。
それが一層、苛立ちに拍車を掛ける。
だが一方で、どこかその苛立ちは、他人事のように思えてならなかった。
ただひたすらに、空虚だった。
もし心というものに色があるのならば、今のおれのそれはドドメ色であるに違いない。
おれという器の中に、苛立ちが、悔しさが、怒りが、蔑みが、悔恨が、憎悪が、嘲笑が、その他色々なものが渦巻いていて、それらをぐちゃぐちゃに掻き混ぜて封をしてある。
そしてそれらは、全ておれへと向けられていた。
それすらも、他人事のように思えてしまう。
そんな言いようの無い、何とも言えない、しかし不快である事だけは確かな感覚。
おれはその感覚を知っていた。
いや、思い出していた。
もう10年近くも前の事。
まだ無能者と魔力持ちとの差を埋める術を教えて貰ってなかった時に、1度経験していた。
「……つまり、今のおれは絶望しているという訳か」
随分と滑稽だ。
ちゃんちゃらおかしい事極まりない。
ベルの奴も言っていただろう。
折れたならば、繋いで叩き直せば良いと。
まったく持ってその通りだ。
それが理解できているなら、あとは体を追い付かせるだけだ。
折れたのはこれが初めてじゃない。むしろ数え切れないほど折って来ている。
ただ、それだけの事だ。
これを滑稽と言わずして、何を滑稽と言う。
言い換えれば、眼を背けたかった。
あるいは、逃避していたかった。
そういう意味では、こうして人ごみに揉まれているのも悪くない。
ここのところ毎日のように人化して、ずっとあいつに付き合わされて飯店を巡るのも、悪くない。
今頃は店の中で、野次馬と空の皿の山を築き上げているあいつの支払いの為に金を取りに戻るのも、悪くない。
その健啖ぶりと外見から噂になっているという事に頭を悩ますのも、悪くない。
現状で用意できる現金だけで支払いが可能かどうかを心配し、少し胃が痛く感じるのも悪くない。
少なくとも、気は紛れるから。
とにかく、何でも良いから何かをしていたかった。
そんなところだろう、今の自分を自己分析した結果は。
なんて無様な姿だ。
無様すぎて、逆に哀れみすら覚えてくる。
「悪魔の甘言、ね……」
あいつの存在をここまでありがたく思えてくるとは、おれも末期だ。
あいつは随分と的確におれの事を言い得ていた。
いや、悪魔だからこそかもしれないが。
人間の欲望を突き、唆す悪魔の立場だからこそ、人間の感情の機微というものに鋭いのかもしれない。
あいつは元天使だが、似たようなものだろう。自分勝手という点では。
自分勝手といえば、どうでも良い事でもあるが、そろそろナイフ固定用のベルトを返して欲しい。
お陰で持ち歩けるナイフの数が激減している。
それなりに金を掛けている物なので、代わりの品を今すぐに用意するという訳にもいかない。
それで気が紛れるのならば、用意するのも吝かではないが。
結局同じ結論に行き着く自己分析も。
結局堂々巡りになる自問自答も。
全部悪くない。
「だから、これも同じ事だ」
ようやく路地裏に流れ着き、むさ苦しい人ごみからそちらへと外れる。
そして自由を得たところで、後ろの奴の首根っこを掴んで同じ路地裏に引きずり込み、持ち上げて壁に押し付ける。
そいつの持っていた、購入した雑貨品やら食料品やらが入った紙袋が地面に落ちて、中身が転がり出て一部が通りに行き踏み潰される。
そのまま腕に力を込めて、壁と自分の手で挟むようにして頚骨をへし折る。
間髪入れずに捻り、重要な血管も引きちぎる。
「全部で17……いや、これで16か」
頚椎をねじ折られて事切れたのは、ともすればおれよりも年齢が下かもしれないガキ――それも女だった。
その事に驚きは無い。そういう稼業の奴に、年齢も性別も関係ないのは良く知っている。
だからこそ、油断するつもりも毛頭ない。
ましてや、相当な手練れだ、こいつらは。
気配を人ごみに完璧に紛れさせて、完全に一体化している。
そのまま近付きすぎず、離れすぎず、数の利があるのにも関わらず、そのまま仕掛けて来たりはせずに人ごみの中で巧妙に包囲網を完成させていた。
もっとも、魔力隠蔽は随分とお粗末なものだったが。
どれだけ巧妙に一体化していても、これから攻撃するという準備を終えた魔力の動きがあれば、嫌でも気付く。
しかも向こうは、隠そうともしていなかった。
確かに隠蔽の技量が未熟ならば、下手に隠そうとすると返って揺らぎを生じさせてしまい、それが原因で気付かれる事もある。
それでも、おれに対してはどれだけ未熟であろうとも、その危険を冒してでも隠蔽をするべきだった。
「さて……」
死体の懐をまさぐり、ナイフを見付けて拝借する。
一緒に持っていた、おそらくは毒の入っているのであろう瓶は放置する。どういった物か分からない上に、相手は解毒薬を常備している可能性が高い。
数は残り16人、全員が既に臨戦態勢に入っている。
いまの俺のコンディションでは多いかもしれない。
おまけに武装も万全じゃない。
ベルの奴はいないし、薬は愚かナイフも手にあるものしかない。
だからどうした。
足りない分は現地で調達すれば良い。
常在戦場、誰も死人の言い訳など聞き届けたりはしない。
「覚悟してろ……」
おそらくだが、こいつらにおれを殺す直接の理由は無い。殺気は静かで、どちらかと言えば私怨や私情ではなく、任務だから殺すという業務的な類のものだ。
対しておれは、まったくの私情だ。
言い訳などしない。これは紛う事なき八つ当たりだ。
「お前ら全員、皆殺しにしてやる!」




