エルンスト④
「あん? どうしてそんな馬鹿でかい剣を使ってるか、だ?」
「だって、普通に考えればもっと軽いやつを持った方が良いに決まってるじゃん。ただでさえ魔力が無いのに、自分から剣速を遅くする意味が分からない」
「馬鹿かテメェは」
おれの意見をエルンストは鼻で笑った。
「こいつはな、デカイ奴を斬る為の物なんだよ。どれだけ技術があろうが、急所まで刃が届かなきゃ意味がねえだろうが」
「だったら、使い分ければ良いんじゃないの? 人間相手にまでその剣を使う意味はなんなのさ?」
「大は小を兼ねるんだよ」
エルンストは咥えていた煙草を一気に灰に変えて、おれの顔に吹き付けてきた。煙たいが文句を言うと殴られるので黙っておく。
「いいか、よく見とけ」
そう言って、辺りに漂う煙に指を突っ込み動かす。
すると漂う煙は、エルンストの指の動きに合わせて撹拌される。
「分かるか? 剣を振る時に斬撃の速度が遅くなるのは、こうして物が動かされる際に空気が抵抗を起こすからだ。この空気抵抗ってのはかなり強くて、物の重さなんざこの抵抗の前じゃ大した障害にはなり得ない」
次にエルンストはナイフを手に持ち、おれの眼前で一閃する。
その斬撃は目で追う事はできなかったが、エルンストが動作を終えてから一瞬遅れて、漂う煙が横一文字に分断されるのが見えた。
「だったら話は簡単だ。抵抗をするよりも先に、空気を斬り裂いちまえば良い。そうすりゃ手に握ってんのがナイフだろうが大剣だろうが、木の棒を振り回しているのと何ら変わらなくなる」
「無茶苦茶だよ」
「無茶だろうが何だろうが、やるんだよ。じゃなきゃ俺たち無能者は生き残れねえ」
手元でナイフを一回転させ、至近距離で投げつけてくる。
わざと大振りで投げてくれた為とっさに回避することはできたが、それでも頬を掠めて熱が走る。そしてナイフは勢いを殺す事無く背後の壁に、根元まで深々と刺さる。
無能者であるはずのエルンストが、一体どれほどの筋力を込めればそんな芸当ができるのか、おれには想像も付かなかった。
「ちょうど良い機会だ、俺たち無能者がそれ以外の連中との差を埋める方法を教えてやる」
自分で投げたナイフを壁から抜き、おれに軽く放ってくる。
それをキャッチしようとした瞬間、気付いたら眼前に移動して来ていたエルンストに殴り倒され、床に背中を強打する。
「火事場の馬鹿力って知ってるよな?」
そんなおれの事を意に介した様子も無く、淡々と自然な動作で倒れたおれを縄で縛りながら聞いてくる。
「……緊急時に脳のリミッターが外れて、通常では考えられないような力を発揮する事だったね」
嫌な予感がしながらも答える。
「そうだ。通常脳は全体の2割までの力しか発揮できないように、常にブレーキを掛けている。ところが火事場の馬鹿力を発揮すると、そのブレーキが利かなくなってリミッターが外れ、単純計算で5倍の能力を瞬間的に使えるようになる訳だ。
この5倍ってのはでかい。3割も身体能力が上げられれば凄いと拍手喝采を受けられるような魔法の世界の中で、3割どころか50割も身体能力を上げられるんだ。そこに魔力によって引き上げられた地力の差があろうが、その上に魔法で身体能力を上乗せされようが、地力次第じゃ余裕で上回れる」
エルンストが油を室内に撒き始める。嫌な予感は的中した。
「だが、所詮は瞬間的なものだ。理想的なのは、そのリミッターを常時外せる事だ。だからまずはその為の感覚を今日中に掴め」
「待った待って、おれも知識として知っているけど、脳にリミッターが掛かっているのは全力を出したときの負荷に体が耐えられないからでしょ。そんなのを常時やっていたらぶっ壊れるって!」
「何の為に今まで体作りをしていたと思ってんだ。その負荷に耐えられる体を築き上げるためだろうが。現に俺はぶっ壊れてねえ」
エルンストが新たな煙草を取り出し、火を付ける。
1分以上掛けてじっくりとそれを吸うと、揉み消す代わりに油の中に捨てる。
「じゃあな。途中に障害物置いとくから、ちゃんと脳のタガを外せないと死ぬぞ」
そう言ってエルンストは、勢いよく炎が燃え上がる部屋から出て行った。
室内に残されたおれは、遠ざかっていく足音と強まっていく火の手に板挟みになり、視界が真っ暗になっていくのを感じた。
結局その後、おれは脳のリミッターを外した結果かどうかは分からないが、大火傷を負いながらも建物から脱出する事ができた。
ところが脳のリミッターを外す感覚というものを掴む事ができず、その後も何度も同じような事をやらされ、あやうくトラウマになりかけた。
しかし、そのお陰かある程度は自分の意思で脳のリミッターを外すという事は可能となった。
エルンストに言わせれば、常時でない上に外し方が甘いため及第点らしかったが。