無様な敗者②
遠くから聞こえて来る戦闘音はこの際無視するとしよう。
多分死にはしない。
「おまえは1日と半分――実質2日寝ていた」
ベッドを消されたので、代わりにベスタが譲ってくれた椅子にありがたく座らせてもらい、シロからざっと事後報告を受ける。
「全身持て余す事無く電撃傷を負ってて、あと胸に風穴が開いて胸骨と肋骨の一部が根こそぎ消失していた。
ただ、不思議な事に心臓は無傷だったらしい」
「無傷……?」
そんな筈がない。
あの時確かに、心臓にも穴を穿たれたのを感じた。
「まっ、アタシも不思議には思ったよ。何せ、おまえが胸に風穴を開けられたのはこの眼で、倒れる直前に見ていたんだからな。
ところが、おまえの胸の中には無傷の心臓が何事も無かったかのように鼓動を続けていたって聞かされて、実際にこうしておまえが生きてんだから、信じるしかねェだろ」
「……そもそもここは?」
「セリトリド子爵家の現当主代理のアルトニアスが所有している――つうか、引き継いだ別荘の1つなんだそうだ。王都から2つ町を挟んだアヴァング地方にある。
詳しい経緯はアタシ達も知らねェが、あの――ベルゼブブか? アイツが重傷のおまえをアルトニアスのところまで運び込んで、それを受けたアルトニアスが昔の伝手を頼って、特に口の堅い知り合いに頭を下げておまえを治療したらしい。
んで、治療を終えたは良いがまだ絶対安静で、誰かに見付かるのも知られるのも不味いってんで、ここを提供してもらった」
そこまで話し終えて、徐々に遠のいていく戦闘音が響いてくる方角をチラリと見たシロが、視線を戻して来る。
「で、こっちも聞きたいんだが、ありゃ一体何だ?」
「後にしてくれ。話すと長い上に説明が難しい」
あいつの事はシロにも話していない為、説明するとなると1から順に話さなければならない。
その上何故か人化しており、その理由はおれにも分からないのだ。
そう言えばあいつの事で何か忘れている気がするが、何だったか。
「それよりも、おれが倒れた後の事はどうなった?」
「分からん」
「分からんって、見てたんじゃないのか?」
「その前に倒れた。言ったろ、風穴開けられるの見たってのは倒れる直前だって」
「何で倒れた? 襲撃でもされたか?」
「魔力欠乏症だ」
「……何だって?」
聞き間違いかと思って、思わず聞き返す。
「だから、魔力欠乏症だっての。それも衰弱性のな」
「一体何で、よりにもよって衰弱性の欠乏症になるんだよ」
「こっちが聞きてェよ、何しろいきなりの事だったからな。ただ――」
シロが、椅子に縛られているミネアを親指で指す。
「こいつが関わっている事だけは分かっている。倒れる直前になにやら宣告してくれたからな」
「私は何も知りません。幻覚でも見たんじゃないんですか? それか幻聴でも聴いたんです」
「…………」
シロではなくおれの方を見て、まったく動揺もしないで平然と言い放つ。最後の言葉に至っては疑問形ですらなかった。
何も知らない奴ならば鵜呑みにしてしまいそうだが、少なくともおれには、こいつの言い分よりもシロの言い分のほうが信用できる。
何せ、再認識したばかりだ。
こいつは信用こそできるが、信頼はできないと。
「……もしかして」
左眼を閉じて、右眼だけで見てみる。
あれだけ酷使したのは初めてだったので不調が無いか心配だったが、特に問題も無く発動して安心する。
そしてビンゴだった。
「……ミネア、お前、ベルの奴と契約したろ」
「……ええ、しました。それがどうかしました?」
どうしてあいつが人化できているのか、その理由が分かった。
人化に必要な外的魔力の供給を、ミネアから受けている。
いや、ミネアだけではない。
「…………」
寝ている間に着替えさせられた清潔な白い服を捲り、胸の傷を確認する。
そこにはあるべきものが、どこにも無かった。
「そういう、事か……」
まあ、結論的にはおれの出した答えは正解だったという事だ。
「お前、解析したな? あいつの契約の標を解析して、そっくりそのままコピーして、シロとベスタに貼り付けたな?」
「……驚きました。よく分かりましたね?」
馬鹿にしているのか、それとも本気で驚かれているのか。
おそらく後者の気がするのだが、その後者の答えとて、根本的にあるのはおれに対する侮りであり、馬鹿にされている事に変わりは無い。
ただ本人に自覚があるのか、それとも無いのかの違いでしかない。
「一体、いつの間に契約した?」
「契約そのものは、件の【ヌェダ】を執り行う前日です」
「つまり、接触自体はその前からあった訳だな」
「ご名答です」
「いつだ?」
少なくとも、おれの知る限りでそんな暇など無かったはずだ。
「最初からです」
「ふざけているのか?」
「いいえ、ふざけてなんかいません。言葉通り、最初からですよ。シロさんの店で貴方と顔を合わせた時に、貴方の魔剣――ベルゼブブさんに触れました。その時にいくつか言葉を交わしました」
「…………」
思い出されるのは、こいつと初めて遭遇した時に首筋に剣を突きつけた時の事。
あの腐れ悪魔め。
「おい、どういう事だ」
「その事を話す前に前提として、あいつの事を話しておく必要がある」
あいつというのは勿論、ベルの事だ。
もっとも、要点だけに絞って手短に済ませるが。
「おれが使ってる魔剣があるだろ?」
「ああ、あれな」
「あれの化身が、いま外でカインと戦ってる奴だ」
「……つまり、剣が人になったってか。神話や御伽噺かよ」
「あながち間違っても無いな、神話に実際に語られてるような存在なのは間違いねえから。ま、正確には逆なんだがよ。
ともかく、あいつが今の姿になる――人化するには、外部から魔力の供給を受ける必要がある」
より正確には、自分の持っている魔力でも人化は可能だ。
だがあいつは、常に自分の体内で魔力を消費している上に、自分で魔力を作る事ができない――より厳密には、作る片っ端から自食しており、供給量が需要に圧倒的に追いついていない。
その為あいつの保有する魔力は殆ど空に近い上に、直前の戦闘でその殆どを吐き出し終えている為に自分の体内の魔力を消費して人化するのは、あの時点では不可能だった。
故に安定した量を一度に喰い切らぬよう一定量ずつ外部から供給を受けて、それを絶えず燃焼させる事でようやく人化ができるのだ。
今の姿こそがあいつ本来の姿だが、それを維持するのには絶えず魔力を消費せねばならず、常にあいつは飢えている。
それを外部から取り込む為にあいつは喰らうが、その喰らう為にも魔力を消費し、結局差し引きはゼロ。実質飢えを維持する為に喰らっているようなものだ。
だからこそ、あいつは普段は魔力を消費せずに済む、武器の形となっているのだが、それでは喰らう事ができない。その為おれが喰わせる代わりにあいつが力を貸すという相補的関係を築いていた訳だが、決して服従でも契約の関係でもない。
だからこそ、今回のような事態が起きた訳だ。
まあ、それはさておき。
「で、その供給をこいつから受けるっていう内容の契約を、こいつは結んだ訳だ。代わりに何を望んだかは知らねえがな。
ともあれ、こいつは契約の際にあいつと自分とを繋ぐ術式を、独力で解析した。自分の【並列演算】を駆使してな。
そして解析し終えたそれを、お前とベスタに貼り付けた。言い換えれば、お前たちも道連れにした訳だ。
ただ、解析が甘かったのか、それとも意図的だったのか、ともかく貼り付けたそれには欠陥があって、一定量ずつじゃなくて1度に多量の魔力を供給する術式に変化していた。結果、人化の際に魔力を奪われるのに歯止めが掛からず、お前らは魔力の殆どを持っていかれて倒れた訳だ」
「全部正解です。よく分かりましたね。因みに、解析は完璧でした。それを意図的に弄くって、供給量のブレーキだけを無くしました」
「これだけ材料が揃えば、誰だって推測ぐらいできる」
ついでに、こいつの今の言葉で、その次の仮説に裏付けが取れた。
「私の【並列演算】は、まあ思考回路を増やす代物です。といっても、サブですが。
そのサブの回路のそれぞれに思考をさせて、それらを私の本来の回路が纏めて要約する――それが大よその能力の概要です」
「それを駆使して、術式の解析に取り掛かった訳か」
「そうですね。まさか1日も掛かるとは思いませんでしたが。その術式の複雑さと綿密さは、さすがは神話に語られる存在といったところでした。解析もさる事ながら、再現はそれ以上の労力を費やしましたよ」
「詳しい内容なんざ知った事じゃねえが、ともかく、それだけの演算能力があれば、契約の標以外の解析も容易だろうな」
「…………」
「お前、主従関係を逆転させようとしたな?」
瞬間、シロとベスタがハッキリと怒気を滲ませる。
特にベスタが凄まじい。
シロは表面上は平静を保っていて、付き合いの長いおれだからこそ感じ取れる程度だったが、ベスタは対象でない筈のおれですら震えが走る程だった。
何かの弾みで、ミネアの頭上に恐ろしいものと繋がっている扉を生み出しかねない。
「自分に体に刻まれた隷紋を解析して、おれの令紋との繋がりを介しておれの令紋を解析して、主従を逆転させる術式を構築しただろう」
おそらく、それこそがこいつの狙いだ。
おれという駒を手に入れる策だ。
奴隷関連の魔法は神国では中々お目に掛かれないから、おれを介してゾルバから手に入れ、尚且つそれをおれに掛けさせる事で、解析しおれを隷属させようとした。
考えられる中でそれが最も利の大きな、そしてあり得る可能性だった。
「……ああ、最高ですよ、本当に貴方は」
ミネアは、否定しなかった。
ただ俯いていながら、その状態でもハッキリと分かるぐらい、恍惚とした表情をしていた。
「もう少しで成功する筈だったんですよ」
顔を上げたミネアは、自分に向けられる視線など意に介さず、ただおれだけを見ていた。
「ただ解析し模倣するだけならばともかく、存在しない術式を1から構築するのは凄まじく骨が折れましたよ。そうやってようやく、ハッキリ言ってこの大陸を引っ繰り返す事すら可能な術式を構築し終えて、後はその術式を確実に発動させる為にできる限り貴方が弱るのを待って、さあやるぞという段階になって――」
「おれの令紋が無為になっていた、か」
「ええ、その通りです。単純に穴を開けただけでは効力まで消えないはずですが、一体アキリアさんは何をしたんでしょうね。本当、とんでもない誤算でしたよ」
「アキリアを呼び寄せたのも、お前の仕業か?」
「いいえ、私はあくまで入れ知恵しただけです。まあ、そうなる事を見越しての事だったのは否定しませんでしたが」
「おいジン、こいつ殺して良いよな?」
「待て」
その前に、1つ確認しなければならない事がある。
「お前、一体何が目的でそんな事をしようとした?」
隷紋を施す際に指定した条件の中には、おれに不利益な行動を取れないというものがある。
あくまで主従関係を逆転させるものである以上、隷紋そのものの解除は不可能。そして解除してないのならば、その条件もまたミネアを縛り続けたはずだ。
しかしそうなると、そんな術式を構築できたという事が矛盾する。
「おれを使って、カルネイラとやらを殺したかったのか?」
「まさか、そんな訳が無いじゃないですか」
あっさりと、否定する。
そして告げる。
「私は単純に、主従を逆転させて、貴方を私のものにしたかっただけですよ」
そんな事を、大真面目な表情で。
「ええ、ただ逆転させるだけが目的です。それを利用して貴方の行動を制限するつもりもありませんし、貴方に協力するのを拒否するという事もありません。あり得ません。例え逆転した後でも、私は変わらず貴方の命令を受け付けてました」
「訳が分からねェな。なら、何で逆転させる必要がある?」
「単純にジンさんが欲しいからそうしようとしたんですが、それがどこかおかしいですか?」
その答えにシロが絶句する。
だがおれは、不思議と納得できた。
何故かは分からないが、そういう理由だったのかと、胸に落ちた。
「おいジン、やっぱしこいつは殺して――」
「いい、必要ない」
「必要ない訳ねェだろ!」
シロがおれに対して吼える。
「生憎アタシは考えるのは門外で、おまえが何を言ってるのかは殆ど理解できてねェ。だが、それでもこいつがなにをしようとしてたかは、十分に理解できている。
話を聞く限り、今は隷紋の効果が消失しているから心配はないだろうが、放置しておけばいずれ同じような事をしでかすぞ!」
「やりませんよ」
シロの言葉を、ミネアは一言で否定する。
「もうしません。失敗したというのが結果ならば、それは私の演算結果が間違っていたという事。ならば私はそれを素直に認め、もう2度とそのような事はしません。
そしてその上で、改めてジンさんに隷属する事を願います。どうか再び私を奴隷にしてくれませんか?」
「信用できる訳が――」
「シロ、良いって言ってる」
ひとまずこれは保留するべき案件だ。
そんな優先順位の低い事よりも、先に把握しておくべき順位の高い事がある。
「何であいつが――カインがここに居る? おれが倒れた後に、一体何があった?」
「……アタシは見ていた訳じゃねェ」
「だが、その後に調べて纏めているだろう」
それぐらいの事を、シロがしてない筈がない。
だからこそ、おれはこいつと懇意にしているのだ。
「……つっても、カインが居る理由はおまえが考えてる通りだ」
「ゾルバか」
「ああ。んで、おまえが倒れたすぐ後に出て来たらしい」
そう言えば、いやに鈴の音がうるさかったな。
今ならば、今だからこそ、そうと分かる。あれはあいつが鳴らしていたものだと。
あれが原因で、おれはベル曰く、色々とトチ狂っていた訳だ。
「なら、あの後アキリアとカインが交戦した訳か」
「……そんな単純な話なら、どれだけ良かったか」
「違うのか?」
「半分当たりで、半分ハズレだ。おまえが寝ている間に、事態は随分と混迷した事になってる」
背もたれに体重を預けて足を組み、苦虫を貪っているような表情で言った。
「あの野郎――カインはおまえが倒れた後に、アルフォリア家現当主だったシャヘルと当主クラス8名を含む、アルフォリア家に連なる者31名を惨殺した」




