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無様な敗者①




 枯れた植物も、小石すら存在しないだだっ広い荒野のど真ん中に掘ってある、大分風化した下へと降りる為の階段。

 全部で666段あるその階段を下りれば、次に出てくるのは巨大な扉だ。

 竜だって納まりそうな高さと幅を持ったその重厚な扉には、これでもかというぐらい厳重に黒く太い鎖と大きな錠前が取り付けられており、扉を開けて中に入る事を拒んでいた。


「…………」


 手に持った剣を振るい、鎖を両断する。

 地面に零れ落ちた破片は、外側こそ黒ずんでいるものの、中心は色鮮やかな銀色で、長い年月で酸化して変色したのだという事が分かる。


「……真銀か」


 ただの銀ではなく、真銀。それがその鎖の原材料だった。

 魔族にとって猛毒となる、不思議な鉱物。

 通常の銀よりも頑丈で、融点も高く、何より大国でもお目に掛かる事がないほどに貴重な素材。

 それをふんだんに使って扉は封印されていた。

 さらに踏み込んで考えれば、それだけの量を使ってまで、扉の向こうに居るであろう存在は封印されていた。


 残る鎖も斬り裂こうとして、硬質な音を立てて剣が半ばで阻まれる。

 斬るのに失敗していた。

 それも、原因は対象物の鎖ではなく、自分自身にあった。


 震えていた。

 剣を振るう右手が、これでもかと言わんばかりに震えていた。

 その自分の弱さをむざむざと見せ付けられる光景に、歯噛みする。

 イチイチ分かっている事に怯える自分の惰弱さに、苛立ちが募る。


「何の問題もない」


 一端剣を引き、震えを押さえ込んでから改めて振るう。

 残る鎖も全て、斬り裂く。


「おれは【死神エルンスト】の弟子だ……」


 拘束が全部取っ払われた扉の取っ手に、手を掛ける。


「師ができた事を、弟子ができない道理は無い」


 そして渾身の力で、その扉を押し開く。


 扉の向こう側は、その前までの階段とは違って一切整地されておらず、足場も悪い剥き出しの空間が広がっているだけだった。

 空間は相当な広さがあるようで、正確な大きさは見ただけでは測り知る事は不可能だった。

 歩を進めていくとその認識はますます強くなり、こんな地下深くにこれ程の空洞が存在しているという事実に、今更のように恐ろしく感じてくる。


「――ォ……ぁっ……ぐぅぃ……ぁぁ……」


 程なくして、奇妙な呻き声が聞こえて来る。

 空間内に反響する俺の足音かと勘違いしてしまうほどに微かなそれは、紛れも無くおれ以外の存在が発するものであり、そして同時に、石を砕くような音も聞こえて来る。

 その音を奇妙に思うよりも先に緊張が走り、より一層慎重に歩を進めていくと、やがて前方に蠢く影が見えてくる。


「…………」


 それが見えた瞬間、足が止まる。

 警戒しての行いではない。その影の内包する膨大で濃密過ぎる魔力を右眼が捉えて、自然と体が動かなくなったのだ。


「グッ……アァ、あのガキ、ゆル、ゆるサ、ネェ……こんナ、こんな場所ニ、クソッ……」


 薄暗い為に、その蠢く影の正確な姿は判然としない。

 だが距離が縮まった事によりそんな言葉が耳に届き始め、辛うじてそれが、意思ある存在だと判明する。


 硬質の物が削られ、砕く音が変わらず響く。

 徐々に闇に眼が慣れるにつれて、その蠢く影が少しだけ明瞭になる。


「グヒッ、ヒテ、ェ……」


 ちょうど蹲った人間に見えるその影は、ざんばらの長い髪を振り乱して地面や体を覆い、2つの手を一定のペースで動かしていた。

 その度に、硬質の物が削られる音と、砕かれる音が響く。


「グヒ、デェ……グイ、殺しテ……タリ……ネェ……」


 嗚咽を漏らすような、そして血を吐くような独白は、ありとあらゆる負の感情に染まり切っていた。

 罅割れ掠れたその声を、明瞭に聞き取ることは酷く難しかった。

 だがやがて、闇の中でその影が何をしているのかがおぼろげながらも見えるようになり、分かるようになる。


「喰イ、殺しテ、やル……あのガキ、絶対ニ、喰ッテ、喰い荒らしテ、やル。こんナ、しやがッテ、ユ……るさネッ……許さなネェ、絶対ニ……!」


 それは喰っていた。

 地面を素手で削り取り、掬い取った石やら砂やらを口の中に押し込み、噛み砕いて飲み込んでいた。

 ただひたすらに、近くに居るおれの事など目もくれずに、その動作を繰り返していた。


「これジャ、ゼンゼ、足りネェ……喰いテェ、ヨォ……!」


 うわ言のように繰り返し、繰り返し言いながら喰らう。


「……ッ!」


 そのおぞましい光景に息を呑んで、後ずさったのがいけなかった。

 それまでの慎重な足取りを不意にするその歩は、踵で小石を蹴飛ばして音を立てるのに十分すぎた。


「――ァア」


 その瞬間、それがハッキリと、おれを見た。

 闇の中でもそうと分かる金色の双眸で真っ直ぐおれを射抜き、歯を打ち鳴らした。


「――ァァァァァアアアアアアアアアアッ!!」


 無理やり搾り出されたような絶叫が響く。

 それがおれが出したものなのか、それとも相手が出したものなのかすら理解する余裕は無かった。

 ただそいつが、闇の中でも不気味なくらい視界に捉えられる牙を剥き出しにして、まさしく獣のように猛然とおれに襲い掛かってくるのが見えた。

 それはいつの間にか眼前にまで迫って来ていて、おれが対応するよりも早く顎を広げた。


 そして――











「うぁあああああああああああああああッ!!」


 視界に光が飛び込んで、自分が跳ね起きたんだとおぼろげながら理解した。

 そして即座に、もう1度倒れこむ。


「ぎ、がぁ……ああぁっ!!」


 痛い。

 とにかく痛い。

 それ以外の事が考えられない。


 今まで感じた中でも首位を争うような激痛が襲いかかり、自分の体を抱きしめて悶え苦しむ。

 だがそうやって動く度に、新たな痛みが次から次へと襲い掛かってくる。

 しかし動かなければ、悶えなければ到底その痛みには耐え切れそうに無い。

 そんな悪循環に陥っている事を理解していながらも、やめる事はできなかった。


「じっと、していろ……!」


 頭の上からそんな声が降って来て、取り押さえられる。

 その拘束を跳ね除けて再び動き出そうとするおれよりも速く、全身を苛む痛みと比べればささやか過ぎる痛みを首筋に感じ、急速に痛みが引いていく。


「やっと、眼を、覚ました、か……」

「ベス、タ……?」


 それまでの痛みが嘘のように消え去り、余裕のできた視界の端に、布で顔を含む上半身を覆った見覚えのある姿が映る。

 記憶にある限り、最近は布を巻かず素顔を晒していた為に、その姿はかなり懐かしく思えた。


「【促進剤アッパー】を、投与、した……」


 ベスタが先端に血のついた、空っぽの注射器を見せてくる。


「所詮は、繋ぎだ……すぐにでも、効果は、切れる……その前に……」


 カラカラと軽快な音を立てて、点滴装置が運ばれてくる。

 どうでも良い事だが、その小さな体躯で点滴装置を運ぶベスタは、傍から見ると成りきりの遊びをしている子供にしか見えなかった。


「鎮痛剤、だ……大体これで、8時間分は、ある……いま投与、している【促進剤アッパー】の、効果が切れる、頃には、効いてくる、筈だ……」 


 話しながらも手際の良い動きで、おれの腕に針を刺していく。


「意識はハッキリしているか? 記憶はどうだ? 自分がどうなったのか、ハッキリと覚えてるか?」


 別の方向から声が聞こえてきたので、首だけ傾けてそちらを見ると、声の主であるシロと、そして何故か椅子に座らされた状態で厳重に縄で縛られたミネアの姿があった。


「ちょっと、とうとうジンさんが起きてしまったじゃないですか! せっかく裸で潜り込んで、昨夜は激しかったですね作戦で既成事実を作るチャンスでしたのに!」

「黙れ裏切り者」


 どういう状況なのかはミネアが大体説明してくれたので、聞く必要は無かった。

 代わりにシロの問いに答える。


「意識は問題ない。記憶もハッキリしている。ただ、異常なまでに全身が痛い」

「それについては知らん。アタシたちは、ただ念の為に鎮痛剤やら【促進剤アッパー】やらを準備していただけで、容態を把握している訳じゃないからな」

「勝手にだが、私室に、入り込ませて、もらった……」

「いや、それについては問題ない」


 見られて困るような物は、最初から置いていない。

 ついでに、自分が意識を失う直前までの記憶を思い出す事で、全身の痛みの原因も何となく把握する。


「なるほど、確かに地獄だな」


 正直に言えば、想像していたのよりも何倍も酷かった。


「それにしても、絶叫しながらの目覚めとはな。怖い夢でも見たか?」

「……ああ」


 からかうようなシロの言葉に、おれは正直に答える。


「ハッキリ言って、失禁しても恥ずかしくないと胸を張って言えるレベルのものをな」

「……そうか」


 過去に実際に体験した光景だったが、あれ以上の恐怖は中々感じることは無い。


 寝転んだまま、周囲を簡単に見渡す。

 おれが居たのは、与えられている寮の自室よりもやや広い個室で、丸太を組み合わせて作り上げられた長閑で落ち着いた雰囲気の漂う建物内だった。

 備え付けられている窓からは暖かな日の光が差し込んで来ており、おれの体を照らして温めている。

 寝転んでいるベッドは清潔な白いシーツが敷かれており、作りから見ても病院の備品という察しはつく。だがその備品とおれの居る個室とは、イメージがあまりにもかけ離れていた。


「ここは――」

「おっと、ちょうど眼を覚ましたところか」


 と、そこで新たな声が飛んで来る。

 聞き覚えの無い声に首を捻っていると、声の主は足音と共に近付いて来て、扉を開けて室内に顔を出す。

 その瞬間、どうしてその声が聞こえた瞬間にシロが苦々しい表情をしたのか、その疑問が氷解した。


 その入って来た奴の顔を見た瞬間、頭をガツンと殴られたような衝撃に襲われた。


「カイン、テメェ!」


 跳ね起きてベッドを蹴り、バネを利かせて飛び掛ろうとする。

 だがそれよりも先に、果物が盛り付けられたバスケットで片手を塞いでいたカインが、空いている方の手で硬貨を手に持ちおれに向けて突き出す。


「【ベッド・銀貨2枚】」


 瞬間、浮遊感に包まれる。

 直前までおれを乗せていたベッドが消えてなくなり、支えをなくしたおれは床に落下し、背中をしこたま叩かれ絶息する。


「お、まえ……!!」

「腕でも鈍ったんじゃねえのか? 病み上がりとか関係なしによ」


 耳障りで、憎たらしい鈴の音を響かせながら、カインは笑いながら言ってくる。


「前までのお前なら、俺を見た瞬間に硬直しないで、予備動作なしに襲い掛かってきた。それこそ、俺に対応する暇も与えずにな。それとも安全だと思い込んで、油断でもしてたか?」

「オマエもナ」


 カインのその笑みが凍る。

 実に親しげに肩に腕を回されて、冷や汗をダラダラと垂らすその変わりようは、滑稽さすら感じた。


「よくもマァ、ノコノコと出て来られたナ。ちょっと付き合えヨ」


 やや値の張りそうな、今時の若者はと中年層の者が言いそうな服を着て、その上からベルトを腕や足や胴体に何重にも巻き付けたそいつは、人化したベルゼブブだった。

 どうして人化できているのかという疑問よりも先に、巻き付けているベルトにどこかで見覚えがあると思ったら、おれが普段ナイフを固定するのに使っているベルトだった。


「ここじゃあれダ、外に出ようゼ」

「い、いや、俺は見舞いに来ただけだしな?」

「遠慮すんなヨ、すぐに終わル」


 オマエの命がナ、と内心で付け加えている事は、容易に想像できた。

 というか、


「これのせいか、あんな夢を見たのは」











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