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暴食王

後半に抜けてるシーンがありましたので挿入しておきました。




「ようやくですね……」


 薄暗さが落ち着きを与えてくれるバーの店内で、ミネアがぼんやりと呟く。

 その彼女の足元では、店主であるシロとその専属の護衛であるベスタが、共にうつ伏せて床に倒れていた。


「まさかアゼトナさんを撃破するとは予想外ですが、それを除けば概ね望んだ通りに進んでいるので結果オーライです。それにジンさんの隠し玉も、おおよその実力も知る事ができました。むしろ予定よりも良い傾向ですね。

 あとは、負傷し消耗したジンさんが運ばれて来るのを待つだけです。わざわざ前々から手を回した甲斐がありましたよ。アルトニアスさんに当たったのは予想外でしたが」


 誰に聞かせる訳でもなく、目を閉じて、整理するように言葉を零す。

 そして開いた眼を、足元へと向ける。


「すいませんね、信用を裏切るような真似をしてしまって。ですが仕方の無い事でもあります。万が一でも邪魔されては困りますから。おそらく貴女がたが目覚めたときには、全て終わっていると思います」


 上から落ちてくる言葉に、2人は答えない。答えられない。

 耳を澄ませてみれば、微かに寝息が聞こえる事から、少なくとも死んでいない事が分かる。


「私の【並列演算】はこんな使い方もできるんですよ。汚い使い方というのは自覚してますが、正面から挑んでも勝ち目なんて皆無ですので、こんな方法を使わせて頂きました。謝罪は後ほどさせて頂きます」


 2人を踏まないように、そして床に散らばる中身の零れたグラスや酒ビンなどを踏まないように足を動かして、扉を開けて外の出る。

 満点の望月と星が煌々と輝く夜空を見上げる。

 そして夜空を見上げたまま、寒さではない理由で両手で身を抱えて悶える。


「……待っててくださいね、ジンさん。いま行きますから」


 恍惚とした表情を浮かべて、ミネアはそう言った。











 自分の体から流れ出た血の上に、うつ伏せで倒れるエルジンの胸に空いた穴にアキリアが手を添える。

 そして何かを確認するように目を閉じ、神経を研ぎ澄ます。


「……うん、上手くいったね。良かった」


 手のひらに弱々しくも脈が伝わってくるのを確認して、安堵の息を吐く。


「良くねェヨ」


 直前まで誰もいなかった筈の背後から、奇妙なイントネーションの声が響く。

 途端にアキリアが、それまでとは打って変わった表情で静かに立ち上がり、振り返る。


 傷も染みも1つも存在しない、白磁のように滑らかな肌と髪を持ち、眼だけが縦長の瞳孔を持った金眼。

 手足は長く、そして背中には、その圧倒的なまでの白さに反逆するかのように黒い翼が3枚、左の背面から生えていた。

 まるで人形のように美しく、そして冷たい印象を抱かされる女だったが、牙を剥き出しにした凶暴な笑みを浮かべたその顔が、その無機質さに生物味を与えていた。


「……【暴食王】ベルゼブブ、だよね?」

「良く知ってんナ。そうダ、オマエの言うとおリ、元4大天使の熾天使セラフィムベルゼブブ様とはオレの事ダ」

「知ってるよ。混迷期について記されてる書物なんて、探せば結構あるからね。大罪王の中でも特に有名な君の事は、とりわけ多くの情報が記されてたよ。真偽は不明だけどね。

 でも逸話はともかく、外見に関しては大半が共通した描写をされていたからね。試しに聞いてみたら、案の定って言ったところかな」

「鎌掛けかヨ、ジンが知ったら馬鹿にして来そうだナ」


 ベルゼブブを名乗るその女は、視線をアキリアの背後で倒れたエルジンに向ける。


「ったくヨォ、何が良かったダ。ソイツを殺してくれるとハ、よくもまあやってくれたもんだゼ」

「死んでないよ。と言うよりも、私が何をしたかだなんて、元神族の君なら説明するまでもなく分かるでしょ?」

「決め付けは良くねぇと思うゼ」

「建前は要らないよ。君の言葉は正しくは、よくも邪魔してくれたな、もう少しで【願望成就】の能力が手に入ったのに、でしょ?」

「オイオイ、言い掛かりも甚だしいナ。どうしてオマエがソイツの持つ【憤怒王の心臓】を穿った事ガ、能力を奪う事に繋がるんダ? そもそもソイツが【憤怒王の心臓】を持ったのハ、他でもないソイツが望んだことだゾ?」

「私は、別に心臓がどうとは言ってないけどね」

「…………」

「一体どうして、君は私の言葉が心臓に関係しているって思ったのかな?」


 アキリアの言葉を、ベルゼブブは否定しなかった。

 ただ、忌々しそうに鼻を鳴らした。


「ケッ、どうもオレは口を使った語り合いってのが苦手で仕方ねェゼ」

「君はさっき、ジン君の心臓が【憤怒王の心臓】だって言ったよね。それは事実なの?」

「あア、事実ダ。知ってたんじゃないのカ? 知ってたんだかラ、わざわざ浄化なんて面倒な事をしてくれたんだロ?」

「別に、知ってた訳じゃないよ。そもそも私は、彼が君と契約を結んでいるという事すら今の今まで知らなかったしね。ただ、良くないものを胸に持っているのはすぐに分かったから」

「契約なんて良いもんじゃねェヨ、あんなのはナ。つうかそんな曖昧な理由で浄化されるのハ、される側からすれば堪ったもんじゃねェナ。オレも含めてヨ。

 こんな事になるって分かってたラ、後生大事に保存しとかないデ、さっさと喰っておくんだったゼ」

「……ジン君がその【憤怒王の心臓】を持ったのは、彼が望んだからって言ってたね。それは本当の事なのかな?」


 より一層声を低くして、鋭く切り込むように問いを発する。


「君が唆したんじゃないのかな?」

「どういう意味ダ?」

「君がその【憤怒王の心臓】をジン君が欲するように、誘導したんじゃないのかって聞いているんだよ」

「言い掛かりダ」

「そう? その割には、随分と色々と仕込んでいたみたいだけど」


 アキリアが断固たる態度で、ベルゼブブを敵を見做して睨みながら宣言する。 


「誰にも渡さないよ、この能力はね。渡すとするならば、それはジン君にだけ。彼が望むなら、私は喜んでこの能力を差し出すよ」

「差し出すネェ。正確には返すじゃないのカ?」

「……そう、知ってるんだ。いや、知ってて当然だよね。知ってたから色々と仕込んでいた訳だし」

「だから言い掛かりだって言ってんだロ。オマエの能力が元がソイツのだってオレが知ったのハ、ついさっきなんだゼ?

 まあ、細工してたのは否定しねェヨ。だが目的はオマエが思ってるのとは違ウ。単純にソイツから得た魂をそこに保管しておけるようにするだけのものダ」

「それが、彼にとって害になるって分かっててやった訳だよね」

「それこそガ、ソイツが望んだ事だからナ」


 悪びれる様子は無く、ただそれが当然のように告げる。


「しっかシ、望むなら喜んで返すってカ。それがどういう意味なのかオマエは分かってて言ってんのかヨ? 教えとくがナ、オマエ能力を手放したら死ぬゾ?」


 アキリアをと言うよりは、まるでアキリアの中身を解剖して覗き込むかのような視線を向ける。


「受け取った直後ならまだしモ、もうその能力はオマエの魂に完全に一体化していル。上に乗せた状態からさらにグチャグチャに押し潰しテ、グジュグジュに掻き回しテ、組み直してあル。もうそうなったら能力の部分だけを取り出すのは無理ダ」


 人間のみに発現する固有能力が一体何なのかという問いに対しては、人間の中でも様々な仮説が提唱されている。

 しかしながら、有力な仮説こそいくつかあるものの、未だ確証を持ってこうだと説明できる論は存在しない。

 だが、人間に限らなければ、固有能力は何なのかという問いに対して明確な解答を用意できる者が存在する。

 それが、魔族に君臨する7柱の大罪王の中でも【強欲】を司る悪魔マモン。


 人間のみが持つ固有能力に興味を持ち、己の権能を駆使して100以上の能力を強奪して自分のものとしてきたマモンは、それが人間の魂の一部が具象化されたものだと気が付いた。

 だから血縁者であっても能力に違いが出てくる。人間の持つ魂は個々人で違うから。

 だから強奪した能力は元の持ち主に対して効果が薄い。魂が自分の収まっている器に対して影響を与える事は無いのだから。

 だから人間の中でも能力を持つ者と持たない者がいる。魂の大きさは個々人によって違い、質や格と違って生まれた時点よりも大きくなる事は無い。一部とはいえ、切り離して具象化させられる程の余裕のある大きさの魂を持って生まれる者は限られているから。


「取り出すとしたラ、混じり合った余分な魂も一緒に取り出すしか無イ。だがそうすれバ、オマエは死ヌ」

「知ってるよ、そんな事」


 死ぬと、そう宣告された事を疑う訳でもなく、当たり前のように肯定する。


「そんな事、とっくの昔に知ってるよ。その上で、ジン君が望むならば手放して構わないって思っている」

「だったラ、さっさと返却したらどうダ?」

「やろうとした事が、ただの1度も無かったとでも思ってるの?」


 アキリアの言葉に、ベルゼブブはニィ、と笑みを深める。


「無理だったんだロ? 元々がソイツの能力デ、ソイツが望んでオマエの手に渡ったんだからナ。オマエがそれを勝手に返却するのハ、ソイツの願いを否定するのと同じダ。ソイツが能力を取り戻したいと心底願わない限リ、返却するのは不可能ダ。

 オマケに知ってるカ? ニンゲンの固有能力ってのは元の持ち主に対しては効果が薄いんだとヨ。つまりハ、オマエがいくら願おうがソイツに対する願いはソイツの願いの方が必ず優越するんだヨ」

「…………」

「それにしてモ、随分と泣かせる話じゃねェカ。無能者の身内の為ニ、自ら能力を手放す事を選択すル。オレには到底理解できないマヌケの所業――」

「【伽藍浄獄炎】!」


 アキリアがベルゼブブの言葉を遮り、密かに汲み上げていた術式を放つ。

 莫大な熱量を抱えた莫大な炎がベルゼブブを飲み込まんと奔り、そして霧散する。


「……ごちそうさン」


 自分を飲み込もうと迫る炎に対して、右腕を掲げたベルゼブブがそう言う。


 その右腕は、まさしく異形だった。

 手のひらや上腕、二の腕や肘など、腕のいたるところに大きさのまちまちな亀裂が走り、その下からノコギリ状の鋭利な牙が無数に、そして真っ赤な舌があった。

 まるで子供の落書きのようにも見えるそれは、しかし落書きでない事を証明するかのように牙を噛み鳴らし、聞くだけで怨嗟や飢餓といった負の感情が乗っていると理解できる、不気味な呻き声を上げていた。


「私を馬鹿にする分には、全然構わないんだ」


 しかしアキリアは、その異形の右腕を視界に入れながらも、まるで興味が無いかのように淡々と語りだす。


「私だって、彼の行いを理解はしてるけど、納得している訳じゃない。それでも、彼がしてくれた事や、彼が出した結論を馬鹿にするのは絶対に許さない」

「……怖いネェ」


 凄みを利かせるアキリアに対して、ベルゼブブは言葉の通りに恐れるどころか、からかうように言う。


「ならヨォ、その馬鹿にされる事を許せないオマエハ、オレの目的がソイツを苦しめて殺す事だって言ったラ、どうすル?」

「その前に殺すよ、当然」


 低く低く、押し潰された声でハッキリと告げる。

 腰を落とし、すぐにでも動き出せるように体勢を整える。

 古の詩篇に謳われる大罪王を相手に、恐怖心など微塵も感じさせずに敵意と殺気を向ける。


「オイオイ、そんなに凄むなヨ。安心しろヨ、オレじゃオマエには勝てねぇからヨ」

「そんな自分にとって都合の良い話を相手から聞かされて、鵜呑みにするほど素直じゃないという自負はあるよ」

「マッ、信じようが信じまいがオマエの勝手だがナ。昔のオレならともかく、今のオレじゃオマエには勝てないってのは厳然たる事実ダ。

 誇って良いゼ、ニンゲンの身でそこまで力を手に入れた事をナ。種類こそ違うガ、オマエよりも強いニンゲンはオレは1人しか知らネェ。逆説的ニ、オマエはニンゲンの中で2番目の実力を持ってるって事ダ」


 1人しか知らないという言葉の辺りで、ベルゼブブは心底忌々しそうに表情を歪める。

 その歪めた表情を倒れたまま動かないエルジンへと向け、そしてアキリアへと戻す。


「何も誇れる事なんかないよ」


 ベルゼブブの称賛を、アキリアは首を振って跳ね除ける。


「仮初の力を誇る事に意味はないし、その仮初の力さえ、簡単に封殺されるからね。

 能力者は弱いよ。魔族だって、私から言わせれば弱い。その力の根源を封殺されれば、後は数を相手に為す術なく屈するしかない」

「不死性を持っていテ、クソったれ共が神術とか称している魔法まで身に付けてるオマエが言っても説得力は皆無だナ?」

「……誰も好き好んで、不死性を身に付けた訳じゃない」


 血を吐くような、苦痛に塗れた声を絞り出す。


「君のさっきの称賛なんて、私にとっては何の価値もない。魔族に称えられたところで、私には何の益もないからね。

 魔族は確かに強いよ。種族としても、個としても。それは認める。

 でもね、そんな魔族なんかよりも、人間のほうが遥かに恐ろしいよ。私にとってはね」

「いいヤ、オレもそれは同感だゼ。そう思う理由は違うだろうがナ」


 犬歯を剥き出しにして笑う。


「つうカ、オマエの言葉から察するニ、神術は好き好んで身に付けたように聞こえるゾ?」

「……それがどうかしたの?」

「ニンゲンがそれを使うってのがどういう事なのカ、理解してんのかヨ」

「…………」


 探るような、馬鹿にするような言葉に、アキリアは答えない。

 だがベルゼブブは、その表情を見て、勝手に結論を自分の中で出した。


「マァ、オマエがそれで良いならそれで良いんだがナ。

 そんなオマエに、もう1つ教えておいてやる。

 オマエが今後何をしようがナ、絶対に能力を返却する事は不可能だゼ。他でもないソイツガ、受け取るのを拒否するからヨ。何でだか分かるカ?」

「……いいや」

「無能者じゃなくなるからだヨ」


 そう、大陸の常識に当て嵌めれば正気を疑うような事をベルゼブブは告げる。


「全くもって度し難い事だガ、ソイツは無能者であるという事に色々と好意的なものを抱えていてナ、無能者でなくなるという事を殊更忌避していル。

 その最たる理由というのがまた理解できない事だガ、繋がりを失いたくないといウ、オレからすればくだらないとしか言いようのないもんダ。

 愛だの絆だの友情だのといった繋がりとやらを求めるっていう感情ハ、オレには到底理解できないナ。

 普段は合理的なくせニ、肝心なところは不合理な奴ダ」

「……君は」


 言葉を、途中で飲み込む。

 まるで葛藤するかのようなその様子に、ベルゼブブは笑う。

 実に楽しそうに、笑みを浮かべる。


「そろそろいいかヨ? この姿は結構燃費が悪くてナ、個人的にはあまり時間を掛けたくないのが本音ダ。それニ――」


 視線を明後日の方角へと向ける。


「どこぞの耳障りな鈴虫ガ、余計な真似を仕出かしてくれたみてぇだしナ」

「…………」


 アキリアは無言でその場から動く。

 ベルゼブブから一定の距離を保ったまま、半円を描くように移動して、ちょうど真横の延長線上に立つ。


「警告するよ。彼に何かあったら、ただじゃおかない」

「どいつもこいつモ、似たような事ばかり言うんだナ。

 安心しろヨ、少なくとも今は何もするつもりはねぇからヨ。現時点でも相当なもんだガ、あと何年かすれば最ッ高の状態に昇華されるからナ。それまで我慢ダ。

 そういう意味ジャ、今回の事はオマエに感謝してるゼ? 礼と言っちゃ何だガ、1つ助言をしてやるヨ」


 アキリアが開けた道を歩いて、倒れ伏すエルジンにその長い手を伸ばして拾い上げ、無造作に肩に担ぐ。


「耳を貸すナ」

「……ミネアちゃんによろしくね」


 エルジンの扱いに眉を顰めながらも、ベルゼブブの言うところの助言に対して触れる事無く、ただそれだけを伝える。

 それに左手を振る事で応じ、足元を踏み抜いて闇の中に姿を消す。


 残ったアキリアは、ついでのように願ってその荒れ果てた環境を元通りにして、手近な場所に腰掛ける。


「運が良い、と喜ぶべきなのか、運が悪い、と嘆くべきなのか、どっちだろうね。君はどう思う?」

「……後者だな」


 チリンと、澄んだ音が響く。


「マジ最悪だ。1番目を付けられたくない奴に目を付けられた。仲間のアホみたいに軽い口と言い、ここんところツキってもんに見放されてる気がしてなんねえよ」


 チリンチリンと、規則的に音が鳴る。

 その音に併せて足が下ろされ、足音を一切周囲に聞こえさせる事なく男が1人歩いて来る。


「これだけでも責任を放棄して放浪の旅に出たいくらいだが、俺自身も選択を誤るという自分の行動によるミスを犯した。

 焦ってちょっと恐怖心を煽って大人しく逃げさせて、追撃を俺が阻むというのが理想的だったってのに、煽ったせいでむしろ本人の選択を交戦の方向に偏らせる結果になった。

 前々から分かっていた事だが、本当に焦ると碌な事がない。急いては事を仕損じる、だ」


 柄に鈴を括り付けた長剣を腰に下げた、黒髪にくすんだ橙色の瞳を持った男が、アキリアの正面で立ち止まる。


「しかもそれが原因で目を付けられるんだから、救いようがない。身から出た錆、仇も情けも我が身より出る、だ」


 立ち止まった後も、男は自分の剣の柄に手を置き、一定の間隔で鈴を揺らして音を出す。


「ところで似たような意味の言葉に、刃の錆は刃より出でて刃を腐らすという言葉があるんだが、これはつまり、人間は即ち刃であるという解釈で良いんだろうか?」

「君は【レギオン】のメンバーであるという認識で良いのかな?」


 男の何の脈絡もない突拍子な言葉を完全に無視し、簡潔に知りたい事だけを問いかける。

 自分の問いを無視された事を気にする素振りも見せず、男はその問いにニヤリと笑う。


「【レギオン】第2副団長、カイン・イェンバーだ。人は俺の事を【天秤のカイン】と呼ぶ」


 手を柄から離し、両手の手首はそのままに、その先だけを何気なく振る。

 それだけの動作で、まるで手品のように、いつの間にか両手には数枚の銅貨や銀貨といった貨幣が握られていた。


「簡単な問題を1つ。まったく同じ物をある者は軽いと言い、ある者は重いと言う、はした金でも買えてしまう珍妙な代物はなーんだ?」

「人の命。悪趣味な問題だね」


 アキリアの解答に、男は――カインはより一層笑みを深める。

 そして手に握った硬貨を擦り合わせ、硬質な音を立たせた。










 王都では、行方不明者が出る事はさして珍しい事でもない。

 その行方不明者が貴族に連なる者であったとしても同様だ。

 だがそれでも、この日の翌日以降に判明するであろう行方不明者数には首を捻り、血眼で手掛かりを捜すだろう。

 しかしいくら手掛かりを捜そうとも、何も得られない事は想像に難くない。

 何故ならば、当の行方不明者は死体の1つはおろか、痕跡の1つも残さずに消えたからだ。

 何も残す事無く、喰われたからだ。


「ケケケ、無様極まりねェナ、ジン。こうしてオマエが寝ている間に、当のオレはある程度の自由を手にして好きにやっているんだからヨ」


 肩に担がれたエルジンは、当然答えない。

 意識はなく、また鼓動も弱々しく、何より胸に空いた穴からは際限なく血が流れ出て、ベルゼブブの白い肌を赤く染めていた。


「おい姉ちゃん、服も着ないでこんな場所で何をやってんだ?」


 そのベルゼブブに、不幸にも声を掛けて近付く人影が2つ。

 一般人ならばむしろ近付かないであろう容貌をしているベルゼブブに対して、さも当然のように近付いていく2人の顔は真っ赤で、かなり酷い飲み方をしていたのが容易に想像できた。


 哀れとしか言いようがないだろう。

 どこまでも単純に、相手が悪かったとしか言いようがない。


「随分な上玉じゃん。ラッキーだな」

「ほんとにな。つうか、姉ちゃんよ。一体何を肩に担いで――」


 最初に声を掛けた男に、ベルゼブブは開いた左手を振り上げて、頭頂部に乗せて一気に下ろした。

 そして振り下ろされた手は地面にまで達し、石畳にピッタリと張り付く。

 その振り下ろす手の途中にあった筈の男の姿は、どこにも存在しなかった。

 押し潰されたという訳でもなく、文字通り消えていた。


「……はっ? 一体どこに消え――」


 残されたもう1人も、状況を把握できずに同じように消える。

 もっとも、把握できて逃げ出したとしても、結果は変わらなかっただろうが。


「まぁでモ、襲う相手ぐらいは選んでやってるゼ。感謝しろヨ?」


 殆どの者が出歩かない時間帯の街中を、一方通行の言葉を投げ掛けながら歩く。

 そして適当な場所で立ち止まると、肩に担いでいたエルジンを仰向けに降ろす。


「【憤怒】に【嫉妬】、そしてオレという【暴食】。大した甲斐性だナァ、オイ。ある意味じゃマモンの奴よりも欲深いこったナ」


 ベルゼブブが、仰向けになったエルジンの穴の開いた胸に、無造作に右手を突っ込む。

 そして中身を掻き混ぜるかのように動かし、程なくして血で真っ赤に染まった手を引き抜く。


「オマエが悪いんだゼ。3股なんかも掛けるかラ、せめて絞っておけば良かったものヲ、他の奴にも手を出すかラ、こうなるんだヨ」


 引き抜かれた手には、赤黒い、所々から引きちぎれた管が突き出ている、中央に穴の空いたグロテクスな肉塊が握られていた。

 それを見ただけで心臓だと判断できる者は果たしてどのくらい居るだろうか。

 ベルゼブブはその引き抜いた心臓をしげしげと眺めていたが、やがて顔を上に向けて大口を開き、その手に持った心臓をその中に落として咀嚼し、飲み込む。


「ごちそうさン。次に目が覚めた時が楽しみだナァ」












書き終えてからベルゼブブの語尾やら人称やらが全部間違っているのに気付いて修正が大変でした。

一体誰だ、こんな面倒くさいキャラ設定にしたのは。

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