ヌェダ⑧
「ハァ、ハァ、ハァ……」
極度の緊張に晒されて激しくなる鼓動を無理やりにでも落ち着けさせる。
動きがまるで見えなかった。
右眼でも。
おれが薬を取り出して投与しようとした瞬間、アゼトナは妨害しようと距離を詰めて来た。
それ自体に何も問題はない。
既におれの言葉から、おれがユナとシアを撃破できる事を――言い換えれば無能者でありながら能力者との差を埋める術を持っている事が推察できる。そして直後に薬を取り出せば、それがその手段であるという事は容易に推測できる。
そして戦争を経験しているのならば、わざわざおれがその薬を投与するのを黙って見届ける筈がない。
そうでなくとも、ある程度の戦場を経験し潜り抜けたものならば、同じように妨害してくるだろう。
理由は各々で違うだろうが、共通しているのは1つ。
相手に全力を出させない。
だからアゼトナが投与させまいと妨害してきた事に、何の文句もない。おれだって同じ立場ならばそうする。
問題なのは、その動きが一切見えなかった事。
消えたと認識する事もできなかった。
ただ気がついたら、背後に移動を終えたアゼトナが居た。
ほぼ無意識のうちに半歩左へとずれていたおれが元々立っていた位置を軌道上に置いて、アゼトナは背後に抜けていた。
そして右手に持っていた注射器は割れて、中身が右手を濡らしていた。
「……雷化」
アゼトナの戦闘スタイルについて調べる事は容易かった。
そのスタイルを目にした者は隣国に多数居たし、国内でも広く知られているからだ。
アゼトナの固有能力は【雷帝】。
アゼトナの代名詞にすらなっているその能力の運用法の1つに『雷化』と呼ばれるものがある。
全身を文字通り雷そのものへと変えて、雷と同等の速度で移動し、また物理攻撃の一切や大半の魔法を透過し無効化する強力無比な技。
全属性の中で最速を誇る雷属性の魔法でも、あくまで魔法によって無理やり発動させている為に、その速度は自然界のそれよりも圧倒的に劣る。
対してアゼトナの雷化による移動速度は、自然界の雷と同等の速度を誇る。
それに加えて、攻撃の大半を無効化し強大な雷撃を放つその暴虐はまさに圧倒的だ。
雷速で動くのに体力は必要ない。ただ魔力を消費するのみ。
その魔力も、体力より先に切れる事はない。宗家の者として生を受けたアゼトナの魔力量は、シアよりも少ないがユナよりも多い。
例え万単位の軍団を用意しようとも捉える事すら叶わない。
エルンストですら、攻撃が透過されるよりも先に透過するという過程ごとぶった斬るしか無いと手記に書いていた。
それが【雷帝】アゼトナ。
実際今のは死んでいてもおかしくなかった。
直前に無意識に動いていなければ、動いたとしてもそれが左ではなく右であったならば、死んでいた。
動いたのが左側だったから、アゼトナの右腕が無かったからこそ、生き延びる事ができた。
代わりに、投与しようと取り出した薬は壊れた。
ただし、
「そっちは【抑制剤】だ」
後ろ手でこっそりと用意していた【促進剤】を足に刺してピストンを押し込む。
全身の痛みが無かったかのように消え失せて、頭の中には900の数字。
体中に力が漲り全能感が支配する。
自分が直前まで死の恐怖に晒されていた、死の恐怖を感じていたという事を受け入れる。
決してそれを塗り潰したりはせず、蓋をして大切にしまい込む。
恐怖は大事だ。それを感じなければ死を回避する事ができない。
ただ今は忘れる。また迫った時にだけ思い出せるように、そっとしておく。
背中に手を回し、同時に右眼だけで世界を見る。
魔力を視認する。
「――ぁあっ!」
そして身の丈ほどの大剣を取り出し、振り下ろす。
手には水を斬ったかのように軽い、しかし空を斬ったのとはまるで違う手応えが伝わってくる。
そして反転し相手と向かい合うと、アゼトナの着るコートの前面部が大きく裂けてその下の衣服も斬れているのが見えた。
「……魔剣か」
自分が雷化しているのにも関わらず斬撃を浴びたという事を理解し、そしてその結果を齎したものが何なのかを理解する。
だが1つ気づいていない。
どうやって雷化した自分に、おれが斬撃を浴びせられたのかを。
いくら雷化して全身が雷になろうが、元々が人間であり、肉体が変じても感覚は人間のそれだ。
例え雷速で動けたとしても、細かな制御は利かない。本人的には僅か数センチ程度の誤差であっても、雷速での移動ならばそれが数メートル数十メートルの誤差になる。
それではただ進めば良いならばともかく、戦闘では到底使えない。
アゼトナはその問題を、あらかじめレールを引く事で解決している。
そのレールの正体は、アゼトナの魔力で生み出された細い糸。
それを自分が進むルートと同じように張り巡らせて、あとは雷化してそのレールに嵌まるように動くだけ。
1度嵌まれば、後はレールが勝手に自分の体を導いてくれる。
そして自分は移動以外の行為――主に攻撃に集中できる。
おれの感覚ではその糸のように細く薄弱なレールの位置を捉える事はできない。
どうしたって漠然とした位置までしか分からない。それでは満足のいく対応はできない。
だから代わりに見る。
魔力を視認できるおれの右眼には、真っ白な紙に引いたペンの線の如くハッキリとレールが映っていた。
後はレールを先回りし、タイミングを合わせて剣を振るうだけ。
実体の無い相手でも【暴食王】の権化たる剣は、雷化という状態を齎しているアゼトナの全身に浸透している魔力を触れた側から喰らい、実体化させる。
とはいえ、ただ斬るだけでなく喰らうという余計なプロセスを要する上に、その雷化に費やされている魔力量が膨大な為に、例え一部だけであっても喰い切るのに時間が掛かりダメージは大幅に落ちる。
だが実体に触れられる、僅かでもダメージを与えられる、この事実が大事だった。
少なくとも自分に牙を届かせる術がおれにはあると、相手に知らしめる事ができた。
「……そう言えば、無能者は魔力を察知する術に長けていたのだったな。危険から遠ざかってこそこそと生き延びる為に」
「エルンストが情報源ですか、父上? ですが隅をこそこそと這い回るだけの虫にも毒はあるという事を、ついでに知る事はできなかったようで」
周辺に魔力が満ちる。
360度全方位、空中も含める3次元空間の至る所にレールが敷き詰められる。
このレールは術者であるアゼトナが触れていれば、そこから勝手に魔力を供給する。
そして供給源が離れたとしても、数分間はその場に維持できる。
どのレールも連結していて、どこからでも襲って来れる。
先読みはほぼ不可能。
なら、自分から動いてルートを絞る。
いくら数が増えようが、レールが固定されている以上はおれの位置によって事前に利用するレールを選ばなければならない。
その為ルートを絞ってしまえば十分に対応できる体勢を整えられる。
そんな単純な訳がない。
「包囲したと思えば――前だッ!」
ちょうどルートが左右の2つに絞られる位置に移動し、剣を突き刺して盾にする。
眩い光と轟音を伴った、砲撃と表現した方が正しいような雷撃が直後に俺を飲み込む。
ベルが喰い切れなかった分が後方に流れていき破壊を齎し、雷撃の余波が絶縁体の衣類に軽減されておれの全身を襲う。
こういう時は無駄にデカいこの剣身が役に立つ。
「次は上だ」
周囲を包囲されれば、誰だって死角から襲って来ると思う。
だからこそ敢えて正面から襲う。
意表を突いて正面から襲えば、誰だって油断なく360度警戒をする。
だからこそ意識の外の上から立体的に襲う。
上空には紫電を纏い定期的に耳障りな音と共に微弱な放電を行う、拳大ほどの雷球。
詳細は分からないが、碌なものではない事だけは確か。
その場を退避した瞬間にそのうちの1つが接地。閃光を撒き散らしながら周囲に一斉放電を始める。
放電の時間はおよそ2秒。触れれば人間程度は用意に黒焦げになるエネルギーを内包していた。
「クソがっ……」
ジグザグにいくつものレールに乗り換えながらの強襲。回避に手一杯で到底反撃までは望めそうになかった。
そうでなくとも、上から降って来る雷球を喰う際には感電もオマケで付いてくる。
1発1発は微々たるものだが、痛みよりも先に腕が痺れて来る。
絶縁体の衣類でなかったら、今頃は感電死体か、そうでなくとも動けなくなっていただろう。
そうして雷球ばかりに気を取られていれば、すぐさま絶えず雷速でレールの上を走るアゼトナが自分の体から発生させた雷撃を見舞ってくる。
それらを時には回避し、時には剣で防ぐ。ベルが居なければとうに死んでいる。
とにかく回避に徹する。いや、逃げと言った方が正確だ。
ユナとシアとの戦いのような、誘導の為の偽りの逃亡ではなく、死なない為の本気の逃亡だ。
「ハッ、ハッ、ハッ、ハハッ、ハハハッ……」
激しい運動で上がっていた息に、笑いが混じる。
「ハハッ、ハハハッ……た、楽しいぃっ!」
出てこようとする死の恐怖を押し留める。
蓋をしてあくまでしまわれた状態にしておく。
その上から楽しむという重石を乗せておく。
『出し惜しみしてたら死ぬゾ!』
「言われるまでもない!」
もう1つ【促進剤】を取り出して腕に刺す。
最初の投与から5分も経ってない。だが1.5倍程度じゃ足りない。
カウントは420に減る。だが漲る力は増大する。
視界のあちらこちらに入り組んだ細い糸の上を飛び回る、人間を靄状にしたような魔力の塊が辛うじて眼に映る。
それまでは眼で追えないどころか、眼に映る事すらなかったそれが辛うじて眼で追えない程度に映り込む。
それが僅かに速度を落として雷撃を放つ瞬間が見える。
「ラァッ!」
上空から降って来るそれを、斬った瞬間に剣を地面に食い込ませる事で僅かな感電も許さず完全に防ぎ切る。
レールは細く薄弱で脆いが、簡単に張り直せる。喰うだけ無駄だ、むしろ余計にエネルギーを消費する。
だから雷撃と雷球を防ぐ事に終始する。
先程までの限界ギリギリの戦いじゃなくて、辛うじてだが紙一重で回避する危なげない戦いにシフトする。
でもまだ劣勢である事に変わりはない。
さりげなくだが、相手はおれを誘導している。
へし折れた街灯がいくつも倒れ、破裂した水道管が剥き出しになり、一面水浸しとなった場所へと。
水は当然電気を通す。
水場に誤って入ってしまえば、感電させられて終わりだ。
水道管内を通っているのが魔法によって無から生み出された純水ならば良かったのだが、水を引き寄せるシステムはともかく、実際に使用されているのは天然の水だ。濾過されているとは言え、当てにはできない。
だが……
「虎穴に入らずんば虎子を得ず、だったか。誰だったけなぁ、言ってたのは!」
爆発が起こり、爆風が頬を撫でる。
ユナとの戦いにも使用された、事前に埋め込んであった無数の癇癪球。
その大半は爆発し消えたが、一部は幸運にも水に塗れて不発になった。
その不発弾に、雷化したアゼトナという高エネルギー体が触れれば嫌でも起爆する。
「爆風や鉄片は防げても、熱は防げねえだろ」
魔法で放つ炎と違い、わざわざ捕捉する必要はない。勝手に向こうが至近距離で起爆してくれるのだから。
致命傷にはなり得ないが、ダメージにもならないだろう。
だが対抗策が剣だけでないと、その認識を植えつけられれば上々。
そこにさらに上乗せをする。
一瞬動きの止まったアゼトナに向けて、取り出したナイフを投擲。
尻に括られたワイヤーの反対側には、癇癪球。
それを目敏く見付けたアゼトナは、ナイフが到達するよりも前に雷撃を放って手前で起爆させる。
爆風によって巻き上げられた砂塵が煙幕の役割をしているところに、今度はやや遅く、純粋にナイフのみを投げる。
「癇癪球の起爆条件は、一定以上の刺激を受ける事だ」
アゼトナはそれを回避しない。透過させられるから、無意味な動きはせずに距離を詰めようとする。
それを見る。
右眼で視る。
手持ちの癇癪球を観た眼で観る。
アゼトナではなく飛んで行くナイフをミル。
「言い換えればそれは特徴だ。その特徴を持たない奴からすれば、あるいは妬ましいよな」
ナイフの切っ先がアゼトナの体に触れる。
高エネルギーの塊であるアゼトナの体に触れて、爆ぜる。
「ぬぁッ……!?」
「ゼロ距離での爆熱だ。良い感じにモツ焼きが仕上がったか!?」
右眼が痛む。眼球から眼軸にかけて酷く痛む。
その瞳の赤い色は出血によるものだと錯覚してしまう程の痛みが走る。
そんなものは無視しろ、あって当然の代物だ。
「どんどん持たない物に移し変えろ。【嫉妬王の眼】」
レヴィアタンは嫉妬の大罪王。
嫉妬とは、自分よりも優れたものを妬む気持ち。
言い換えれば、持たざるものが持ちしものを羨み同じ立場に引きずり落とそうとする気持ち。
とあるものの特徴を見て確認し、保存したそれを別の見たものに移し変えるのが【嫉妬王の眼】。
人間の範疇に留まらない動体視力や、魔力の視認など副産物でしかない。
他者の持つものを妬み、それを毟り取りながらも己のものとはせずに別のものに移し変えるのが嫉妬の大罪を犯し者の本質。
「ぐぅ、おの、れ……!」
投擲したナイフを、癇癪球の有無を問わずに雷撃で消し飛ばす。
もっとも、付属の癇癪球は既に空っぽだ。爆発する事もない。
「ナイフだけじゃねえよ、ユナは気付いたぞ?」
「ぐぁッ!?」
レールに対抗するように、事前に張り巡らされたワイヤー。
その大半が、触れれば起爆する爆弾だ。
「クソッ……!」
右眼が疼き激しく痛む。人間の体で大罪王クラスの魔族の臓器を扱うには荷が重いが、閉じる事は許されない。
常に見る。前後左右、上空に至るまで。
雷球は降り尽くしたか、眼に見える限り1つも見当たらない。再びアゼトナが上空にバラ撒かない限り、新しいのは降って来ないだろう。
ここが正念場だ。
この仕掛けで、どれだけ削れるかが問題だ。
『やり過ぎダ、アホ! 出し惜しみするなとは言ったガ、無限に使える訳じゃねえんだゾ!』
当然心臓と同じように、右眼だって対価を要する。
その対価は、心臓と同じ魂だ。
その本質を使用するたびに、維持している間に、少しずつ魂は削られていく。
心臓と違うのは、その元の持ち主が生きていて、削られた魂がそいつの元に行く事だ。
つまり、2度と戻って来る事はない。
「だったら、お前が今までくすねて来た分を返せ」
『それやったところデ、使い続ければ同じ事だロ!』
四方八方からの爆発が止まる。
移し変えていたもの全てが起爆したか。
煙が晴れて、やや肩を落とした状態で立つアゼトナの姿は、一見無傷に見える。
だが激しく咳き込んでおり、肩で息をしている。
果たして内臓まで無事かどうかは保証できない。
「後は、小細工抜きだな」
右手だけで剣を持ち、半身に構える。
おれを鋭く見据えたアゼトナと距離を取る為に、数歩下がる。
そして踵が倒れていた街灯に当たり音が鳴ったところで止まる。
「ダメージを負ったその体で、元通り雷速の動きができますかね、父上?」
「ハァ、ハァ……」
ギリッと、歯が噛み締められる。
それでも怒りに支配されず、レールを張り直す。
平静さを失ってくれれば良かったが、その辺りは老練さで上回る相手に期待はできない。
「……忌々しい。あの無能者も、貴様も」
アゼトナが右腕の断面に手を添える。
「実に忌々しい限りだ!」
アゼトナがレールに乗って移動する。
そして、消える。
「…………」
レールは維持されたままだが、その上を自在に走り回ってる訳ではない。
視界の隅に映る事なく、消え失せる。
そのまま1分、2分と貴重な時間が過ぎていく。
「まさか、逃げた――」
「下だ、愚か者」
フッと緊張を解いた瞬間足首を誰かに掴まれ、全身に電流が駆け抜ける。
「あ、がっ……!?」
右手から剣が零れ落ち、視界が眩んで膝をつく。
そこで首を掴まれ、宙吊りにされる。
「随分と、手間を掛けさせてくれる。小細工ばかり弄しおって。その点はあの無能者とは違ったな」
聞こえるのはアゼトナの声。
眩んだ視界を押し開けると、朧げながらもおれの首を掴んで持ち上げるアゼトナの姿が見える。
「だが、小細工も尽きたな。これで終わりだ」
「お……はっ……えだ……!」
アゼトナのやった事は理解している。
電気をよく通すものとして連想しやすいのが水だが、それ以上に電気を通すのが金属だ。
そしてアゼトナは、雷化状態ならばその電気を通す金属に潜む事ができる。
レールの終着点を、おれの足元の街灯に設定したアゼトナはそのまま街灯に潜り込み、おれが隙を見せるのを待っていた。
そして緊張を解いた瞬間に腕だけを出して、足首を掴んでおれを感電させた。
それが来る事を事前に予測していれば、耐えられる。
絶縁性の衣類で威力の減殺された電力ならば、覚悟して歯を喰い縛れば落ちる事に耐えられる。
それでも全身の痺れに堪らず剣を落とせば、相手は好機とみる。
おれは道具に頼るのみで、おれ自身の雷化に対する対抗策を持っていないと。
舐めるな。
素手喧嘩上等。元よりそっちが本命だ。
抵抗するように、右手で首を絞める相手の手首を掴む。
そして半身になって隠していた、左手を持ち上げる。
「終わりなのは、お前だよ!」
「なっ!?」
相手を触れる時は、掴む時は実体化せざる得ない。
その瞬間に、隠し持っていた【促進剤】を相手の手首に突き刺して中身を注入する。
「ガ、ァアッ、ガァァァッ!?」
濾過細胞の穴が塞がり、魔力が体を蝕む。
全身から紫電を発生させながら、苦しみ始める。お陰で拘束が緩んで脱する事に成功した。
だがその状態でも、魔法は使える。
必然的に魔力循環も可能だし、能力だって使える。
だが雷化だけは不可能だ。
全身を雷化状態にする為に魔力を浸透させようにも、穴の塞がった濾過細胞がそれを阻む。
間髪入れずにもう1本【促進剤】を取り出して、針を首に刺して薬液を押し込む。
カウントは180に。それが残り時間。何の問題もない。
代わりに全身から痛みが消える。全身から痺れが取れる。
実際には無くなった訳ではなく、感じなくなっただけだ。
それでも、自由に動かせる。
「あああああああああああっ!!」
ようやく作り出せた、大きな隙。
隙だらけなその姿を、右眼で見る。
見て、左の拳を肝臓の辺りに叩き込む。
「ぐあっ……!」
打ち込む拳は、中指の第2関節を突き出して作った、より点に衝撃を集中させる1本拳。
右眼でくの字に折れ曲がった相手の体を見て、タイミングを計る。
脳を高速回転させてスローになった光景を観察し、タイミングを見極めて次の右拳を丹田に。
タイミングを計り、左の拳を右腎臓に。
水月、人中、左腎臓、眉間の順に拳を左右交互に、タイミング良く打ち込んでいく。
そして最後に、心臓に、打ち込む。
「【無拳】!」
成功を確信し、技名を口にする。
それ自体に意味は無いが、口にする事で技の効果が上がる気がする。
勿論錯覚だが。
「ガッ、ハッ……な、何、が……!?」
8連撃を受けたアゼトナの身体からは、紫電が消えていた。
「どうだ、あれだけ蔑んで見下していた、無能者になった気分はよ!」
無にする拳で、無拳。
もう1つの意味は、相手を無能者にする拳。
それが【無拳】だ。