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ヌェダ③




 着る服は防刃性と防火性、そして絶縁性を併せ持った繊維で作られたものに。

 服の下にはナイフを固定したベルトを、普段のように1箇所にではなくナイフが体の要所を覆うように分散して巻き付ける。

 ナイフ以外の、ワイヤーや癇癪玉といった暗器類は必要だと思える物だけを選び、最低限の量だけを持つ。それでも大分多いが。

 重要な切り札の1枚となる【促進剤アッパー】は、万が一割れた事も考えて予備も含めて5本、腰や懐、腿になど1本ずつ分けて持つ。それは副作用を抑える【抑制剤ダウナー】も同様だ。


 【ヌェダ】を受け取る側は場所を選べない代わりに、指定の日時までに指定された場所を自由にできる権利がある。

 勿論その自由は法に触れない範囲であり、例えば森を指定されたとしてその森を焼き払うなどすれば問答無用でウフクスス家に捕らえられて不戦敗にされるが、逆に言えば法に触れない範囲であれば何をしても許される。

 普通【ヌェダ】を受けるような者は誇りを重んじる者が殆どなので、せこい小細工などしたりはしないが、おれにはそんな誇りも倫理観もない。

 与えられた権利は存分に使わせてもらう。


 綿密に計算して導き出した解に従って、ブービートラップを設置していく。

 また相手に直接危害を加えるものではないが、自分にとって優位に働く仕掛けも同様に。

 それを粗方終えれば、後は時間を待つだけだ。


『思ったほど大した事のない下準備だナ。これならオレと戦った時ヤ、2年くらい前の古代竜と戦った時の方が物々しかったんじゃねェカ?』

「1日でできる準備じゃこの程度だ。

 そしてお前と戦った時はおれから攻め込んだ分事前に罠を仕掛けてないから、今回の方が事前準備という点で言えばあの時よりも入念だ。

 さらに付け加えて、2年前の時は今回よりももっと入念な準備をしていた。嫌な事を思い出させるな」

『あれだけ準備して挑んだの最後は無様に逃げ帰ったもんナ』

「確かに思い出すだけで最悪な思い出だが、あれはあれで良い経験になった。

 あれだけ若い個体であっても、大罪王に近い力があるらしいんだからな。おれがお前に勝てたのはお前が弱っていたからだって、あれで実感する事ができた」


 おれが無能者でなければ、そして案内する為について来てくれた妖精たちの協力がなければ、あのまま逃げる事は不可能だっただろう。


「あの時のおれは少しばかり驕っていた部分があったからな。エルンストが勝ち切れずに閉じ込めるだけに終わったと聞いたお前に勝って、少なくとも20年前の時点のエルンストを超えたってな。

 ところが実際は、お前はエルンストと引き分けて消耗していたところを閉じ込められて、しかもそのまま存在すら素で忘れ去られて20年近く経っていた為に飢えに飢えて、良いところが全盛期の3割の力しか保持できていなかった。

 結局おれは、若い頃のエルンストすら超えられていなかった訳だ」


 いま思い返せば、根拠のない確信を抱いて大喜びしていた自分が恥ずかしくて仕方が無い。


『そんなに気を落とすなヨ。一応今のオマエなラ、最弱の【嫉妬王レヴィアタン】相手になら10分くらい善戦しながら持ちこたえられると思うゼ?』

「どの道勝てないのな。つか、さりげなくレヴィアタンをこき下ろすなよ。どれだけ仲が悪いんだ」

『生理的に気に喰わねぇんだヨ、あの野郎はナ。他人の長所ばかり妬んで移し替えるような真似ハ、見てて不愉快ダ』

「そう言うお前の【暴食】も碌なもんじゃねえよ」


 時計の秒針が、そして長針が、また1つ、また1つと時を刻んでいく。

 指定された時間まで、残りはあと僅かだ。


『フンッ、先に行っとくがナ、ジン。死ぬんじゃねェゾ』

「保身か?」

『当たり前ダ。オマエに死なれるとマジで困るからナ。なんセ、足が無くなるからヨ。どうせ死ぬなラ、せめて魔界で野垂れ死んでくれヨ』

「なら、そうならないように力を寄越すんだな」

『ケッ、まったく踏んだり蹴ったりな人生――いヤ、魔生だったカ。あの自称死神のガキに喧嘩を吹っ掛けられて受けて立ってかラ、碌な経験してねェゼ』

「エルンストは自分で死神を名乗ってた訳じゃないけどな。ま、エルンストに目を付けられたのが運の尽きだ」


 長針がさらに時を刻む。指定の20時まであと3分を切る。

 そこで濃密な魔力が感覚に引っ掛かる。右側から1人、左側からもう1人。

 両者共に入って来た場所こそ違うが、真っ直ぐに噴水前を目指して歩いている。

 そして秒針が3周し終えて20時を回った瞬間に、ちょうど両者が顔を合わせる。


「……え、何で居るの?」

「きゃっほー、ユナちゃん。来ちゃったよ」


 右側からは、これから【ヌェダ】に望むという事に対して相応しい緊張感を持ったユナが。

 対して左側からは、これから【ヌェダ】に望むのにはおおよそ相応しくない軽快なテンションと足取りのシアが。

 ちょうど中間地点におれを挟んで対面する。


「来ちゃった、じゃなくて、何でここに居るのかって――」

「『複数の者が同一人物に対して同日同時の指定で【ヌェダ】を申請した場合、申請した側と申請された側に分かれて同一の【ヌェダ】と見なして執り行う。

 尚、それは複数の者が複数の者に対して同日同時の指定で申請した場合も同様である』――神国貴族法典第116条並びに同条追加事項より。

 いつどこで使うか分からないから、面倒でも頑張って覚えておくものだね、ジン兄!」

「……そうだな」


 ミネアめ、一体何を吹き込んだ。

 大体想像は付くが。


「……エルジン=ラル・アルフォリア」

「そんな名前も名乗ってたな」


 質問というよりは確認のようなそのユナの言葉を、おれは肯定する。

 今さら隠し立てする事に意味はない。

 おそらくはミネア経由でシアは確信しているし、理由は分からないがユナもまた確信している。


「一応参考までに、どうして気付いたのか聞いても良いか?」


 無能者の色素の変化はあり得ない。

 右眼なら移植で説明が付いても、髪の色までは説明が付かない。

 別にバレても問題ないが、だからと言って原因を究明せずに放置して置くのは馬鹿のやる事だ。


「……前に戦った時、聞こえた」


 ところが、いざ聞いてみれば返って来たのは、拍子抜けするような答えだった。


「わたしの能力で作ったものは、攻撃だけじゃなくて音も運んでくれる。その時に聞こえた」

「……そうか」


 ならばおれの注意力不足、おれのミスだ。

 以後気を付ければ良い。

 以後があればの話だが。


「因みに私はミネアちゃんから聞いたよ!」

「知ってる」


 あいつが裏で色々と動いた結果だろう。まさか暴露されるとは思わなかったが。


「でさでさ、色々と聞きたいんだけど――」

「シアちゃん」


 親しみのある呼び方で、だが声だけは剣呑さすら漂わせたもので言葉を遮る。


「シアちゃんはここに何しに来たの?」

「……【ヌェダ】をする為に」

「なら、無駄口は必要ないよね。相手が誰だかなんて関係ない。戦うか、それとも傍で見ているか、どっちか選んで。それとも先にわたしと戦う?」

「……ううん、やるよ。ユナちゃんと一緒に戦う。親友だしね」


 ユナの纏う空気は、剣呑という段階をかなり前に通り越している。

 辛うじて敵味方の区別は付いているようだが、少し踏み外せば見境無く暴れかねない。それほどまでに胸中に激情が渦巻いている。

 おれを知ってから今まで、日常では余程自制していたらしい。抑圧されて溜まりに溜まった鬱憤が、ここに来て迸っている。


 どうしてそんな事が分かるか。

 簡単な事だ。

 ちょうど1年前までのおれも、似たような状況にあったからだ。


 無能者の妹という立場で受けた仕打ちは、幼かったユナに暗いものを抱かせるのに十分だっただろう。

 そしてその苛立ちや怒りをぶつけようにも、既におれは追放された後。行き場の無いそれと折り合いをつけるのには相当な時間と苦悩を要した筈だ。

 そうこうして折り合いをつけたところに来て、ぶつける相手が見付かった。

 それによって、折り合いをつけたそれが再燃して溢れ出している。

 おれがエルンストの仇が5大公爵家に属する者たちであると知った時と、内容こそ違えど状況は同じだ。


 それを身勝手と責めるかどうかは、人によりけりだ。

 だが少なくとも、ユナのそれをおれは非難するつもりも否定するつもりもない。

 ユナの抱くそれは紛れもない正当なものであり、おれに対して向けられて当然のものだからだ。

 だからこそ、おれはユナに対しておれの個人の感情ではなく、ただおれの目的の為に戦う。

 だからこそ、おれは平静を保てている。

 それこそがおれとユナとの大きな差であり、おれにとって優位に働く点だ。


「それじゃあもう20時を回ったし、早く始めようか。薬を使うなら、待つから使えば。それとももう使ってたりする?」

「いいや、使わないさ」

「……舐めてるの?」


 怒気と殺気が絶妙にブレンドされたものを叩き付けられる。

 だが、おれは別に舐めている訳じゃない。

 前回使ったのは、既に遭遇前に投与しておりタイムリミットが差し迫っていた為に延長を目的にしていただけだ。

 だから今回は使わない。単純に使う必要が無いというのもあるし、使えないというのもある。

 この後には、メインディッシュが控えている。その前に投与してしまえば味わう前に効果が切れて、満足に動く事も許されない。

 しかしそんな事を知る由もないユナからすれば、舐めていると見えても仕方ないだろう。


「使って欲しければ、使わせてみろよ」


 ユナの発言はおれを舐めての事じゃない。

 前回は薬を投与したおれに敗北した。だからこそ、それを払拭する為にもおれに薬の投与を求めている。

 だがおれからすれば、そんな個人の都合に付き合ってやる理由は無い。


 それに、あくまで使わないのは薬だけだ。

 他の手札は、遠慮なく切らせてもらう。


「そっちこそ、他の血は無くて大丈夫なのか?」

「……いいよ。そっちがそのつもりなら、こっちもその通りにやらせてもらう。その代わり――」


 懐からナイフを取り出す。

 貴族らしい銀製の物だが、デザインは貴族らしからぬ実用性に富んだもの。

 それを右手の手首に押し当て、押し込みながら横に引く。

 動脈が切断され血が溢れるが、それらは1滴も地面に零れる事無く不自然に手首の上に留まり続ける。


「死んでも知らないよ」


 液体だった血が赤い鋭利な結晶となり、それをナイフのように投擲してくる。

 数は5つ。そのうちおれを的に捉えた3つを剣で叩き落す。

 結晶は剣に触れた瞬間に元通りの液体に戻り、地面に落ちたきり沈黙する。

 だが残る2本は俺を素通りして背後に抜けた瞬間に液体に戻り、細長い針に形状を変化させておれを背後から貫こうとする。


 それらを屈んで回避した瞬間、感覚が跳ぶ。


「私も居るよ!」


 屈んでいたところに躍り出てきたシアの顔面蹴りが飛んで来る。

 それを左手で受け、体勢を戻しながら引っ張ろうとするも、その前におれに受けられた左足を支点に体を持ち上げたシアの右の蹴りが飛んで来る。


「【尖剣生成】」


 地属性の魔法が発動し、シアの手には60センチ前後のエストックが握られる。

 直後に再び結晶の刃が飛来し、それを回避した瞬間に感覚が跳び、視界からシアの姿が消える。

 視覚ではなく魔力探知能力にて行方を追うとすぐ背後に移動しており、それを探知した瞬間に左の腎臓の辺りでガキンと金属音が響いて衝撃が襲う。


「……ありゃ?」


 動きが止まったシアに向けて剣を振るい、捉え損ねるもエストックを半ばから切断する。

 体の要所を覆うように仕込んでいたナイフが、さっそく鎧代わりとして役割を発揮してくれた。


「ふむ……」


 シアの固有能力――【時間支配】は、シアの言葉を鵜呑みにするのならば効果範囲は彼女を中心に半径10メートルで、尚且つ止めていられる時間は体感時間にしておよそ2秒。

 その言葉をそのまま飲み込むのは馬鹿のやる事だとしても、齟齬から偽りだと察せられないようにある程度は真実を元に作られていると仮定する。

 少なくとも最初の時点でおれとシアとの距離はぎりぎり10メートル以内であり、またそれくらいの距離なら2秒で詰める事は十分可能だ。

 この時点で範囲と効果時間の真偽を断定するは殆ど不可能だ。

 そして一方で、2回目の時を止めた時におれを止まっている最中に貫かなかった事から、範囲内の時そのものを固定しているというのは真実と見て良い。


「ベル……」

『ビンゴ。停止している最中でモ、オマエの言う通りオレの意識はあったゼ。喰ったからナ』


 地面に落ちていた血が震え、引っ張られるように独りでに動きユナの方へと伸びていく。

 そのまま手首の傷口の中に潜り込み、何事の無かったかのように改めて外へと流れる。

 その流れ出た血を手のひらに集めて、ユナが右手を大きく振り被って振り下ろす。

 その場を素早く退避した直後に、おれが立っていた場所の石畳に蜘蛛の巣状の亀裂が走る。右眼が捉えたのは、伸縮する細い血の鞭が地面を叩く様。


『でもッテ、やっぱし範囲内の時間自体を固定している訳だかラ、オマエがマヌケな格好で止まるのを防ぐのは不可能だナ。オマエ自身が対象な訳じゃねぇからヨ』

「そうか……」


 予想通りとは言え、厄介な能力だ。

 だが、予想通りである以上は対策ぐらい立てている。


「【心臓】を使う。補助しろ」

『分かったヨ』


 面倒くさそうな声が響くが、やる事はやる為文句は言わない。


「【鉄剣生成】」


 そうしているうちに今度はシアは、手に細身の剣を生み出して距離を詰めて来て、


「【無空】」


 おれの周辺を真空状態にする。

 ほぼ同時に呼吸を止めたところで感覚が跳び、左側から迫って剣を振るってくる。

 ほぼ同時に右の上方からは、挟み撃ちするように血の鞭が撓りながらおれに振り下ろされる。

 それに右手で剣を掲げて鞭をただの血液に戻すと同時に、左手で剣を振るおうとしているシアの手首を掴んで引っ張り地面に倒す。


「【炎々螺】」

「【無空】解除」


 ニヤッ、としてやったりと言わんばかりの笑みを浮かべてシアがおれの手首を掴む。

 直後にユナが螺旋状に渦巻く炎を、シアが真空空間を解除するかしないかのタイミングでおれの周囲に発生させる。

 結果、真空状態だった空間に周囲の空気が埋め尽くさんばかりに取り込まれ、弱々しい火を爆発的に燃焼させる。


「チッ――!?」


 そして爆発が起き、熱波がおれを炙る。

 シアはご丁寧に解除の際に自分の周辺の真空だけを残しており無傷。

 対するおれはシアが掴んでいた左手以外に炎と熱を浴びる羽目になった。


 不運だったのは魔法によらない現象だった為に喰らう事ができず、至近距離でもろに浴びてしまった事で、幸いだったのは火種そのものが小さかった為に爆発の規模はそこまで大きくなかった事と、着ている服の耐火性のお陰でそこまで酷い被害を受ける事は無かった事だ。

 だが至近距離での爆音に三半規管が襲われ、視界が僅かに揺らぐ。

 そこでまた感覚が跳び、シアが姿を晦ます。


 跳んだ先の感覚が捉えたのは、やはり背後。

 空を切る音が聞こえ、肩口に剣が衝突する。

 服の防刃性を嘲笑うかのように斬り裂き、その下の皮膚を、脂肪を、そして肉の表層を斬ったところで刃が阻まれて外に抜ける。


「堅ッ!?」


 その複雑な手応えは想定外だったのだろう。大袈裟な声を上げるシアの姿は隙だらけで、振り向き様の斬撃に咄嗟に剣を入れたのは良かったが、踏ん張り切れずに吹っ飛ばされ、剣が派手な音を立てて折れる。


 追撃を掛けようとしたおれの右眼に、不審なものが映る。

 ほぼ反射的にその場に伏せたおれの頭上を、右眼でも辛うじてしか捉えられない程の猛スピードで血が通り過ぎる。

 それは唸り声を上げながら楕円を描くようにおれの頭上を通り過ぎた後にユナの手元へと戻る。


 派手な音を立てて、おれの背後にあった噴水が地面から水平に真っ二つにされて滑り落ちる。

 さらにその向こう側に広がっていた、等間隔に植えられていた木々もやはり地面から水平に切断されて滑り落ちる。

 それらのどの切断面はかなり荒々しく、まるで斬れ味の物凄い得物で力任せに叩き斬ったかのような印象を覚えさせられた。


『一応言っとくガ、アレは受けるなヨ』

「言われるまでも無い……」











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