ヌェダ①
「ちょっと良いかしら?」
腕の傷は抜糸も終わり、完全に癒えた。心臓の不調もここ数日でほぼ落ち着いている。
自分の状態を確認して、そろそろ動き出す頃合いかと考えていたところにアルトニアスが話し掛けて来る。
「あんた、何かした?」
「……何か?」
「本家の――オーヴィレヌ家があんたを抹殺しようか本格的に検討しているって話よ。もし正式に決定したら、学園に在籍しているそういう仕事に既に就いている者を中心に動くって言ってたわ」
いつも通りの理由の分からない突っ掛かりかと思えば、思いの外真剣な話で少し驚く。
「……いや、特にこれと言った明確な理由は思い当たらないな」
正確には思い当たる理由が複数あって絞れないのだが。
「そう。なら気を付けようがないと思うけど、それでもしばらく身の振り方は考えた方が良いと思うわよ。
今までも一部にそれとなく同じような事は言っていたらしいけど、ここに来て学園に在籍している全員を動員しででもやろうなんて話になってる。
今はまだ検討中だから良いけど、何かしでかしたらそれこそ本当に可決されて現実のものになるわよ」
「一応頭には入れとく」
考えられる中で最も可能性が高いのは、やはり先週あたりから本格的に始まったアルフォリア家に対する責任追求問題が関係している事だ。
オーヴィレヌ家はウフクスス家とは折り合いが悪いのは有名で、それに隠れている為にそこまで知られてはいないが、アルフォリア家とはそれなりに良好な関係下にある。
軍事関係の一切を取り仕切るアルフォリア家にとって、裏方の仕事を引き受けるオーヴィレヌ家は切っても切り離せない為だ。
そのオーヴィレヌ家からすれば、5大公爵家の中でアルフォリア家の立場が悪くなるのは余り都合が良くないだろう。
何せ、元々の立場が5家の中でもドン底だ。
そこに唯一の繋ぎのアルフォリア家も堕ちてくれば、都合が悪くなるのは当然の事だ。
だが、アルフォリア家の責任追求が行われているその真っ只中に、エミティエスト家の管理する学園でおれというゾルバ推薦の立場を持つ者が死ねばどうなる?
少なくとも、アルフォリア家に対する追求の目はエミティエスト家にいくらか逸らされるだろう。
オーヴィレヌ家にとって、証拠を残さず秘密裏に始末する事はお手の物だろう。そして証拠がなければ、無能者を憎む者が多数入り乱れる学園内での出来事だ。いくらでも仮説を乱立させて疑わしい者を片っ端から挙げていけば良い。
「つか、お前はそんな事をおれに話して良いのかよ?」
「問題ないわ。私は元々は神殿出身だから、どうもオーヴィレヌ家のやり口って好きになれないのよ」
神殿も碌なものじゃないだろ――そう言い掛けて、こいつは10年近く見習い止まりだったのを思い出す。
さすがにそんな立場では、裏側の汚い部分は知らなくても仕方が無いだろう。
「とにかく、忠告はしたわよ」
「ああ、礼を言う」
「べ、別にあんたの為じゃないわよ!」
「なら何でわざわざ話したんだよ」
「……おかしいわね。こう言えば効果的って書いてあったのに」
「一体何に書いてあったんだよ」
そして何が効果的なんだよ。
どう考えても人間関係を拗らせるだけだろうが。
「……まあいいわ。もし怪我か何かしたら、私の所に来なさい。手当てぐらいはしてあげるわ」
「一応覚えておく」
――と、そこで射抜くような視線を感じる。
ここ最近慣れ切ったその感覚に、少しばかり溜め息を吐きたい気分で視線の飛んで来る方向を見る。
そこに居るのは、やはりと言うかユナだった。
おれが視線を向けると即座にソッポを向くが、体から発せられているおれに対する敵愾心は隠しようもない。
おれの腕が完治するよりもさらに前から首の傷は塞がって跡すら残っていない。だが傷跡が消えてもおれに追い詰められたという記憶は消えないようで、あの日以降こうして時折殺気すら滲ませた視線を向けて来ていた。
「……ん?」
普段ならばそれで終わりで何もありはしないのだが、今回は珍しく一端ソッポを向いたユナが視線をチラチラと再び向けて来る。
「何だ……?」
傍から見ると挙動不審極まりないユナの行為だったが、まるで意味が分からない。
おれに視線を向けている以上はおれが関係しているのだろうが、その理由も分からないし考えるだけ無駄な気がするので、さっさと荷物を纏めて寮に戻る。
「…………」
ところが、いざ寮に戻り自室の扉を開けると、どうしてユナが視線を何度も送って来たのかが分かった。
光沢のある複雑な意匠を凝らされたカードサイズの厚紙が、ドアの隙間から差し込まれていた。
カードには5本1セットの棒の集合体が計4つ書き込まれており、その下には紛れもないユナの筆跡で『中央公園噴水前』という文字が。
その更に下には21日という日付が書き込まれている。
「今日は……20日か」
カレンダーの日付を確認し、指定の日時が明日である事を確認する。
「それにしても【ヌェダ】を使うか」
それが意味する事は1つだ。
どうしてだかは分からないが、おそらくユナはおれの正体に気付いた。
「ゴメンください」
深夜前に開店前のシロの店に入り浸ってジェパ酒を嗜みながら適当に情報を交換し合っていると、ミネアが入店して来た。
「すいません、ミルクを1つお願いします」
「うちにはねェな。他を当たんな」
「1度言ってみたかったんですよね、この台詞。ジンさんが飲んでいるのと同じ物を」
「度数結構強いぞ?」
「構いません、むしろ大歓迎です。酔ったふりしてジンさんを襲えるので」
「おい」
「2階使うか? 空き部屋は沢山あんぞ」
「おいシロ」
「素敵なサービスですね。ついでにジンさんのグラスに注ぐ際に更に度数の強いお酒をブレンドして頂けると最高です」
「良いぜ。味を考えるとギゼテ酒が1番ピッタリだな」
「おい、お前ら良い加減にしろ」
ギゼテ酒とか度数が85を超す代物じゃねえか。
「ノリ悪いな。ま、おふざけはここら辺にしとくか」
「私的にはいつでもウェルカムですけどね。好きな時に好きな場所で押し倒してくださって結構ですよ?」
「黙れ。誰がそんな誘いに乗るんだよ」
「酷いですね、こんなにも貴方の事を想っているのに」
「自分の利益を第一に考えた結果だろうが」
迂闊に誘いに乗れば、どうなるか分かったものじゃない。
いくつかは想像できるが、どれも碌な結末にならない。
一見従順なように見えるが、決して油断はできない。こいつは目的の為なら自分の身体だって売りかねない。
「どうやら誤解をしてらっしゃるようですので、訂正させて頂きます。
いくら私でも、どこの誰とも分からない人は勿論、それなりに親しい顔見知りの相手であっても抱かれるのはご免です。
これでもうら若い乙女ですからね、抱かれても良いと思う相手――要するに貴方にしかあんな事は言いませんよ」
「うら若い乙女……?」
腹にドス黒いものをいくつも溜め込んでそうな奴が、一体何を言ってんだ。
「あっ、そこを突っ込みますか。分かってても言わないのが大人の対応でしょう。
そんな事よりも、私の渾身の告白について触れてくださいよ」
「奴隷の身なら奴隷らしい身の振る舞い方をしろ」
「公衆の面前でそんな態度を取れば、間違いなく怪しまれるから普通にしてろと言ったのは貴方では?」
「揚げ足を――」
「ええ、揚げ足取りですね。要するに臨機応変にと、そういう事でしょう。それが貴方の望みならば、私はそれに従いますよ」
「…………」
こいつと話していると、いつの間にか会話のペースを握られている。
勿論こいつがそういうつもりで論を展開しているからなのだが、だからこそ、こいつに対して迂闊に気を許す事はできなかった。
「……で、ここには何の用で来た?」
「ここにジンさんが居ると聞きまして、ベスタさんに頼んで自室から繋げて頂きました。何でもシロさんが言うには、ジンさんをどうするかオーヴィレヌ家が検討しているとか」
「……シロ、お前いつの間に」
「ついさっきだ。一応明日伝えとくかって言ってたろ。その手間を省いてやっただけだ」
「確かに言ってたけどよ……」
文句を言う筋合いも無ければ、言える理由も無い。
むしろ感謝するべきなのに、どうにも釈然としないのは何でだろうか。
「よろしければ、詳しいお話を教えてくれませませんか?」
「…………」
元よりシロの言う通りこいつには話しておくつもりだったので、日中にアルトニアスから聞いた内容をおれの推測も含めて話す。
「……それ、ジンさんが思ってる以上に不味いですよ」
そして返って来たのは、緊張を孕んだおれの推測を否定する言葉。
「オーヴィレヌ家の思惑がアルフォリア家の責任追及問題に関係しているというのは、おそらくあってるでしょう。そしてそれを逸らす為にというのも、決して間違いではありません。
ですが、それだけではない。それだけの杜撰で愚かしい理由と狙いだけで動くほど、オーヴィレヌ家も5大公爵家も小物じゃありませんよ」
「他にもっと大きな狙いがあるってか?」
「ええ、ほぼ間違いなく」
シロの言葉を肯定する。
「1つ聞きますが、ジンさん、貴方は昨今の神殿の内情については?」
「ある程度の事は知ってるが、詳しい事までは」
おれの狙いはあくまで5大公爵家であり、神殿はもし障害になるならば排除する程度の認識しか抱いてなかった為だ。
「とりあえず順繰りに説明していきますと、今の神殿の最高権力者である現教皇は権力に興味が無いというスタンスを取っていますが、その下の者全員がそうであるという訳ではありません」
「それぐらいは知らなくても、簡単に想像が付くだろう」
「ええ、これぐらいは当然ですね。組織の強大化に伴う避けて通れないと言っても過言ではない弊害ですが、神殿騎士の指揮権を持つ教皇直下の枢機卿たち、彼らのうちおよそ半数がそう言った俗物的欲望を――つまりは5大公爵家に対する敵愾心を胸に秘めています。
言い換えれば、神殿騎士の半数が5大公爵家の、ひいては現ティステアの潜在的な敵であるという事です。要するに、5大公爵家側からすればティステアを存続させる為にも切除するべき壊死した部位です」
「だからこそ、その布石としておれを殺して神殿関係者を容疑者に加えたい訳だろう」
「いいえ、少しばかり違います」
ミネアが指を2本立てる。
「ティステアの抱える5大公爵家側の目下の問題は大きく分けて2つです。
1つ目がご存知の通り、大別して5大公爵家を含む神国軍側と神殿騎士団を始めとした神殿側、そして5大公爵家に属さない貴族側の3つに分散した莫大な戦力。
そしてもう1つが、同じ5大公爵家側であっても足並みが揃っていないという事です」
「そんなのはいつもの事で、どこの国も同じだろう」
「確かにそうですが、同時に違うと言えます。
似たような構造の国はいくつもあるでしょうが、そこでさえ建前ぐらいは足並みを揃えますよ。ですが5大公爵家はウフクスス家とオーヴィレヌ家の関係を筆頭に、最近ではアルフォリア家とウフクスス家の対するイゼルフォン家の対立の構図も参入してきており、足並みが乱れに乱れている。
ですがこの状況を簡単に覆す手っ取り早い方法があります」
「共通の敵を作る事か。それも身近で強大な」
「そうなりますね。そしてそれが神殿という事です。ゾルバでも良いんですが、神殿の方がゾルバを敵とするよりも得られるメリットは大きい。
ティステア100万の兵力のうち、神殿はそのうちのおよそ3割を占めます。これを排除するという事は単純に考えて、30万の兵力を失うという事と同義です。
しかし中枢に従わない30万の兵力が存在している100万の兵力を率いる事と、一応は中枢に従う70万の兵力を率いる事とでは、後者のほうが圧倒的にメリットがあります。
勿論、その70万の中にも5大公爵家以外の貴族の兵力も含まれていますが、それら以上に強大で面倒な神殿勢力を削げればそれは十分に無視できる。むしろ神殿勢力がいなくなった以上は武力を背景に迫れば嫌々ながらでも従うでしょう」
「なるほどな……」
そしてその切っ掛けが、おれを始末する事という訳だ。
おれが死ねばその事でゾルバに叩かれるだろうが、一方で実行犯に仕立て上げた神殿側を糾弾する事で建前だけでも5大公爵家の足並みは揃い、尚且つ戦力の分散という問題もある程度片付く。
そのメリットと比べれば、ゾルバに叩かれるというデメリットは安い買い物だろう。
だが1つ実現させるに当たって、大きな問題がある。
「だが結局、それをやったところで容疑者止まりだ。到底実行犯に仕立て上げるのは不可能だ」
学園にいるのは5大公爵家や神殿関係者だけでなく、普通の貴族や、何より多数の平民がいる。
こういった時に真っ先にスケープゴートにされるのが平民であり、どれだけ頑張っても疑いがある程度までしか持ち込めない。
ましてや実行犯であるという事にするのは、それこそ現段階でゾルバと戦争して勝つぐらいに難しい。
「そんなの簡単ですよ」
ところが、再びミネアはおれの言葉を否定する。
「証拠を捏造すれば良いんです。それも捏造されたものと証明できない、決定的な証拠を」
「それができたら苦労しない」
そんな事ができれば、それこそ貴族同士の争いが激化して勝手に自滅し合い、5大公爵家と神殿側の2者のみの睨み合いの構図になっているだろう。
「ところが簡単なんですよ。イゼルフォン家の手を借りれば」
「それこそあり得ないだろう」
単純な話、イゼルフォン家の当主は件のカルネイラとやらだ。
混沌願望者であるそいつが、わざわざ国内の秩序を正すような真似に手を貸す訳が無いだろう。
むしろ殺しが行われて捏造をせずに放置すれば、そいつの好む混沌とした状況が生まれる。
「いえ、案外そうでもないですよ。あの人は確かにそう言った混沌を好みますが、一方で自ら積み上げたものを壊す事によって生まれる混沌もまた好んでいます。
この2つを同じと見るか別と見るかは人によるでしょうが、カルネイラさんは後者のタイプです」
「要するに、混沌ならどんなものでも良いという事か?」
「身も蓋も無い言い方をすれば、確かにそうなりますがね。
ともあれ、重要なのはカルネイラさんの手を借りられる可能性があるという事です。いえ、そんな話題が紛糾しているという事は既に手を貸す約束を取り付けた後という事も十分にあり得ますね。
そしてそうなると、いま行われている責任追及の集まりも、5大公爵家側からすれば壮大な茶番という事になります」
それが茶番であるかどうかは、おれ自身にとってはどうでも良い。それが茶番であれ、そういう事態になった以上はアルフォリア家の宗家を盤上に引き摺り出せているのだから。
ただ1つ誤算があるとするならば、
「貴方の時間は、思った以上に少ないかもしれないですね」
「問題ないさ」
誤算ではあるが、支障は全く無い。
「そもそもその集まり自体が、それ以上発展させる事が不可能になるからな」
懐から【ヌェダ】の招待状を取り出して見せる。
それを見たミネアは、微かに驚いたような表情を浮かべるもすぐに素の表情に戻り、そしておれと同じように懐に手を入れる。
「実はもう1つ、ここに来た理由がありまして……」
取り出したのは光沢のある複雑な意匠を凝らされた厚みのあるカード。
それも2枚。
「まずこちらが、ラジムさんに宛てる為の物です」
おれから見て手前側にあったカードを取って掲げて見せる。
書かれている場所と示している時間こそ違うが、日付は同じく明日の21日だった。
「誰が出したものだ?」
「厳密に言えば、まだ出してはいません。差出人はラジムさんが団長を務める第7師団の師団員です。所属こそハト派の師団ですが、まあ心情的にはタカ派の者と言いますかね、個人的に協力をしてくれている方です。あっ、因みに3年前の作戦には参加してません。
その方はこれを父に言われて書いたのですが、その事を知った私が少し父に偽りを交えて話し合って、もし貴方が望むのであれば貴方に戦わせるという結論に落ち着かせました。
勿論、全力でやってしまって構いません。父たちには私が上手く誤魔化しておきますし、何より何をしても【ヌェダ】によって執り行われたことですので問題になる事はありませんから。
ですが、おそらくラジムさんとこうした形で戦えるチャンスはこれっきりです。あくまで父たちは師団長であって、当主という訳ではありませんので」
そしてと、もう1枚をおれに見せてくる。
日付はやはり明日の21日。わざわざ注釈で差出人を後から書き足した上でだった。
それを見た瞬間、自分で自分の表情が強張るのが分かった。
「実は、貴方がそれをユナさんから受け取る可能性は考えていました。そしてその際に、貴方が考えるであろう内容も」
さらりと衝撃的な事を言われるが、すぐにこいつがウフクスス家嫡女で師団長の娘であるという事実を思い出す。
【ヌェダ】の招待状を発行しているのは、他でもないウフクスス家だ。
法の番人と呼ばれ、表向きは秩序を守る為に中立を謳っているウフクスス家だからこそその役割を任せられているのだ。
「とても個人的な事を言います。貴方にはできればそれは実行して欲しくはない」
「……無理だな」
「……でしょうね。まあだからこそ、私はこれが書かれるように動いた訳ですがね。
貴方にとっては余計なお世話だったかもしれませんが、勝手ながら色々と裏で動かせて頂きました。と言っても、貴方の不利益になるような事はしていません。まあ、これを見れば分かりますよね?
言葉遊びをする訳じゃありませんが、この際不合理こそが合理的だと割り切ります。貴方にさっきの返答をされた場合に、最も貴方にとって都合の良い結果に落ち着くよう可能性を模索して、この結論に達しました。
ですが、こちらの案をとった場合はラジムさんの件はスルーした方が合理的かと」
確かに、こいつの言う通りだろう。
だがそれは同時に、その【ヌェダ】を用いて事後処理も計画も気にせずにラジムを殺せる――復讐を果たせる機会を永遠に失うという事でもある。
「いいや、両方ともやるさ」
「……本気ですか? 勝率は、おそろしく低いと思いますが」
「本気だ」
連戦上等。
元々がそのつもりだったんだ。そこにたかが1回、2人ほど増えただけだ。
「締めはあのアゼトナだ。それの前の肩慣らしにはちょうど良い。そしてそれの次も消化して、最後にアゼトナを殺す。それを明日1日でこなせばコンプリートだ」