蟲惑⑤
「何、故……!?」
視界がクリアになり、視界に胴体を剣で斬り割かれた男がこいつが飛び込んで来る。術者か。
どこかで聞いた声だと思ったら、少し前にシロの店に入って来た3人組のイゼルフォン家の者たちのまとめ役のような立ち位置に居た男の声とそっくりだった。おそらくは同一人物だろう。
膝をついて正座の体勢となった男が、喀血しながらおれを見上げる。
「何故、能力から脱して、いる……? 私の【理想郷】は、しっかりと、見せていた筈だ……理想の光景を……」
「あれが理想か……」
もしかしたら、ベルの言う通りあながち間違いでは無かったのかもしれない。
エルンストが生きていて、声を聞けて、おれの事を認めていてくれた。
それだけでも十分過ぎる。
「安らぎからは、誰も逃れられない……解除する事など、不可能の筈なのに……!」
厳密に言えば、自力で解除した訳ではない。
おれはたった今こいつを斬って、こいつが能力を維持できなくなるまでずっと術中にいた。
ただ術中に居ながら、現実を認識して動いただけだ。
だがそれ以上に、致命的な欠陥があった。
能力そのものは完璧だった。しかしその内容だけは重大な欠陥を抱えていた。
「覚えておけ」
あんな光景は現実にはあり得ない。突き詰めればそれだけだ。その言葉だけに集約できる。
「理想は叶わないから理想なんだよ」
剣を振り抜き、首を飛ばす。
頭部を失った胴体は前のめりに倒れて新たな血溜まりを断面から流す血で作り、頭部は床にバウンドして柵に当たって停止する。
『ケケケ、美味ェ、美味ェナ!』
頭の中ではしゃぐ声が目障りなので、静かにしろという意図を込めて剣を握る力を強める。
すると途端に声はパタリと止み、静かになる。
「……いや、何でしょう。何と言いますか――」
返す剣をミネアの首に添える。
「お前の手引きか?」
「あのぉ、私の状態をよく見て欲しいのですが……」
床にペタンと座り込んだミネアは、左腕が折れているのか痛々しく腫れていて、右足があらぬ方向に投げ出されている。
パッと見ではさっきの男と敵対した結果にも見えるが、だからと言って隙を見せるにはタイミングが余りにも良すぎたのも確かだ。
だから命令して確認する。
「正直に答えろ。お前と今回の襲撃は無関係か?」
「誓って無関係です」
「…………」
剣を下げる。命令して得た答えなのだから、疑う余地はないだろう。
だとすればあのタイミングでの襲撃は全て偶然という事になるが、とんでもない不運だ。
「……何か、凄い好都合な結果な筈なのに、物凄く拍子抜けな気分になりますね。例えるなら、限定品のプリンを頼んだら最高級のケーキが出て来たかのような、そんな気分です」
「知るか、んな事」
剣を仕舞い、死体を見る。
「……冷静に考えれば、ここは学園だったな。色々とマズくないか、これ?」
「ああ、それでしたらご安心を。私にお任せください。
先ほどそちらの方が言っていましたが、どうもここに来たのはカルネイラさんの命令らしいです。ですので父にそれとなく話しておけば、事後処理は気にしなくて大丈夫ですよ」
「そうか」
やっぱりイゼルフォン家の者だった訳か。
事後処理は気にしなくて良いという事に対して心底安心する。仮におれだけだったら、こんな突発的な襲撃に対して事後処理などする事は不可能だろう。
早速手を組んだ利点が生きてきた訳だ。
それにしても、カルネイラとやらとおれには面識は無かった筈だが、一体何の用であいつを差し向けて来たんだ?
「貴方の抱いているであろう疑問に対する答えは、考えるだけ無駄だと思いますよ?」
「常人には理解できない沙汰だって言いたいのか?」
「その通りですよ。理由はいくらでも想像できますが、どれもあり得て絞りようがないですし」
「……一応おれは、ゾルバ推薦の立場の筈なんだがな」
「それを条件に含んでも絞り込むのは不可能ですよ。貴方はあの人に対する危機感を3段階は上昇させた方が良いかと。
そもそもイゼルフォン家の当主なんですから、例えゾルバが相手で突発的殺害であっても理由なんか捏造できますし、もしかしたら理由など捏造せずに大事にする事が目的なのかも知れません。理由を考え上げてたらキリがないです」
確か混沌願望者だったか。
魔族に多く見られる存在だが、確かにその思考は常人であるおれには理解できない。
「ところでジンさん、できれば手を貸して頂けませんか? 立ち上がるのも無理そうです」
「自分で治療はできないのか?」
「残念ながら無属性しか使えないんですよ、私」
「その眼でか?」
「この眼でです。これは色素だけの完全な遺伝ですね、先天的特殊要素は皆無です」
「……見せてみろ」
腕と足をパッと検分する。
「良かったな。腕は折れているが折れ方は綺麗だったし、足は折れているんじゃなくて股関節が外れているだけだ。変に筋も痛めていない。魔法に治療するにしても大した手間は掛からん。あいつは意外と体術に心得があったみたいだな」
「いや、貴方にやられたんですけど」
「……意識まで乗っ取られてたか?」
「いえ、どちらかと言えば誘導らしいですが」
「そうか……悪いな」
腕を掴んで折れた骨を矯正する。ミネアが悲鳴を上げる。
「痛い痛い痛いですジンさん! 貴方から頂けるのでしたら痛みでも大歓迎ですが、せめて受け入れられるだけの心構えをする時間をください!」
「黙っとけ、次は足の関節を嵌める。喋ってると舌を噛むぞ。5秒後に嵌めるぞ。5――」
「嵌めるってそこはかとなくエロいですよ――」
「4!」
足を押し込んで上手く間接が嵌まり込む手応えを感じる。自分に対してと他人に対してやるのとでは要領が違うが、上手くいったようで何よりだ。
「5秒も数えてないですよ……」
「妙な事を口走るからだ」
添え木がないので代わりにナイフを当ててベルトで巻いて固定する。
因みにズボンのベルトではなく、ナイフを懐に固定するためのベルトだ。
「確かに嵌りましたけど、動かすと痛いですね。とてつもなく」
「筋は痛めてないから動かす分に問題はない筈だ」
「それって、貴方基準の話の気がしますよ。お手数ですが、動く手助けをしてくれると嬉しいです。早めにここは離れるべきですので」
「…………」
奴隷のクセに図々しいと思わなくもないが、言ってる事には一理ある。
仕方ないので腰に手を回して肩に担ぐ。
「……想像していたのと違います。何でしょうね、自力で幻覚から脱した事もそうですが、ありがたく思うべき立場の筈なのに素直に喜べない自分が居ます。
限定品のプリンを買ってきてやると言われて楽しみにしていたのに、いざ渡されたのが最高級品のエクレアだったかのような、そんな気分です」
「愚痴は済んだか? なら口を閉じてろ。噛むぞ」
「……いや、素直に道の通りに行きましょ――!?」
柵に飛び乗ってから跳躍し、一気に校舎から離れる。
とりあえずは一端寮まで戻り、シロの店に行くのが良いだろう。仮に襲撃者があいつだけでなかった場合、向かう先は間違いなくシロの元だからだ。
「そう言えばジンさん、1つ気になる事があるのですが」
舌を噛んだのか、口を手で押さえながら言う。
「何だ?」
「貴方はどうやって幻覚から脱したんですか?」
「言う必要があるのか?」
「できれば教えて欲しいです。貴方が何をできるのかを把握していれば、私の能力の導く答えの幅が違ってきますので」
その言葉に移動を続けながらも、おれは思考に従事する。
事前に教えておく事で得られる利益と、発覚した場合のリスクとを天秤に掛けて、前者の方が大きいと判断する。
「一応言っておくが、別におれは自力で脱した訳じゃない」
「ですが、現に貴方は自分で動いてあの人を斬ってましたが?」
「あの時はまだ幻覚の真っ只中に居たよ。ただ現実の方を認識して動いてただけでな」
「……なるほど、あの人の能力はそういう代物でしたか」
おれの言っている事が何を示すのかすぐに思い至ったようだった。イチイチ説明する手間が省けて良い。
「となると、貴方は幻覚の世界に居ながら同時に元の世界――要するに別の世界を見ていた事になりますね。そういう芸当ができるという認識で構わないですか?」
「厳密に言えば少し違う」
空いている手で、自分の右眼を指差す。
「端的に言えば、この眼は魔力を視認する事ができる」
「それは魔力探知とは違うんですか?」
「まるで違うな」
どっちにも長所があるし、どっちにも短所がある
もっとも、エルンスト並みに探知能力を極めていれば同じようなものなのかもしれないが。
「常時ですか? それとも任意ですか?」
「任意だな」
でなければ日常生活において不便な事の方が多い。
「その眼ができるのは魔力の視認だけですか?」
「いやに掘り下げてくるな」
「可能な事がそれだけだと知っているのと、他にも可能な事があるのにそれを知らないのとでは違いますから」
「……特には無いな」
もっともな言い分だが、話すつもりは今のところはなかった。
確かに他にも可能な事はある。だがそれは、使用制限のある本当の意味での切り札だ。
それと比べれば、魔力の視認は手札の1つではあれど切り札では無い。
発覚する事のデメリットを考えると、ホイホイと話す訳にはいかない。
「そうですか、残念です。代わりに最後にもう1つだけ良いですか?」
担がれたままの体勢で身を捩り、おれの右眼を覗き込んで来る。
「この眼、移植した物ですよね。一体誰の物ですか?」
「あっ、街路樹」
「痛っ!?」
無事な方の手を伸ばし、右眼の下にある筈の傷跡をなぞって視界を塞いで来たので適当な木に当てておいた。
「あははは、あっははははは、ははっ、ははははははははははッッ!!」
青年は笑い転げる。自分が積み上げたガラクタの上を転げ回り、巻き込まれたガラクタを床に向けて蹴飛ばす。
「あははっ、はは、ははは……はぁ……笑った笑った」
徐々に笑い声を収めていき、むくりと起き上がる。
「杞憂じゃなかった。杞憂じゃなかったよ、最高だね。セリオ君が死んでくれたよ」
尻の下からベルを取り出し、揺らして鳴らす。
しかしいくら待っても、応える者はいなかった。
「あっ、そっか。セリオ君は死んだんだっけね」
その事自体に興味は無いと言わんばかりにあっさり言い放ち、ベルを投げ捨てる。
「次はどうしよっかなぁ。折角だから長く楽しみたいよね。でも一方で今すぐにでも楽しみたい僕もいるし、贅沢な悩みだね!」
ガラクタの上に胡座を掻き、眼を閉じて思考に没頭する。
次に眼を開けると、今度は懐に手を突っ込み、ゴツゴツとした凶悪なデザインの釘を取り出す。
「まずは使い捨てタイプの手駒を増やそう。そうしよう」