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蠱惑③




「最悪です……」


 ジンさんが立ったまま、ピクリとも動かなくなりました。

 何が起きたかは分かります。幻覚に掛かってしまったんです。

 私も咄嗟に抵抗してそれに成功していたから良かったものの、もし抵抗に失敗していれば同じ状態になっていたでしょう。


「1人、失敗しましたか……」


 扉が開いて男が1人屋上に出て来ます。

 服装は制服ではありません。外部の方です。

 まあ内部からであろうが外部からであろうが、さほど問題ではありません。そんな事よりも重要なのは、この人がジンさんに幻覚を掛けたという事です。


「なんて事を、してくれるのですか……」


 最悪ですよ、本当に。

 100歩譲って、仕掛けて来た事は良いです。ですが何でよりにもよって、このタイミングなんですか。

 きっとジンさんは私を疑います。ええ、当然でしょう。あまりにもタイミングが良過ぎますから。私がジンさんの立場でもそうします。

 だからこそヤバイです。ヤバ過ぎます。


「ねえ、どうしてくれるんですか。ようやく、ようやくここまで漕ぎ着けられたのに、その矢先にオジャンにされるとか冗談じゃありませんよ。

 やっと会えて、やっと今の関係になるところまで持ち込めたんですよ。

 そこまで行くのに3年も掛かったんですよ。

 その3年間をたった一瞬で無に返されるとか、あんまり過ぎますよ。どう落とし前つけてくれるんですか」

「……えっと、ミネア様、ですよね?」

「許可もしていないのに、勝手に初対面の私の名前を呼ばないでくれますか? 貴方なら尚更です」

「……一応訂正しますと、私と貴女は初対面ではありませんが」


 はて、どこかで会った事があるという事でしょうか。

 生憎憶えがありませんね。まあ男の人の顔など憶える価値など殆どありませんが。

 ましてや、いきなりジンさんに対して幻覚を掛けた相手の顔など憶える価値は皆無です。


「……貴方を殺して濯ぎます」


 まず奴隷の身でありながらむざむざと主であるジンさんに仇なす者の行動を見過ごしてしまった失態を。

 次に奴隷の身でありながらジンさんがあの人の術中に嵌まる要因を作ってしまった汚点を。

 そしてあの人の死体をもってして汚名を返上しましょう。


 それができなければ、私は終わる。

 この身の全てを捧げる事を条件に手を組んで頂いたのに、それを早速切られてしまえば、私に残された道は僅かばかりになる。

 その残された道が碌でも結果にしか繋がらないのは、能力を使って演算するまでもありません。


「……参りましたね。何故ウフクスス家の嫡女たる貴女が、そこの無能者に与するのですか?」


 うるさいですね、黙っててくださいよ。

 いまどうすれば貴方を殺せるか演算しているんですから。


「大人しく引き下がってください。私は貴女まで殺すようには命令を受けてません。

 元々貴女にまで能力を使ったのは、万が一にも貴女が巻き込まれないようにする為であって決して貴女を害する為ではない。

 それに貴女では私には勝てない。それとも時間稼ぎにつもりですか? そこの無能者が術中から脱するまで時間を稼ぐつもりですか?

 しかしそれも無駄な事です。私の能力である【理想郷】は、通常の魔法による幻覚とは訳が違います。この能力を掛けられた被術者が見るのは、その者が最も理想とする光景です。何を理想とするかは各々で違いますが、大抵の場合が見るのは安らぎです。人は苦痛から逃れる事はできても、安らぎから逃れる事はできない。例えそれがまやかしであると気付けても、自分の感覚にまで嘘はつけない。自力での脱出は不可能です。

 また安易な魔法による幻覚とは違い、外部からの刺激を完全にシャットアウトする。いくら呼びかけようとも絶対にその声は当人には届かず、いくら痛みを与えても当人は痛みを感じる事すらない。外部から解除する事もまた不可能です」

「貴方を殺せば解除されるでしょう」


 長々と聞いてもいない事をベラベラと、ご苦労な事ですね。

 この人が自分に関係した事を語るごとに、私は演算の材料を手にする事ができる。そして材料が豊富であるほど、基本的には私の勝率は上がっていきます。

 もっとも、本来は演算結果を元に他の人に戦って頂くのが正しい使い方です。

 私の戦闘能力は高くない。それこそ分家の方にも劣る。その私がいくら演算結果を元に動いたところで、勝率は微々たるものでしょう。

 しかし、関係ないです。

 できるできないの問題ではない。やらねばならないんです。


 それに、付け入る隙はあります。

 エルンストさんの手記にもあったように、固有能力は絶大ではあれども絶対ではありません。

 私の【並列演算】が演算材料が無かったり間違っていたりすれば正答は導き出されないように、この人の【理想郷】とやらにも何かしら穴があります。


 おそらくはこの人が言っていた通り、1度掛かれば絶対に解除は不可能なんでしょうね。普通の魔法による幻覚ならばあり得ませんが、固有能力は何でもありです。

 しかし一方で、掛からない事自体は可能なようです。

 差し詰め術後の効果が大きい分のデメリットと言ったところでしょう。私は咄嗟に抵抗してレジストに成功しました。

 勿論、私の魔力抵抗力が高いというのもあります。能力が能力ですので、そこを徹底的に鍛えられましたから。

 ですがそれでも抵抗できた事実に変わりは無い。幻覚系の能力の中には、そもそも抵抗不可能なんて代物もあるくらいです。それと比べれば生易しい。


 この時点で、相手の能力は無意味なものとなっている。対して私は能力あり。この点に関しては私に有利です。


 加えて得てしてこういった戦闘系でない能力者は、直接戦闘に携わらない分戦闘能力は低い傾向にあります。

 それは私も同じですが、私とて曲がりなりにもウフクスス家の者です。そこいらの方と比べれば対人戦の訓練は積んでいます。

 それで対抗できるかどうかは未知数ですが、無いよりはマシです。


「……引くつもりは無いですか。仕方ありませんね」


 パチンと指を鳴らす音がします。おそらくは能力に関連する引き金トリガーでしょうか。

 しかし私の身には何の異変も無い。


「私の能力は基本的に被術者の理想を見せるだけのものですが、使い方がそれだけという訳ではありません。

 例えば、擬似的にとは言え被術者の行動をある程度思惑通りに動かす程度の事はできる」


 背後で足音がして、もしかしてと振り返ります。

 そこには予想通りジンさんが動いた姿がありました。ですがやはり、幻覚から脱した訳ではなさそうです。

 その証拠に、眼に光が宿ってません。


 まったく、最悪です。











「やっと入って来たね。一体外で何をしてたの?」

「さてな。俺が見た時には何かボーッとして突っ立ってたな、コイツは」

「えー、何それ。勘弁してよおにぃ。お兄がまだ来ないから皆まだご飯食べ始めて無いんだよ?」

「だったらジン兄なんか待たずにユナちゃんだけ先に食べてれば良かったんじゃない?」

「それは駄目。今回の主役はお兄なんだから」

「アキリア、ユナ、シア……」


 どういうシチュエーションだ、これは?

 エルンストと、おれの親類3人が同じ席に着いている。

 既にエルンストが死んでいるという事を差し引いても、あり得ない光景だ。


「……どうしたの、ジン君? そんなにボーッとして」

「……いや、何でもない」


 少なくとも分かる事はある。

 この能力を使用した奴がおれと他の奴らとの関係を全て知っている可能性は限りなく低い。

 つまりこの幻覚は、内容の設計から術者がやっているタイプではなく、どちらかといえば被術者の記憶を元に作られていると思われる。


「うし、じゃあ食うぞ。テメェもどんどん食え。今日のテメェは上出来だったからな、遠慮すんじゃねえぞ」


 エルンストがおれを褒めた。これは物凄く珍しい事だ。やはり術者はおれについて詳しくは無いな。


「確かに話に聞く限り、随分と活躍してたみたいだね。ちょっと見てみたかったかな」

「ま、俺からすればまだまだだがな。俺の視点で良いなら話してやるよ」

「是非お願いしたいね」


 上げて落とすにしろ、エルンストはそんな事は言わない。もっとボロクソに貶す……はず。


「はいジン兄、これ美味しいよ」

「お兄もエルンストさんも好きなお酒はジェパ酒だったよね。すいませーん!」


 シアが料理の盛り付けられた皿を差し出し、ユナが店員に注文をする。

 取り敢えず受け取り、料理を口にする。

 舌を刺激する味も、咀嚼し飲み込んで胃袋を満たす感覚も本物のものだった。やはり味覚も術中に嵌っていた。


「そこで囲まれたと思ったら、それ自体があいつの狙い通りでよ」

「へえ、凄いねぇ」


 エルンストの語りに、アキリアが、ユナとシアが、周囲の客が聞き入っている。随分と仲が良さそうだった。

 無能者のエルンストが、飲食店で談笑する。それもおそらくは神国で神国の者たちを相手に。


 推測するにおれは無能者のままで、おれもエルンストも傭兵として生きている。

 そしてティステア側に立ってどこかとの戦いに参戦したというシチュエーションだろう。アキリアやユナやシアは、差し詰め同じ戦場に立って居たと言ったところか。

 絶対にあり得ない光景だ。あり得ないからこその幻覚だった。


 自覚している。その筈なのに幻覚が解ける事はない。

 何かがおかしい筈なのに、おかしいと思っている自分の事自体がおかしいと思っている自分が居た。


『……これがオマエの望んだ光景カ?』












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