蠱惑②
『光あるところに影がある。
幸ある他所には災禍あり。
この世の中は一長一短でありながら、終局的には多幸が勝る。
しかしながら俯瞰的に見れば絶対値は同値。さながら天秤のようである』
手記の最後のページに走り書きされていたのは、そんなセンスの無い文章。
多分、暗号のつもりだったのだろう。
万が一他人にこの手記が見付かり、尚且つ文面を解読された時にパッと見ではただの創作文にしか見えないように。
ただ、おれにはその文の意味する事が何なのか理解できた。
「……ははっ」
長年の疑問に答えが出た。
エルンストは、全部知っていた。
全部知っていた上で、おれの事を育ててくれていた。
それを知らなくてもどうという事もないが、それでも知れて良かったと心から思う。
「その詩は、やはり貴方に対するメッセージでしたか」
「……1つ聞くが、お前はこれの内容は?」
「ええ、失礼かと思いましたが、解読させて頂きました。最後のその詩の意味は分かりませんでしたが」
別に解読された事に対して文句は無い。
そもそもこいつがこれを見付けださねばおれはこれを読む事は無かったのだし、それと引き換えに考えれば安い対価だ。
それを鑑みれば、こいつには感謝するべきなのだろう。
「……いや、文句の1つぐらいは言いたくなってくるな」
こいつにではなく、エルンストに対して。
ざっと流し読みをしてみたが、半分以上がおれについての手記で埋め尽くされていた。
さすがに無能者と魔力持ちとの差を埋める事に関しては欠片も記されてないが、代わりに観察日記のごとくおれについての所見についてこれ以上ないくらい書き込まれている。
というか、先頭ページに書かれているタイトルが『エルジン飼育日記』だった。ペット扱いかよ。
これを読まれたかと思うと、軽く悶えたくなってくる。
「まあ良い」
過ぎた事だしな。
「ジンさん、もし機嫌がよろしいのでしたら、1つだけお尋ねしたい事があるのですが」
「……その質問は、おれにも関係のある事か?」
「それは勿論です」
なら、聞くだけ聞いてみるか。
「何だ?」
「貴方はカイン・イェンバーという方をご存知ですか?」
「……いいや、知らないな」
「本当ですか?」
食い下がるミネアにおれは再度記憶を辿るが、やはり心当たりは無かった。
「では【レギオン】は?」
「それが指しているのが傭兵団の事ならば知ってる」
「それです」
大陸最強の傭兵集団【レギオン】。
エルンストが個としての傭兵の中で最強とするならば、集団としての傭兵の中で最強なのが【レギオン】だ。
スタイルは少数精鋭。構成人数は50人前後で、その総力は名前が示すように大国の1個軍団に相当すると言われている。
西側では小国が大金を支払って雇い大国の侵略から何度も救われているという逸話がいくつもあり、個人個人の力は5大公爵家の宗家に匹敵する。
と言っても、スペックの話ではなくポテンシャルの話だ。
幾多の戦場を潜り抜けて戦争というものを理解している傭兵たちのスペックは、先日交戦したユナとは比較にもならない。
まだエルンストが生きていた頃、エルンストに対して散々勧誘を申し出て来ていたのをよく覚えている。
「その【レギオン】がどうかしたか?」
「さっき言ったカインという方は、その【レギオン】のメンバーです。そして私の演算が正しければ貴方はこのカインさんと接触した事がある筈なんですが……」
「心当たりは無いな。演算結果が間違ってんじゃないのか?」
「おかしいですね、そんな筈は無いのですが……」
言われてもう1度記憶を掘り返してみるが、やはり結果は同じだ。
あるいは、本当に会った事があって、尚且つ名前を知らないだけかもしれないが。だがそうとなると、考えるだけ労力の無駄だ。
「そのカインとやらがどうかしたのか?」
「これはシロさんから後で聞くかもしれませんが、先日王都に侵入して来た不穏分子が3人居まして、そのうちの1人が先ほど述べたカインさんであるという事が昨日判明したんです。そして3人とも【レギオン】のメンバーという線が濃厚です」
パッと浮かぶ可能性は、ゾルバが雇ったという線だ。
ゾルバとおれの関係はあくまで相互利用の上っ面のみの共存であり、腹心と主君ではない。ゾルバが何をしようともおれに知らされる事は基本的にはないし、何をしていてもおかしくはない。
「どうか用心してください」
ミネアが真剣な表情で忠告してくる。
「ゾルバに雇われた事を前提に考えた場合、考えられる可能性の中には貴方に対する敵対もあります。確率的には半々ですね」
「考慮しておく」
おれとゾルバの関係を考えれば、決してあり得ない話じゃない。
ここは素直に忠告は聞き入れて用心しておいた方が無難だろう。
「ところでジンさ――」
「……おい?」
ミネアの言葉が不自然に途切れる。
それと同時に、おれの感覚にも異変が生じる。
先ほどまで側に居たミネアの魔力は勿論、周囲に感じられていた魔力の一切が消え失せる。
同時に周囲の光景も上書きされるように塗り替えられていき、先ほどまで学園の屋上に居た筈なのにいつの間にか夜の街中に立っていた。
周囲には明かりの灯った食欲をそそらせる香りを漂わせる飲食店が立ち並び、どこからか沸いて来た道行く人々が入れ替わり立ち代わり出たり入ったりを繰り返している。
肌を撫でる気温も昼間のものから夜間のものに切り替わり、何もない筈の静かだった空間は夜の喧騒に満たされる。
「視覚、嗅覚、触覚、聴覚、それに魔力感覚もか。この分だと味覚も駄目そうだな」
この急激な変化の理由を説明できるのは2通り。
強制的に転移をさせられたか、もしくは幻覚を見ているのか。
だが転移をさせられたにしては、おれの感覚に引っ掛かるものはなかった。よってほぼ間違いなく、後者だと断言できる。
「……まずったな」
基本的に無能者に魔法全般は相性が悪いが、その中でも感覚に干渉して来る類のものは断トツで相性が悪い。
幻覚の真骨頂は感覚の乗っ取りにある。つまり最初に魔力探知の感覚を乗っ取られれば、無能者の唯一と言っても良い長所を封じられる事になる。
そして乗っ取られた状態で発動されれば事前に察することができない為に直前で対処する事もできず、最悪幻覚に掛かった事すら気付かない事すらある。
そして1度掛けられれば、無能者はレジストする事ができない。だからこそ、無能者はこういった系統の術をそもそも掛けられないように――つまりは、心に隙を作らないようにする。
「……あのタイミングか」
エルンストの手記を見た時のおれは、おそらく術者からすれば酷く隙だらけだっただろう。
おそらくはあの時に既に、術の発動は始まっていた。
となると、怪しくなってくるのはミネアだ。
「……これは、固有能力か?」
今回のように幻覚だと即座に看破できるほど幻覚に掛かる前後の状況の整合性が歪なのは、よほど魔法ないし術者の程度が低いか、もしくは術者が絶対の自信を持っているかのどちらかだ。
そして程度の低い魔法の場合は幻覚に掛かっていると自覚した時点で解除される事が多い。
だがおれは、幻覚に掛かっている事を自覚できている。にも関わらず、術が解除される様子はない。
となれば、考えられるのは固有能力だ。
「厄介だな……」
当然、幻覚に掛けて終わりの筈がない。現実のおれとこちらのおれの動きが同期しているかどうかは知らないが、肉体的にも隙だらけなのは間違いない。
その隙を突いて、絶対に仕掛けてくる筈だった。
その前に何とかして、この幻覚から脱する必要がある。
「おい、何チンタラしてんだ」
と、背後で声がする。
「さっさと入って来い。飯が冷めんだろうがよ」
「……エルンスト」
絶対に聞く事のできない筈の声。
絶対に見る事のできない筈の姿。
その全てが、そこにはあった。




