対面①
『アレは混迷期の最初期に【怠惰王】の奴が創造した魔造生命体ダ』
左腕には縫合痕、右腕には包帯が巻き、全身を未だに倦怠感と痛みが苛んでいる中、重たい体を引きずって貧民街を歩く。
位置的に寮に直接戻るよりもこっちからシロの店を経由して戻った方が手っ取り早いため向かっている訳だが、本音を言えば今すぐにでも倒れて痛みに悶えるなり寝たりしてしまいたかった。
結局演習は中止となり、負傷者の手当てや被害状況の確認などであの森林地帯は立ち入り禁止となっている。
負傷者の手当ては各家お抱えの治癒士が行っており、さすがにあんな状況下で無能者だからといって治療を拒否される事はないだろうが、それでも念の為治療は受けずに自分で手当てする事にした。
相手によっては傷を見ただけで騒動とは無関係だと気付かれる危険もあったし、何よりアルフォリア家の治癒士に当たった場合、ユナから受けた傷だと気付かれる心配があった。
用心のし過ぎかもしれないが、警戒していて損はないだろう。
それにイレギュラーの介入が想像以上の大事に発展させたようで、個人的には満足だった。
あそこまで大事になれば、アルフォリア家の責任問題の追求はほぼ確実に行われる。
既に現場の封鎖はウフクスス家が主導で行っており、事態の隠蔽は不可能なものとなっている。
あり得ない話だが仮に5大公爵家間で口裏合わせをしようとも、神殿関係者の耳に届くのは時間の問題だろう。
その間に傷を癒し、必要な情報を集める事に専念した方が良いだろう。
『アレの性質は端的に言ッテ、物理攻撃じゃ絶対に殺せないダ』
「具体的には?」
『アレはいくら斬っても意味が無イ。一時的に分割はされるガ、すぐに合体すル。アレは川の流れと同じなんだヨ。斬って一時的に流れを遮る事はできるガ、すぐに流れは元通りになるだロ? それと同じでいくら斬り続けても終わりが無いんだヨ。どれだけの大きさになろうガ、それが物理攻撃での結果である限りいずれ元通りになル』
「つまり、魔法でしか殺せないという事か」
『そうなるナ。オマエじゃ絶対に勝てないって言ったのハ、そういう理由ダ。マ、もうちょい面倒だけどヨ。
アレを袋だとしテ、魔法は水ダ。魔法という水を撃ち込んでモ、袋にまだ容量がある限り袋が破裂する事は無イ。つまり容量を上回るだけの魔力を撃ち込むしカ、アレを殺す術は無い訳ダ』
「なんつーもん造ってやがる。怠惰な存在のくせによ」
『それは違ェナ、マモンの奴を基準に考えてんじゃねェヨ。ベルフェゴールの奴は作り手としては同族の中でも最高峰に居てナ、自分が怠ける為にその能力を発揮するような奴だッタ。アレもそうやって造られテ、アイツの配下によって混迷期が始まってすぐに大陸中に埋められたんだヨ。もっともその大半が破壊されたんだがナ。オレもまさかあんなところに寝てるとは思わなかったゼ。
たダ、腐ってもベルフェゴールの奴が造った代物ダ。ただ保有する魔力が多ければ倒せるって訳でもネェ。単純に考えテ、アレの1体が全盛期のベルフェゴールの奴のおよそ3割の力を持ってル』
「要するに、おれと戦った時のお前と互角って事か」
実際に戦えば相性や戦法の違いなどがあるから一概にそうとは言えないが、かなり厄介な事は分かった。
『ハッ、馬鹿言ってんじゃねェヨ。オレとベルフェゴールとではオレの方が上だってノ。アイツの3割とオレの3割とでは雲泥の差があるんだヨ。【憤怒王】のガキを殺したのはオレだゾ? つまリ、大罪王の中でオレが最強だって事ダ。最強とそうでない奴との力に差があるのは当然だロ』
「急に饒舌になったなお前。つか、おれにとっちゃどうでも良いっての、んな事は。それに最強なのはマモンじゃなかったか? 少なくとも今は」
どっちにしろ、あの魔造生命体とやらが厄介な存在であるという事に変わりはない。
そして同時に、その魔造生命体を打ち滅ぼしたのは何者だという話になる。
「お前、さっきあいつらがどうとか言ってたよな? それについてはどうなんだ?」
『……先に言っとくガ、これはオレの勘違いの可能性が高いゼ?』
「さっきも言ったが、それを判断するのはおれだ。お前はただ知ってる事を話せば良い」
頭の中で舌打ちが聞こえる。
どうやらベルにとってその話題は気に入らないらしかったが、そんな事はおれの知った事ではない。
『神族だ』
「神族?」
『ああそうダ、腐れ天使共の事ダ。アレを倒したあの光ハ、神族共が使う光属性の魔法ダ。まあアイツらは魔法じゃなく神術だとか抜かしてるがナ』
「神族がこっちに顕現していると?」
『それが分からねぇんだヨ。アレはただの天使に放てる威力と密度じゃネェ。最低でも27神使、下手すれば4大天使並みダ。そんな力を持った奴ガ、こっちに来る事の方が考えらんネェ。だから多分、ニンゲンの固有能力ってやつの仕業だと思うゼ。まあそうだとしても、相当な力を持ってるのは間違いねぇがナ』
「どうだかな……」
人間に神族の使う光属性と魔族の使う闇属性の魔法は使えない――適性を持つ者が存在しない。だから能力者の仕業だと考えるのは、何も不自然な事ではない。
だが、そもそもあの魔造生命体だっておれが引き寄せたものだ。それと同じで、神族もまたおれが引き寄せたのだとすれば、高位の存在がこっちに来ていても不思議ではない。
そもそも神族とは言っても、決して人間の味方という訳ではない。
友好的である事に違いはないが、神話や神殿の教えで語られているような内容は人間が支配するのに都合の良いように捏造した法螺話だ。
時には神族も人間に牙を剥くし、それが災厄を齎す事もあり得ない事ではないのだ。
『もういいよナ? さっさと寝てぇんダ』
「ああ、もう聞く事はない。しばらく寝てろ」
それっきり声は消える。
こいつも【暴食】を謳う割には、こうして怠惰な面が見られる。案外大罪の定義というものは曖昧なのかもしれない。
程なく目的地に着くが、普段ならそこにある筈の扉は無かった。
「……あれ、場所間違えたか?」
周りを見渡しても覚えのある景色だった。なのに看板も扉も無く、代わりに扉も窓も壊れて埃まみれになった空き家だけがそこにはあった。
「……何らかの事情で引き払ったか、それともベスタ自身に何かが起きたか、どっちだ?」
後者は考えにくい。曲がりなりにも能力者で、店から出ない限り無類の強さを誇るベスタの身に何かが起きる可能性はかなり低いからだ。
ただ、一応はその事も想定しておくべきだろう。
可能性はかなり低くとも、皆無ではない。
「……いや、杞憂だったか」
眼前に扉が生み出される。おそらくは何らかの理由で引き払って、ここにおれが来た事をシロが見て扉だけ寄越したのだろう。
「入るぞ」
扉を開けてベルの音が店内に響く。
店内は相変わらず閑散としていて、カウンターではもう既にグラスに酒を注ぐシロの姿と、席に座って手に持った本を捲る少女の後ろ姿があった。
「……?」
後ろ姿だけだが、背中まで伸びた絹のように細く滑らかな黒髪の持ち主に心当たりは無かった。
表の客かとも思ったが、年齢的に疑わしい。
一応用心しつつカウンターに向かい、席について横目で顔を伺う。
「…………」
黙々と何かの本を読み耽るその表情は冷たく、目や鼻、口といった顔立ちはかなり整っていて背丈に似合わぬくらい綺麗だというのに、まるで人形のようだった。
視界の端に捉えただけでも印象に残るであろうその容姿に、やはり心当たりは無い。
「よう、首尾はどうだった?」
「……ああ、そうだな。色々とイレギュラーが重なったから、そっちも含めて報告しといた方が――!?」
慌てて椅子ごとそこから飛び退くと、一瞬遅れて扉が出現し、落とし穴のように開く。
「話すなら、離れろ……臭うぞ……」
少女が口を開き、そこからひび割れた声を絞り出す。
確かに自分の臭いを紛らわす為にも、おれの衣服には煙草の臭いが染み付いていてかなり臭う。
「なんだ、ベスタだったのか」
警戒して損したな。