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兄妹喧嘩③




 頚動脈は脳に大量の血液を送るのに重要な役割を果たしており、それ故に切断されれば早期に処置を施しても助からない事が多い。だからこそ人体の急所の1つとして上げられている。

 だが人体もその血管が重要なものである事は理解している。そのため頚動脈は非常に太く、また非常に硬い。

 斬首するときに障害となるのは頚椎と筋肉は勿論だが、この頚動脈だって馬鹿にはできないのだ。


 だからこそ、その太く硬い血管を切断できるようにナイフで掻っ切るのではなく突き入れる。

 鍛造された特注品を、最も殺傷力のある突きで運用する事でまずは血管に穴を開け、そこを起点に横に引くことで切断する。

 一見余計な手間が掛かっているようにも見えるが、そうする事で普通に掻っ切るよりも返って素早く切断することが可能なのだ。


 そうして切断された頸動脈から、空いた傷口を通って本来は頭部に送られる筈だった血が勢い良く噴き上がり、咄嗟顔に掛からないように庇ったナイフを持ったままの腕に付着する。

 血の噴出が収まって腕をどけると、ピクリとも動かず仰向けに脱力しきったユナの姿が再び視界に映る。


「…………」


 ふと、その様子に違和感を覚える。

 その違和感の正体が何なのかを探るよりも先に、顔を掴んでいるおれの左手の指の間から覗く瞳が動き、おれの眼と合う。

 その瞳はピクリとも動かない体に対して、不釣り合いなくらいハッキリとした光を宿していた。


「しまっ――」


 今度はおれが不意を打たれる番だった。

 顔を掴んでいた左腕を、いきなり跳ね上がった手で掴まれる。

 そしておれが行動を起こす前に能力が発動し、動脈から外に向けて血が引っ張り出される。

 鋭い痛みに思わず拘束を解きそうになるが、歯を食い縛って持ち堪える。

 痛みを無視してより一層強く力を込めて地面に拘束し、右手に握っていたナイフを手放してそのまま首元へと持って行く。


 ナイフによって穴を開けられ掻っ切られた喉元の傷からは、最初の血の噴出が嘘のように血が止まっていた。

 その理由はすぐに思い当たる。【血液支配】の能力によって出血を最小限に抑えたのだ。

 頸動脈が切断されて死に至るのは、出血多量とそれに伴う脳に供給される血液が不足する事が原因であって、頸動脈の破壊が直接の原因ではない。

 ならば体内の血液を操る事で体外へ血が流れる事を阻止し、尚且つ傷口から血が漏れないように脳へと血を送り続ければ、頸動脈が切断されていようとも生存は可能だ。

 だから次は首を掻っ切るのではなく、へし折る。

 そうすれば出血は関係無しに殺せる。


 とにかく相手に立ち直る暇を与えない。その事を第一に痛みを黙殺して喉を掴み、力を込めて握り締めようとする。

 しかしその直前で、いきなり首筋に強烈な熱が走る。


「――熱っ!?」


 その感覚には覚えがあった。

 それはおれに引き寄せられた災厄が牙を剥く、その直前に走る感覚。

 ただし今回はその程度が違った。

 火で炙られるだとか、焼き鏝を押し付けられるとかそういう次元じゃない。

 灼熱のマグマを垂らされたような、余りにも強すぎて一瞬感覚すら飛ぶような熱だった。


「退けッ!」


 その一瞬、確かに拘束が緩んだ。いや、緩んだどころか熱の走った首筋に宛がう為に僅かとはいえ反射的に手を放してしまった。

 その隙にユナはおれの左腕を目掛けて拳を入れる。

 肘を目掛けて振るわれた拳はおれの関節を脱臼させ、完全に拘束を無意味なものにする。


「やって、くれた、ね……」


 激しく咳き込みながら、ユナが眼光と共にそんな言葉を飛ばしてくる。

 咳き込む度に口から喀血するが、それも次第に収まり、やがて多少息が上がっている程度の状態にまで戻る。気道に入ってしまった血を、全て吐き出し終えたようだった。


「クソっ……!」


 チャンスを不意にしたばかりか離脱まで許すという自分の間抜けさ加減に舌打ちしたい気分のまま歯を食い縛り、外れた関節を無理矢理入れなおす。

 再び新たに痛みが生まれるが、幸いにも筋を痛めたりした様子は無く、動かす分に支障はなかった。


 顔を上げると、視界に自分の血がべっとりと付着したおれの腕へと手を掲げてくるユナの姿が映る。

 感覚に引っ掛かるものがある事を確認するよりも先に右腕に焼かれる痛みが生じる。即座に左手で突き刺してあった大剣を引き抜き、血の付着した部位を表層の肉ごと削ぎ落とす。


「何だってんだ、一体……」


 両腕に傷を負って痛覚が脳に痛いと訴え続けるが、それ以上に首筋の焼け付くような熱が強すぎて耐え難かった。

 これまでも災厄が訪れる予兆というものはあったが、それはその日の早朝から弱いものが兆候として訪れるのが常であり、こんな唐突に、それもこれ程の熱が襲って来ることなど無かった。

 元より制御できた事など無かったが、それでも今の状況がどれほど異常かぐらいは理解できる。

 そして勘だが、これから引き寄せられるであろう災厄は間近にまで迫ってきている事も理解できた。


「地震……!?」


 ぐらりと地面が揺れ、またかという気持ちに襲われる。

 だがすぐに、それが間違いだと理解できた。


 上下の揺れと共に響いていた地響きに、大質量のものが割れる音が混じる。

 その音が側から響いてきた事は分かっても、おれもユナも相手から視線を外す事はなかった。しかしその後に視界の端に映ってきたものに対しては、さすがに無視を決め込むことは不可能だった。


 地面を突き破って出てきたのであろう、表面に土塊などを付着させていたそれを一言で表すならば巨大なスライムだった。

 半透明の薄く発光する不定形な体はモヤモヤとしており、粘度のあるゲル状物質のようでありながら希薄さも持ち合わしている。そんな物質で構成された体を蛇のように細長く伸ばし、周囲の木々を遥かに上回る高さまで先端部を持ち上げていた。

 おそらくは頭部に当たるらしき部位には眼のような光点が爛々と輝き、その全てが確実におれとユナを見据えていた。


『オイオイ、マジかヨ……』


 心なしか引き攣ったかのようなベルの声が頭の中に響く。


『……オイジン、悪い事は言わネェ。逃げロ』

「どういう事だ?」

『オマエじゃ絶対にアレには勝てないって言ってんだヨ。例え何百回何千回戦おうがナ』

「何だと?」

『おっト、気を悪くするなヨ。確かにアレがヤバイってのもあるガ、それ以上に単純な相性の問題ダ。逃げるしか手はねえゾ』

「…………」


 正直に言えば、逃げるなんて冗談じゃなかった。

 ここでユナを仕留められれば、一気に計画は前倒しできる。その千載一遇のチャンスを棒に振るのは耐え難かった。

 だが理性が勝った。

 見ただけで分かる。ベルの言ってる事はあながち間違いじゃないと。

 あれはかなりヤバイ。ベルの言う相性いう言葉が気になるが、おそらくそれを抜きにしても強いと。


「後で知ってる事を全部説明して貰うぞ」


 現在所持している最後のストックを取り投与する。

 先ほどまで散々痛覚に訴えかけてきていた痛みが嘘のように消え去り、カウントも180にリセットされ、さらに全身に力が漲る。

 その漲った力を、全て逃走に注ぎ込む。


 【促進剤アッパー】を3本投与すれば、投与する前と比べて2倍もの身体能力が得られる。

 だが、それによって手に入れた身体能力は全て逃走の為に使えとおれはエルンストに硬く言いつけられている。

 3本目を投与せざる得ない状況にまで追い込まれたのなら、3本目を投与したからといってその場に居座り続けて生き残れる保証はどこにも無い。

 ましてや3本目を投与した後のリミットは僅か3分間。その短い時間で相手を倒すよりも、自分が生き残ることに全力を傾けろと言っていた。


 その言葉に従ってとにかく全力で現れたモノから距離を取っていく。

 背後では轟音が引っ切り無しに響いてきており、残されたユナと現れたモノとが交戦している事が分かった。

 結果がどうなるかなどこれっぽっちも興味は無いが、少なくとも現れたモノの注意がおれではなくユナに向けられていることはおれにとっては好都合だ。

 そうしてカウントが60を切った辺りで、背後から突然に眼も眩むばかりの光が生まれる。

 その眩しさに眼を細めながらも振り向いたおれの視界に映ったのは、木々の上から覗くもたげられた鎌首に謎の光源が衝突し中に潜り込み、一瞬の間を置いて現れたモノが内側から破裂する光景だった。


「……誰だ、今のは?」


 パッと見た感じ、おれの知る知識の中であんな現象を生み出せる魔法は無かった。

 だとすればおれが知らなかったり気付けてないだけという可能性もあったが、固有能力の可能性が最も高かった。

 そしてそうなると、現れたモノを撃破したのはユナではない別の誰かという事になる。


『オイオイ、何だってアイツらがこんなところに居るんだ? ホント今日はどうなってやがル』

「何を知っている?」

『いヤ、知ってるかどうかは分からねーけどヨ。つか、多分オレの勘違いだと思うんだけどナ。常識的に考えてあり得ねぇシ……』

「それを判断するのはおれだ。知ってる事を全部話せ」

『うるせェナ、オマエはさっき後でって言ってたろーガ。ていうカ、オレにも整理させロ。それよりも投与しなくて良いのカ? これだけ距離を離せば大丈夫だろうシ、そろそろだロ?』

「……チッ」


 足を止めて【抑制剤ダウナー】を投与する。

 途端に全身に倦怠感が襲い掛かり、思い出したように軋むような痛みが苛んでくる。

 内側からは焼け付くような熱がどんどん湧き上がり、体中に嫌な汗が浮かび息が勝手に上がる。

 だが【抑制剤ダウナー】を投与した分、まだマシな方だ。少なくとも多少無理をすれば、動けなくも無い。


 ひとまず体を休めようと手近な木に背中を預ける。この副作用はおよそ1日間続くが、症状は時間を追うごとに徐々に緩和されていく。

 無理せずとも動けるようになるまではこのままで居ようと一息つくと、途端に頭に浮かんでくるのは、さっきの結果だ。


「……仕留め損ねた」


 ただその一言に尽きる。

 その事自体に不都合なことは無い。元より殺せればラッキーな事ぐらいの認識だったし、そのチャンスが不意になっただけで、デメリットが発生した訳ではない。

 一応ユナが生きていれば、おれがドーピングや魔剣を使うという情報ぐらいは相手に伝わるだろうが、同時にそこまで広まることは無いとも確信している。

 無能者相手に5大公爵家宗家の者が、殺される寸前まで追い詰められた――それを抜きにしても手こずったなどと吹聴するような真似は絶対にしない事は火を見るよりも明らかだからだ。


 だがそれでも、後悔の念が次から次へと押し寄せてくる。

 あいつの固有能力を考えれば、あんな芸当ができるというのは気付けた筈だった。そして気付けていれば、最初から頚椎をへし折っていた。

 たら、れば、そんな事ばかりが頭に浮かぶ。戦いにそんな事は無いと分かっていても、こればかりはどうしようもなかった。


「……急いては事を仕損じる、か」


 とても良い言葉だ。少しばかり、今のおれは頭を冷やす必要がある。

 ここは逆に、計画を早めてイレギュラーな事態が発生する可能性が高まる事が防げたと考えるべきだろう。


「……あれ?」


 急いては事を仕損じる――確かに良い言葉だ。

 良い言葉なのは違いないが、おれはこの言葉をどこで知ったんだったかが思い出せない。

 いや、ぼんやりとだが誰かの口癖だったのは思い出せる。だが、その言葉を誰が口にしていたのかが思い出せなかった。


「この言葉は、一体誰の口癖だったんだっけな……」










 前回の終わり方にそこそこの反響を頂いたのですが、むしろその次に今回の展開にどんな反響があるのかと考えるとある意味戦々恐々としています。

 元からこの展開は決めていたので変える事もできませんでしたが、願わくば引き続き当作品を生温かく見守っていただけたらなと思っております。

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