兄妹喧嘩①
「死んじゃえ」
その言葉と同時に、おれの全身を包み込むように魔力の力場が発生する。
おれがその場から退避してから一瞬遅れて、その力場は獲物を捕らえるがごとく閉じる。
もし退避が遅れて捕まれば、その瞬間におれの全身の血液は支配されて生殺与奪権をユナに握られる。
「喰らったら即死、か。そういうのは初めてじゃない」
一見無理ゲーに見えるが、おれとしてはそんなのは何度も経験済みだ。
無能者であるおれには魔力による攻撃を防ぐ術を持たない為に、能力の大半が即死級のものとなる。その為戦うには受けるよりも回避する事が前提となり、自然その手の動きは洗練されていく。
ならば今回も、それまでと同じ要領で動けば良いだけだ。
「とはいえ、1つだけ条件が違うな……」
さらに2度、3度と立て続けに繰り出される魔力の投網から逃れつつ、懐からナイフを2本取り出して投擲する。
狙いは頭部と心臓。どちらかでも当たれば相手を仕留められる狙いだ。
だが、ナイフは血溜まりの上を通過した瞬間に血溜まりから出現した軟体状の触手に行く手を阻まれる。
ナイフはその触手の表面を突き破り半ばまでは進むものの、そこまでで完全に勢いが失速し、停止する。
投擲したナイフを内部に取り込んだ形となった触手は独りでに動き、その身を撓らせながら横に半回転し、取り込んだナイフをおれに向けて投げ返してくる。
「さすがのおれも、相手の領域で戦うのは数えるほどしか経験していない」
無能者であるおれが能力者と戦って勝つには、相手の領域内で戦おうとするのは論外だ。
相手の土俵で戦うのではなく、相手を土俵から引き摺り下ろすように戦う。それが領域内に居る能力者と戦うときの鉄則だ。
「問題は、どう引き摺り下ろすかだが――!?」
触手の数が3倍に増え、その場でナイフを投げ返して来たときのように振るわれる。すると鞭のごとく撓る触手動きに合わせて、先端から無数の血の飛沫が飛ばされて来る。
それが何かを考えるよりも先に、勘に従ってその場を退避して伏せる。
飛沫の大半は虚空に消えていくが、いくつかは地面に、あるいは周囲の木々に命中し、小さいながらもそれなりの深度の穴を開ける。
「硬度もある程度自由自在という事か」
再び放たれる血飛沫の弾丸を、1番近くの木の後ろに回りこんで盾とする事で回避する。
背中を預ける木が間断なく飛ばされる弾丸に穴を穿たれて削られる音が響くが、幸いにもそれなりの樹齢を誇る為か幹はかなり太く、当分の間は貫通される心配はなさそうだった。
「思っていた以上に柔軟性があるな」
懐から癇癪玉と呼んでいる(正式名称がなく各々が勝手に名前を付けている)ガラス玉を取り出し、隙を見て投擲する。
ガラス玉は山なりに飛んでいき、途中で赤い触手が振るわれ空中で割られ、爆発する。
おれが取り扱っている癇癪玉は見かけこそ市販品と同じだが、ナイフと同様特注で製造過程で中に細かな鉄片を混入しており、破裂の際にそれが爆風に乗せられて四散し周囲に弾丸となってばら撒かれるようになっている。
どこに飛ぶかはランダムだが、数が多いために半径にして20メートル前後に居合わせていれば確実に1個ぐらいは身体のどこかしらに命中する。ユナはその射程範囲内に立っていた。
だがおれの眼に映ったのは、自分の周りに血のドームを作って鉄片を防いだユナの姿だった。
「ま、そうなるな」
魔法と違い術式を構築する必要の無い固有能力では、大半が念じるだけで発動できる為に、不意の事態にも対処しやすい。
ユナの立つ血溜まりはかなりの広さを誇る。仮にユナの領域に侵入したとして、何の策も無しにでは、妨害に遭わずにユナの元に辿り付く事は不可能だろう。
「っと!?」
木の向こう側で魔力が動き、反射的に伏せたおれの頭上を何かが木を突き破って通過していく。
それはユナの作り出した触手が、細長く伸張したものだった。
ただ鞭のように叩くだけでなく、必要に応じて刺突もこなせる。あくまで魔力で生み出されたのではなく魔力によって操られている液体の媒介物故に形状も自由自在らしかった。
「……ははっ、楽しいなぁ」
領域外であっても安全は確約されない。かといって、相手を倒すには領域に足を踏み入れなければならない。
自分が不利な状況に置かれているという事実を再確認して、命のやり取りをしている筈なのにその事を一瞬忘れて楽しさを覚えてしまう。
「そう言えば、選別の儀の前日も喧嘩してたっけな」
正確な原因は覚えていないが、くだらない理由だった気がする。
まだ互いに地力の差が出始める前の年齢だった事もあり、結局決着が付かずアキリアに仲裁されてそれっきりだった。
今やっているのはそんな兄妹喧嘩とはまるで違う命のやり取りなのに、何故唐突に思い出したのかは自分でも分からない。
分からないが、それで良い。
「よし。あの時の続きだ、ユナ。延長した分の対価は命で支払いだ」
今度はワイヤーの括り付けられたナイフを取り出し、木の陰から出る。
すかさず魔力の投網と血の弾丸が襲ってくるが、回避しつつ投擲する。
やはり最初と同じように触手に飲み込まれて防がれるが、間髪入れずに第2波、第3波を放つ。
投擲したものの大半は同様に触手に遮られる。だがいくつかはユナからは大きく外れた軌道だった為に防がれる事もされず、回転しながら見当違いの方向に飛んで行く。
そしてその飛んで行ったナイフに括り付けられたワイヤーを、思い切り引っ張る。
「えっ!?」
ユナがそこで初めて驚きの表情を浮かべる。それはそうだろう、自分の後方に飛んでいったナイフがまるでブーメランのように反転し飛んで来たのだから。
しかしそれも一瞬で建て直し、別の触手を振るいナイフを防ぐ。
その間におれは最初に投げたナイフのワイヤーを上へと引っ張り触手から脱出させ、上空に飛んでいったそれのワイヤーを下に引き下ろす事でユナへ向かって飛ぶように軌道を変更させる。
「また――!?」
今度は触手を盾に防ぐ事は難しいと判断し、最後の1本の触手を操って横から弾き飛ばす。
だがその隙に、おれは一気に距離を詰めて行った。
「出番だぞ、ベル!」
『おうヨ』
背中に現れた柄を握り、一気に振り下ろす。
手に取ったのは、おれの身の丈ほどのドス黒い色をした大剣。それを振るって最短距離を走るのに邪魔な触手を切断する。
血中に含まれていた、触手の形状を取らせていた魔力が消失し、切断された触手は形を失って液体に戻る。これで即座に元通りにするのは不可能となる。
その隙に歩を進め、ユナの領域に足を踏み入れる。
「この……ッ!?」
距離にして残り10歩。そこでおれを認識し、そこら中に広がる血溜まりのうちおれの足元にあるものを操って何かをしようする。
だがそれよりも先に、おれは大剣を振るって地面を斬りつける。
「何で……!?」
結果、ユナの行動は失敗する。
その隙にさらにおれは距離を詰め、残り5歩のところで足を止める。
「ちょっと足りなかったか」
足を止めると同時に、大剣の剣腹がおれとユナに見えるように地面に突き刺す。
「その剣、何?」
「何だろうな?」
剣が突き刺してある場所周辺の血に支配が及ばない原因が剣にあると、ユナは即座に見抜いていた。
その上でその辺りの血を操るのを止めて、自分からやや離れた場所の血の支配権を握っていた。
360度全方位の血が波打ち、円を描くように流れを作り、血の水球を生み出し浮遊させる。
もしおれが1歩でも動けば、即座にそれらの血は一斉におれを仕留めようと襲い掛かるだろう。それがおれを仕留めるのとおれがユナを仕留めるのと、どっちが早いかは半々だ。
せめて後1歩、距離が近ければと思う。
「急いては事を仕損じる、か。まさにその通りだな」
少しばかり焦り過ぎた。およそ7分間というリミットに追われて冷静さを欠いていたと、いま思い返せばそう思える。
もう少し慎重に動き、確実を期するべきだった。
もっとも、戦いにたらればは無いのだが。
「急いては、ね。もしかして、ドーピングのタイムリミットが近いの?」
「さてね……」
八方塞がりという訳ではないだろうが、この膠着状態はおれにとってはあまりよろしく無いのも確かだ。
さて、どうしたものか。