侵食④
20秒、それがユナがヴァルーガを全て屠るのに要した時間だった。
ヴァルーガには人間よりも高い魔力探知能力と、そして無能者であるおれとは違い魔力抵抗力だって持ち合わせている。
そのヴァルーガを、回避する隙も与えず全頭を自分の射程範囲内に置いた瞬間に内側から爆ぜさせた。
ユナが現れてからの経過時間は20秒だが、戦闘に掛けられた時間はほんの一瞬だった。
同じ能力者であっても、分家と宗家ではここまで違う。
相性の問題もあるが、単純な実力差であってもルーイックではユナには及ばない。
同じ戦争を知らない世代である筈だが、ユナは下手な戦争を知っている能力者よりも厄介だろう。
「はい、片付いたよ。降りて来たら?」
「…………」
ほら、いまもこうしておれの存在に気付いている。
魔力は持っていないし、気配だって消していた筈だ。普通に考えれば気付ける筈がないが、ブラフではないとおれの勘が言っている。ここは言葉通りに従った方が良いだろう。
「ああ、やっぱり居たのはあんただったんだ。それで、感想はどう? 他の人が戦っている中自分だけ木の上に逃げて、自分だけが生き残った感想は?」
「安堵してるな。死ななくて良かったって」
「正直なんだね。言ってる事は最低だけど」
「自覚してる」
木から降りはしたが、血溜まりに足を踏み入れたりはしない。
そこが【血液支配】の能力を持つユナの領域である事ぐらい、馬鹿でも理解できる。
「ふーん。でさぁ、1つ聞くけど、そこのヴァルーガが人を襲っていたのって、案外あんたが何かしたせいなんじゃないの?」
「そんな訳ないだろう」
「へえ? こんなところに何故か棲息していない筈のヴァルーガが現れて、しかも本来温厚な筈なのに人を襲っていて、おまけに襲われている人物の中に入り込んでいる上に貴族の人たちですら死んでいる中であんただけが都合良く生き残っているのに?」
「それに対しては偶然だとしか答えられないな。実際そうなんだし」
「じゃあ、手にヴァルーガの血の臭いがベットリと付いているのも偶然?」
「…………」
「少なくとも人間の血とは臭いが違うよね、その臭い。いまこの辺りに漂ってる奴とまったく同じ臭いが、あんたの手から臭ってくるよ。
あんたさ、ヴァルーガを攻撃したんじゃないの? それでヴァルーガたちが怒って、こんな事態になったんじゃないの?」
ユナの視線はおれの左手に、ヴァルーガの幼体の血が付着していた左手に注がれて居た。
鎌をかけているという訳ではなさそうだ。ユナの言葉に偽りはおそらく含まれていない。
推測になるが、固有能力の影響によって血の臭いに関してかなり敏感になっているのではないだろうか。実際に平時の感覚にすら影響を及ぼす能力というのも、数こそ少ないが存在する。
「まさか、そんな事をすればおれはすぐにでも八つ裂きになっている筈だろう?
手に臭いが付着してるのもやはり偶然だ。襲われた際に別の班の奴らが近くに居てね、そいつらがヴァルーガを攻撃した際に返り血がおれに掛かったんだよ。お陰で追い掛けられる羽目になった」
「ふーん」
ユナはおれの言った事をまるっきり信用していなかった。まあ仕方が無い。実際に嘘な訳だから。
「でもさ、その発言を裏付けるような証拠もないよね?」
「確かにないな。で、それがどうかしたか?」
「つまり、あんたがヴァルーガたちを刺激して他の人たちにけしかけたっていう可能性もある訳だよね。あんたが木の上に居たのは、高みの見物をしていたってところかな」
「それこそ証拠がないだろうに。第一、おれが木の上に居たのはおれが無能者だからだ。無能者のおれが術理の通じる人間ならばともかく、魔獣に立ち向かえる訳がないだろう」
「かもね」
「それに、余所者のおれにここに都合良くヴァルーガが棲息していると分かる訳がないだろう。本来はこんなところには居ないらしいんだから、尚更だ」
「確かにそうだね。でも偶然見付けて利用したとも考えられるよ」
「それこそ、ただのこじつけだろう」
茶番だった。ここで行われているやり取り全てが。
「でも、疑いがあるってだけで十分なんだよね」
「疑いがあるから、おれの事を殺そうって? 正気かよ?」
「そうだよ? 疑わしきは罰するってね。本当にクロかどうかなんて、その後で考えれば良いんだから。周りには工作行動をしていたので始末しました、で済むしね」
「そうかい」
1度は腕に刺して抜いた注射器を、再び手に持つ。
カウントは1分をとうに切っている。そんな短時間で倒せるほど甘くない。
「んで、そんな御託は無しにした本音は?」
「あんたがムカつく」
返って来た回答はシンプルだった。
「無能者だっていうのがムカつく。無能者のクセに態度が大きいのが腹立つ。無能者という事自体が気に入らない。それこそ殺してやりたいぐらいに」
「シンプルでいいな、それ。そういうのは嫌いじゃない」
「あんたになんか好かれたくないけどね」
注射器を首に刺す。腕などに刺そうとするとどうしても視線がそっちに向いてしまう為、見ようにも物理的に見れない首に刺す事で、視線を相手から外さないようにする。
「何それ?」
「ただのドーピングだ。無能者が能力者相手に戦うんだ、これぐらいのハンデくらい構わないだろ?」
ドーピングは何も魔法に関するものだけではない。
おれが使っている【促進剤】とは原理こそ違えど、副作用ありで身体能力を向上させるものだって存在する。
おそらくユナも、おれが使ったのはそういう物だと思っているだろう。
「まさか戦うつもり? 逃げないの?」
「逃げたら背後から殺しに掛かるだろうが」
全身に満ちていた力強さが更に増し、脳内の数字が420に戻る。
新たに投与した事によって持続時間がリセットされたのだ。
「へえ。逃げない事だけは評価してあげるよ。でも……死んじゃえ」