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侵蝕②

 



 ヴァルーガと呼ばれる魔獣が居る。

 普段は森の奥深くや洞窟の奥など光届かない場所でひっそりと暮らしている比較的温厚な魔獣で、人間と生息域も被っていない為余り馴染みはない魔獣だ。

 しかし例外的に、貴族たちの間ではとある理由により名前だけはかなりの知名度を誇る。

 というのも、この魔獣は炎に対して極めて高い耐性を誇るのだ。

 火竜の息吹にすら耐え切るほどの耐火性は自然界でも有数のものであり、また毛皮自体の手触りもかなり良い為、ヴァルーガの毛皮を用いた織物は貴族の間で高値で取引されている。


 だが、その毛皮を目当てにヴァルーガを狩ることは容易ではない。

 目撃証言が少ない事もそうだが、ヴァルーガは何よりも単純に強い。数いる魔獣種の中でも、間違いなく上位に入る。

 しかも決して単独で行動したりはせず、常に20頭前後の群れで行動する。その為ヴァルーガを狩る際にはその群れ全体と戦うつもりで掛かる必要がある。

 そのヴァルーガが、午後の演習の場所として用いられる森林に生息している。いや、正確には住み着いていると言うべきか。


 まだエルンストに拾われるよりも前に、奴隷として囚われていた時に襲い掛かってきた魔獣がヴァルーガだった。

 ヴァルーガは本来はティステア内でも特に辺境の地にしか生息していないのだが、たまたま当時そのヴァルーガの子供たちを秘密裏に捕獲し道楽として飼っていた貴族が居て、そしておれが引き寄せる災厄となる為に脱走された。

 脱走したヴァルーガの子供たちはその道中で遭遇し攻撃してきた集団――要するにおれを捕らえていた奴隷商たちを皆殺しにし、そのまま一番近くにあった自分たちが暮らすのに適した地である森林地帯に逃げ込み以後は消息が不明となっていたが、シロが調べた限りではその後討伐されたという報告もない為、もしかしたらと思って探して貰ったところ、案の定というわけだった。


 ヴァルーガは生まれてから2年程で成体となり、年に1度に2、3頭の子供を産む。

 成体のヴァルーガは先程も述べた通り非常に強く食物連鎖の頂点に立つ事が多いが、それはあくまで成体の場合であり、幼体の間はとてもか弱く他の種に捕食対象とされる事がままある。

 だが元々の生息地より大きく離れた地ではヴァルーガを捕食するような個体はおらず、10年の間で順調に数を増やしており、今では通常の群れよりも多い30頭前後の群れをなして森の奥地にある洞窟に潜って暮らしているとの事だった。


「……ここか」


 その洞窟の入り口の前に、おれは演習が始まって早々に向かった。

 道中で誰とも遭遇する事もなく、また周囲に誰もいない事を確認し、息と気配を殺して慎重に洞窟に入って行く。

 ヴァルーガは普段は薄暗い場所に生息している為か、視覚は殆ど退化しており、代わりに聴覚と嗅覚、何より魔力探知能力が発達している。

 その為ヴァルーガを狩る際は魔力の隠蔽に長けた者が、他の者が囮となっている隙に慎重に近づき不意打ちで倒すのが基本となっている。

 だがおれは無能者で、元より魔力など備わっていない。この時点で、相手の最も優れた感覚を実質的に封殺している事になる。

 嗅覚に関しても、事前に煙草の煙を全身にまぶしておけば誤魔化せる。あとは音を立てぬように慎重に歩けば良いだけだ。


 洞窟に入ってからおよそ10分程で、ヴァルーガの群れを見付ける。

 ネズミ色の体毛に太い四肢と鋭利な4本の鉤爪を持ち、頭から尻にかけて白いラインの入った外見をしている。

 体長は幼体で1メートル、成体でその3倍の大きさとなり、目の前の群れは幼体が5匹で他は全てが成体だった。


 ヴァルーガは魔獣に区分されているが、性格は比較的温厚だ。

 だが、その温厚なヴァルーガを怒り狂わせる手段が1つ存在する。

 それは群れの幼体を殺す事だ。

 自分たちの子供を殺した相手を、ヴァルーガは魔力の残滓や血の臭いを辿ってどこまでも追い詰める。そしてその道を妨げるようなものが現れれば、容赦無く排除する。

 怒り狂ったヴァルーガから逃れるのは至難の技で、仮に遭遇してしまった場合は戦うか、もしくは一切攻撃せずに出会い頭に逃走するしかない。

 もし1度でも危害を加えれば、その瞬間からヴァルーガはそいつを邪魔だてする敵と認識し、その後に逃げようとも追跡して殺す。普段温厚である分、怒ったヴァルーガは手が付けられず、仇を打つ為ならば群れの仲間がやられようとも戦い続けるのだ。


「…………」


 群れの幼体の中でも1番小さい個体に目を付ける。

 そして腰から中に薬液の詰まった注射器を1本手にし、腕に刺す。

 針が血管の中に潜り込み、シリンダーの中に入っている緑色の薬液に鮮やかな赤が混じるのを確認して一気に中身を押し込む。

 途端に全身に力が漲っていくのを感じ、同時に頭の中に900という数字が浮かびカウントを始める。


 増強剤の材料となるウーレリーフと魔界にしか存在しない特殊な藻を混ぜ合わせ、それを煮詰めて抽出したエキスの上澄みに妖精の庭園フェアリーズガーデンにのみ棲む妖精と仲良くする事で分けてもらえる妖精の鱗粉を溶かす。

 そうして完成するのは、魔力持ちにとっては猛毒に、無能者にとってはとても優秀なドーピングとなる薬だ。

 エルンストが【促進剤アッパー】と名付けたこの薬は投与する事で濾過細胞の濾過の穴を短時間の間だけ塞ぐ効果を持ち、魔力持ちが投与すれば当然濾過の工程が上手くいかず体を蝕まれる。保有する魔力量次第では、薬の効果が持続している間に全身が破裂する段階までいく。

 だが濾過する魔力を持たない無能者ならば、濾過細胞の穴が塞がったところで何も問題ない。それどころか痛覚を1時的に麻痺させる事ができ、更には穴が塞がる事で体内の内圧が高まり、身体能力を飛躍的に上昇させる事ができる。

 身体能力の上昇幅は1回の投与でおよそ1.5倍。2回目の投与でそれは当初の1.7倍となり、3回目を投与する事で最終的には2倍にもなる。

 反面持続時間は1回目で15分、2回目で7分、3回目で3分間と投与回数が増すほどに短くなっていく。ただどういう理屈かは不明だが、投与の度に持続時間はリセットされる為、上手く繋ぎ合わせていけば最大で25分間の猶予を得られる。

 そして効果時間が切れれば、次に来るのは反動だ。

 怪我の有無に関わらず全身を刺すような激痛が襲い掛かり、同時に体温が極端に上昇し指1本すら動かす事ができない虚脱感に支配される。

 その副作用は【抑制剤ダウナー】と名付けられている薬を投与する事である程度は緩和されるが、到底戦闘を続行できるような状態ではない。

 また、4回目の投与の時点で濾過細胞の穴はおろか汗腺まで全て塞がる為に全身のタンパク質の変性が起こり、無能者であっても死ぬ。

 その為使いどころを考える必要があるが、この薬は無能者であるおれが能力者を相手に戦う為の重要な手札である。


 ただ、今回【促進剤アッパー】を使ったのは能力者と戦う為ではなく、怒り狂ったヴァルーガたちから逃げる為だ。

 例え脳の抑制を外している状態のおれであっても、ヴァルーガから逃げる事は不可能だ。振り切るには更に1段上の身体能力が必要となる。


「……悪いが、お前たちをおれの勝手な都合で利用させてもらうぞ」


 ナイフを手にし、目を付けた幼体の喉に差し込んで素早く横に引く。


「キュ――」


 声を出させないように声帯を素早く断ち切ったつもりだったが、一瞬遅くか細い悲鳴が上がり、寝ていた親たちが目を覚ます。

 だが、好都合だ。


「ほら、お前たちのガキを殺した憎い仇は、お前たちの目の前に居るぞ」


 喉から流れ出る血を手に塗りたくる。

 あとはこのまま逃げれば、その臭いを辿って追って来る。


「グォォォォォォォッ!!」

「ははっ、そうだ、追って来い! 子供の仇を討つ為に、邪魔だてする連中も纏めて殺せ!」











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