講義①
『魔法理論Ⅲ』という名前の講義は、おれを除いても10人前後しか受けている者がいない。
教鞭を執っているのが、この学園の長であるメネキアであるのにも関わらずだ。
それだけを見ると不思議な事もあるものだと首を捻るのだが、実際に講義を受けてみるとその理由が良く分かる。
いくら学園内で高い地位に居るからと言っても、メネキアは突き詰めればエミティエスト家の者――要するに変人である為だ。
1回生の初期こそ生徒は多数この講義を受講するが、実際に講義を受けてみると内容は極端に狭く不人気な分野な上、相当な専門知識を必要とする。
その為に時が経つにつれてドロップアウトする生徒が続出し、残るのは同じエミティエスト家に連なる者か、もしくはメネキア並にマニアックな者か、そうでなければおれみたいにメネキアの観察目当てに受講する者だけになるのだ。
ただ、個人的には非常に都合が良い。
貴族の者で講義を受講し続ける者は、先程も言ったとおりエミティエスト家に連なる者だけである為に受講生徒の中には3人しか居らず、残りは全員が平民出身だ。
その為おれが無能者だからと言って表立って絡んで来る奴も居らず、この講義の時間は精神を休めるのにもってこいだった。
「皆も知っている通り人の保有する魔力に限界がある。そしてこれには、とある細胞が密接に関っていると言われている。その細胞が一般的に何と呼ばれているか分かる者は居るかね?」
時たまおれに質問が飛んで来るのは、許容範囲内だろう。
ただ、居るかねとか言いながらおれの方をガン見するのはやめろ。
「……濾過細胞」
「その通りだ」
実に満足そうに頷く。
「人は生きている限り、絶えず体の中で魔力を作り出している。それは身体という器が満杯になっても止まる事は無い。なのに器が耐え切れずに壊れたりする事がないのは、余剰分をその濾過細胞を通して濾過して体外に放出している為だ。熟練の者が行う魔力の押さえ込みというのは、その濾過をコントロールする事でもある」
「わざわざ濾過する意味はあるんスか?」
そう質問したのは、平民出身の男だ。名前は確か、ディンツィオと言ったか。
10人弱しか居なければ、興味が無くとも自然と名前くらいは覚えてしまう。
「あるとも。よく無作為に漏れ出した魔力が物理的破壊力を伴うという事を聞くだろう? それは放出された魔力が勝手に術式を組もうとして、結果未完成なまま崩壊を起こすために起こる現象だ。仮に濾過されずに魔力が放出されれば、いずれ放出された魔力同士で寄り添い合い術式を組もうとする。それが起こらないよう人間の体は上手く機能しておるのだ」
自分の講義をきちんと聴いている生徒に気を良くしたのかどうかは知らないが、満足そうな笑みを口元に浮かべてボードに長方形の図を描く。
「これ全体を人間の身体とし、この中の図を魔力の器、それ以外の部分を濾過細胞としよう」
長方形の中に相似の、しかし大分小さな図を描く。
「さて、この濾過細胞だが、生まれた時点の濾過細胞は非常に不恰好な構造をしている。濾過のための穴の数も少なければ直径も小さく、何より器を外から圧迫している。保有魔力の上限を上げるという行為は、この圧迫している濾過細胞を内側から押し広げて器を大きくするという行為に他ならない。
皆にはわざわざ聞く必要は無いだろうが、念の為に尋ねよう。上限を上げるにはどのような方法があるかね?」
「限界まで魔力を消費する事っスよね。所謂超回復とかいうやつ」
「その通りだ」
図の濾過細胞に当たる部位に、数本の横棒を描き込む。
「器が満杯の時、濾過細胞は作り出される余剰分を濾過して外に放出する。ところが人間の身体は実に利己的で、器が枯渇するかそれに近しい状態になった時、肉体は極めて危険な状態に陥る。その危険な状態から脱しようと、常時作り出している魔力よりも多くの量を生み出し、少しでも早く器を満たそうとする。
ところがそうなると困るのが濾過細胞だ。濾過細胞は魔力の生産量が上がった事に対して、既存の濾過の為の穴の数や大きさだけでは濾過し切れないと判断したこの細胞は穴の数を増やしたり直径を広げたり、あるいは自分自身の体積を減らそうとする。より効率的でスマートな姿になろうとするのだ。
しかしそうなると逆に困るのが器の方だ。魔力の生産量が上がっていたのはあくまで危機を脱する為の緊急手段であり、1時的なものでしかない。にも関わらず器の体積が大きくなっているばかりか、濾過の穴の数が増えたり直径が広がったりしている。これではそれまでの生産量では濾過量の方が勝ってしまい、いつまで経っても満タンにする事ができない。その為身体の方は器を満たすために魔力の生産量を恒常的に上げるしかない。保有魔力量の多寡に関らず全快までの期間が概ね同じなのは、そういう理屈だ。
こうして濾過量と生産量が拮抗する事で、ようやく上限値が増加する訳だ」
ボードに描かれた図のうち内側の図は無くなり、残った長方形は斜線が埋め尽くしていた。
メネキアが説明した事柄は、全て既知のものだった。
ただ付け加えるならば、濾過細胞の穴が塞がるなりして濾過が不可能になった場合どうなるかが抜けている。
おそらくは大陸中のどの国も知らない事だろうが、仮にそれが起こった場合、逃げ場を失った魔力は宿主の身体を蝕む。
そして最終的には、魔力が逃げ場を作ろうと身体を押し広げて内側から破裂する。
そうなれば死因不明の死体の出来上がりだ。
「ちょっと質問なんスけど、いいっスか?」
「何だね?」
「超回復以外に上限を上げる方法は無いって話っスけど、それなら増強薬を始めとするドーピングはどうなるんスか?」
「フム……」
しきりに頷くが、今の質問に感心する要素なんてあったか?
「ドーピングに用いられる薬物は副作用のある物が多く、その殆どが禁止されている。その中で増強薬は禁止のされていない、副作用の存在しない高価な薬として有名だ。効果は1時的な上限値の上昇並びに消耗した魔力の回復。これがどういった原理で起こるかは、次回の授業で実際に増強薬を作りながら説明しよう。ちょうど君たちがこれから受ける午後の講義は、野外演習だっただろう?」
メネキアの言う通り次の講義は野外演習であり、実際に王都の外に出て課題をこなすと共にサバイバル能力を養う授業だ。
今回の課題は王都から西に存在する森林地帯で、事前に指定した素材の収集だ。
収集された素材は学園が回収し、各分野の研究材料として消費される。
基本的に経営するのがエミティエスト家である為、自分の研究の為、そしてその資金の確保の為、使える手段は何でも使うというスタンスだ。
野外とはいえ一応は王都の付近ではあるが、やはり野外である以上は危険は存在する。
そして稀にではあるが、平民側で死者が出る事もある。
ならばたまに貴族側で死者が出たとしても、仕方がないだろう。今まで出てた死者はたまたま平民ばかりだっただけで、今回はたまたま貴族であったというだけの事だ。
「その課題の素材の中に、増強薬の材料となるウーレリーフを加えておくよう指示を出しておこう。君たちの中でそのウーレリーフを収集して来た者が居た場合、最高の評価は勿論、今後の講義における単位もある程度融通する事を約束しようか」
メネキアの堂々とした贔屓宣言に、主に平民出身者が歓声を上げる。
おれとしてはメネキアの贔屓行為は今さらなので、どうとも思わないが。
そんな事よりも、おれの意識は課題関係無しに午後の講義に向いている。
失敗するつもりは毛頭ないが、今回の行動の成果次第で、今後おれの取るべき行動は大きく変わってくる。
今までのターゲットは学生が中心だったが、やはり主だった作戦参加者は、彼らよりも上の世代が多い。
そいつらを、今回の行動で盤上に引きずり出す。
それが現在でおれが最も優先するべき目標だった。