演習④
アルトニアスとシアの治療の腕を比べると、大体互角といったところだろう。
ただし、アルトニアスが熟練の技術によって少ない魔力消費でより大きな成果を出すのに対して、シアはその生まれ持った膨大な魔力をとにかく注いで成果を出すという方向性の違いがある。
どちらにせよ、過程が違うだけで治癒魔法によって齎される結果自体に違いは無い。
ただ個人的には、技術を重視したアルトニアスのやり方の方が好みではあった。
「それじゃ、いっくよー!」
おれと向き合ったシアが高いテンションで手を挙げる。
それを合図と受け取り、待ちの体勢で迎え撃とうと重心を落とした瞬間に感覚が跳ぶ。
次の瞬間にはシアが眼前に迫り、拳打を放つ寸前だった。
「てりゃ!」
軽い掛け声に反して鋭い拳打を、辛うじて対応させて間に入れた手の平で受け止めて左に円を描いて流す。
シアもその流しに逆らわずに対応し、逆に勢いを利用して左足の爪先でおれのこめかみを抉るような蹴りを放ってくる。
だが、さすがにそんな大振りな蹴りは予備動作でバレバレだ。
「うわっ、と――」
体を右に倒して回避するのと、左の膝を繰り出す動作を同時に行う。
膝蹴りはシアの眼前で寸止めする。下手に怪我を負わせれば、どんな追求をされるか分かったものじゃない。
「すっごい。これが【ゾルバ式戦闘術】ってやつかぁ……」
厳密に言えば、今のは蹴り技ではあるが違う。
回避と攻撃を同時に行う動作というのは、行動のテンポを早める術としてエルンストに叩き込まれた技術だ。
そんな事よりも、おれは先ほど眼前で起こった出来事を振り返る。
感覚が跳び、シアの姿が魔力ごと眼前に移動していた。その距離は数メートルにおよび、素早く跳躍して来ただとか高速で突進して来ただとか、そんな次元の話では断じてなかった。
自慢ではないがおれの動体視力は――とりわけ右眼の動体視力はずば抜けている。ましてや、シアは宣言どおり魔力による強化は一切行っていなかった。見失う訳がない。
となれば、残されたのは――
「【時間支配】か……」
「……あはっ♪」
おれとしては独り言のつもりだったが、シアの耳にはしっかりと届いていたらしい。嬉しそうな声と一緒に笑みを浮かべる。
その時の笑みを見たおれの心情はどう説明するべきか、とにかくその笑みを浮かべたシアの顔は、容易には忘れる事ができなさそうだった。
年相応の可愛らしい笑顔では、断じてない。嬉しそうに笑っているのは確かなのに、何かが決定的にズレていた。
「やっぱり分かる? ゾルバから来たんだから、知っててもおかしくないもんね」
「…………」
それにおれは反応する事ができない。肯定しようが否定しようが、相手に付け入る材料を与える事になるからだ。
「どこまで知ってるの? もしかして、私の能力も調べるように言われてるのかな? 別にいいよ、教えてあげる。
【時間支配】って言っても、全部を支配できるわけじゃない。これは理解してるみたいだけど、さっきのは時を一瞬止めて距離を詰めたんだよ。だけどそれは世界の時そのものを止めたわけじゃなくて、一定範囲内の時を止めただけ。範囲は私を中心に最大で10メートルで、止めていられる最大時間は私の体感時間でおよそ2秒。時を止めている間は範囲内の物体全部の時が固定されている訳だから、生物無生物を問わず一切傷を付けることができない。だから時を止めている間に相手をグサーッ、何て芸当は不可能。
本来は時を止めるんじゃなくて、範囲内の時を早めて相手を風化させたり、あるいは時を遅くして優位に立つのが使い方。でも、もっと練習すれば範囲も止めていられる時の時間も長くなると思うよ。昔は5メートル1秒が限界だったしね。役に立つ?」
自分の能力について、一気に捲くし立てる。それに一体どんな意図があるのかは、おれにはさっぱり分からなかった。
単純に考えられるのは、偽りの情報を渡す事による撹乱だろう。
だがその意図がなんにせよ、おれには一切関係が無い。
少なくとも現状で、シアの言った言葉を信じる要素が一切無い。例えどんな内容だろうが、検討材料とする事はあっても鵜呑みだけはしない。
「他に質問は?」
「……組み手で能力は使わないんじゃなかったか?」
「ああ、それね」
ニッパリと笑う。その表情からは悪びれというものが一切見受けられない。
「約束を破ったのは謝るよ。ゴメンね。でも、試したかったんだ。君が私が時を止めたことに気付けるかどうか」
立ち会う前、声を掛けた時に、シアがこっちを観察するような視線を向けていた事を思い出す。
「試した甲斐はあったかな。やっぱり無能者は、魔力持ちと比べて魔力探知能力に長けてるみたい」
「…………」
おれはポーカーフェイスを保てていただろうか。
やっぱりという言葉が出てくる辺り、前々から当たりは付けていたという事だ。果たしてその根拠は、一体どこから出てきたのか。
無能者ならば誰もが魔力探知能力に長けている訳ではない。
これは無能者だけに限った話ではないが、素質があるからと言って鍛えなければ宝の持ち腐れでしかない。
無能者は総じて魔力探知能力の素質がある。だが鍛えなければそれは凡人と同じなのだ。
おれだってその事はエルンストに教わるまで知らなかった。魔力持ちにとって無能者が自分たちよりも優れた面があるという事を知らないか、そうでなくともそれは何よりも認めがたい事であるが故に、知っていたとしてもその情報を隠匿している為だ。
「はい、握手しよ」
「……は?」
急にシアが手を差し出し、握手を求めてくる。一体どう反応しろと言うのか。
「嘘吐いちゃったから、その事について許して欲しいんだ。これはその為の仲直りの握手。許してくれるなら握って欲しいな」
おれ個人としては、別に嘘を吐かれた事に対して怒ってはいない。
平時ならばともかく、戦場では騙される方が悪いとエルンストも良く言っていた。例え組み手とはいえ、それは同じ事だ。
まあエルンストは戦場であっても騙されたらキレていたが。
「別に気にしてない」
ただ、いつまでも放置していたら話が先に進まない上に悪目立ちする事が目に見えたので、ひとまず差し出された手を握り返す。
その対応に気を良くしたのかは知らないが、シアはニパっと笑い、そして衝撃的な発言をしてきた。
「ありがと、ジン兄」
「……ッ!?」
今度こそポーカーフェイスは崩れた。
それは一瞬だけの事で素早く取り繕ったが、シアは気付いたか?
「……違う、かな、やっぱり。ゴメンね、さっきから謝ってばっかりだけど、何でもないよ。気にしないで」
ホッと、少しだけだが肩の力が抜ける。
鎌をかけられた――そう思うべきだろう。相手が気付いているかどうかはまだ分からないが、少なくとも疑惑はユナもシアも持っている、そう認識するべきだ。
「……よっし、仕切りなおしね。もう1回、今度こそ能力も無しでやろう!」
元気の良い声と一緒に、スキップ混じりの軽快な足取りで元の位置に戻り始める。
その後ろ姿はよくいる天真爛漫で活発な少女といった風だ。
『お兄ちゃんって呼ばれて嬉しいのかヨ? 笑えるナ』
「黙ってろ」
快濶で活発そうな少女――そのシアに対する認識は改める必要がありそうだった。