演習③
思いがけないアルトニアスの静止の声だったが、おれにとって喜ばしい事かどうかと言えば、はっきり言って微妙だった。
「何って、組み手だけど?」
「固有能力まで使うなんて、どう考えてもやり過ぎよ!」
「どこが? 別に禁止されてる訳じゃないし、何の問題ないけど?」
「相手は無能者じゃない!」
「それが何なの?」
ユナのアルトニアスに対する対応は、心底興味が無いと言ったものだった。
むしろアルトニアスに対する反応が顕著なのは周囲の連中の方で、耳を澄ませてみればヒソヒソと話し声が聞こえてくる。その内容は様々だったが、1番多い意見を要約すると「何言ってんだこいつ」と言ったもの。
無能者を庇うのも十分に異常だが、何より子爵家に過ぎない身分の者が、自分の属する集団の母体と同等の地位を持つユナに対する口の利き方と態度ではない。
これでこの場が収まったとするならばおれとしても面倒事にはならない為万々歳だが、後に変に悪目立ちするのは目に見えている。そして何より、アルトニアスの属するオーヴィレヌ家の反応が読めない。
だからと言ってアルトニアスを止める事も不可能だ。下手な止め方ではむしろ周囲に無用な疑いを持たせるし、何よりアルトニアス自身を何の反論もさせずに宥める方法をおれは知らない。
ここであいつを止めようと動く事は、返って自分の首を絞める結果に繋がる。あいつに口を挟ませた時点で、おれは既に失態を犯していた。
「あんたねぇ、下手すれば相手を殺していたって事に気付かないの!? 自分のやっている事が――」
「そこまでにしておけよ」
高圧的な、そして不快さを滲ませる声が響く。
赤い髪の長身の男が、眉を顰ませながらアルトニアスの方へズカズカと歩いて行った。
ルーイック=リヴァ・スリストデス。アルフォリア家所属の侯爵家嫡男であり、おれからすれば今回の演習に参加した目的の人物の1人でもある。
火属性の単属性持ちであり、それに類する固有能力持ち。
そして現当主である父親と共に3年前の作戦に参加している者であり、おれの次の標的兼布石の為に事故死してもらう事が確定している。
今回は可能ならばそのおおよその能力を測るつもりでいたが、思っていた以上に周囲のやっかみが酷く半ば諦めていたのだが、望外のところから関わってきた。
「自分の立場を弁えろ。ユナ様はお前ごときがそんな口を利いて良い方じゃない」
少なくとも対外的にはだが。
アルフォリア家内では、いくらタブー扱いされていても無能者であるおれの妹という事実は変えられない。
加えてアキリアやシアの存在、そして性別が女である為に当主となれる可能性は限りなく低い。
推測になるが、ユナのアルフォリア家内での立場は、相当微妙なものである筈だ。
「はあ? 何でよ?」
ただ、それを知っていようが知っていなかろうが、こいつの態度は変わらない気がする。
「お前は子爵家で、ユナ様は公爵家のお方だからだ。そんな事も分からないのか?」
「それが何だって言うの? 別に当主って訳でもないし、嫡女って訳でもないじゃない。曖昧な立場に胡座を掻いて、自分よりも弱い立場の奴を鬱憤晴らしの為に利用するような奴に払う敬意なんてないわ」
「分を弁えろ!」
その言葉には全面的に同意する。言っちゃなんだが、アルトニアスもオーヴィレヌ家分家の当主という立場がなければ、不敬罪で処断されている。
「あんたこそ、脇からしゃしゃり出てきたくせに分を弁えなさい。私が用があるのはこっちよ」
そう言ってユナに向き直る。
「あんた、暇なんでしょ? だったら私とやりなさい」
何を、とは聞くまでもない。組み手の相手をしろという事だろう。
「何でわたしがやらなきゃならないの?」
「その言葉はあんたが言えた義理じゃないわ。さっきの自分の行動を振り返ってみなさい。それとも、逃げるのかしら? 公爵家令嬢と言っても、所詮は親の立場に胡座を掻いているだけの臆病者といったところかしら?」
ユナが右眼を細める。
何となく分かった。キレたと。
「いいよ、やってあげる……」
「おれの居ないところでやれよ」
どうせ聞こえてないだろうが、思わず呟く。
ユナにしろアルトニアスにしろ、どっちも迷惑極まりない。
と――
感覚が一瞬跳ぶ。
正確には、周辺に多数あった魔力の塊の1つが、いきなりおれの背後に移動していた。
そしてその魔力の持ち主は、そのままおれの腕を掴もうとしてきたので、腕をひょいと持ち上げて回避する。
「あれ――っとと……?」
躱されるとは思っていなかったのか、おれの腕を掴み損ねた結果、そいつは前につんのめる。
シアだった。
周りの連中の大半は睨み合うユナとアルトニアスの方へ視線が集中しているが、一部の連中は突然現れたシアの存在に気付き、驚きと戸惑いの声を上げていた。
「あぁ、もう、だから言わんこっちゃないのに……」
おれに躱された事など無かったかのように、両手を掲げて打ち鳴らす。
「あー、はいはい皆さん解散かいさーん! サボってないで、すぐに取り掛かる! それとユナちゃんもやるのは良いけど、周囲に迷惑の掛からないように離れた場所でやるように!」
よく通るその声に、1人、また1人とその場を離れていく。
さすがに公爵家令嬢――それもアキリアの妹であるシアの言葉に逆らう者は居なかった。
中央の2人は聞こえていないかのように、睨み合ったままだったが。それに逆に、周囲の者たちが距離を取っていく。
「よし、行こうか」
「どうしてどいつもこいつも、本人の意思は無視に話を進めようとするかね」
この言葉は偽らざるおれの本心だ。
「でも、1人でここを離れたら、また絡まれるよ? その前に私と組もうよ。そうすれば、少なくとも近づいて来る人は居なくなるよ。大丈夫、手加減するから」
「手加減されたところで、無能者であるおれと――」
「魔法無し、固有能力無し、魔力による身体能力強化も無し、純粋な技術のみでの勝負にしよう。そうすればそっちの方が有利でしょ? 動きを見れば素人じゃないのは分かるし」
それにと、視線がおれの左腕に移動する。
「そっちも早く手当てしないと、失血死するよ? 私も水属性の適性はあるし、治してあげるよ」
おれに向けられる視線。それはまるで、おれを観察するかのようなものだった。
接触してきたのは、全くの善意という訳ではなさそうだ。
その方が逆に信用できるが、どちらにしろ、おれの厄日はまだまだ続くようだった。




