アキリア②
始業式は少し憂鬱だ。過去に3度経験しているけど、その度に周りの人たちが珍獣を見るような眼で騒ぎ立てるから。
まあ、それを抜きにしても常日頃から、私の周りには頼んでも居ないのに沢山の人が集まって、様々な視線を投げ掛けてくる。それもそれであまり気持ちの良いものではないけども、始業式を始めとした行事では、集まって来る視線の数が違う。
1000を超える数の視線が、自意識過剰でも何でもなく、私に対して一斉に集まって来る。その状況は、誰であっても足が竦んで気が重くなると思う。
よく英雄が凱旋すると熱狂する国民に囲まれて喝采を浴びるという状景を聞くけど、私にはとてもとても、そんな真似は無理だ。
「ふぅ……」
扉の向こう側で、学園長のメネキアさんの声が聞こえて来る。そろそろ、私たちが入場する番だ。
「どうなさいましたの、お姉様? そんな憂鬱そうな溜め息を吐きなさって。いえ、そんなお姉様も儚気で素敵ですが」
「……多分君も、私の憂鬱さを増強させている要因の1つなんだろうね」
「そんな、光栄ですわ。この私が、お姉様の幻想的なお姿を作り出す手助けができているなんて……」
「どうすれば君に、皮肉や嫌味が通じるんだろうね」
自分にとって都合の良い解釈のできる耳と頭が心底羨ましくて、そしていい加減鬱陶しい。
きちんと最初の1年を繰り返さずにやっていれば、この子と同学年になる事も無かったのに。
『君たちの先達となる者たちを紹介しよう』
静かに左右に開き始めた扉の向こうから、遮るものが無くなって一際大きく響くようになった声が聞こえてくる。
それに伴い、私たちよりも前の方で待機していた2回生の人たちが進み始める。彼らが移動を終えれば、すぐに私たちの番になる。
「あれが、アルフォリア家の次期当主……」
「既に当代最強の呼び名も高い、麒麟児……」
「噂に違わない美しさだ……」
2回生の入場が終わって、3回生の入場が始まると、すぐにそんな声が耳に入って来る。
主に新入生の、貴族に連なる子の声なんだろうけども、少しばかり不愉快だね。
お世辞であろうとそうでなかろうと、そんな言葉はとうの昔に聞き飽きている。それに私は、見世物じゃない。
「毎度毎度、身の程を弁えない愚か者たちですわね」
私に対して話し掛けてくるけど、それには同意し兼ねるね。
少なくとも私は、毎度の事にうんざりして不愉快に思ってはいても、愚か者とは思っていないから。
集まって来る視線の中で最も多いのが、1回生から飛んでくる、珍獣を見るような好奇の視線。
これがしばらく経つと、羨望や憧れ、嫉妬や情欲、そして怨恨の類へと変化していく。実際2回生の方から飛んで来るのは、そういった視線だ。
まったく、表情を取り繕うのも一苦労だね。感情をはっきりと表に出せたら、どれだけ楽な事か。
「……?」
ふと、種類の違う視線を上方から感じる。
上手く言い表せないけど、普段向けられているものとははっきり違うと断言できる、まるで研究対象として観察されているかのようで、それでいてそれ以外にも色々な感情がごちゃ混ぜになっている、そんな視線。
感じたのはほんの一瞬の間だけ。もしかしたら、ただの勘違いかもしれない。むしろ、そんな一瞬の間でそこまで正確に分かった事が不思議で、勘違いだと言われた方が納得できるくらい。
それでも気になって、そちらを見上げてみた。
「…………」
そこには、やっぱり誰もいない。無人のバルコニーがあるだけだった。
「どうかしましたか、お姉様?」
「……ううん、何でもない」
そう、やっぱり気のせいだったんだと思う。こんなに憂鬱な気分なんだし、自分で思っている以上に気疲れしているみたい。
何でだろうね、その気のせいだった視線が、どこか懐かしいように思えたのは。
不思議な事も、あったものだと思うよ。
「ユナちゃんは?」
「今日は1人で食べるって。何か機嫌が悪いみたい」
機嫌が悪い? あの日はまだ先の筈だけど、どうしたんだろう。
「何かあったの?」
「んーと、関係あるかどうかは分からないけどさ……」
シアちゃんが言い辛そうに、口をモゴモゴとさせる。そんなに私には話し辛い事なのかな?
だとしたら、少しだけ悲しいかな。私の事を色目無しに見てくれる数少ない子なのに、まるで距離を作られたみたいで。
「わたしのクラスにさ、無能者の編入生が居たんだよね」
「……へえ」
危ない危ない。危うく口の中のものを吐き出しそうになったよ。
どうにかして調べられないかと頭を捻っていたのが、とても馬鹿らしく思えた。
「へえって、それだけ?」
「それだけって、何が?」
「いやぁ、もっとこう、何かあると思ってたんだけど……」
ああ、そういう事か。だとしたら、随分と見当違いな心配をしていたね。
ううん、ここはそれだけ、私が上手く表面を取り繕えて居たと考えるべきかな。
「そういうシアちゃんこそ、何も思わないの?」
「一応、ゾルバから推薦を受けている訳だし……」
「それは大人の建前の事情であって、シアちゃんの本心じゃないでしょ。私が聞きたいのは、本心の方だよ」
「……それは、何も思わないと言ったら嘘になるけど、でも本人って訳でもないしさ。なら、こっちが変に感情を持つのは筋違いってやつでしょ。何もその無能者から、直接迷惑を掛けられた訳でもないんだし」
「そう……」
姉妹だからかな、そこまでの嫌悪感は抱いていないみたいだね。
皆無って訳でもなさそうだけど。
「その無能者の編入生について、ちょっと教えて欲しいんだけど、良いかな?」
「良いけど、別に詳しい訳じゃないよ?」
「うん、それでも良いよ。どんな事でもいいから教えて欲しい」
ちょっとがっつき過ぎかな? 不自然に思われなければ良いけど。
でも幸いにもシアちゃんは、気にした風には見えなかった。あくまで世間話の延長として、受け取ってくれたみたい。
「名前は、その……エルジン・シュキガルって言ってた」
カランと、手からスプーンが落ちて注目を浴びる。
自分の不注意を呪いながら、何事も無かったかのようにスプーンを拾うと、集まっていた視線は徐々にまばらになってくれた。
「エルジン……?」
「うん、やっぱ反応するよね。でも、多分偶然だと思うよ? 髪とか眼とか、全然色が違うし」
「染めてるとかは?」
「……そんな感じはしなかったよ。あれは間違いなく地毛だね」
そう言われて、ちょっとだけ落胆する。
無能者に色素の変化はあり得ないから。
「エルジンって名前は、そこまで珍しくもないじゃん。偉人の名前なんだし」
「そうだよね……」
確かに出来過ぎな偶然だけど、あり得ない話じゃない。本人の方が、遥かに出来過ぎだ。
「それと見た感じ、少しはできるみたいだった。重心は安定してたし、素人じゃないのは間違いないよ」
「ゾルバからの推薦、だからね」
「そうそう、所謂【ゾルバ式戦闘術】ってやつを身に付けてんだろうね」
隣国のゾルバは、能力者の数や保有魔力量で劣る代わりに、技術に関してはティステアよりも上。
【ゾルバ式戦闘術】もその一環で、ティステアでは保有魔力量が多い為に疎かに成りがちな素手での近接戦闘術を、大陸の軍隊で初めて1つの体系として作り上げたものだ。
「それでも強化に回せる魔力がないから、さすがに学園に入れるレベルには勝ち目は薄いだろうけどね。わたしが今知っているのは、これぐらい」
「…………」
さっきはああ言ったけど、できればもう少し詳しく聞きたいのが本音かな。
でも知らない事は聞きようがないし……そうだ。
「ねえシアちゃん、その無能者の編入生と、それとなく接触してくれないかな?」
「え? なんでわたしが?」
「だってほら、私だと、ね?」
下手したら国際問題にしちゃうし。
私がじゃなくて、私の周りに集まって来る人たちの手で。
「それで、少しでも良いから分かった事を教えて欲しいんだ」
「でも……」
「それに、ユナちゃんの事もあるしね」
「……確かに、放っておいたら国際問題にしかねない、か」
不謹慎だけど、ユナちゃんにはお礼を言いたい。
「分かった。でもやり方は、こっちに任せてね」
「うん、お願いね」