アキリア①
日の出から少し経った時間帯に、私は目を覚ます。
この時期のこの時間帯はまだまだ肌寒く、もう少し毛布に包まっていたい誘惑に駆られる。その誘惑を振り切って、体の上から毛布をどかす。
「……また入り込んでる」
すぐ横には、当たり前のように私のベッドに潜り込んで寝ている同居人の姿があった。
「ほら、起きて」
これで何度目だろうというやるせない思いに苛まれながら、肩を揺すって起床を促す。
「ううん……」
どうやら今日は比較的楽に起きられるらしく、1度の呼びかけで目覚めに向かっていた。
その事を確認してから窓を開けて、朝の新鮮な空気を室内に取り込む。その冷たい空気が肌を撫でて、僅かに残っていた眠気も完全に吹き飛ぶ。
「ふぅ……」
外の天気は昨晩の大荒れが嘘のような快晴で、とても清々しいものだった。
ただ庭を見てみると、やはり昨晩の大荒れの天気は嘘ではないと主張するように水浸しとなっていて、花壇の綺麗な花や植えてあった木は散々な事になっていた。
「さて、と……」
気分を静めて、眼を閉じて願う。
願いの内容は至極単純。荒れた庭が元通りになるように、というもの。これなら変な方向に変化する事はないしね。
願い終わって眼を開くと、庭全体が仄かな光を放ちながら緩やかに元通りになっていく。
水溜まりは綺麗さっぱり失くなり、地面は乾いた状態で慣らされ、荒れた花や木々は何事もなかったかのように咲き誇る。
祈ってから1分と経たずに、庭は元通りの整然とした景色を取り戻していた。
「……よし」
これくらいの規模の事なら、簡単にできるようになっていた。
昔はこの程度の事すら失敗していたけど、今はもっと規模の大きな事も叶えられるようになっている。
それでも、あんまり大きな事は叶えられないけど。
「さすがですわ、お姉様!」
「鬱陶しい」
背後から完全に目を覚ました同居人が飛びついて来たから、いなして本人のベッドに投げ飛ばす。
毎度毎度、何かと理由を付けては抱き付いてくるこの悪癖はどうにかして欲しい。それとお姉様と呼ぶのも。
「確かに私は君よりも年上だけど、血も繋がっていないし、姻戚関係も無いんだから、お姉様って呼ぶのは辞めてくれないかな?」
「いいえ、お姉様が何と言おうともお姉様は私のお姉様ですわ。それに将来的には兄と結婚しますから、何の問題もないですわ」
「私は君のお兄さんと結婚するつもりなんて、毛頭ないんだけどね」
それに記憶が正しければ、君のお兄さんは婚約者がいる筈でしょうに。どうしてこうも、私に付き纏うのか理解に苦しむよ。
慕っているようだけど、そのくせ私の言う事に耳を貸す様子もない。ある意味、狂信者染みてると思う。
かといって、無碍にする事も簡単にはできない。
一応こんなのでもオーヴィレヌ家の嫡女だから、何か危害を加えたら大問題になってしまう。
「ままならないなぁ……」
もう2年以上の付き合いになるのに、未だにこの子には慣れない。
1度どうにかならないものかと願ってみた事があったけど、結果的に見れば悪化したとも言えるし。
この力は細かな事ができないのが不便かな。単純に私の力不足が原因かもしれないけど。
「お姉様、髪をお梳きしますわ」
「自分でやるからいいよ」
髪の量が多くて大変だけど、君にやらせるほど私は命知らずじゃない。
それにただ櫛を通して一纏めにするだけだから、わざわざ他人の手を煩わせる程のものでもないし。
「残念ですわ。今日こそそのお髪を整える事ができると思いましたのに」
「余計なお世話だよ」
「そうは仰られましても、お姉様は少し無頓着過ぎますわ。髪は伸ばしたい放題ですし、かといって特別に手入れしている訳でもありませんし」
「君が気にする事じゃない」
これは験担ぎみたいなものだしね。そうじゃなきゃ、ここまで伸ばしたりはしないよ。
ただ重たいだけで、メリットがないしね。
それに伸ばしたい放題と言うけど、さすがに視界の邪魔になる前髪は切っている。
「ですがお姉様は、磨けばもっと光りますわ。勿論今でも充分に素敵ですけど……」
「そう言ってもね、周りに人が集まるなんて、鬱陶しいだけだよ」
君も含めてね。
「確かに、これ以上お姉様が下種な視線に晒されるのを増やすのは……いや、そうでなくとも既に限界数に達しているから、しないだけ損な気が……」
残念な事に、私の皮肉は通じてないみたいだね。まあ、直接言ったところで応えそうにもないけど。
「そう言えばお姉様、ご存知でしたか?」
櫛を通し切って髪を纏め終えた時に、唐突に尋ねられる。
勿論何を知っているか言われてないから、答えようがないけど。
「今年の2回生に、ゾルバから留学生が来るそうです。それもよりにもよって、その留学生は無能者なそうですわ」
「……それ、本当?」
「ええ、家の者からの情報ですから、間違いないですわ。場合によっては、消す必要があるかもとも言ってましたから」
この子を余り無碍にもできない数少ない理由が、こうして噂にしては精度の高い情報を、ちょくちょく私に教えてくれる事だ。
何故か私に対しては、こういった情報は入って来ない。私の周りの者が、頼んでもいないのに耳に伝わらないようにシャットアウトしているからだ。
下賤な噂話など、耳にする必要はないと言ったところなんだろうね。
「本当、どういうつもりでしょうか? よりにもよって、この栄えあるティステアに無能者なんかを寄越すなんて、正気を疑いますわ」
「……そうだね」
「ああ、申し訳ありません。お姉様のお耳に入れるには、少し下世話過ぎましたわね」
「そんな事は、ないよ」
詳しく聞きたいけど、この分だとこれ以上は教えてくれそうにないね。
どうにかして、詳細を調べられないかな。
「それよりも、早く着替えなくて良いの? 遅刻するよ?」
「あっ、こんな時間……すぐに着替えますのでお待ちを!」
まったく、毎朝の事ながら慌ただしいね。
彼女が着替えている間に、私もする事を済ませておこう。
手を組んで、眼を閉じてすっかり習慣となっている願いを捧げる。
どうか今日も、ジン君が幸せでいられますように、と。