第一歩⑥
「よお、その様子だと上手くいったみたいだな」
「ああ、お陰さま――でぇっ!?」
足下に扉が開き、慌てて飛び退る。
覗き込んでみれば、遥か下には一面の海の光景が広がっていた。一体どれほどの高さかは分からないが、落ちていればただでは済まなかっただろう。
「寄るな、臭い」
「ああ……」
実行犯のベスタに抗議の視線を向けると、極めて簡潔な答えが返って来る。
「確かに随分と臭うな。一体どれくらい消費したんだ?」
「大体3箱ぐらいだな」
「そりゃ臭う訳だ。大体1ヶ月分を一気に消費したんだからな」
カウンターには近付かずに、適当な椅子を引き寄せて出入り口付近に腰掛ける。
「ついにやっちまったな」
「今さら何を言う。つか、お前も共犯だろう」
「ま、正確にはアタシだけじゃなくて、アタシらもだがな。バレると思うか?」
「絶対とは言わないが、まずその心配はしなくて良いだろう」
それを避ける為に、わざわざ入念に策を弄したのだ。
「ジステスは自分の意思で学園の外に出て、そこをたまたま狙われて暗殺された。最終的にはそこに落ち着くだろう。弟はたまたまバッジを落として校舎に戻って探していただけで、特に誘拐などもされていない。よってジステスが学園外に出たのは、強制されての事じゃなく、まったくの偶然だ。そして何より、殺されたのは郊外で死因は未知の毒による毒殺だ。まず最初に考えられるのは、敵対派閥による暗殺だろう」
5大公爵家といえど、敵がいないわけではない。
同じ5大公爵家内でも、ウフクスス家とオーヴィレヌ家といった微妙な関係にある家があるし、何より国の要職は軒並み5大公爵家の者が占有している為、守護家とそれ以外の貴族とは大抵の場合仲が良くない。
おまけにおれは無能者で、いくら固有能力を持っていない無能力者とはいえ貴族の者が無能者に遅れを取るなど、神国では勿論の事大陸でも考えられない事だ。
ましてや神国では、5大公爵家の者はある種の神聖視をされている。そんな者が無能者に殺されたという事は、仮に事実であっても認めがたい事である。
おれの手によるものであると断定される可能性は、限りなく低いと見て良いだろう。
「まっ、編入した矢先の出来事だから多少は疑わしいと思われるかもしれないが、それぐらいは想定の範囲内だ」
明確な根拠も無い疑いでは、おれを捕らえる事はできない。
それでも、もし仮におれがただの無能者であったならば、あるいは秘密裏に捕らえられる事もあったかもしれない。
だが今のおれの立場は、ゾルバ帝国推薦の編入生だ。おれに手を出せば、ゾルバに喧嘩を売っているのと同じ事になる。迂闊な真似はまずできない。
「キシシ、今日は祝杯でも上げるか?」
「そうしたいのは山々だが、近付けばベスタに怒られそうだしな。今日は遠慮しておこう」
今も現在進行形で、布の隙間から射抜くような眼光をこちらに向けてきている。
理由は欠片も知らないが、ベスタは心の底から煙草の臭いを毛嫌いしているようだ。
「そいつは残念だ。ステリアの限定物のワインが手に入った――」
「言い値で買おう」
「高いぞ?」
「問題ない。ゾルバに必要経費として落とさせるからな」
ついでに煙草も経費で落としておこう。こっちは本当に必要だったし。
「次の波はいつ頃だ?」
「さあな。近いとは思うが」
ボトルの栓を抜いて、中身をワイングラスに注いで渡してくれる。
鮮やかな琥珀色の白ワインで、個人的には赤ワインの方が好みだが、ステリア産の物だけは話は別だ。
「場合によっちゃ、沢山人が死ぬな」
「だろうな。まあ、巻き込まれただけの奴は、運が無かったという事だ」
「巻き込まれた側は堪ったもんじゃねェだろうがな」
「それこそ、自分の不運を恨んでくれといった話だ。少なくともおれは、無関係の奴を進んで殺すつもりはない」
勿論邪魔になるようなら殺すし、襲い掛かって来るならば容赦しないが。
「まあ、来ると分かったら即座に伝えるさ」
「是非そうしてくれ。アタシは巻き込まれんのはゴメンだからな」
シロが続いて、ベスタと自分用にもグラスにボトルの中身を注ぐ。
まだ口にしてはいないが、手に持っているだけで芳醇な香りが漂い、口の中に唾液が湧いてくる。
「そんじゃ、勝利を祝福して」
シロがグラスを掲げる。
「第一歩を記念して」
おれも倣ってグラスを掲げる。
「今後の成功を祈願して」
ベスタもグラスを掲げる。
「「「乾杯」」」