第一歩⑤
あと10分の命、こいつは間違いなくそう言った。
あと10分経過してからオレにトドメを刺すという意味なのか、あるいは今オレの体を蝕んでいる毒が致死性のものなのか、どちらかは分からないが十分すぎる時間だった。
7分――いや、実質あと6分あれば、解毒は完了する。あとは隙を窺って不意を打てば勝てる。
「ああ、ちなみに今こそこそと行っている解毒魔法の構築だが、遅くてもあと3分以内に完了しなければ詰みだ」
「な、に……?」
バレていた。頭の中で練っていた奇襲作戦が、早くも潰える。
だがそれ以上に問題なのが、今の相手の発言だ。
いや、気にする必要は無い。余裕のつもりかどうかは知らないが、オレが解毒魔法を構築している事に気付きながらも何もして来ない。ならば、存分にその余裕にあやかってやろう。
そしてその上で、出し抜いてやる。
「少し考えれば分かる事だが、本来この空間に煙草の臭いが充満しているなんて、ありえない事だ。何故ならここは貧民街。嗜好品の中でも高値で取り引きされる煙草を、こんな辺り一面に充満するほど消費できるような奴は端からここには居ないからだ」
頭の上で煙草に火が灯される音がする。周囲に漂っていた煙草の臭いは、こいつが原因だったか。
「さらに突き詰めて考えて、どうしてこの空間に煙草の臭いが充満しているのか、充満させる必要があったのかを考えるべきだった。そうして気付いていれば、僅かなりとも生存できた可能性があった。そうでなくとも、辺り一帯に人影が全く無い事を不審に思うべきだった。結局、助かるチャンスを自ら手放していた訳だ」
「……っ!?」
突如として、胸が締め付けられるかのような痛みに襲われる。
動悸が徐々に上がりはじめ、それが一層痛みを強くしていっているような、そんな感覚に陥る。
「この空間には遅効性の猛毒のガスが充満している。吸引してから効果が現れるまで時間が掛かる上に、独特の刺激臭がある為バレやすい。おまけに症状が現れるまでに解毒魔法を使えば、その魔法がどの毒に対して効果があるのか関係無しに無害なものと化するような毒だ。だがその分強力で、効果が現れ始めてからおよそ5分程の時間を掛けて対象を蝕み、徐々に苦しみを増しながら殺す事ができる」
解説を聞いて、すぐに今まで構築していた魔法を破棄して、別の解毒魔法を構築し始める。
残りのタイムリミットは5分。それまでに魔法を構築しないとオレは死ぬ!
「無駄だ。既存の魔法じゃこの毒は解毒できない。何故なら公式に発見されていない、独自に調合したものだからな。助かるには、同様に独自に調合した解毒薬を飲むしかない」
わざわざしゃがんで、オレの目の前で紫色の液体の入った小瓶を振る。
本物か? いや、それを確認する術は無いが、その可能性は低いだろう。わざわざ殺す対象に解毒薬を見せびらかす意味が無い。
仮に本物だったとしても、こいつがオレに渡す訳がない。
しかし、どうすれば良い?
こいつの話は嘘だと決め付けて、解毒魔法の構築を続けるか? だが、仮にこいつの言っている事が嘘で既存の解毒魔法でも効果があるとしても、今構築している魔法がそうである保障はどこにも無い。
そして片っ端から試そうにも、オレには時間が無い。
「ああ、信じるかどうかはそっちの勝手だが、これは本物だ。実際におれも既に飲んでいる。だからこそ、猛毒が充満しているこの空間内で平然としていられる訳だ」
痛みがどんどん強くなっていく。それどころか、胸だけでなく手足を含む全身から軋むような痛みまでし始める。
徐々に苦しみを増しながら殺す事ができる――この言葉が事実だとすれば、まだこの痛みですら序の口だと言う事だ。にも関わらずのた打ち回りたくなるほどで、しかも体が麻痺しているせいでそれすらできない。
さらに痛みのせいで集中できず、魔法の構築が遅々として進まない。
「あっ、た、助け、て……」
もう形振り構っていられず、懇願する。とにかく助かる事が第一だった。
「安心しろ。今からする質問に正直に答えてくれれば、ちゃんと解毒薬はくれてやる」
「答え、答える。答えるから……」
オレの今の命は、相手の胸先三寸だ。それでも、要求に従うしかない。
生き延びるには、それ以外に術がない。
「質問の内容は簡単だ。3年前に国内で大規模な作戦があった筈だ。それについて、知っている事を全て話せ」
3年前の作戦――そう言われて思い当たるのは1つだけだ。
一瞬偽りの内容を教えてやろうという考えも思い浮かぶが、その案は即座に廃棄する。相手がその質問をしている以上は、ある程度の事は把握していると見ていい。もしその把握している内容とオレの証言内容が食い違えば、それで終わりだ。
「分かった、話す。だが、オレも詳しい事を、知っている訳じゃ、ない……」
「それで良いから、早く話せ」
当時の事を思い起こす。
「さっきも言ったとおり、詳しい事は何も知らない。ただ突然、何も聞かされずに動員された。動員されたのは、当時の当主やオレよりも上の世代の連中が主で、作戦もそいつらが中心で動いていたと聞いている。弟は万が一の事を考えて動員はされなかった。
作戦自体は、大体丸1日ほど続いた。その間のオレのやった事と言えば、民間人が入り込まないように監視をする程度で、何が行われていたのかは見ても聞いてもいない。ただ時折、遠方から轟音が響いて来るのは聞こえていた。それで動員された時と同じように唐突に作戦の終了が告げられて、その後に父や親類たちがみんな死亡したという事を知らされた」
「動員された人員の内約は?」
「し、知らない。嘘じゃない。警備の最中だって、かなりの広範囲を1人でやらされていて、誰かに遭遇したりはしなかった。ただ――」
「ただ?」
オレは一瞬迷うが、どの道選択肢は無いと話しておく。
「5大公爵家の中で、最も中心的に動いていたのがアルフォリア家だ」
「そうか……」
話せる事は全部話した。これ以上は話せと言われても無理だ。
「中々面白い話だった。特に1番知りたかった事以外にも、有益な事を知れたのは大きい。約束は守ろう」
手に持っていた小瓶を地面に置く。
オレの視線の先、数メートルは離れた場所に。
「お、おい……!」
「約束通りくれてやる。後は自分で好きに使うんだな」
無茶を言うな。そう言いかけて、喉奥からせり上がってきた血塊を吐き出す。
全身の痛みは耐え難いものとなっており、もはや呼吸するだけで痛みが強まり躊躇う程だった。
にも関わらず、のたうち回る事は勿論、解毒薬の側まで這って行く事も、手に取って飲む事もできない。
「お、おま、えぇ……!」
分かっていた事とはいえ、こうして実際にやられると、腹の底からフツフツと怒りが湧き上がって来る。
しかし直後に再び吐血すると、自分の確定した未来に視界が真っ暗になり、胸中を絶望が満たしていく。
いや、実際に物理的に視界は真っ暗になっていた。
痛みはさらに強くなり、上下感覚もあやふやになる。自分の中が掻き回され、自分自身で無くなっていく錯覚を覚える。
「あぎっ、ぎぎゃぁ……!」
自分で自分の口から声が漏れる事すら堪えられない。体がのたうち回れない為に、せめて動く口だけでも動かして痛みを紛らわそうとしているのだ。
「そうだ、その姿だ。その無様な姿が見たくて、わざわざ手間の掛かる毒を使ったんだ。もっと苦しめよ」
「何だ、よお前は、あぁ!? オレに一体、何の怨みがぁ!?」
「……分からないのか?」
分かる訳がない。オレ自身は、ゾルバ相手に怨みを買うような真似はしてない筈だった。
ましてや、無能者相手に怨みを買ったことなど……
「まさ、か……」
突如として、脳裏に閃く。
エルジンという名前。そして無能者という特徴。
「エルジン、なのか? あの、廃嫡子が、お前の正体、なのか……?」
「別に正体と言うほど大仰なものでもないがな」
返って来た答えは、肯定を示唆するもの。
10年以上も前に追放されたアルフォリア家の面汚しが、とうの昔にくたばったと思っていた無能者が生きていたのだ。
「そう、か。これは、復讐か。かつて虐げられていた怨みを、晴らそうという、訳か……」
「ん? ああ、そういえばそんな事もあったなぁ」
ところが相手の反応は、予想とは違い随分と軽いものだった。
「にしても、案外気付かないものだな。まあずっと気付かなくても良かったんだが、これなら当面は心配する必要はなさそうだ。それに、末端とはいえ、5大公爵家の実力も知れたし。できれば能力者が望ましかったが、さすがにそれは高望みし過ぎか」
分からない。こいつが何を言っているのか、まるで分からない。そして、それを考える事すらままならない。
ただ1つだけ確かなのは、こいつは虐げられて来た事を理由にこんな事をしている訳では無いという事。
だがそうなると、一体どんな理由で……
「交戦してなかろうが、参加していたという事実で十分なんだよ」
上から声が降ってくる。その声もどこか遠い。
ただひたすらに痛くて苦しい。しかしそれすらもどこか他人事のように思えて来て、意識が遠ざかっていく。
「まず1人目だ、エルンスト」