第一歩④
身の丈程もある、ドス黒い剣身をした大剣。直線的なフォルムをしており、剣腹には禍々しい真紅の紋様が描かれている。
直感で分かった。あれは魔剣だ。
魔法が施された剣とはまた違う、凶悪な性能を持った剣。
下手な者が握ったところで、逆に剣に呑み込まれて発狂してしまうと言われている、とても稀少な武器。そんな物を、相対する無能者は握っていた。
その握っている魔剣で、オレの【激流水牢】を両断したのだ。
あり得ない、と理性は告げていた。
相手は無能者で、魔力を欠片たりとも持っていない。つまり、身体能力を強化する事は不可能だ。
なのに、あんな大きさの剣を片手で軽々と扱い、あまつさえオレの最大の魔法をぶった斬る――そんな事がある筈が無かった。
魔法をぶった斬る――これはおそらくは、魔剣の能力によるものだ。あいつは児戯だと言っていたが、これはおそらくハッタリだ。魔剣には魔法が施された剣よりも、さらに多種多様な能力が存在する。その中に魔法を斬れる能力の物があってもおかしくない。
だがそれを抜きにしても、地上よりも遥かに負荷の掛かる水中で、人間が簡単にバラバラになるような激流の中で、ただの1回の斬撃で、それも片手でそんな芸当をやってのけられる筈が無い。
仮にオレが身体能力を強化したとしても、そんな事は不可能だ。いや、他の者――騎士団に所属する者でも可能な者など数えられる程くらいだろう。
そんな芸当を、ただの無能者が可能にした。それが信じられなかった。
選ばれし者が魔力による強化を受けた上で始めて可能とする芸当を、無能者が行うなどあって良い筈が無かった。
だが直感は告げていた。眼前の無能者は、それを間違いなくやってのけたと。
「一体、一体何なんだお前は!?」
敗北、その2文字が脳裏を過ぎり、即座に振り払う。そんな事は許されない。
5大公爵家に連なる者が無能者相手に敗北を喫するなど、絶対に許されない。
いや――
「お前は、本当に無能者なのか!?」
そうだ、そもそもそこから疑うべきだった。
魔法を使って強化するならばともかく、ただ魔力を循環させて身体能力を強化するだけならば、表面上では分かり辛い。
あるいは、そういう効果の能力を使っているという線も考えられる。
それならば、納得はできる。少なくとも、無能者相手にオレが遅れをとっているというよりは現実的だ。
「当たり前だろう」
しかし、そんな願望は打ち砕かれる。
「おれが無能者かどうかを確認したのは、他でもない5大公爵家だろうに。自分が名を連ねる家すら信じられないのか?」
「ぐっ……」
確認したのは、イゼルフォン家だ。
国内の情報の一切を司り、長年に渡って他国のスパイの排除など、外敵からの防衛にも目覚しい成果を上げている。そのイゼルフォン家が、無能者か否かぐらいを見破れない筈が無い。
だがそうなると、オレは無能者に遅れをとっている事になる。
「どうした、もう終わりか?」
「何だと?」
「能力は使わないのかと聞いている」
相手は大剣を肩に担ぎ、完全に待ちの姿勢に入っている。
余裕綽々といった態度。しかしその態度を崩す術を、今のオレは持ち合わせていない。
「もしかして、戦闘型の能力じゃないのか? それならそうと言って貰いたいんだがな」
「…………」
「それとも、あくまで使わない……いや、使えないのか」
「……れ」
「あんた、無能力者なのか?」
「黙れ!」
無能者のくせに、社会的地位も含めてオレよりも劣る筈の存在に、逆にオレが見下されている。
こいつは危険だ。他でもない、オレに対して。
「1つ疑問だった。何であんたは当主代理なんだろうかってな。
おれと同じクラスに、オーヴィレヌ家の分家の奴が1人居る。つい1年前まで平民として生きていて、そいつ以外の家の者が全員死んでからイゼルフォン家の手によってオーヴィレヌ家に連なる者であると発覚して、今は当主代理を務めている訳だが、あんたとこいつでは事情が全く異なる。
そいつはそれまで平民として生きていた訳だから、貴族としての教養や作法を学ぶ為にも卒業してから正式に家督を継ぐ事になっている。これは理解できる。だがあんたは、これらは既に身に付けてるよな? いくら学園の卒業が家督の相続の最低条件だからって、既にあんたら兄弟以外に生き残りの居ない家を、正式な当主も決めないまま放置しておくか?」
「それ以上言うな!」
「結論としては、あんたよりも家督を継ぐに相応しい人物が居て、そいつがまだ継ぐに足る能力を身に付けていない、それが1番妥当なところだ。そして相応しい云々の理由は、あんたが無能力者で、弟が能力者である。そんなところだろう。だからあんたは今も代理のままで、おそらく卒業して家督を継いでも、弟が卒業すれば即座に譲るつもりなんじゃないのか?」
何者だこいつは! 他国の無能者の筈なのに、どうしてこうも的確に推測できる!
こいつが言っている事は全部が正しい。オレは無能力者で、弟が能力者である事も含めて、全部がだ。
だからこそ、弟を死なせてはならないのだ。オレと弟とでは、命の価値が全く違う。
「しかし、不憫な事だ。能力は弟が持っているのに、その当の弟は保有する魔力が貴族にしては随分と少ない。弟よりも魔力の多い兄と、兄よりも優れた素質を持った弟。どうして両方の長所がどちらかに偏らなかったんだろうな?
今後仮にあんたの弟が家督を継いでも、一生難儀な思いをするだろうよ。例え能力者であっても、それを十全に生かせなければ簡単に切り捨てられる。アルフォリア家はそういう家系だ。あんたもあんたの弟も、最初から切り捨てられる側――無能者と何ら変わらない」
「黙れ! 黙れ黙れ黙れぇ!」
それ以上は許さない。
オレだけでなく、弟まで貶めるような事を口にするのは、このオレが許さない。
その為にも、どんな手を使ってでも排除する。
「殺し……っ!?」
視界がガクンと下がる。
縦に90度傾き、地面が急速に迫ってくる。それを理解できていながらも、何の対処もする事ができなかった。
結果、顔面から地面に突っ込み、激しい痛みが脳裏を駆け抜ける。
「っが!?」
「何の為に回避に徹していたのか、何の為に無駄な会話を繰り広げていたか、1度もその理由について考えなかったのか?」
全身に力を込めても、まるで動く気配が無い。
頭に浮かぶのは、最初のナイフによる切り傷。おそらくはそのナイフに、麻痺性の毒を塗られていた。
「ま、考えたのか考えてないか、それ自体はどうでも良い。考えていたとしても、この現状があんたの導いた答えが間違っている事を物語っているからな。結局のところ、平和ボケしているんだよ。戦争も知らなければ経験もしていないから、こんな単純な手に引っ掛かる」
相手の言葉に耳を貸すな。とにかく集中しろ。オレの属性は水だ、10分……いや、7分もあれば解毒できる。
「噛み締めとけ。あと持っても10分弱の命だ」