怠惰の王
「……本当に【強欲王】なの?」
あんまりにも衝撃的な発言を前に、相手が圧倒的な力を持っている魔族であるという事も忘れて、気が付いたらそんな事を聞いていた。
「ハッ、これだから人間は。他でもない強欲の王だからこそ、強欲というものが如何に愚かな事かを理解しているんだよ」
とても良い言葉だ。本人が怠惰の塊のような風貌をしていなければ。
「ほら、もう言葉もくれてやったし、帰れよ。これ以上相手すんのもめんどくさい」
「そう言われても……」
エルンストは話をして来いと言った。だが、まだまともに話すらできていない。
そうマモンに言うと、
「貴様の事情など知るか。ここに侵入してきた事は不問にしとくもとい、罰するのがめんどいから、とっとと失せろ」
「いや、それは困るよ」
主におれがだ。
エルンストはおれに、上手くいけば能力者と戦える力が手に入ると言った。
それがどんな力かは分からないが、エルンストと並び立つ為には是が非でも欲しかった。
「あっ、そうだ」
ふと、この部屋に入る前にエルンストから袋を渡されていたのを思い出した。
紐を緩めて中を覗くと、音から薄々と察してはいたが、中にはとにかく大量の金貨が詰まっていた。
途方も無い額だ。いくらエルンストが腕の立つ傭兵だからと言っても、これだけの額を稼ぐには相応の量をこなさなければならないだろう。
「これ、あげるよ」
中身が相手にも見えるように、袋を差し出す。
「金か!? 寄越せ!」
途端に、それまでの怠惰さが嘘のような音色の声を出す。
重たい袋が独りでに持ち上がり、マモンの元へと宙に浮いたまま移動する。
「何だよ、金を持ってるなら早く言えよ。話がしたいんだったか? いいぜ、オレのやる気が満ちている間はしてやるよ」
態度は怠惰なまま、しかし声だけは生き生きとしたもので言う。
「力が欲しい」
簡潔に、ハッキリと、おれは告げた。
「能力者と戦う事のできる力が欲しい」
「……無理だな」
意気込んで告げたおれの言葉は、一瞬で否定される。
「お前さぁ、あの死神のガキが連れて来たって事は、人間で言うところの無能者だろ?」
「そうだけど……」
エルンストの事をガキ呼ばわりする奴を、おれは始めて見た。
「なら、無理だ。オレは人間で言うところの能力者の固有能力って奴を、今まで100以上奪ってきたし、場合によっちゃそいつをくれてやる事だってできる。でも、無理だ。お前にはそもそも、くれてやったところで扱う為の魔力が備わってない」
「でも、エルンストは、上手くいけば力が手に入るって……」
「あーわーわー、知るかよ、んなの。いや、あのガキが何を考えているかは何となく分かるが、それに乗ってやる義理はオレにはねえ。あれっぽっちの金で協力できるかっての。第一なぁ――」
マモンの視線がおれを捉える。
今までの死んだような眼とは違った、まるでおれの中身まで見透かすかのような眼に、心臓を掴まれたかのような幻覚を見る。
「お前には、強欲さが全然足りねえ」
「強欲さって、さっき強欲は身を滅ぼすって言ってたじゃん……」
言っている事が早くも支離滅裂になっていた。見た目通り、かなりいい加減な性格だった。
「確かに言ったな。強欲は身を滅ぼす、それはオレを見れば分かるだろ? 他の大罪王の座を欲して【怠惰王】のベルフェゴールぶっ殺して取り込んだ結果、もう何のやる気も湧かなくなっちまったしよぉ……何で、何だって1番最初の標的にアイツ選んだかなぁ……」
急に頭を抱えて嘆き始めたマモンに、おれは呆気に取られるばかりだった。
「ハァ、まあそういう事だ。オレは強欲を司る【強欲王】だ。欲のねえ奴に、力をくれてやる事はできねえ。だから諦めて、さっさと……帰る前に、1つ聞く。あの死神のガキは、まだこの宮殿内に居るのか?」
「……居るけど」
「チックショウ! 何てこった!」
何てこったは、こっちの台詞だった。
さっきから自分だけに分かるように、頭を抱えたり嘆いたりする奴の相手をする身にもなって欲しい。
「あーもー、ここで何の収穫も無しに追い返したら、絶対あのガキ、オレの財産をぶっ壊すよなぁ。前回みたいに、前々回みたいに、ベルゼブブの奴と引き分けた時に八つ当たりして来た時みたいに……めんどくさい……」
なんか良く分からなかったが、このマモンという魔族が、散々エルンストから被害を被っている事だけは分かった。
「……よし、こうしよう。お前、何か話をしろ。そうだな、お前の身の上話なんかが望ましい」
「……何で?」
「何でもだ、力欲しくねえのか? オレはどうする事もできなくもないが、やるつもりはねえ。だから代わりに、お前の身の上に見合った奴を教えてやる」
そうすればあのガキも文句言わねえだろ、というその後のマモンの呟きは聞かなかった事にした。
「分かった、話すよ。話すけどさぁ……寝ないよね?」
「寝ねえよ、オレにやる気が満ちている間はな。寝るのもめんどくさいし」
「枕抱えていう言葉じゃないよ……」
ついでに言えば、声も徐々に死んでいっている。
「尚更さっさとしろよ。まだオレにやる気が残ってる間にな。ほら、あくしろよ」
イマイチ締まらない言葉に促され、釈然としないものを感じながらも、おれは自分について話していった。
話し始めてみると、意外にも過去の事は覚えているようで、流れるように口から言葉が吐き出されていった。
「…………」
全てを話し終えると、マモンからは当初の怠惰な態度と雰囲気は消え失せ、代わりに真剣な表情と空気を纏い、何かを思案していた。
「あぁ、そうかそうか、そういう事か。あんの……クソガキがぁ!」
「うわっ!?」
そして唐突に怒声を上げる。
怒声と一緒に内側に留められていた魔力も噴き出し、その2つに当てられたおれは、1度は引っ込んでいた物が再び喉奥から込み上げて来るのを感じた。
「よりにも、よりにもよって【災厄の寵児】かよ。何てもんを連れてやがんだよ、めんどくせえ……!」
聞きたい事は沢山あった。だが聞けなかった。
物理的圧力すら伴った魔力の奔流に押され、室内の金貨が壁際に散弾となって飛ばされる。それから身を守るので、精一杯だった。
そんな圧力は、少しするとフッと収まる。
「分かった、全部分かった。オレにできる事もないな。聞くが、復讐したいとは思わんか?」
「復讐……?」
「お前を虐げてきた連中にだ。憎いとか、殺してやるとか、そういう感情だ。無いのか?」
「……さあね、良く分かんないよ」
それは、偽らざるおれの本音だった。
確かに、虐げられていた事はあった。しかし当時のおれには、そんな感情を持つ程のゆとりすらなかった。
追放されて、エルンストに拾われた当初はそう思っていた時期もあったが、今ではそうでもない。
確かに当時の痛みは、恨み辛みは、今でもおれの中で燻っている。殺したいと思う程憎んでいると言っても過言では無い。
だが同時に、口では説明できないような、奇妙な想いも抱いている。
「何て言うかな、おれは無能者として虐げられてたけど、それはおれの行動の結果なんだよ。まあ想定外の出来事ではあったけど。でも、結果としておれはエルンストに会えたし」
「なら、恨んでも憎んでもねえってか?」
「いいや、実際に会ったら殺すけど」
「思ってんじゃねえか」
「ううん……言葉にするのが難しいんだけど、おれは今、とても楽しいんだよ。エルンストと毎日を過ごす事が。そりゃ、今でも当時の事は夢に見るよ。そんな夢見の日は、最悪だね。1日中おれを虐げて来た連中を殺したいと思ってる。でも、その楽しさの方が大きいから、すぐに忘れるんだよ」
「継続しないってか」
「ちょっと違うかなぁ? 正しくは、そんな事に現を抜かすよりも、一刻も早くエルンストに追い付きたいって感じかな?」
「あんなもんに追い付くなよ。碌な奴にならねえぞ……」
マモンがぼやく。その気持ちは痛い程よく分かった。
「ハァ、これじゃ憤怒も期待できねぇ……いや、冷静に思い出せばサタンはもう殺されて喰われたんだっけか。なら、最初っから意味なかったな……めんどくさい」
「……あのさ、さっき、災厄のなんちゃらとか言ってたけど……」
「聞かなかった事にしろ。オレは何も聞いてないし、何も知らない」
「いや、でも――」
「だーまーれ。もうめんどい。めんどいから帰れ。やる気は空っぽになった。オレにはもうできる事をするつもりはない」
「いやそれ、要するに何かできる事があるって――」
「さっさと帰れ」
シッシッ、と手を振る。そして思い出したように顔だけ持ち上げる。
「ああ、そうだ。お前さ、虐げられたのは自分の行動の結果だって言ったよな。それについてお前がどう思ってるかは知らねえが、客観的に言わせれば、お前は正しい事をしたよ。第2の混迷期を未然に防いだんだからな」
「……え? それって、どういう――」
「そういう事だ。オレはめんどい事に巻き込まれなくて安心してんぜ。そんじゃあな、あのガキに壊さないでくれと伝えといてくれ」
それっきり、おれはマモンに無理矢理外に摘み出されて話をする事はできなかった。
その事をエルンストに報告すると「大損ぶっこいてんじゃねえか」とボコボコにされた。一体どうすれば良かったのだろうか?
あれから何年も経つけど、未だに分からない事がある。
エルンストは、最初からおれの事を知っていたのだろうか?
知っていた上で、おれを育ててくれたのだろうか?