強欲の王
エルンストはおれを様々なところに連れて行ってくれた。
大陸中の国々を始め、空中都市に海底都市、悠久の時を生きる古代竜の眠る渓谷に、大陸の果ての果てに存在するという世界樹。常闇に覆われた廃都に、夜の訪れぬ妖精の庭園。そして魔族の領域である魔界。
伝説上に語られる場所から、超が3つ付いても足りない危険区域まで、幅広い世界をおれに見せてくれた。
そのうちの1つに、財貨の宮殿と呼ばれる地があった。
この世で最も豪華で、ありとあらゆる財宝の眠る宮殿が存在し、そこには番人である悪魔が自分が溜め込んだ財貨を毎日のように愛でているという伝説の地だ。
だがそれは伝説ではなかった。場所が魔界にあるだけで。
「いいか、ここから先はテメェ1人で行け」
元公爵家で、1度は王宮にも足を踏み入れた事のあるおれですら圧倒され首を垂れる程豪華で、それでいて下品どころか神聖さすら感じさせられる宮殿に乗り込んで進んでいたところ、エルンストは突然足を止めてそう言った。
「えっ、おれ1人で?」
「そうだ。この先を直進して行けば、でかい扉に突き当たる。その先に、ここの主がいる」
「主って……」
伝説によれば、その宮殿の主は自分の財宝を奪う者には容赦がなく、例え迷い込んだだけでも見付かればこの世のものとは思えない責め苦を受けるという。
「大丈夫だ。まず俺の名前を出せば、安全は保証される」
「でも、主以外にも――」
「ここまで来る途中で、誰かと遭遇したか? してねえだろ。ここの連中は、とうに主に対して愛想を尽かしている」
「愛想を尽くすって……」
そんな散財の酷い貴族じゃないんだからと思ったが、言わないでおいた。
「ごちゃごちゃ言ってねえで、いいから行け。ぶん殴んぞ。んでもって、話をして来い。上手く行けば、テメェは能力者と戦える力を手に入れられる」
能力者と戦える、その言葉におれの中にやる気が満ちていく。
「ああ、そうだ。こいつを持って行け」
中身がぎっしりと詰まった袋を渡される。両手で受け取ると、ずっしりと重みが掛かる。
「俺はここで待ってる。テメェ1人で行かないと意味がねえからな」
そして壁に凭れ掛かり、煙草を吹かし始める。こうなれば絶対にエルンストは動いてくれない。
仕方がないので1人で言われたとおり先に進むと、そこには言葉通りでかくて重厚な扉が鎮座していた。
それを前にして、おれは動く事ができなかった。
巨大な建造物特有の威圧感を感じたというのもあるが、その隙間から微かに漏れて来る、濃密で怖気の走る魔力を感じ取れたからだ。
この扉の先に、財貨の宮殿の主がいる。その事が脳裏を掠める。
今までエルンストと魔族が戦うのを、幾度となく目撃し、観察してきた。
その魔族ですら霞む程の、その濃密な魔力。漏れて来るのは微量の筈なのに、震えが止まらなかった。
「……よし!」
正直に言えば今すぐ回れ右をしたかったが、背後で待っているエルンストがそれを許さないだろう。もし尻尾を巻いて逃げて来たと知れば、降されるであろう折檻は、とてつもなくキツいものとなる筈だ。
深呼吸をして、扉を押し開ける。
重厚な見た目に似合わず、酷く軽い手応えと共に扉が開くが、音は見た目通り重厚で、そして不吉さを漂わせていた。
「……うわ、あぁ」
言葉にならない声が口から漏れる。それ程までに、扉の向こう側の光景は圧倒的だった。
眩しさすら覚える程の量の金銀財宝が、天井まで届く程の山として積み上げられており、また同じような山は他にも幾つもあり、いい意味で足の踏み場がない程だった。
さらにそういった物の中に混じる武器や防具、道具などからは、魔力を帯びているのが感じ取れ、おそらくは相当高位な魔道具である事が伺わせられた。
冗談抜きで、国を買い取れるだけの財が、眼前に存在していた。
「……誰だ?」
目の前の光景に目を奪われ、一瞬とはいえ忘れてしまっていた。
ここが財貨の宮殿の主のいる場所であるという事を。
「誰だと聞いている」
「え、エルンストに連れられて来た、エルジンだ……」
どこからともなく響いて来る声に、つっかえながらもそう答える。
自分の名前を出せば、とりあえずの安全は保証されるというエルンストの言葉を思い出したからだ。
「エルンスト? 誰だそれは?」
ところが返って来たのは、エルンストの言っていた事とは食い違った言葉だった。
「ようするに、貴様は侵入者か……」
途端、全身の産毛が逆立つ。
ジャラジャラと耳障りなくらいの大音量で財貨の山が左右に割れていき、奥からキングサイズのベッドが、宙に浮きながらおれの方に迫って来た。
「この【強欲王】であるオレの財宝を盗もうとは、良い度胸だ」
強欲王を名乗るそいつの魔力に当てられ、おれは堪らず膝を付き、激しく嘔吐しかけた。
しかしそれが相手にとってどれだけ不愉快な事か容易に想像できたので、必死に苦いものを飲み込み、声を絞り出した。
「ま、待って……待ってくれ。エルンストだよ。人間の傭兵の【死神エルンスト】だよ!」
「……死神?」
フッと、威圧感が弱まる。
ベッドは俺の目線よりも高い位置に浮いている為、その上に居るであろう魔族の顔は見えなかったが、ひとまず即死は避けられたようだった。
「……ああ、思い出した。確か……いいや、めんどくさい」
言葉を途中で区切り、ベッドが床に落ちる。
ズシンという揺れと共に音が響き、その上に乗っている魔族の姿が視界に入って来た。
豪華な金髪は伸びたい放題になっており、着ている衣類はヨレヨレに草臥れており、何日も身なりを整えていないような印象を受けた。
服の下から覗く体はガリガリで、キングサイズのベッドの上で、頬杖を付いて寝そべるその姿は人間にしか見えなかった。それもかなりダメな部類に入る。
「オレの名前はマモンだ。貴様の名前は、確か……いや、思い出すのもめんどくさい。貴様も名乗らなくていいぞ、聞くのめんどくさいから」
疲れたような溜め息を吐くその姿から、魔族である事を推測するのはほぼ不可能だろう。
ただ無能者のおれだからこそ感じ取れる、奥底に眠る濃密でおぞましい魔力だけが、そいつが魔族である事を証明していた。
「よく来た、歓迎……するのはめんどくさいな。使用人ももう居ないし。まあ折角来たんだ、何か……何か、言葉でもいいか、くれてやる」
先程の威圧感は欠片も残っていない声で、マモンと名乗ったそいつは言い放った。
「いいか人間、よく聞け。強欲は身を滅ぼすぞ」