表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
191/191

新旧死神②




「運命などというものなど、信じはしないだろうが、もし実在するならばさぞかし皮肉なものなのだろうよ」


 今にも崩れそうでいて、おれの体重を完全に受け止める足場を進みながら、相手の言葉に耳を傾ける。


「もし仮に、あの時能力を手放さなければ。その前夜に、さっさと寝ていれば。その前に、自分の能力に気付く事がなければ。お前はエルンストに出会う事は無かっただろう。もし出会えたとしても、それは――」

「良くて雇用相手、順当に考えて敵対相手として、だろうな」


 相手の言葉を引き継ぎ、そして冷静に考えてゾッとする。

 エルンストがおれを拾ったのは、善意からではない。単純におれが無能者であったという、その一点のみが気に入られただけだ。


 もし能力を保持していたとして、その下地があればそれなりの実力は容易く身に付けられていただろう。そこにエルンストの気性を加味して考えれば、出会い頭に殺しに掛かって来ても不思議では無い。


「その一方で、エルンストが死ぬ事も無かっただろうな」

「…………」


 その言葉に対する返答を、おれは持っていなかった。

 それは紛れも無い事実であり、反論のできない事でもあり、反論してはいけない事だった。


 例えあのまま能力を保持していたとしても、エルンストに勝てる未来が、エルンストを殺せる結末がまるで想像できない。

 おれが能力を譲渡したからこそ、失ったからこそエルンストと出会い、拾われる事になった。

 そして最終的に、自分の無能さが原因で、エルンストは命を落とす事となった。

 それは言い訳のしようのない、そして取り戻す事のできない、おれ自身の愚かさが招いた結果だ。


 罪と、そう言い換えても良い。


「【死神】エルンストは、余りにも強過ぎた。理脱者と呼ばれる領域に到達した者の中でさえ、その実力は常軌を逸している。同じ理脱者でも、互角に追従できたのは、あの【絶体強者】ぐらいだろう」


 相手の言葉に異論はない。普通ならば追従できる者が1人しかいないという事実に異常さを感じるかもしれないが、実際は逆だ。むしろ互角に追従できる、リグネスト=クル・ギァーツの方が遥かに異常なのだ。


「何故それほどまでに強かったのか、どうしてそれほどの力を身に付ける事ができたのか、それを答える事はできないだろう。竜に何故強いのかと聞くようなものであり、下手をすれば本人ですら、その理由を理解できていたかも怪しい」

「エルンストだから強かった。それが限りなく正解に近いだろうな」

「そんなところだろう。理脱者だったから強かったのではなく、余りにも強過ぎたが故に理脱者の域にまで達した。理脱者へと至れる要因は多々あれど、純粋にそれだけの理由で到達できたのは他に居ない」


 絶え間なく歩き続けていた為に、周囲の景色が徐々に変化して行く。モノクロの世界に、紫に発光する薄気味の悪い霧が降りて行く。


「少し見てみるとしよう。エルンスト・シュキガルの、その始まりを。【死神】と呼ばれた男の根源を」


 閉塞感さえ覚えるほどの濃霧の中で、一部だけが不自然に薄まっていく。紗幕の向こう側に見えるのは、お世辞にも住み心地が良さそうとは言えない、文明の発展から取り残されたかのような、不自然な家屋が並ぶ集落。


「魔界の南東、現クラフテル王国より北へしばらく進んだ先に、かつて流刑地として使われていた場所があった。まだティステアが大陸を統一していた頃に使われていたその地に流されていたのは、強盗や殺人、政治犯といった重犯罪者に、今よりも幅を利かせていた神殿に異端者認定された者。そして……」

「無能者、か?」


 漠然と話の流れが読めて来たため、先回りする。相手の答えは肯定。


「魔界を漂う高濃度の魔力は、そういった者たちの殆どを、免疫反応によって死に追いやって行った。当時理屈を理解していた訳ではないが、然程手間が掛からず、それでいて簡単には死なせず、何より相手に絶無の苦痛を与えて殺せる手法として利用された」


 語られた当時の光景は、容易に想像できる。


 実際にこの眼で免疫反応によって死んで行った者たちを目にした事はあるが、そのどれもが殺害を懇願し、また間違っても自分は味わいたくないと思える苦痛の中で息絶えていった。

 特に酷いのは、中途半端に魔力に対する抵抗力を持っている者だった。当たり前の話だが、魔力抵抗力が高いほど症状は急速に現れていく為、高い抵抗力を持っている者はむしろ、救いある死を早期に甘受する事ができた。逆に言えば、低い抵抗力しか持ち合わせていない者は、より長く地獄の苦しみを味わう羽目になっていた。


「だが、その方法じゃ無能者は殺せない」

「その通りだ。原理を知らないが故に、一種の風土病と考えられていた為、その手法で無能者が死ぬ事はないと知らずに数多の無能者が放置される事となった。その点に限れば、現代よりも人道的な裁きだったとも言える」


 その言葉の通りだが、それでも客観的に見れば、より残虐な行為であったと言えるだろう。何せ誤っている認識とはいえ、その意識の下でやっているのだから。

 加えて言えば、仮に免疫反応を起こさなかったとしても、何の力も持たない無能者が苛酷な地である魔界を生き延びられる可能性など皆無だ。大半が異質な環境に適応できずに死に、そうでなければ、凶暴な魔獣に殺されて死ぬだろう。


「ともあれ、そうして魔界の瘴気から生き残った無能者たちは、それでも次々と環境や原生生物に敗北して命を落として行った。しかしごく一部、ほんの僅かな無能者たちは彷徨い続けた末に辿り着く事ができた。魔界における安息の場所、【怠惰王ベルフェゴール】の領域テリトリーにな」

「それがここか?」


 魔族が作ったにしては酷く拙く、魔界の中において異質な居住地の中でも更に異質な集落。だがその異質さも、碌な知識や技術、物資を持ち合わせていない人間が生み出したのだと考えれば、納得が行く。


「大罪王達の中でも、ベルフェゴールの領域は特に手が入れられていた事もあり、無能者であっても身の危険からは程遠かった。ベルフェゴールが最初に招いたのか、それとも無能者が住みついたのに目を付けたのかは不明だが、奴自身が直接的に庇護していたのも大きい」


 魔界では考えられないほど穏やかな環境に加えて、大罪王の領域に近づこうと考える魔族は殆ど居ない。更にごく一部の命知らずの魔族や、その判断もできないほど知能の低い魔獣も、ベルフェゴールが直々に庇護しているのならば、足を踏み入れた瞬間に命を落とすだろう。

 もっとも、ベルフェゴールがそうした理由は慈愛等という失笑ものの理由などではなく、研究材料を管理する感覚に近いものだった事は想像するまでもない。自分の利益に直結するのでなければ、【怠惰王】の名を関する大悪魔が動く筈がない。


「理由はどうであれ、流刑となった無能者達は時と共にこの地に集まって行き、その数を徐々に増やして行った。やがて子供が生まれ、魔力があれば自然淘汰され、無能者として生まれれば生き残る。世代を追うごとに無能者が新生児を占める割合は増えて行き、いつしかこの地では、無能者以外が生まれる事はなくなった」


ここまでが前提と置いた上で、本題に入る。


「そしてエルンストは、そんな積み重なった血筋の中で、無能者として生まれるべくして生まれた」


 おれを含む、多数の人々が調べても判然としなかったエルンストの出自。だがそれも当然だった。そもそも大陸に情報自体が存在しないのだから。


 驚きと共に納得を覚えていると、集落の端を指し示す。見るとそこには、先ほどまでは存在しなかった人影が複数あった。

 共通して全てがまだ子供と言える年齢で、活発に動き回っている。少しでも魔力に対する抵抗力を持ち合わせている者であれば、程度の差はあれど、魔界の中では倦怠感等によって動きが鈍る筈。それが無いという事は、無能者である事の証左だった。


 その少年達の中に、見覚えのある影が1つ。

 まだあどけなさを持つ、黒髪黒目の少年。記憶にある姿とはまるで違うが、確かに面影がある。間違いない、少年時代のエルンストだった。


「これは、エルンストがこの地から出る、1年ほど前の光景だ」

「1年前、だと?」


 どう見積もっても、あそこにいるエルンストは10代の前半だ。1年の時が経ったところで大差はない。そんな年齢の少年が、安全地帯から脱して魔界を放浪し、そして人界に至るなど、到底あり得ない。


 おれの驚きを他所に、視線の先でエルンストは喧嘩を――いや、あれは喧嘩ではない、いじめだ。

 口論もそこそこに、眼前に居た強気を感じさせる赤髪の少年を殴り飛ばした。その拳はどう見ても、その年代の子供が放てていいものではない。少なくとも、当時のおれには絶対不可能だ。殴られた少年は地面に転がり悶絶している。


 見かねて静止に入った、同じ黒髪の少年も殴り飛ばされる。突然の事態に混乱していたのか、棒立ちになっていた緑髪の少年が蹴倒され、苦痛に涙を零す。

 エルンストが泣きじゃくる少年に顔を近づけて、笑えと言い放つ。言葉を聞いた少年が、薄っぺらい道化のような笑みを浮かべてみせる。再び殴り飛ばされる。

 その瞬間のエルンストの口を見ると「顔が堅えぞ」と言っていた。何て嫌なガキだ。


「驚くべき事に、この時には既にエルンストは、理から逸脱を始めていた。完全に脱するのはかなり先の事ではあるが、本来無能者が持ち得てはいけない実力を、この段階で身に付けていたのは事実だ」

「そして外に出るのに十分な力を得たから、1年後に出て行ったという訳か」

「いや、それは違う。正確には、外へと出たのはある意味、必要に駆られての事だった」


 エルンストらしくない理由に違和感を覚えながらも、少年時代ならばそんなものかと納得しかけた矢先に否定される。


「何せこの1年後に、この集落の者は全員が、エルンスト自身の手によって皆殺しにされているからな」

「はっ……!?」


 相手の正気を疑うような言葉だったが、それもすぐに得心する。


「……庇護を受けて生き永らえている事に対する苛立ち、か」

「概ねそんな感じだ。ベルフェゴールによって生かされ、そして気分次第で滅ぼされかねない、そんな状況下にある事は、縛られる事を嫌うエルンストにとって、何よりも許せなかった。その庇護下にあった周囲の者たちも含めてな」


 その苛立ちが頂点に達した時に、集落の者たちの虐殺という強行に走り、外の世界へと身を投じた訳だ。


 だが例え集落の者たちを皆殺しにできる力があろうとも、魔界の凶暴な獣と無能者の集団では比べるべくもない。

 それらを潜り抜け、人界に足を踏み入れる頃には最強と称される程の実力を得ていた。果たしてどれほどの地獄を見て、生き延びて来たのか。想像を絶するのは間違いない。


「……それで、それをおれに話して、どうするつもりだ?」


 エルンストの出自については理解した。だが別の疑問が出てくる。


「それが事実だとして、お前は何故それを知っている。どうしておれに話す。お前は……お前は本当におれか?」

「……無能者は、ある意味ではこの世の理が生み出した弊害とも言える」


 望んだ返答は無く、相手は踵を返して歩を再開させる。仕方なく、その後を追う。


「突出した個が出現するならば、その反対の存在もまた現れなければ釣り合わない。結果として何の力も持たない無能者が生まれる。無能者とは世界の理に強く縛られていると言っても過言じゃなく、そういう意味では魔族に近い」


 回りくどく、本題がまるで見えない。


「そして理に強く縛られている者がそれから逸脱するのは、そうでない者と比較にならないほど困難だ。絶対的にあり得ないと言ってもいい。それは大罪王であろうとも例外ではない。それを覆せたのは、歴代でもエルンストただ1人だけだろう」

「おれでは無理だと?」

「そうは言ってない」


 分かりきった事を言われても、今さら何も感じない。だが相手の反応は否定だった。


「おれが言いたいのは、それが奴が死ぬ事になった要因だという事だ。お前は考えなかったか? 一体何故、エルンストは【嫉妬王レヴィアタン】に狙われたのかを」

「…………」


 それに対する答えを、おれは当然持ち合わせていない。そもそも知ってから間もなく、その事実に対する怒りと憎悪、そして間髪入れずの【諧謔】との戦闘で考える余裕さえも無かった。


「所詮おれの推測止まりだが、あながち間違いじゃないだろう。あのカマ野郎がやりたい事も分からないでもないが、元々いけ好かなかった事も踏まえれば、心情はお前寄りだ」


 同情するようで、寂寥を帯びている眼差し。自分の可能性を名乗る存在から向けられている事に、奇妙さを感じる。


 それ以降は互いに言葉を交わす事もなく、ただ歩き続けていた。

 おれ自身、そもそもどうしてここにいるのかが分からない。ただ眼前のおれが先を歩いているから、漫然とその後を追っているだけだ。目的も曖昧で、理由も判然としない。思い出そうとしても脳内に靄がかかっているかのようで上手くいかない。記憶に欠落があるらしい。


 暇になって来たので、先ほどの会話を思い返す。

 エルンストが、レヴィアタンに目をつけられた理由。考えようとして、すぐ辞める。馬鹿馬鹿しい。考えるだけ、ただの茶番だ。

 事実として、エルンストは死んでるのだから。そこにどんな高尚な理由があろうと、どんな高潔な目的があろうとも、おれは絶対に許しはしない。なら考える必要はどこにもない。


「そろそろか……」


 前を歩いていたおれが立ち止まり、そんな事を言う。顔を上げてみれば、道の先の虚空に不自然な光を放つ穴が空いていた。


「さっきも言ったが、おれは現実のものじゃない、存在さえも曖昧なまやかしだ。だからこそここに居る。だがお前は違う。だからさっさと行け」


 奇妙な穴を指し示し、狭い道の端に寄る。頑張れば通り抜けられなくはないだろう。


 ふと、こいつの正体に思い至る。そういえば確か、あの日に移されていた。


「なあ【傲慢王ルシファー】」

「……なんだ?」


 否定の言葉は無かった。それに笑う。何がおかしいのか分からないが、とりあえず笑う。


「エルンストは、凄かっただろ?」

「……当然だ。何せに勝ったんだからな」


 まるで【傲慢】の罪科を司る悪魔らしくない言葉。だが悪くないだろう。


「一応礼を言っておく。ありがとよ」

「礼なら俺じゃなく、ベルゼブブとアスモデウスにでもくれてやれ。テメェのために色々と苦心したんだからな」

「憶えてたらな」


 虚空に開く穴へと近づいていくと、距離に反比例するように、光が強まっていく。構わず潜ると、目を焼くほどの強い光になると共に、平衡感覚が唐突に消失。落下する感覚と共に、意識も沈んで行った。










「オラ歯ァ食い縛れ!」


 宣告の返答を待たず、一切の容赦もなくエルジンの頬にエルンストの左拳が突き刺さる。血反吐と共に砕けた歯が口から零れ出し、地面の上を転がる。

 それほどの威力の拳を受けた当人が無事で済むはずもなく、地面の上を転がる。だが追撃の手を緩める事はなく、接近して上に跨り、さらに拳の雨を降らせる。タイミングも的確で、【暴食】の顎が生み出される瞬間を狙って打ち込まれる拳は、顎の生成を強制停止させ、相手の体にダメージを蓄積させて行く。


 それはもはや、戦いとは呼べなかった。ただの一方的なリンチという方が正しい。


「おっと……」


 ただしエルジンもただやられっぱなしという訳ではなく、既に存在していた顎から舌を伸ばし、地面から強襲。触れる全てを無慈悲に食らうそれを受ける事はさすがにできず、エルンストが飛び退き、束の間の自由を得る。


「ハハッ、まだ動けんのかよ。大抵の奴なら軽く10回は死ぬくらい打ち込んでやったのにな。真剣に人間辞めてるみたいでイラつくっての!」


 起き上がり、突進しようとして来た瞬間に詰め寄り、顔面に拳を叩き込む。先程の繰り返しになるかのように吹き飛び、両者の間に距離ができる。


「おいアスモデウス、さっさと決めろ。手伝うか、手伝うかだ」

「答えが一択しか存在しないように思えるが」

「拒否権が存在しねえんだから当然だろ?」


 ゲラゲラと笑い、続ける。


「手伝うっつっても、やる事は大した事ねえ。テメェの権能で、あいつを人間の領域に引き戻すだけだ。簡単だろ?」

「……それをボクが、やらなかったとでも?」


 エルンストが口にした事を、アスモデウスが可能かどうかで言えば、当然可能だ。だが可能であっても、実現させる事はまた別の話だった。


「生憎やろうにも、片っ端から喰われて失敗に終わるだけさ。本来ならボクの権能そのものに干渉するなんて不可能なんだけど、今の彼にはそれが可能だ」

「ハハッ、そりゃ大したもんだな。さすがは我が弟子、ついでに混罪者ってところか?」

「混罪者を知ってるのかい?」


 意外な言葉を聞いたというアスモデウスに、視線を吹き飛ばしたエルジンの方角に向けたまま、笑いながら答える。


「かなり昔に、ベルフェゴールが作ったんだってな。確かその時は、ベルフェゴール自身と2代前の【暴食王】の罪科を混在させたって話だ」


 その事をエルンストは、マモンの口から聞いていた。そしてその対処法もまた、ベルフェゴールの知識を得ていたマモンから聞き出している。だからこその提案だった。


「それに、外側から無理だってんなら、内側からやりゃいいだけの話だ。単純だろ? 本来の口から、テメェの髪なり何なりを飲み込ませて、そいつを媒質に――」


 エルンストが言葉を途中で切って、視線をようやくアスモデウスに向ける。

 権能によって生み出された顎と比較すれば程度は低いが、それでも本来の口腔内にも、【暴食】の権能の影響は及ぶ。それ故にただ適当に飲ませればいいというだけではなく、相応の量が必要になるのだが、それだけの量を確保できるかどうかは不明だった。


「何で髪を伸ばしてねえんだよテメェは!」

「何でそんな理由でキレられなきゃならないんだい!?」


 どう考えても理不尽な怒りに晒され、さすがのアスモデウスも反論する。だが口論するだけ無意味と割り切り、意識を即座に切り替える。


「とにかく、やるさ。要は媒質代わりに使えるものがあれば良い訳だからね。その代わり、それをやる間は一切ボクは他の行動が取れない。最低限の保証ぐらいはしてもらおうか」

「ならやって見せろ。サポートぐらいはしてやる。別にあのクソガキを殺しても問題はねえが、そうしたら契約の不履行になるからな。それは癪に障る」


 担いでいた大剣を、邪魔と言わんばかりに地面に突き立て手放す。代わりの得物である拳を鳴らし、目を閉じる。エルジンとは比べ物にならないほど鋭敏な感覚が研ぎ澄まされ、目を開いている時と遜色が無いほど正確に、外部環境が脳内に映し出される。


「まあ、多少は痛い目にあってもらうがな!」


 視界を閉ざしたまま動き出し、エルジンへ接近。来る事が分かっていたかのように、顎の一撃を回避。続けて伸ばされる手の下を潜り抜け、左拳を前腕に打ち込む。

 衝撃で流れて行く腕を逃さず、右の拳が肘を、さらに戻された左拳が上腕を打ち抜く。


「返せ返せ返せそれはおれのものだ!」

「テメェから何かを奪った憶えはねえよ!」


 平然と右腕を掴んでその場に引き止める。右腕に顎を顕現させて喰らう事が可能は筈だったが、エルジンはそれをせず、左腕をエルンストへ振るう。屈んだ事で頭上を薙いで行き、がら空きとなった喉へと拳が叩き込まれる。


「あっ、がっ――」


 【暴食】の権能によって超常再生能力を持ち合わせているエルジンにとって、拳の一撃程度は大したダメージにはならない。その筈だったが、その一撃がよほど堪えたかのようにたたらを踏み、後退する。

 そのタイミングに合わせて、固定していた腕が手放されて重心がずれる。状態のバランスが崩れた隙を突いて、右のこめかみに拳が向かい、中指の第二関節が突き込まれる。

 トドメとばかりに翻った右拳が、毒蛇のように半身に及んでいる黒い紋様の起点である、心臓へと打ち込まれる。


「無拳……ってな。行け、クソアマ!」

「口が汚い!」


 呼称に文句を付けながら、エルンストの後方からアスモデウスが走りぬけ、エルジンの背後に回り込む。

 右手が口元に運ばれ、指先を噛み千切ると背後からエルジンを羽交い絞めにし、千切られた指先をその口の中に突き込む。

 間髪入れずに、嚥下された血液を媒質代わりに、全力で権能を行使する。


「戻って来い!」











次回予告

未定

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ