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新旧死神①

 



 無人の地となった区画。そこに立ち並ぶ一切の損傷の無い建物が纏めて、地面ごと抉り取られる。

 突如として発生した、まるで巨大な匙で掬い取られたような形状の穴。その穴のちょうど円周上に存在し、辛うじて全体の半分だけを抉られるだけで済んだ建物の断面は、一直線に両断された訳でもないのに、どのような刃物でやればそうなるのか分からない程に滑らかで鮮やかな様相を見せていた。

 そんな穴はそこだけではなく周辺にも立て続けに発生し、硬質の音と土煙、そして僅かばかりの廃材の破片をばら撒く。


 よく観察して見れば、発生した穴とそこから立ち込める煙は、一本の線で結べる。まるで何者かが移動しながら地面を掘り返しているかのような光景だった。

 その少しずつ晴れて行く煙を引き裂いて人影が1つ地面に降り立ち、衝撃を殺し切れずに転がる。


「ぐぅ……ッ!」


 全身を朱に染めたアスモデウスが立ち上がろうとして、途中で不自然に体勢を崩し失敗。表情には苦痛の色。


 頭から眉間を伝い、頬から顎へと流れる血は瞳と同色である筈にも関わらず、瞳の色鮮やかさを際立たせる装飾品のようにも見える。形の良い顔の造詣は顰められ、不愉快さ、そして緊張感を表す。


「何とも厄介な限りだ……」


 体は全身傷だらけで、出血量は普通ならば到底看過できない量に達している。

 長い右腕の肘から先が消失しており、左手も中指以降が半ばから欠損。左足はあり得ない方向に捻じ曲がっており、それ故に直立できずに膝をついて体を起こしている。


 誰が見ても重傷の状態だったが、当人が嘆息と共に両腕を振ると、欠損していた腕の部位は瞬時に再生。衣類も元通りとなる。

 続けて両手で全身の傷を撫でて行く。裂傷や擦過傷は傷跡も残さず消え去り、流れ出た筈の血も、衣類に染み込んだ分も含めて跡形も無くなる。捻じ折れていた足も何事も無かったかのように立ち上がり、地面に靴が下ろされる。

 あっという間に無傷の状態に戻ったアスモデウスは、軽い疲労を顔に浮かべながらも、鋭い視線を前に向けたまま離さない。


「五月蝿い消えろ消えろ邪魔だ目障りだ消えろ消えろ消えろキエロキエロキエロ――!!」


 視線の先に現れたエルジンが、まるで頭痛を堪えるかのように額を抑えながら、支離滅裂な言葉を羅列する。手の間から覗く瞳は胡乱気で、焦点があっていない。だがその瞳に反して、意味の不明な言葉を羅列する声音だけはしっかりとしており、敵意と殺意に満ちていた。


「消え、去れッ!!」


 腕が振り抜かれ、軌道上に存在していたもの全てが削り取られる。

 直前で跳び退いたアスモデウスの腕も、一部を削り取られて血が噴出。即座に元通りになるが、彼女の表情には苦痛。


「マモンめ。仮に警告をするにしても、遅過ぎるだろう」


 自信とそれ以外との関わりを無にしてしまえば、本来なら傷を負う事もない。代わりに反撃も一切できなくなるが、逃走するのには必要ない事だ。

 にも関わらず傷を負っているのは、エルジンとの交戦の意思があるという事――ではない。彼女は既に再三に渡り、逃亡を試みようと権能を使用していた。その上で傷を負っていたのだ。


 それは本来ならばあり得ない筈だった。

 例え同格の大罪王であったとしても、世界との関わりを遮断した彼女を捉える事は叶わない。だからこそあのエルンストも、無敵と評したのだ。


「ベルゼブブめ、どこまでも忌々しい限りだ」


 憎々しげに吐き出す一方で思考は憎悪には染めず、冷静に事態を分析する。

 彼女が吐き出した通り、その身を傷付けているのは【暴食王ベルゼブブ】の権能によるもので間違いない。だが、傷つける事とそれを可能にする事は全くの別物だ。


 例え全てを喰らい糧とする暴食の権能であっても、存在しないものを喰らうことはできない。喰らうにはまず、存在しないものとして君臨している彼女を、食卓へと引き摺り下ろす必要がある。

 そしてそれは、ベルゼブブの持ついかなる権能であっても不可能。ならば別の要因が存在する。


「【嫉妬王レヴィアタン】と、それに……ッ!?」


 再度の攻撃の予兆を感じ取り、その場から素早く退避。

 だが一瞬だけ遅く、左腕の表層を削られる。負傷による痛みと共に、彼女にとって懐かしさを覚える力の残滓が混じっているのを捉える。


「【傲慢王ルシファー】……」


 自身を襲っている事態の、最も合理的と思われる解答。


 【傲慢】の権能により、存在しない者への適応を果たして同じ土俵に立ち。

 【色欲】の権能により、存在しない者に対して干渉する術を得て。

 【嫉妬】の権能により、存在する者の舞台へと引き摺り下ろし。

 【暴食】の権能により、その身を喰らう。


 かつての彼女よりも上の力を持ちながらも、大罪王たち個々では成し遂げられなかった芸当を、そららを束ねる事で可能としていた。だからこそ直前のマモンの忠告にも、今この時に限るという条件を添えられていた。


「だが、一体どうして……」


 疑問に対する答えを得ても尚、新たな疑問が生じて来る。


 【暴食】は心臓。【嫉妬】は右眼。そして【色欲】は他ならぬ彼女が与えた右腕。それらがあるからこそ、ごく一部とはいえ、それぞれの罪科に基づいた権能を行使できるのは理解できる。

 だが唯一【傲慢】の罪科だけは、それでは説明がつかない。


 ベルゼブブと出会うよりも更に前に、接触でき得る環境に居たのは間違いないが、それでも実際にしていない事を、彼女は相手の記憶から知っている。

 しかし現実として、ただ推測の域を出ない仮説だけではなく、目の前にいる相手からは紛れもなく【傲慢】の権能の残滓が感じ取れている。


 何より厄介なのは、それらの権能が彼女に対する干渉を実現させるだけではなく、彼女からの干渉に対しても干渉できるという事だった。

 逃亡が不可能ならば戦う以外に選択肢は無いが、彼女が得てとする闇属性魔法全般は【暴食】の権能によって完封されている。かと言って彼女自身の権能による攻撃を試みようとしても、【傲慢】による適応と【暴食】の権能を併用される事で、そのことごとくが無為に帰している。

 冗談みたいにでき過ぎている相性の悪さによって、アスモデウスの手筋は完全に封殺されていた。


 自身の窮地を正確に理解しながらも、打開策を模索する。


「西に舐めた奴が居たらブチ殺し」


 遠方から声が聞こえて来たのは、そんな時だった。


「東にムカつく奴がいたらやはり殺す」


 徐々に、急速に近づいて来るそれは、調子はずれな音程で奏でられる、即興の歌声。


「そして……」


 遅れて混罪者もそれに気付き、音源へと視線を向けようとした瞬間、空気の爆ぜる音とほぼ同時に、その頬に拳が突き刺さる。

 【暴食】の権能を持つ相手に、素手による物理攻撃は本来ならば無意味を通り越して、自傷行為でしかない。だがその拳は余りにも速く、権能が牙を剥くよりも先に結果を生み出し、相手を猛烈な勢いで吹き飛ばす。


「他人に迷惑掛けて、師匠のツラに泥を塗る馬鹿弟子は、一度殺した後に蘇らせて二度殺す」


 身の丈ほどもある大剣を棒切れのように肩に担いだ【死神】エルンストが、物騒な宣告と共に登場。続けて視線を、突然の事態に目を白黒とさせるアスモデウスに移す。


「ようアスモデウス、実に丁度良いところに居てくれたな」


 往年の友人に出会ったかのように、にこやかに笑いかける。直後に笑顔の質を悪魔のそれに変質させる。


「ここで俺に手を貸すか、それとも俺に殺されるか、好きな方を選べ」










「…………」


 気が付けば、見覚えのない景色の中に立っていた。


 周囲を見渡しても、一切の障害物の見当たらない平坦な大地。頭上はただひたすらに高く、煌々と明かりを齎している一方で、雲の欠片どころか青い空すら見当たらない、真っ白な空間が広がっている。

 モノクロの頭上の光景とは裏腹に、足元には色とりどりの、一面の花畑が広がっている。

 花の種類に詳しい訳ではないが、それでも現実に存在しているかどうかさえも怪しい色のものすらある、足の踏み場もなく密集して咲き誇る花を見ていると、不思議と心が安らいで行く気がした。


 明確な目的もなく、歩き出す。そうする理由も無かったが、かと言って留まっている理由も無かったから。

 ふと気が付いて振り向いてみれば、背後にはおれが歩いて来た軌跡を示すかのように、真っ白な道ができていた。

 試しに足を持ち上げてみれば、引っ掛かっていた花がいとも簡単に抜ける。その下にあったのは、非常に細かい白い砂。これでは根を張る事も碌にできず、簡単に抜けてしまうのも当然と言えた。


 とは言え、そんな事をおれが気にする理由など無い。

 そもそもここがどこなのかも分からず、何故居るのかも分からないのだから。周囲の環境にまで気を配る余裕も、そのつもりもない。


 再び歩み始める。変わらず進む先には何も見えないが、足下に変化は現れる。

 あれほど色とりどりで、鮮やかな光景が広がっていた筈なのに、歩を進めれば進めるほど、色の種類が少なくなって行く。

 数百色から数十色へ、数十色から数色へ、やがて赤と青と黄色の3色だけとなり、それもすぐに赤一色だけとなる。

 そして色の種類が本数に比例していたかのように、生える花も疎らとなって行き、白い砂原が目立つようになって来る。不思議な事に、体感温度もどんどん下がって行き、進めば進むほど花の比率も減って行く。


 肌を刺す冷気が中々耐え難いものとなった頃に、ついに周囲にも何も無くなる。

 代わりに目の前に、2つの道が現れていた。


 なぜか虚空に、支柱もなく浮かぶ道。二股に別れて伸びているその道は、右手側が平坦で進むのには然程苦労しないだろうものであり、左手側は急激な坂が終わりなく続いている道だった。

 どこかで見たような、しかし思い出せない曖昧な感覚に襲われつつ、試しに宙に浮かんでいる道の下を覗いてみると、底の見えない奈落が延々と続いていた。落ちれば、まず助からないだろう。

 ならば少しでもリスクを減らすため、右手側の道を選ぶのが合理的な判断だった。仮に落ちても問題ない状況であろうとも、どのみち道を選ぶ判断材料が碌に無い以上は、その選択を取るのが当然だった。


 一方で、何故か反対の左手側の道を選べと、何かが訴えかけている様な気がしてならない。

 そうすれば後悔しないと、何に対してなのかも曖昧なのに、漠然と感じ取っている。


 矛盾した思いに囚われて、それでも答えを出せずに立ち止まり続けていると、その場に居るのに気がついてから初めて、自分以外の気配を感じ取る。

 ふと顔を上げて見れば、その気配が左手側の斜面からこちらへと降って来ているのに気が付く。


「今度は即決しないんだな」


 黒髪黒目、背丈はおれと同じぐらいの、外見だけを書き出せば取り立てて目を引く要素は無い筈の、まだ青年と呼べる男。

 だが実際には、どこか不吉さを感じさせる雰囲気を纏い、黒い瞳はこの世の混濁を写したかのような、寒気を覚える色を宿している。

 全身は実用的に隈なく鍛え込まれており、ただ歩いているだけでもそうと分かるぐらい身のこなしは巧みで、重心に些かのブレも無い。

 さらには、身に付けている衣類はどれも超が付くほどの一級品であると同時に、どれほどの価値があるのかも分からないほど、複雑な術式を編み込まれた魔道具でもあった。そしてそれが格好だけでない事を示すかのように、今まで見て来た中でも五指……いや、三指に入る程の魔力を内包していながら、それを完全に制御して内側に押し留め切っていた。


 その突然の登場に、警戒と共に武器を顕現させようとして、手応えが無い事に拍子抜けする。

 ベルが拒否したというよりも、まるで最初から居なかったかのような、そんな手応えの無さ。そんな筈は無いのに、疑問が頭の中を埋め尽くす。


「……誰だ?」


 ひとまず警戒心を保ちつつ、問いかける。

 相手の口ぶりはまるで、以前におれの事を見た事があるかのようなものだった。だがおれには、相手に見覚えは無い。


「その問いに対する解は、求めるものによって変わって来るな」

「言葉遊びか? 端から答える気が無いなら、最初からそう言えば良いだろう」

「答えるつもりが無い訳では無い。合理性を追求し過ぎる余り、拙速となるのは頂けないな」

「…………」


 暗に黙っていろという言葉に、とりあえずは口を噤んでおく。


「例えば……ミズキアだ」


 そんなおれの態度に満足したのか、再び口を開いたかと思うと、意外な名前を紡ぎ上げて来る。


「あいつの不死性は、命を随時交換する事で成り立っている。そして死んだミズキアと、生き返ったミズキアは、全く同じ記憶を、人格を持っている。ならばそのミズキアは死の前後で同一人物と言えるだろうか?」

「言えないな」


 意図は分からないが、答える事は非常に簡単であった。

 論じるまでもない程に非常に有名な話であり、ミズキアもそれを自覚して能力を用いている。だからこそあいつは、【忌み数ナンバーズ】として数え上げられているのだから。


「それと似たようなものだ」

「……ああ、なるほどな」


 そこまで言われてようやく、相手の言いたい事が理解できた。そして不思議と、相手の正体も分かった。


「お前はおれか」

「正確には、あり得たお前の可能性の1つだ。あの日あの時、能力を明け渡さずに、保持し続けたのがこのおれであり、お前が進み得た道の先にあったものでもある」


 あまりにも突拍子で、また信じられる要素の欠片も無い話。


「言うなれば、平行世界の自分が会いに来たって事か。ふざけた話だな、どこの娯楽小説の話だ?」

「厳密に言えば違う。言ってしまえば、おれはただの幻影、お前自身が見ている幻覚の一部に過ぎない」

「その割には、随分と饒舌な事だ」


 おれの皮肉の何が面白かったのか、軽く笑い受け止める。


「結局のところ、おれは現実に存在するものではなく、またここも現実のものではない。言うなれば、全ての基盤がお前の心象風景だ。それだけで十分だろう?

 だからおれが現実に対して、何ら影響を及ぼす事もできないし、ここでの出来事が現実に影響を及ぼす事もない。単純なことだ」


 そこでもう1度、やはり何が面白かったのかは分からないが笑い、坂を完全に降り切る。

 同じ高さに立ってしまえば、身長がほぼ変わらない事が良く分かる。おれ自身であるらしいから当たり前だが、鏡合わせと言えるほど似ていない。

 歩んだであろう人生が違うのだから当然なのだろうが、それがどこか気持ち悪い。


 そんなおれの内心を知ってか知らずか、反転し、すぐ隣の平坦な道へと入り始める。


「行こうぜ。少し話をしよう」











次回予告

傲慢の残響は死者の道で語り、死神は選択肢のない選択を突き付ける……みたいな。


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