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頂上決戦⑤

 



 地面が踏み割られ、その反動でエルンストとリグネストが並走する。地面だけでなく倒壊し傾いた建物の上から、未だ無事な建物の垂直の壁面まで、立体的な地形を平坦なそれと変わらぬように踏みしめて移動する様は、野を駆ける2頭の猛獣のようだった。

 しかし猛獣と違い、両者の間には常に拳と刃の応酬が繰り広げられており、それによって火花と血が飛び散っていた。


 エルンストの握る大剣とリグネストが両手に握る大小一対のナイフが、銀光と軌跡を残しながら空間を焦がし火花を発する。放った剣を引き戻したエルンストが回転。僅かに下がった体の至近距離をナイフが薙ぎ払われて行き、衣服の表層を斬り裂く。回転の終点にて蹴りが放たれ、リグネストが身を捻って躱す。

 返される回し蹴りを伏せてやり過ごし、大剣の刺突。上方から振り下ろされたナイフの切っ先が大剣の峰を叩いて落とし、反対の手に握られるナイフが閃く。手応えは無く、エルンストの姿は相手の視界の上へと移動する。

 エルンストが空中で縦回転。伸びた踵がリグネストの頭を狙う。直撃すれば頭蓋を割って中身を外界に晒す事となる威力を孕んだそれを、一歩退がる事で回避。しかし更に続く、回転の勢いを乗せた上段からの強烈な一撃にはナイフで対応。交差したそれで受けるが、衝撃は強烈で、靴底の半ばまで硬い地面に埋まり亀裂が走る。


 重圧に押し潰される前にナイフを滑らせ、断頭のギロチンを頭上から逸らす。切っ先が地面を叩いて土砂を巻き上げる。

 重力に逆らい、そしてすぐに捕らえられて落下する土くれを払うようにして放たれる、右手の大振りのナイフによる電光の如き3連刺突。それぞれが右肩と右脇腹を裂き、そして首を掠める。


 その間に持ち上げられた大剣が上空へと昇り、斬り上げられる。左のナイフがそれを受けるが、質量差は圧倒的で受け止め切れず、全身ごと後方に流される。

 追いすがるエルンストが剣を振り下ろし、リグネストの右肩を捉える。鎖骨の半ばまで刃が達したところでリグネストの左足が動き、エルンストの胸を蹴り付ける。

 衝撃でエルンストの体が下がり、刃が体内から抜け出る。蹴られた胸の下の肋骨には罅が入るが、その程度は彼にとって負傷に足り得ない。足を伸ばして地面を掴み、尚も後ろに行こうとする体を無理やり引き止める。余った力で前進。


 エルンストは既に2本目の促進剤アッパーを投与している。そうしなければリグネストの動きに対処し切れない。同時に頭の中には当初よりも少なくなった制限時間が秒刻みで減っていく様子が浮かんでいた。


 リグネストを間合いに捉え、大剣が横薙ぎに振り抜かれる。鋼の軌跡を空間に刻む、渾身の一撃。左の小振りのナイフが間に入れられてそれを受けるが、斬撃の威力に耐え切れず粉砕。尚も止まらずリグネストの胸元を斬り裂き、血を吐き出させる。だが浅い。

 直前に得物の片方を犠牲に放たれたリグネストの一撃は、エルンストの右腕を深く斬り裂いていた。しかし直前で腕を引いた事で、靭帯まで断たれる事態は避けられる。

 最後まで踏み込んでいれば重傷は与えられただろうが、変わりに利き腕を失っていた。今のリグネストを相手に、その結果はむしろ自分を不利に追い込む。それ故の判断だった。


「ハハハッ! 楽しいなぁ、リグ! 最ッ高に愉快だ!」

「否定はしない。自分の内心を御し切れないほどに、高揚感が溢れ出ている。こんなのは久方振りだ」


 相手の血に塗れた武器を構え、時計の秒針のように動いて行く。会話の間にも、少しでも相手の隙を見付ければ即座に突くという意図を剥き出しにした動きだった。


「聞くが、テメェが俺に勝って最強を名乗ったとして、その後どうするつもりだ?」

「さあな。何かが見付かればそれで良し、見付かれねばおそらく、次を探すだけだろう」


 言葉と共に時間が経過し、比例して緩やかにだが、リグネストが負った傷から流れ出る血は少なくなって行き、傷口自体も同様に塞がって行く。半分とはいえ、体構造を魔力に置換したが故の現象であり、リグネスト自身の魔力が尽きない限り無限に再生する。そして制限時間が設けられている現状で、大陸でも五指に入る程の量の魔力を有するリグネストを削り切るのは不可能だろう。


 となれば残るは、再生不可能な頭を潰すか、もしくはその現象を齎している大元である竜玉の破壊のどちらかしかない。

 それをリグネストが許せばの話だが。


「何だそりゃ? 適当過ぎんだろうが」

「かもしれないな。だが、他の道を選ぶつもりは今のところは無い」


 両者が止まる。エルンストは半身となり、左手を柄から離して体の影に隠す。


「それとも最強など、なっても虚しいだけだとありがちな説教でもしてみるか?」

「まさか、する訳ねえだろうが。何せ……」


 言葉の途中でリグネストが接近。同時にエルンストが左手を振り抜き、投剣の群れを放つ。迫る刃の雨をリグネストは回避せず、ナイフで全て叩き落とす。その隙に距離を詰めたエルンストの大上段の一撃を回避。大剣が途中で直角に変化し、死角から襲い掛かる。

 不意を打った筈の一撃は空を切る。直前の僅かな筋肉の動きから次手を見切っていたリグネストが跳ね、大剣の剣腹に立って回避。

 エルンストが対応するよりも早く再度跳ねて後方宙返り。地面と水平となった背の下を投剣が通り過ぎて行き、着地。互いに踏み込んで刃を噛み合わせる。質量の差を魔力量に物を言わせた膂力で拮抗させる。


「自分以外の全てを見下せるんだからな。最高に決まってんだろうが!」


 厚顔不遜な宣言と共に、剣を握る両腕と、背の筋肉が肥大。埋め難い筈の無能者と魔力持ちの差を、力任せに覆す。


 相手の体勢が予期せず崩れる隙に剣を戻し、裂帛の突き。頭を簡単に吹き飛ばす一撃を、下方からのナイフで弾く。それでも僅かに軌道を上に逸らすのみで、背を反らす事で回避。重心が後ろに傾いた事で持ち上がった足が伸びたエルンストの右腕に触れる。かと思えば、足が蛇のように右腕に絡みつく。

 エルンストも即座に反応し、左の鉤突きを絡まる足へと叩き付けようとする。だがそれよりも早く、リグネストが唯一体を支えていた足を地面から離し、エルンストの側頭部へと向かわせる。

 岩をも砕く蹴りを、顔を反らす事で回避するも、既に絡みついている足への対応が一手遅れる。空を切った右足もそのままエルンストの右腕に絡みつき、更に左手が手首を掴む。


 そのまま両足が締められ、腕を無残に破壊する筈が停止。エルンストが凄惨に笑い、リグネストの目には驚愕が浮かぶ。


 リグネストの全身の筋力を使った破壊技に対して、エルンストは右腕の筋力だけで抵抗し、成功させてみせていた。そのまま右腕が持ち上がり、跳躍。

 抗うリグネストがナイフを振るうも、左手が伸びて手首を掴んで妨害。地面に右腕から着地し、必然的に絡みついていたリグネストが背中から地面に叩きつけられる。

 蜘蛛の巣状の亀裂が地面に広がる。受身も許されずに叩きつけられた為に、背骨が軋み、血の臭気が喉奥から込み上げて来る。衝撃でナイフが右手から零れ落ち、離れたところへと転がる。


 いち早く転がり起きたエルンストが、再度の刺突。リグネストの眉間に切っ先が迫り、数ミリ手前で停止する。


「おい、マジかよ……」


 リグネストの両手が剣腹を左右から挟み、止めていた。白刃取りと呼ばれる、不可能に近いとされている技が現実に繰り出されている光景。ましてやエルンストほどの戦士の剣撃を前に、試そうと考える者は勿論の事、成功させられる者など皆無の筈だった。

 だがリグネストの能力は【超感覚】。さすがにエルンストの太刀筋は止まって見えるとまでは言わないにしろ、他の者が感じるよりも格段に遅く捉える事ができる。後は半魔人化によって跳ね上がった身体能力が合わされば、不可能を可能にする事ぐらいはできる。

 それでも困難な事に違いは無く、今度はエルンストが驚愕を覚えて硬直する。


「おおおおおおおおおおおっ!」


 咆哮に近い掛け声と共に腕が捻られ、剣を握るエルンストごと持ち上げられ、投げ飛ばされる。更にエルンストを目掛け、腕が振るわれる。手に宿った術式を見たエルンストが空中で剣を掲げる。

 リグネストの紡ぐ【魔刃】の術式は、メネケアのそれとは違って魔法単体としては拙く、1メートル弱程度の刃を生み出すのみ。だが斬れ味に変わりは無く、生成された半透明の刃は片方は掲げられた剣によって防がれるも、反対の手に生み出された魔力の刃は狙い通り、エルンストの体を斬り裂く。赤い血が尾を引き、エルンストは背中から廃屋に突っ込む。衝撃で支えられていた上部の瓦礫が崩れ、エルンストの上に落下。生き埋めにする。


「とんでもねえな……」


 咄嗟に剣を傘代わりにした事が功を奏したのか、瓦礫に押し潰される事を避けられたばかりか、偶然にも先に落下した廃材が支柱となったお陰でできた空白の空間内で、エルンストが独白する。

 言葉の内容こそ戦々恐々としたものだが、表情は喜悦そのもの。対等に近いか、それ以上の闘争を喜びとし、苦戦を悦楽と感じる者が浮かべるものだった。


 寝転んだ体勢のまま、エルンストは腰に手を回す。戻って来た手に握られているのは、促進剤アッパーの詰まった注射筒。


「使わなきゃ死ぬな」


 まだ2本目の効果は3分ほど残っている。だが惜しんでいる余裕は無い。一見戦況は互角に見えるが、確実に不利に置かれているという自覚がある。

 確かに膂力では勝っているだろう。その上で速さは互角に近く、戦いの組み立てでは一歩譲るが、魔力の浸透率が半魔人化によって増した今、魔力探知には前以上に引っ掛かるようになっており、その差は組み立ての差を補って尚も上回る。


 だがそれも今のうちだけだった。


 確かにリグネストは、竜玉を用いた直後に、溢れ出ようとする魔力を掌握して制御してみせた。だがそれは全てではない。時間を掛ければ掛けるほど、未だ制御し切れていない魔力のより多くの魔力を完全な制御化に置いていき、己の力に変えて行く。それも恐ろしいほどの速さでそれをやってのけている。


 エルンストの見立てでは、こうして彼が思考を巡らせ、またリグネストが飛んで行った得物を回収している間にも既に総合力において上回られている。ならばその差を更に覆さなければ、勝ち目は無い。

 例え継戦時間が縮まろうとも、長引けはその分負けが確定するだけであり、残り時間に余裕を持たせる事に意味は無い。ならば選択肢は1つだけだった。


 針を首筋に刺し、中身を体内に取り込む。脳内のカウントが180となり、代わりに全身に全能感が満ち満ちて行く。それを感じ入るように深呼吸し、身を覆い隠していた瓦礫を跳ね除ける。

 無数の瓦礫が飛礫となり、リグネストへ飛来。その影に紛れてエルンストが突貫。

 自分に当たる瓦礫のみを弾き飛ばすリグネストの左手に、術式の燐光。突進の速度を落とさず、剣を掲げて対応。剣腹に半透明の刃の切っ先が衝突し、負荷に耐え切れずに粉砕する。


 相手を剣の間合いに捉える直前で、エルンストが跳躍。手ではなくナイフの切っ先に宿り、刃を延長させたリグネストの【魔刃】が空を切る。開いての背後に降り立ち、頭を狙う斬撃。回避されるも反撃を牽制する蹴り。軌道は変化し、リグネストの右腕に直撃。咄嗟に跳んで衝撃を逃がすが、大きく横に吹っ飛ばされる。


 追撃に移るエルンストの斬撃が、起きたリグネストのナイフと衝突。上部からの圧力に、膝をついたまま抗う。


「今度は逆にこちらが訊ねるが……」


 口を開き舌鋒を差し向けるかと思いきや、左拳が地面を強く叩く。本来ならば何の意味も無い動作。だがリグネストの【超感覚】によって見出された点に力が集中すれば、ただの人間の動作であっても容易く地面を揺らす事ができる。


 震動に僅かに足を取られ、重心が崩れたエルンストの刃がリグネストの側を通り抜ける。対するナイフの切っ先がエルンストの心臓を狙い、身を沈めて差し出された肩を貫通。

 捻り上げられる前に膝が突き出され、リグネストの肋骨を粉砕。だが吹き飛ばされる直前に放たれた蹴りが、エルンストの顎を打ち抜き追撃を阻む。


「お前は何故、戦いの世界に身を投じ、そして置き続けている?」

「そりゃ無意味な質問だな」


 雷のような刺突と閃光の斬撃が弾き合い、互いに体を流すような愚は犯さず、互いの得物を滑走路にして力を溜め、次手の原動力に変換し、飛び交う刃の間に言葉が挟まれる。


「賭博師に何故賭け事に命を賭けるのかと問い質し、騎士に何故他人に命を賭けるのかと訊ねるようなもんだ!」


 半歩引いてからの、水平斬撃。側にあった壁の残骸を軌道上に置き、粉砕された飛礫が刃と共に迫る。リグネストのナイフは大剣だけを的確に捉えて迎撃。巨大な飛礫が体を打ち据えるが、来ると覚悟して受ければ痛痒を感じる事も無い。頭部に当たる物のみを選別し、左手の魔力の刃で粉砕。翻してエルンストを狙う。


「別段厭世家を気取るつもりは無いが、この世なんざ大層なもんじゃねえ。無意味と言い換えても良い」


 鼻梁から頬に掛けて刃が通過し、傷を刻まれながらも、逸らした頭を勢い良く戻す。額がリグネストの額に打ち付けられ、体勢が崩れる。すかさず刃を叩きこもうとするが、左手が素早く伸びて手首を押さえる。掴まれ引き寄せられ、ナイフの切っ先へ導かれる。

 ナイフがエルンストの脇腹を貫くと同時に、左の貫き手がリグネストの同様の部位を穿つ。互いの口の端から新たに血が流れ、同時に身を話し合う。置き土産の太刀が衝突し合い、火花を残響音と共に散らす。


「そんなただでさえクソったれな世の中に、紛い物共が我が物顔で闊歩してやがる。それを理解できずにクソ共は、糞に集るハエの如く喚き立てて、賢しげに騙る。そしてそれが正しい世の中だ。迎合する事こそが正解だが、それさえもできねえならば無意味なりに空虚に生きるしかねえ!」

「それが闘争の世界か」

「それ以外に何がある? 闘争は何も生み出さない、それは変えようのない事実だ。だが生み出さないからこそ、悦楽を感じる事ができる。

 おまけに強けりゃ気に入らねえクソ共を捻じ伏せて、見下して最高の気分に浸れる。空虚な、無意味という概念すら存在しない世界だからこそ、意味を見出さずとも生きられる。だったら生き続ける為にも、戦い続けるしかねえだろうが!」


 常人には理解できない理屈と価値観。だがリグネストは常人ではなく、それ故に理解できる。理解できるからこそ、応じるように笑う。


「確かに道理だが、ならお前はそれに当て嵌まるのか?」

「ンな訳あるか! 何だって俺が世界如きに抗う必要がある! 抗うのむしろ、俺に対して世界がそうするべきだ!」

「そうだな。それでこそお前で、闘争者ならばそうするべきなのだろう!」


 噛み合っているようで噛み合っていない、だが確実に通じ合っている言葉の応酬は、拳と刃の応酬にも似ていた。

 相手に自分の意図を伝え、納得してもらう必要は無い。ただ自分が納得できれば良く、それよりも眼前に広がる戦場の世界において、相手に如何に得物を突き立てるかの方こそが重要だった。


「だがその割に、言葉が多過ぎる。命のやり取りに言葉なんざ本来は必要ねえ」


 何度目かの刃の衝突と同時に後退し、距離を取る。問い掛けて来た相手を咎めるように、そして応じた自分を嘲笑するように剣を掲げて構えるエルンストの姿は、全身傷だらけで赤く染まっていた。

 対するリグネストも似たようなものだ。傷は治れど流れた血が消える訳ではない。ただ時間の経過に比例して消耗の点において優位に立つ以上は、その血に塗れた姿に大した意味など無い。


「生憎もう時間がねえ。これで終わりにさせて貰う」

「ああ。名残惜しいがそうしよう」


 今度は不意打ちもなく、互いに呼吸を合わせて対峙。戦場においては無意味な立会いだったが、両者に不満は無かった。


 爪先で間合いが詰められ、地面を擦る音が相手に届いた瞬間に衝突。跳ね上がったリグネストの右足を、エルンストが腕で受ける。

 剣が翻り、半透明の刃を砕く。エルンストの手が伸び、破片を掴んで投擲。頭を傾けたリグネストの頬を掠める。


 投擲で体の外側に流れた左手が、虎爪となって反転。側頭部を叩き頭を揺らすが、代わりに水月に膝がめり込み絶息。堪えて一歩後退し、踏み込みからの凄烈な一撃。剣にナイフを叩き付けられ、逸らされる。剣の影から飛び出した、最後の投剣も躱す。だが尾尻についていたワイヤーが体に巻き付いて行く。

 糸が引き絞られ、摩擦で肉を切る前にナイフが断ち切る。そこに前蹴りが迫り、腕を掲げて防御。途中で変化し、掲げられた腕を足場に跳躍。背後に抜けられる。


 反転したエルンストが背後に刃を叩き込もうとして、停止。左胸を貫く、水平の半透明の刃。それはリグネストの体を挟んでナイフの切っ先から伸びており、長さは2メートルにも及んでいた。


「終わりだ」


 自分の体を盾とした、不意打ちの一撃。その時まで【魔刃】による自分の最大射程を隠し続けたが故に成功し、左肺を貫く代わりに、エルンストの大動脈を捉えていた。致命的な傷だが、即死には至らない。だからこそトドメの一撃に移ろうと、腕を固定したまま反転。鋭利な刃はその動作だけで容易く術者の肉体を引き裂いて抜け出る。

 そしてエルンストを固定していた筈の手応えが消失。目を見開く。


 エルンストは自ら身を捻り、急所を貫く刃から脱していた。代償は安くなく、左胸から脇に掛けて乱雑に引き裂かれた傷口からは夥しい血の流れ。だが自由を得て最後の一歩を踏み込む。

 直前でリグネストは、トドメの為の刃を迎撃の為の刃に変更。来るであろう斬撃を迎え撃とうとし、エルンストが腕を振りぬく直前で後方に跳ねて舌打ちする。


(しまった、死神の一振りデスサイズ――!?)


 気付き、既に前に出掛けていた体を全力で後方に傾ける。同時にナイフの軌道を修正し、盲点を通って来る筈の相手の剣に対応しようとして、空を切る。


「なっ――!?」


 振り抜かれた右手には、本当に何も握られていなかった。失策を悟った時には既に遅く、背後に隠れていた左手が現れ、逆手に握られていた大剣が迫る。

 例え時間が停止しているに近い世界観があろうともどうしようもなく、右脇から入り込み、心臓を再度両断して抜け出る。


「鋭すぎるのも考えものだな。理屈を知らなきゃ、引っ掛からなかったろうよ」










 至るところに破壊の傷跡が刻まれた、固い氷に覆われた大地。その氷の放つ冷気の影響など無いかのように煮え滾る、熱湯の泉や溶岩の沼。そして天は雷雨こそ鳴りを潜めているものの、未だ黒い雲で覆い尽くされている。

 それら全てが、とある線を越えるとまるで夢のように途切れ、普通の街並みが広がる。その事からそれらの光景が外的要因によって生み出されたものだと分かり、また環境をここまで激変させられる程の干渉力の高さが窺われる。


 そんな地の一画に、奇妙な物が転がっている。

 白濁色の、頭部と下半身が分離した上半身だけの鎧。下半身の部位はすぐ側に転がっているが、頭部は遠く離れた部位に転がっており、中身が詰まっているのだとすれば、装備者は誰がどう見ても死んでいる光景。

 だがよく観察して見れば、すぐに違和感に気づく。頭部の断面は勿論の事、上半身と下半身の断面からも、それぞれ一切血が流れていない事に。


 それを考慮すれば、そこに転がっているのは中身の無い、ただの鎧の残骸と判断するだろう。しかしその判断を覆すような光景が、直後に広がり始める。


 上半身だけの鎧の前面の、胸部から腹部に掛けて縦に亀裂が走る。続けて亀裂は途中で幾重にも枝分かれして行き、やがて内側から割れて周囲に破片が飛び散る。

 まるで卵の孵化のような光景。そんな感想を抱いた者の感性を保証するように、割れて開いた穴から飛び出る物体。


「痛ってえ……」


 ぶっきらぼうな口調とは裏腹に、良く通る心地良い澄んだ声音。その声源である頭部が鎧の内側から飛び出ていた。続けて乾いて黒くなった血の付着した首と胸が続き、その横から腕が出て来る……筈が、奇妙な事にその腕は左右どちらも半ばから消失しており、鎧と同様に白濁した物体に断面が覆われていた。

 そんな本来の機能の半分も発揮できない腕を駆使して鎧の中から体を出して行くも、下腹部から下は存在せず、断面も腕のそれと同様に白濁した膜に覆われている。

 当然そんな欠損だらけの体でバランスを取れるはずも無く、残る体構造が全て外に出た時点で転倒し、鎧の側にうつ伏せになって倒れる。


「クソッ、あの野郎……腕をぶった斬るわ、腹に腕を突っ込むわ、内臓を吹っ飛ばすわ、挙句の果てに腹から下を持って行くわ、情けの欠片もありゃしねえ……」


 言葉を連ねながら、両腕の断面の皮膜が泡立ち、肥大して行く。関節から五指に至るまで完璧に再現された義腕が完成するのに要したのは、僅か数秒。寝転んだまま指を開閉して具合を確かめ、両手を地面に付いて体を持ち上げる。そして同様の要領で、下半身も作って行く。

 体の大部分が仮初めの物となった人物が、溜め息混じりに起き上がる。直後に氷に足を取られそうになり、忌々しそうに舌打ちしてから義足の裏に鋲を形成し、踏み締めて固定、直立する。


 肩まで掛かる程度の、鳶色の髪。あまり手入れされていないのか、前髪は猛禽類を髣髴させる切れ長の目に掛かっており、義手で鬱陶しそうに払われる。

 剥き出しとなった肌は日の光を殆ど浴びていないかのように、まるで吸血鬼のように白く、だが肌理は細かく肌特有の艶がある為に、代替構造品の白濁色とは対照的で、それがより一層体構造の欠損の痛々しさを際立たせていた。

 また僅かな膨らみを見せる小振りな胸や、鍛えているとは思えない柔らかな腹部にも、穴に詰め込んだような白濁した皮膜が幾つも存在しており、部位から推測しても急所となる臓器に幾つも穴を穿たれているのは想像に難くない。


 そんな状態であってもその人物――【諧謔】は、多少血の気の失せた顔色をしているのみで、衣類を一切纏っていない状態であるのにも関わらず、恥ずかしがる様子も寒さを感じる様子も見せず、平然と悪態を吐き始める。


「これ、再生するか? ご丁寧に子宮も持って行きやがって、妊娠できなくなったらどうしてくれる。嫁入り前のか弱い少女に対して、何て仕打ちだ。普通、その辺りは慮るもんだろうが、クソ野郎……」


 愚痴を吐き出す間にも歩調は緩まず、境界線を越えて劣悪な環境から、破壊の跡だけが共通した通常の環境下に戻る。

 既に日は頂点に差し掛かっており、それを見上げて数時間は意識を失っていたと判断。更なる悪態が込み上げて来る。


「これ、間に合うかな。折角舞台を整えようと苦心したってのに、間に合わなかったら最悪としか言いようが……」


 しかし新たな悪態は、進路の先に異物を見つけた事で途切れる。


「アベルおじさんだ」


 胸を氷柱で穿たれ、出血多量で意識を失い倒れているアベルを、敬称を付けて確認する。

 側まで歩み寄り、義手で氷柱を掴み、引き抜く。栓を失った事で新たに血が流れ出すが、傷口に手を宛がい、能力を行使。意識が無い故に抵抗される事なく【操骨】の能力は作用して行き、アベルの体内の骨が増大し傷口を塞ぐ。

 更には潰れた心臓さえも能力で代替品を作り、途切れた血管なども同様に繋げ合わせる。止まっていた本物の心臓の代わりに、偽物の心臓が【諧謔】の能力によって動かされて鼓動を刻み始め、全身に新たに血液を送り出して行く。


 義肢はおろか、複雑な機能を持つ臓器まで代替品を生み出し、更にはそれを他人にまで適用させられる能力の制御力。それは能力者の観点から見ても驚異的だったが、本人にとっては驚くような事でもなければ、苦行でもない。

 何せ現在の彼女の欠損している臓器の全てはそうやって代替されているし、何より彼女が身に纏っている鎧も、そのようにして動かしているのだから。


 成人男性の基準から見ても大きな鎧は、どう見ても10代の前半から半ばが精々の彼女が着込み、あまつさえ自在に動けるようなものではない。だがその鎧自体が【操骨】の能力によって生み出された物。能力によって生み出された物は、彼女の意思によって自在に操る事ができる。それは鎧であっても同じだ。

 エルジンさえも上回る剣技も、彼女にとっては自分が動いて再現している訳ではなく、ただ鎧の内側に収まった状態で想像力を働かせ、理想的と思える動きを再現しているだけに過ぎない。

 それを実現させるには、動力として常に供給する必要のある並外れた魔力と、実戦にも通用する精緻な動きを生み出す為の莫大な演算力をを要するが、その程度は彼女にとっては大した重荷にはならない。


 そしてそれらに目を瞑ってさえしまえば、本来の体躯よりも大幅に大きな鎧を纏うという事は、様々な利点を齎す。単純な質量差から来る力の差は勿論の事、本来ならば急所が収まっているであろう鎧の部位を貫いたところで、その下に収まる体の部位が急所とは限らない。それまで破られた事が無い故に保険の1つでしかなかったが、初めてそれは作用し、彼女は辛くも死を免れていた。


「うぅっ……」

「起きた、おじさん?」


 死の淵から引き上げられ、意識を取り戻したアベルが呻き声を上げながら、薄く目を開く。


「……【諧謔】か?」

「正解。良かったね、たまたまとはいえ私が通りがかって。心臓が止まってから、死が確定するのが3分だっけ? あと少しでも遅かったら本当に死んでたよ、多分だけど」

「……なんつう格好してんだお前」


 【諧謔】の言葉など聞こえていないかのように、彼女の格好を嗜める。当人は言われてようやく気づいたと言わんばかりに体を見下ろし、溜め息を吐く。


「仕方ない。あの野郎に炎の中に落とされて、全部燃えたんだから」

「だから程々にと、言っただろうが……」


 苦痛を堪えながら起き上がり、上着を脱いで渡す。


「取りあえずそれ、着とけ」

「ボロボロだけど?」

「我慢しろ。無いよりマシだろうが」


 ボロボロの上着を羽織り、裸身を隠す。その隣でアベルが盛大に咳き込み、気道に詰まっていた血塊を吐き出し終える。


「大丈夫?」

「何とか、な」

「それは何より。だけど治療を受けるまで、あまり離れないでね。能力の範囲から離れすぎると、供給が途絶えて仮初めの心臓が止まって死ぬから」

「……そうさせてもらう。ありがとよ」


 アベルの謝意に、問題ないと手を上げて応じる。そして明後日の方角を見据える。


「それじゃ、お父さんのところに行こうか」

「ああ」


 ふらつく足取りで歩き出そうとして、最初の一歩を踏み出す前に止まる。何かに気づいたように横を見上げ、そして表情を露骨に歪める。


「鎧の下はどんなもんかと思えば、随分と愛くるしい姿じゃねえか」

「お前は死んだ筈だろうが、ミズキア」











次話予告

体現者は自分の渇望を語り、死神の嘲笑し、決戦は対峙者の片割れの死によって幕を下ろす。その傍らで軍団の残党は別れを告げ合う……みたいな。


頂上決戦は次話で終わると思います、多分。そしたらフェードアウトした主人公にようやくスポットが戻る……といいなぁという具合です、はい。

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