頂上決戦④
「……盲点、か」
うつ伏せに倒れたリグネストが辛うじて搾り出した言葉に、エルンストが目を見張り、口の両端を釣り上げる。
「正解だ、良く分かったな。大体の奴が1度しか見ていないし、1度見ただけで原理を理解できた奴は……つか、複数見た奴でも居ねえ」
「確かに、な。ただ見ただけ、では、理解でき、なかった、だろう」
血反吐を吐きながら、手を付いて上体を起こす。そこで更に血塊を吐き出し、赤い血溜まりを更に広げる。
「だが、オレの能力、ならば、何度でも、繰り返し、再現できる……頭の、中で、な……」
それは過去にリグネストが、エルンストから無拳を喰らい、その対策を確立させられたのと同じ理屈。
1度見た光景と全く同じものを、まるで眼前に現在進行形で起きているかのように、脳内で再生できる驚異的な洞察力と記憶力が可能にする芸当。
その技術でもって、直前の光景を倒れてからも何度も思い返し、その原理について仮説を重ねていった。その仮説が正しい事は、エルンストの肯定でもって証明される。
「人間の目に存在する、見ても映らない特異点。その軌道上に刃を置くだけの、単純な子供騙しだ。ついでに言えば、人間の目は斜めの動きに弱い。だから後は、その盲点に収まる大きさの得物とそれを収める技術さえあれば良い」
「確かに、単純、だな……だが、必殺、と言うに、相応しい……ククっ!」
喀血と笑い声が混じった奇声を発する。その下にある血溜まりは既に人体の失血の許容量を大きく超えており、にも関わらず意識があるのは、その保有魔力故のものだった。
一方でそれは納得できる理屈であったが、エルンストの感覚は違和感を、そして焦燥感を訴えていた。出血と共に命と魔力が流出しているのにも関わらず、リグネストは生気に溢れていた。勿論死に掛けなのは間違いないが、何かがおかしいと感じていた。
「やはり、こうなる、羽目になったか……」
リグネストが身を起こし両足で直立した事で、その疑問が正しい事、そしてその答えを理解する。
「そいつは……」
「竜玉だ」
心臓を渡り胴体に斜めに刻まれた、痛ましい傷。その傷のちょうど両断された心臓の上に、蒼い拳よりも小さい宝玉が、無理やり捻じ込まれてあった。
「2年ほど前に必要に駆られて、こいつの持ち主を狩った。この中には、【獄門】の能力の一部が入っている」
人体にとっては異物以外の何物でもない筈の宝玉は、周囲の肉と徐々に癒着して行く。変化はそれだけに留まらず、その致命傷を含む全身の傷が、緩やかにだが塞がって行っていた。
「それがテメェの奥の手か?」
「そうだ。余り使いたくはなかったがな」
宝玉の内部から、高濃度の無尽蔵の魔力が溢れ出す。それは最も身近なリグネストの体の中へと取り込まれ、密閉された箱に閉じ込められた蜂の様に荒れ狂う。
本来ならばその段階で、肉体が負荷に耐え切れずに四散する。仮に余程頑丈で耐え切れられたとしても、それほどの高濃度に当てられれば肉体の拒絶反応によってやはり即死する。
だがリグネストは自身が持つ【超感覚】の能力と、20年掛けて会得した魔力循環の技術を併用し、無作為に暴れ回ろうとする魔力を無理やり制御下に置き、魔力経路の流れに無理やり乗せて巡らせる。本来の許容量を大幅に超えた激流を乗せられ、経路から溢れ出した魔力はそれでも当初のような無秩序さの鳴りを潜め、秩序立って肉体に浸透して行く。
人間の血肉を、骨を、臓器を。全身の原材料を、魔力へと置換して行く。
「……なるほど。魔族たちはこんな体を生まれ持っている訳か」
完成したのは人間の範疇を超えた肉体の魔力浸透率を手に入れた、だが純粋な魔族には遠く届かない、半人半魔と言うべき存在。そんな存在となったリグネストは具合を確かめるように手を開閉し、自嘲気味に笑う。
「道理で強いわけだ」
「貴重な体験だな」
リグネストが完全に立ち上がる。血は完全に止まっており、傷も塞がっていた。そこにエルンストが側に転がっていたナイフを広い上げ、今度こそ小細工無しに投げる。受け取ったリグネストは更にもう1本のナイフを反対の手に構え、数度振るい体の調子を確認する。
急激な体の変化に本来ならば感覚が追い付けない筈だが、それすらも【超感覚】により1度振るうごとに無理やり修正。あっという間に、変異前と比較しても遜色の無い精度で体を支配する。
その事を実感として理解し、満足そうに笑う。直後に全身から、完全に内部に閉じ込められた筈の魔力が噴出。あまりの濃度に、まるで魔界の大気中に漂うそれと同様に紫色の霧となって視認できる程だった。
「さて、戦況が仕切り直しとなったところで、そっちの準備は十分か?」
留めなく溢れ出る魔力は、本人の静かながらも荒々しい内心の闘争心と混じり合い、リグネストの全身を包み形を作っていく。目も鼻も口も、それどころか顔すらない、ただ全てを噛み切り呑み干す凶暴な牙の並んだ顎を象ったものが現れる。
対するエルンストは無言で剣を旋回。体のやや後ろの位置に固定し、刃を水平に構えて腰を落とす。顔に浮かぶのは笑み。悪鬼のそれと見紛うほどの、底無しの喜悦が現れた表情だった。
「嬉しいねえ。まだ上の戦いが楽しめるとはな!」
エルンストの中に、リグネストの奥の手は卑怯だなどという思いは一切無い。何でもありという傭兵の、戦場の掟に則ったものであり、責め立てる方が道理を欠いているのだから。第一そんな事を言えば、エルンストの促進剤とて似たようなものだ。
代わりにあるのは、際限の無い感謝の意。子供が新しく買い与えられた玩具に対して向けるものと全く同質の、無邪気とはとても言い難い、世間から見れば害悪と例えるのに相応しいものが宿っていた。
「問題は無いようだな。ならば……これが最後だ!」
「……オレは、あいつが嫌いだ」
リグネストを憎んでいるのではないか――そんなメネケアの言葉が何かを穿ったのか、竜の動きを止めて、アベルがポツリと零す。
「あいつさえ居なければ、オレは今頃適当な国に仕官して、そこそこの地位と俸禄を得ていて、平凡な生活を送ってた筈だ。
もしかしたら綺麗な嫁さんも貰って、子供にも恵まれて幸せを謳歌してた可能性だってある」
続けられたのは、現実ではない、過去に消え失せた可能性の話。
現実とならなかったが故に語る事のできるそれを、現実とならなかったが故に生まれる忌々しさを込めて紡ぐ。
「そんな慎ましい幸せすら、あいつが居たせいで全部ぶっ壊された。あいつと一緒に過ごしただけで、このクソみたいな人生を送る羽目になった。だからオレはあいつが大嫌いだ。憎んでると言っても良い。
憎くて憎くて仕方がなくて、でも立ち向かえるような次元の相手でも無い。ならどうすれば良いか考えたさ」
怒りを、憎悪を、積年の恨み辛みを崩し落とすかのように吐き出し続ける。
「これはな、オレなりの復讐なんだよ。あいつのクソったれな価値観に当て嵌めてみりゃ、オレみたくあいつをガキの頃から知っていて、にも関わらずガキの頃からずっとその後を付いて来るような輩ってのは、あいつの価値観の中には存在し得ない存在なんだよ。
だからオレはあいつについて行く。あいつの傍らに立ち続けて、あいつの為に骨を折って、あいつの望みを叶える一助となる。そうする事であいつの価値観を否定する。そうする事があいつの存在を否定する事に繋がる。
そうしてオレはあいつを否定し続ける。今までも、これからもずっとな。
あいつが死ぬまで否定し続けて、死んだその時に否定し終えて、最後にザマァ見ろと言ってやるんだよ。そうして初めて、オレの復讐は終わる」
竜の背の上で、億万の火種が爆ぜた眼光を叩き付ける。
「オレの復讐は誰にも邪魔させねえ。これはオレだけのものだ。誰にも共有させねえし、誰にも理解されたくもねえ。ただオレ自身の礎として、オレそのものとして、オレの中に在り続ければそれで良い。それを脅かす奴は……誰であろうとも殺す!」
怒りと殺意と憎悪と絶望と悲哀を混ぜ込んだ絶叫が、水竜と地竜と共に差し向けられる。しかしメネケアも、アベルが話す間、ただ黙って聞いていた訳ではない。
上空から再び掛かる影。その戦闘で2度目となる、メネケアにとっても負担の大きい巨大な氷塊の落下。だが2度目ともなればさすがに慌てる事も無く、冷静に対処。唯一足場として残していた雷竜が上を向き、アベルの豊潤な魔力を惜しみ無く使い、人間離れした竜ならではの演算能力で顎に術式を高速展開。完成した戦略級の威力を持った雷撃の津波が怒涛のように放たれ、氷塊と激突。一瞬だけ氷塊の落下を止め、直後に粉々に粉砕する。
氷塊の大部分が蒸発して気化し、砂粒ほどの氷の破片が光を反射して輝きながら落ちる中で、2頭の竜が突撃。途中でメネケアが生み出した土壁と衝突するも、その巨躯と勢いの前では紙細工に等しく、瞬きの間に破壊される。散らばる土砂に紛れて退避する老人を地竜は見失うも、低空飛行していた水竜は見逃さず、首で追って圧縮された水を飛ばす。
竜の追撃から逃れるメネケアが走り去った跡に散らばっていた瓦礫が動き出し、一つに纏まって形を成して行く。
完成した瓦礫の巨人が無音の咆哮。拳を振り上げ、新たに水を吐き出そうとしていた水竜の頭を殴り付ける。顎が閉じられ、その下で圧力の逃げ場を失った水が炸裂し、口腔内をズタズタに引き裂く。
同胞の苦鳴に反応した地竜が進路を転換。街を粉砕し蹂躙する行進を、瓦礫の巨人は正面から受ける。衝撃で体の前面を構成する瓦礫が砕かれ周囲に散らばるが、付近の瓦礫が新たに体の一部となって修復。地面に溝を掘りながらも、地竜の突進を完全に止める。
そのまま巨人は腰を落とし、竜の巨体を持ち上げる。四肢が地面から離れた事で暴れ狂い、尾が体を打ち据えても意に介さず、頭上に掲げた後に頭から地面に叩きつける。
追い打ちの一撃を喰らわせようとする巨人へ、青い電光が直撃。腹部の辺りが丸ごと消失し、上半身が地面に転がる。それでも再生しようと動く瓦礫に、水竜と地竜が打撃を加えて徹底的に破壊。今度こそ沈黙するも、離れた場所で別の瓦礫が寄り添い、新たな巨人が誕生する。
「しつけえな――ッ!?」
巨人と竜の争いに紛れ、メネケアが疾駆。老体とは思えない鋭さを持った蹴りが交差された腕と衝突。老人が蹴りを防いだ腕を足場に背後へ抜け、竜の背に着地。アベルの裏拳をいなし、逆の拳を放つ。
砲弾並みの威力を持ったそれを、アベルは歯を食い縛って体で受ける。アバラが折れて激痛が走るが、防御を捨てる代わりに得た時間で放った蹴りが老体を捉える。
直前でメネケア自身が引いた為に、手応えは軽い。しかし引き離す事には成功し、足場としている雷竜に指示式を送ろうとして、腕に絡み付く糸に気付く。
「クソっ!」
毒付き、引き寄せられる事を想定して踏ん張る。しかしメネケアの行動はアベルの想定の上を行った。
「【収縮】」
物体を縮小させるだけの単純な魔法が糸に対して発動し、その場に踏ん張ったアベルを支えに、メネケアの体を引き寄せる。
落下途中からのあり得ない動きに、一瞬虚を突かれたアベルの迎撃は不完全で、咄嗟に放たれた拳が胸を打つも、怯ませるに至らない。反対にメネケアの放った蹴りは突進の勢いも乗せてアベルの腹部に命中。
堪らず竜の背から落下し、途中で衝撃と共に新たな痛み。倒壊した家屋の廃材が突き出ており、それが引っ掛かった事で脇腹が裂けていた。
舌打ちと共に起き上がるアベルを追って、メネケアも落下。絶えず張り付く事で、雷竜の介入を許さない。上空からの強襲を回避したアベルの爆裂魔法を置き去りにし、更に詰め寄った老人の蹴りとアベルの蹴りが交錯。老人の足がアベルの足に絡み付き、足場にして跳躍。痛烈な回し蹴りがガードの上から叩き込まれ、無理やり押し込まれる。
側頭部に衝撃を打ち込まれて怯んだ隙を逃さず、メネケアの左腕が振り抜かれる。仰け反ったアベルの喉元を、1メートル程度の半透明の刃が掠める。もう少し刃が長ければ、頚動脈を切り裂かれて死んでいた。
「ざっけんな!」
その不自然さに疑問を覚えながら、怒声と共に突き出された左の貫き手は、メネケアの頬を掠めて回避される。変わりに手を伸ばし、アベルの体を掴もうとした老人は、アベルの左手に宿る術式を見て跳ねる。遅れて術式が発動。小規模な爆発がアベルの手元で起こり、爆心地である左手の手首から先を消失させ、直前で退避したメネケアの右半身とアベルの全身に裂傷を刻む。
「【癒快聖泉】……!」
自爆覚悟で距離を取る事に成功したアベルが、苦痛を堪えて高等治癒魔法を紡ぐ。清らかな水の糸が消失した左手を修復。続いて全身の負傷を癒して行き、途中で不自然に消失。傷の治療が途中で意図せず終わった事に対する術者の疑問は、遠方から響いて来る音。
瓦礫の巨人との争いに敗れた水竜は全身から血を流しており、片翼と四肢の半分が消失し、腹腔に巨大な穴が開いた状態で息絶えていた。
アベルの属性魔法はあくまで生み出した竜を介して発動している為に、その竜が息絶えれば、再び生み出せるようになるまで使えなくなる。そして死んだ竜を新たに生み出せるようになるには、数日の時間を要する。少なくともこの戦闘中に使えないのは確定的だった。
だがアベルの頭の中にあったのは、その事に対する苛立ちではなく、得心だった。
「演算力の限界か」
「…………」
指摘されたメネケアは無言。しかし確証こそ得られずとも、アベルの中ではそれはほぼ確定に近かった。
アベルでさえ、たった1頭の竜を生み出すのには莫大な魔力を要してはいるが、竜には意思があるために漠然とした命令を下すだけで後は竜の自己判断に任せる事で、制御に割く力は最小限で済んでいる。
しかしメネケアの生み出した瓦礫の巨人は当然ながら意思など無く、動かすのに随時メネケアが制御している事は想像に難くない。そしてそれに割かれる魔力や演算力は決して少なくなく、それ故に今のメネケアは魔法に大幅な制限を掛けられていた。
アベルの推測では、簡易な魔法を一重に発動するのが限界であり、その簡易な魔法にもかなりの制限がある筈だった。でなければ直前の【魔刃】の術式を、本来ならば10メートル以上もの規模で発動できるのにも関わらず、その好機を逃す理由など無い。
更に思い返せば、急に肉弾戦主体に切り替えてきたのも、先程の自爆魔法を防げたであろうにも関わらず退避を選択したのも、それが理由であると睨む。
「年は取りたくねえもんだよな!」
瓦礫の巨人を相手に、地竜1体だけでは長くは持たない。魔法に制限のある今が好機であると判断。指示式を送り雷竜を嗾ける。メネケアは跳ねて退避。逃げる老人へ雷竜の息吹が放たれ、盾にされた建物が消失する。
メネケアは建物の背後で身を投げ出す事で、辛うじて息吹を回避。立ち上がって陰から飛び出した老人へ、息吹の範囲と建物の構造から逃走経路を割り出し先回りしていたアベルの雷球魔法が襲い掛かる。
着弾寸前で雷球の群れは六角形の集合体の結界に防がれる。驚愕を覚えかけたアベルの目が老人の手に握られた紙の札を目にし、納得。封魔符は特殊な材質の札に予め術式を描いておく事で、魔力を流すだけでその描かれている術式に対応する魔法を発動させる事ができる。既に廃れて等しい技術ではあるが、演算は一切必要としない為に、個人で利用する傭兵などは稀に存在する。
魔法は使えずとも魔道具による魔力を消費するのみの限定的な行使は可能であると、認識を改める。指示を変更し、竜を突進させ、同じように【反魔相殺陣】を使われても無意味となる肉弾戦に切り替える。
突進の途中で竜の腹に、瓦礫が衝突。相手が減った事で余裕を得た巨人が、手近なところに転がっていたそれを投げた為だった。衝撃でよたついたところに、反転したメネケアの【魔刃】による一撃。首の鱗とその下の肉を斬り裂き血が噴出するが、致命傷には程遠い。
竜が連続した苦痛に呻いている隙にトドメを刺そうと、壁面に着地したメネケアが足に力を込めたところで、胸に衝撃を受けて落下。身を捻って着地したところで目にしたのは、アベルが拳を振り被った姿。
紫電を纏った拳が打ち出されるとほぼ同時に、再び胸に衝撃が加わり、背後に吹き飛ばされる。瓦礫の中に突入したところに、容赦なく竜が鉤爪を振るう。地面に傷跡を刻むはずの鋭利な爪は、振り抜かれる途中で半透明の刃によって半ばから切断される。
瓦礫を撥ね退けて起き上がったメネケアの視界に、再度拳を振り被るアベルが見える。拳が放たれるタイミングに合わせて横に跳ねるが、想定と違い胸に衝撃を受けて転がる。
「遠当てではなく、これは……!」
胸を探り、極細のワイヤーが付着しているのを確認。剥がす手間も惜しみ、半透明の刃で切断し竜の追撃を避ける。
「もう気付くか、面倒くせえ」
「些か雑でしたな」
最初は風魔法による遠当てかと疑ったが、既に緑竜は倒している為、風の魔法は使えない上に、拳の軌道上から外れても尚衝撃が命中した事を加味すれば、自ずと選択肢は限られて来る。
苦虫を噛み潰すアベルが、更に指示式を送る。指示を受けた竜が術式を展開。体の周囲に9個の雷球が発生。発動された【九条嚇牙迅雷】の魔法は追尾性を持った9条の極大の雷撃を放つ魔法だが、雷撃は全て封魔符を構えたメネケアではなく、竜の周囲へと放たれる。
雷撃の全てが周囲の建物に命中したのを見て、対応を間違えた事を悟ったメネケアが遅れて退避を始める。その上から土台を失い傾いた9つの建物が落下。咄嗟に別の封魔符を取り出し、限界まで魔力を注ぎ強靭な障壁を張る。その上に超巨大質量が落花し、連続した衝撃と地面からの震動が老体に襲い掛かる。
震動によって土煙が巻き上げられ、視界を塞いでもアベルの目に油断は無い。間髪入れずに指示式を送り、雷竜による雷撃の斉射を大よその位置へ向けて撃ち込む。更なる破壊の乱舞が行われ、煙幕の量が倍になったところで、煙の隙間に六角形の光の残滓。
煙幕を切り裂き、体の随所に火傷を負った老体が駆ける。砲撃を止めた雷竜の前足が振り下ろされ、押し潰されたメネケアの姿が霞となって消える。封魔符によって生み出された幻影だった。
「【伽藍浄獄炎】!」
一杯食わされた事に歯噛みしたアベルが、天壌の業火を二重に放つ。熱気によって膨張した空気が立ち込める土煙を吹き飛ばし、周囲の景色を歪ませる。その歪んだ景色の中に、不自然な揺らぎ。そこに雷竜とアベルが術式を叩きこもうとするも、相手の方が早い。
メネケアの腕が伸ばされ、アベルの肩を魔力の刃が割る。血が跳ね、その下に潜り込んだアベルの掌打が胸に炸裂。肋骨を圧し折られるが、その腕を掴む。掴まれた腕が捻り上げられ、腕を折られては堪らないとアベルが抵抗する。
離れた位置にいる竜は密着している主人を巻き込んでしまう為に、動けない。その事を理解しているメネケアは、腕を奪う事に全力を注ぐ。既に水属性の魔法が使えないアベルは、腕を失えば戦いの趨勢が大きく傾く為に全力で抗う。
両者の力比べは拮抗し、膠着状態に陥る。埒が空かないと蹴りを放とうとして、メネケアは投げに移行。
投げ飛ばされた事で距離を取れたアベルが雷竜に指示を送ろうとして、違和感。わざわざ不利な状況に持ち込んだメネケアの意図は、地竜が雷竜と老人の間に投げ込まれた事で理解。慌てて雷竜を止めようとするが遅く、吐き出された息吹は地竜の体の大半を吹き飛ばして死に至らしめる。同時に役割を終えたとばかりに、巨人が崩壊。ただの瓦礫となって散らばる。
制限から開放されたメネケアが、息吹を吐き終えて隙だらけの竜へ、本領を発揮した長大な刃が放たれる。その巨躯を縦横無尽に駆け巡り、鱗と肉が斬り刻まれる。苦痛の篭った咆哮。堪らずのたうつ巨体が破壊を齎す。
巻き込まれないようにと破壊から逃れたメネケアへ、アベルの横撃。掌打が腕に叩き込まれ、宿っていた【破爆掌】の術式が体内に浸透。内側から爆発するはずが不発。竜以上に強大な魔力抵抗力によって、術式の発動が疎外された為だった。
舌打ちと共に後退するアベルを追おうとして、炎槍と火球の群れ。
「【無空】」
真空空間を生み出し、燃焼活動を強制停止。無力化したところに【爆裂砲】の術式が飛来。六角形の集合体の結界を張って防ぐ。
爆煙で視界が一瞬阻まれた隙に、アベルが放った術式が蛇のようにうねりながら結界に到達し、張り付く。発光しながら結界の術式に浸透し、展開されていた【反魔相殺陣】の術式が溶けるように消える。
「なっ――!?」
アベルの使用した【無為式】の魔法は、相手の魔法の術式に侵入し、相反する術式へと変化して術式そのものを向こうとする、反魔魔法の1つである。元々は展開に莫大な魔力と演算力を要する【反魔相殺陣】用に研究された魔法であり、個人の少ない魔力での発動を可能にするが、相手の展開する術式を一瞬で読み取り、構造を理解した上で且つ、即座に対立する術式を構築する難易度の高さから、【反魔相殺陣】以上に使い手の少ない魔法でもあった。
そしてそれが使いこなせるという事は、ただ魔力が巨大で演算力が高いというだけでなく、魔法を扱う者としての技量自体も超一流である事を指し示す。魔法の適性の多くを封じられても、尚もアベルの魔法力に翳りは見られない。
身を守る結界を失った老人へ、容赦なく苦痛から立ち返った竜の息吹。回避する事を許さない、広範囲に拡散する雷撃が放たれる。メネケアが選択したのは能力の行使。メネケアを呑み込む直前で息吹との間に、瓦礫で生み出された巨人が再度の出現。雷撃を正面から受け止めるも、数秒後に崩壊。しかしその隙に老人は範囲外へと逃れる。
メネケアが退避の退化として支払ったのは、極度の消耗。彼の能力は【王令】。無生物に対して指示を送り、自由自在に操るというもの。
単純に物を動かすだけでなく、水から氷へと状態を変異させ、更には巨人のように精密動作まで可能にするその能力は、支配する物体の質量と動作に比例して消費する魔力は増大する。既に2度の氷塊の落下と巨人の生成を行った為に消費した魔力は、メネケアを持ってしても無視できないものとなっていた。
だが休む暇など無く、疲労を押し隠して術式を更に展開。生み出した多数の石弾が精密に計算されて放たれる。本来ならば表層の鱗によって砕け散って終わるはずが、予め【魔刃】によって付けられた傷口に着弾。肉を穿ち、内部まで潜り込む。
「【石華繚乱】」
内部に潜り込んだ石弾が急膨張。隣接する石弾と接合し、竜の体を突き破って外界へ。石でできた大樹となり、逆に取り込まれた竜を押し潰して死に至らしめる。
「【神速】」
更に立て続けに術式を発動。加速して突進。必殺の右の拳を反射で躱すが、続く左の拳は避け切れず、アベルの体が背後に砲弾のように飛ぶ。建物の壁を突き破って内部へ。
「あれで、まだ、強化魔法を使って、無かったのかよ……!」
咄嗟に跳んで衝撃を逃す事すら許されず、内臓を滅茶苦茶に掻き回していた。苦痛が酷すぎて気絶しそうになるが、耐えて立ち上がる。直後に脇腹に新たな痛みが走って膝を付く。
「運が悪すぎる」
廃材で裂けた後に治療し塞がった傷跡に、新たに金属片が突き刺さっていた。おそらくこの建物の建材として使われていた部品だろうとどうでもいい推測を立てて痛みを紛らわせる。
一息入れ、今度こそ立ち上がったところで前方の壁を突き破ってメネケアが来襲。アベルを視認し突撃しようとして、直前にアベルが仕込んだ地雷魔法が足下で炸裂。
起爆までの一瞬のうちに小規模な爆裂魔法を放ち、爆発の大半を相殺するも、威力に耐え切れず床が抜けて階下に落下。追って落下したアベルの踵堕としを腕で受け止め、その威力に膝を付く。そこに容赦なく二撃目が叩き込まれて横に吹き飛び、ドアを突き破って室内に転がる。
「【風輪刃】」
追撃を回転する円形の風の刃が阻み、さらに半透明の刃が伏せたアベルの上空を薙ぎ、背後の壁を切断する。辛くも回避したアベルが伏せたまま低空突進。室内に突入すると同時に跳ねてメネケアの拳を回避し、頭上へ。天井を蹴って背後に。
振り向き様の抜き打ちが、途中で停止。刃の持ち手のメネケアは驚愕に硬直。アベルは膝と肘で刃を挟み受け止めていた。圧力を強め、半透明の刃を粉砕。破片が全身を傷つける中で、硬直するメネケアを殴り飛ばす。更に追い打ちとして爆裂魔法を天井に撃ち込み崩壊させる。
瓦礫が老人に降り注ぐ中で窓から脱出。距離を取って反転。手を突き出し、指先に術式を多重展開。
「【爆雷轟撃砲】!」
半壊した建物に容赦なく特大爆裂魔法を叩きこみ、全壊に追い込む。肩で息をしながらも、油断無く崩壊して行く建物から目を離さない。
足下から異音。咄嗟に飛びずさった足下から、刃が噴出。アベルの体を一直線に斬り裂く。直前で後退できた為に致命傷は避けられたが重傷。地面の下からメネケアが現れる。
立ち直る隙を与えず、再接近。蹴りと拳が交差し、重なり合う事無く互いの体を打ち据え衝撃で後退。石弾と石槍が放たれ、爆裂魔法と炎槍で撃ち落とされる。真空空間が生成され、窒息の脅威から脱出したところへ石弾が来襲。着弾する部位を予測してガードするも、その下を走っていた真空の道を通る石弾が腹部に命中。痛めた内臓が更に叩かれ、内臓出血による吐血をする。
咳き込み呻きながらも、アベルは後退を選ばず前進。振り抜かれる寸前だった【魔刃】を自ら受け入れ、メネケアの腕を抑え込みそれ以上の動きを阻む。
急所を外している為に重傷以上にはなり得ず、両断されるよりもマシな未来を選んだアベルが、血を吐きながら予想外の動きに呆ける老体の顔面を殴りつけ、術式を強制解除。更に回し蹴りを叩き込み距離を取る。
開いた穴を火で焼いて塞ごうとするも、飛来する石弾がそれを許さない。横に動いて回避するも、通り過ぎた石槍がメネケアの【王令】によって反転。あり得ない死角からの攻撃に回避できず、右胸を穿たれる。
新たな負傷で紡いでいた術式が妨害され、よろめいたところに更に追加の石弾。伏せて回避し、更に足下の地面が隆起し生成された石槍の群れも背後に跳んで躱す。だがそこに続いた超加速からの正拳突きは対応できず、衝撃が背後に抜ける。無事だったアバラが更に折れ、そのうちの何本かが内臓に刺さり絶息。血混じりの唾液が口から溢れ出し吹き飛ぶ。
吹き飛んだ先は、半壊状態にある建物。その内部に入り込んだアベルを今度は追わず、術式を多重展開。爆裂魔法と猛火と金属弾が容赦なく撃ち込まれて行き、建物を蹂躙し尽くす。斉射が止まった後によろめく影。
「……ッ、させません!」
煙の中から現れたのは、片腕を失い、全身から無事な箇所を探すのが不可能なほどに傷を負ったアベルの姿。片目は放った石弾のうちの一発で失った為に空洞が除いているが、残るもう1つの目は爛々と輝いている。
足下には上半身だけが顕現した火竜の姿。受けた負傷は治り切っておらず、傷だらけの姿だったが、開かれた口腔には特大の燃え盛る火球が宿っていた。
この距離でその息吹が放たれれば、メネケアをほぼ確実に仕留められるだろう。だが側にいるアベルもただでは済まない。ほぼ確実にアベルも死ぬ上に、負っているダメージの差から、辛うじてメネケアは生き残りながらも、アベルだけは死ぬという展開さえもあり得る。
そんな結末など百も承知と言わんばかりのアベルの表情に、自爆覚悟と認識したメネケアが、その行動を予測できなかった悔恨と共に突撃。息吹が放たれるよりも先にアベルを捉え仕留めようとする。
「馬鹿が」
アベルがそれを見て吐き捨て、悪魔の笑みを浮かべる。違和感を覚えて飛びずさった直後に、直前まで居た場所から黒い竜が顕現。天へと昇りながら大顎を閉じる。少し遅ければ噛み砕かれていた。
「まさか……!」
メネケアがその姿に驚愕を覚えるが、それで終わりではなく、今度は白い竜が出現。今度は対応し切れず、大顎に捉えられて宙に浮かぶ。
「ぬぅぅぁああああああああああああああッ!!」
筋力強化魔法を施し、出力を最大にして大顎の断頭台にメネケアが抗う。しかしそれでも顎から脱出する事は叶わず、牙が全身に食い込み竜の喉奥に血を流し込んで行く。
「言ったろうが。本来ならば全属性の竜を顕現させられるってな。どうして五種で限界だと思い込んでんだ?」
アベルの嘲弄する声。その言葉に反論するならば、人間に使える属性が火、水、風、雷、地の五属性のみであり、光は神族の、闇は魔族の領域だからといったところか。
だがアベルの生み出せる竜に、そんな制限など関係ない。
「つまるところオレは五属性持ちじゃねえ。全属性持ちなんだよ」
火以外の適性を失っても、死に掛けても使わず、相手に残る二属性の可能性を脳裏に浮かばせないよう徹底した特大の切り札。並の意思では貫徹できないであろうその意図を、アベルは見事押し通して見せた。
そして限界故に自爆を選び兼ねないと認識させ、一直線に突進するその時を待って切ったその札は、戦いに王手を掛けていた。
メネケアの血を飲み干す白竜の口腔に、光の粒子が集まって行く。それが放たれれば、顎に捉えられているメネケアの末路など想像するまでもない。
「おおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」
だがメネケアに諦めの選択肢は無い。顎から片腕を外し、牙が更に食い込む事と引き換えに自由を得る。その手で槍を生成し、上顎へ口内から撃ち込む。
槍が貫通し、頭部から突き出る。死には至らないが衝撃で顎の圧力が緩み、その隙に脱出。しかし落下する先には黒竜が顎を開いて待ち構えていた。
顎が閉じられ、血が噴出。メネケアは右腕を犠牲に再度捕らえられる事を回避し、落下を続け地に降り立つ。
2頭の竜が追い掛けて来るよりも先に、メネケアは竜たちを支配するアベルへと突進。迎え撃つアベルが残る腕を掲げる。手には未知の術式。闇魔法か、それとも光魔法か。判断に迷ったメネケアの速度が一瞬落ちるも、止まらない。
両者の影が交錯。肉が裂ける音が響き、腕が飛ぶ。
「クソったれが……」
アベルが膝を付き、血を吐き出す。空を飛んでいた2頭の竜と顕現し掛けていた火竜が溶けるように消え去る。その背後では勢いを止め切れなかったメネケアが、両腕を失った為にバランスを欠き、転倒。ダメージの大きさ故に立ち上がれず、そのまま倒れ伏す。出血量を鑑みても、長くは持たない。
「別にオレは相討ちでも構わねえ。それで目的は達成できるからな。ついでに言えば、オレが死んだところで生み出した竜は消えたりしねえ」
膝をついたままの言葉は、メネケアの耳にも届いてはいたが、答えは無い。答える余力さえも残っていない為だった。
「だからあんたに勝てなくとも、死んだって構いやしなかった。一方あんたは、自分が死ぬ覚悟も無ければ、余力を残しておく必要があった。それは悪い事じゃねえ。これはあんたにとっては寄り道で、後の事を考えれば当然の考えだからな。だが……」
苦痛を堪えて立ち上がる。倒れる敗者には目もくれず、歩き始める。
「死んでも構わなかったオレと、死ぬ事はできなかったあんたとでは、覚悟が違う。その差は戦いにおいて踏ん張る最後の一線となり、その差が勝敗を分ける事もある。今回みたいにな」
現実的な考えを持つべきとされる傭兵にとって、根拠のない精神論など唾棄すべきものである。しかし長年の経験から、一部のものは決して馬鹿にできたものではないと、アベルは理解していた。
「トドメは刺さねえでおいてやる。その必要もねえだろうしな。そこで、自分の無力さを噛み締めてろ」
ふらつく足取りでその場から去る。足の向かう先には、戦闘音が継続している、理脱者同士の戦場。
そんな下界の騒乱を他所に、空には星が瞬き、月が輝いていた。世界で常に変わらない静謐さをアベルが見上げる。
「限界、か……」
膝を付き、倒れる事を防ぐも、起き上がれない。言葉通り、魔力も体力も、そして負傷も限界に近かった。
「格好付けも、大概にしろって、んだよ……」
苦笑混じりに呟く。瞳には悔恨。メネケアにトドメを刺さなかったのは、あえてそうしたのではなく、そうする余力さえも残っていない為だった。でなければ、わざわざ敵国のど真ん中で、治療される可能性があるのにトドメを刺さずにいる筈がない。
かと言ってそれを相手に見せれば、文字通り死力を振り絞られて、逆に自分がトドメを刺される可能性があった。それ故に言葉であり、その場からの退避だった。
「だが、まだ、だ……。まだ終わっちゃ、いねえ……」
視線の先に広がっているであろう戦場。妨害するのは目的ではないが、そこに辿り着く必要があった。
「少し、休んだら……すぐ行く……」
言葉が途切れる。気絶したのではない。意識の外から衝撃が襲い掛かった為だった。
胸に穴が開き、背後から何かが突き破っていた。地に塗れていたが、形状と胸から伝わる冷気から、それが巨大な氷柱であると分かる。
そしてそれに、彼は酷く見覚えがあった。
「やあやあ、期間的に微妙だけど、久し振りと言うのが適切かもしれませんねえ。僕ってば意外と執念深いみたいで、頑張って探してみましたよぉ」
「シェヴァン……!」
相手を馬鹿にしているとしか思えない、断定系を用いない口調。その言葉を紡ぐ、狂人もかくやという笑みを浮かべた口。
「正解かもしれない……いやいや、さすがに自分の事だから正解と言っておきましょうか」
ウフクスス家第2師団の師団長、シェヴァン=ラル・ウフクススが笑みを深める。
「ぐぅ、あぁああッ!!」
「おっと!」
相手を確認した瞬間に、残る魔力を全て掻き集め、爆裂魔法を背後に叩き込む。結果を確認する前に爆風に乗ってその場から退避。新たな負傷を負いながらも起き上がり、歩みを再開させる。
「ちく、しょう、が……」
しかし徐々に歩みは遅くなって行き、程なくして転倒。尚も進もうと這いずるが、その動きも酷く寂々しいものだった。
言葉からも力が消えて行き、意思に反して視界が閉ざされて行く。胸に刺さった氷柱の冷気が全身に伝播して行き、震え始める。
這う動きもついに止まり、完全に停止。半開きとなった瞳からも光が消えて行く。本来ならば命を繋ぎ止める筈の魔力も、先程ので完全に枯渇していた。
「オレが、こんな、ところで……クソッ、リグ……まだ死ぬんじゃ、ねえぞ、クソったれが……」
「限界の割りに頑張ってるのかもしれないねえ。まあ、生きて返さないように善処すると誓った以上、逃がすつもりは毛頭ないのだけれども……」
咄嗟に気化して爆撃を回避したものの、爆風で気化した体が周囲に吹き飛ばされた為に、集まって固体化するのに時間の掛かったシェヴァンが、溜め息混じりに独白する。
既に視界の中にアベルの姿は無いが、血痕は残っており、追跡するのは極めて容易だった。加えて状態も把握しており、そう遠くには行けないと分かっている為、シェヴァンに焦りは無い。
だが追跡を開始しようとした足は、思わぬ方向から止められる事となる。
『行かせないよ』
顔を目掛けて飛んで来る紙を手で受け取り、掛かれていた文字を読み上げる。まるで状況を読み取ったかのような文字に周囲を見渡し、全身を再び気化。背後からの奇襲を躱し、向かい合うように実体化する。
『あれでも一応うちの副団長だから』
『やらせる訳にはいかないかもしれない』
『じゃないとこっちが困る』
灰色の髪の一部を伸ばした特徴的な髪型に、両手に羽ペンとノートを携えた、アベルにスィと呼ばれた女性が、ノートに次々と書き殴ってはシェヴァンに提示する。
「えーっと、ノートで会話を成立させようとしてるのかもしれないけども、聾者か唖者だったりする可能性もあるのかな?」
『喋れるけど』
「……じゃあ、喋ってくれないかな?」
『断固拒否する!』
過去に書かれたページを再利用してまで応対する。続けてその裏に新たに書き殴り、裏返して提示する。
『声を他人に聞かれるとか、恥ずかしいでしょ!』
「…………」
本気かどうか判断し兼ねる文に、さすがのシェヴァンも宙を仰ぐ。だがすぐに意識を切り替える。
「……まあいいや。どの道邪魔をするなら、君もまた粛清対象だ」
次話予告
絶対は最強の座を渇望し、死神は世界の無意味さを嘆き、不遜に構える。対峙する両者の残る時が散る傍らで、骸が孵る……みたいな。
何故か不明ですが、ここ数日でアクセス数とブックマーク数が跳ね上がり、日刊ランキングに返り咲くという栄誉も頂けました。読んで下さっている方々には感謝の念が尽きません。今後とも楽しんでいただけたら幸いです。