決戦の傍らで
エルンストとリグネストの激突。それを観戦している者は、カルネイラだけでは無い。その戦いを成立させた影の立役者とも言うべき、アキリアもまた観戦者の1人であった。
彼女がその戦いを見ている事自体に、然したる目的はない。双方の手の内を把握し、あわよくばその命を奪おうなどという大それた事を考えている訳でもなければ、どちらに手を貸す事が利となるかを計算している訳でもない。
強いて挙げるとするならば、彼女には戦いが終わった後にこそ用があり、その戦いが終わるのを待っている間の暇潰し以外のなのものでもなかった。
しかし、ただ漫然と始めただけの観戦であったが、その当初の気軽な気分で始めた事が信じられないほどにのめり込んでいるのも、また事実であった。
「怖いなぁ……」
引き攣った声音で、そして実際に体を小刻みに震わせて見せ、そう呟く。
既にアキリアはリグネストに敗北しており、また当人以外の誰も知る事は無いが、その後にエルンストに再び敗れている。
そんな彼女にとって、彼らの実力は想定通りのものであり、そして想定を遥かに上回る代物でもあった。
「怖いのか? それは屈辱を感じ得るものなのか?」
不意に背後から声を掛けられる。いや、その表現は些か御幣があった。彼女の鋭敏な魔力探知能力はその人物が背後から近付いて来ているのを把握していたし、その上で殺気がない為に、あえて無視していたのだから。
「いやあ、屈辱を感じる以前のものでしょ。圧倒的な相手と対峙した時に覚えて当然の、根源的なものだからねえ」
「何だつまらねえな。無様に地に這いつくばって、生殺与奪権を握られた状態で、相手の言いなりとならざる得ない……普通ならば屈辱を覚えそうなものだが」
男は語りながらも歩を止めず、アキリアの数歩離れた横に立ち、そこでようやくアキリアが相手の姿を捉える。
顔には大雑把に革の帯布が巻き付けられており、そこから全身の衣類の上にも及んでいる。その帯布の隙間から覗くのは、当人の適性を表していると思われる、錆色の髪に群青色の瞳。そして日光によって焼けたものと、素肌本来の色が入り混じった肌。
背丈は高いが痩身で、貧弱とは言わないものの、決して鍛え込まれたとは言えない体躯。歩を重ねる度に上体は動いており、到底荒事に身を置いているようには見えない。
「一応、こっちにも利が――」
「利益があったから構わないと? だが本来望んでいた展望とは違うだろ?」
「まあね。だけどそっちよりも――」
「予測の不可能な偶発的要素で転がった結果ならば、それも仕方が無いかもしれない。だが、団長との遭遇は偶然で片付けられるものなのか?」
「それは――」
「強者の余裕ってやつか? 自体を左右できる力を持っているから、筋書きから外れても修正できるから、屈辱を覚える必要が無いってか?」
「そんなものは――」
「持ち合わせていないか? なら力の優位性ではなく、心理的な優位性が齎すものの方か?」
「それも――」
「だがそれを有していたとしても、格下に侮られれば、屈辱を覚える場合もあるよな?」
「…………」
アキリアの言葉を遮り、先回りし、また慮らずに言葉を捲くし立てて来る男に、早くもうんざりした表情を浮かべて見せる。
そんな表情から彼女の内心を読み取ったのか、哄笑するように口の端を釣り上げる。
「自分の言いたい事を遮られて、一方的に相手の言いたい事ばかりを言われる気分はどうだ? 怒ったか? それとも呆れ返ったか? 鬱陶しいと感じたか? その中に屈辱は含まれているか?」
「……貴方はさっき、団長と言ったけど」
相手の問いに対する返答としては不適切な、相手と同じように、質問の意図から外れる言葉を選んで紡ぐ。
「ひょっとして【レギオン】の人なのかな? その割には、さっきまであの場所には居なかったけど」
エルジンや【レギオン】の面々、そしてティステアに属する者たちや、果ては大罪王といった、そうそうたる顔触れの並んだ閉鎖空間を挙げて、問い詰める。
「あの場所というのが何処を指しているのかは知らんが、居なかった理由として挙げられるのは、俺がここに到着したのがついさっきだからだな。俺は捻くれ者でね、他の団員を連れて来るってのを口実に、アベルの招集からバックレたからな。
そのまんま知らん顔してても良かったんだが、アベルの奴はどうせ、俺の事なんざ来ないもんだと決め付けてんだろ? なら逆に、遅れて来てやるってのも一興かと思ってよ」
暗に自分が【レギオン】の団員である事を、あっさりと認める言葉。そして同じ【レギオン】に属している他の団員を、本心は別にしても雑魚呼ばわりする言葉。
それらを言い放てるのは、余程度胸があるのか、それともただの馬鹿なのか。通常は後者であると迷いなく判断するのだろうが、所属の肩書きがそれを許さない。
【レギオン】に属しているというのは、それだけの事であるのだ。
「ああ、そういやまだ名乗ってなかったな。俺はハルキア。【レギオン】の第4団員、ハルキア=サビャーヤ・ランタレスだ。身内の連中はハルって呼んでる」
「ハルキア……」
「おっと、聞き覚えがあったか? まっ、そうでもおかしくねえか。知っててくれたんなら、光栄至極恐悦ってなあ?」
【レギオン】の団員であると予測して時点で、只者ではないというのは分かっていた。いや、それ以前からそうであるとは分かっていた。
アキリアの鋭敏な感覚は、男の――ハルキアが保有する莫大な魔力が無目的に放射され、小規模な術式を幾つも組み上げ、あるいはは崩壊し、周囲の空間に干渉しているのを捉えていたのだから。
だがハルキアの名乗りは、その予測すら上回る相手である事を示していた。
賞金首のリストは各国で纏められており、一部の国では一般人に対して冊子として販売すらされているが、その中でもゼンディルの発行するものは、大陸最大の経済力を誇るが故に最も多くの懸賞金を掛けている為に、最も正確とされている。
そのゼンディルの賞金首のリストに載っている中でも、同じく【レギオン】の団員にして、【忌み数】の1人でもある【諧謔】さえも抑え込み、首位に君臨している人物。
その賞金首の名前こそが、ハルキア=サビャーヤ・ランタレスであり、またの名を……
「【腑別の魔人】」
「ああ、そう呼ぶ奴も居るな」
その小さい団員ナンバーが示すとおり、【レギオン】が創設された当時から籍を置いていた最古参のメンバーであり、同時に【レギオン】黎明期を支えた立役者。
一方で大陸の殆どの人間から、蛇蝎の如く嫌われる殺人者でもあり、殺害方法は固有能力によるものとされているが、詳細は一切不明。
ただ彼に狙われた者は直視する事もできないほど凄惨な死体となって殺される事から【腑別の魔人】と呼ばれ、数十年に渡り賞金稼ぎや国家軍隊の追撃を退け続けて来た、歴戦にして最悪の傭兵。
「……それで、その大物さんが私に何の用なのかな? その首に掛かっている賞金をくれるっいうつもりなら、お金には不自由してないんだけど」
「面白い事言うねお前。そういう奴を叩き潰すのって、俺の趣味の1つだったりする」
「それはそれは、とても素敵な趣味だねえ。なら、それが用なんだ?」
「いや……というか、そうだな、これといって明確な目的があって接触した訳じゃないのよね」
急におどけて見せるのは、敵意は無いと見せる為の演技なのか。だとすれば、それは失敗に終わったと言って良いだろう。
アキリアの纏う雰囲気に、剣呑なものが含まれ始めたのをハルキアは敏感に感じ取り、大げさに手を振って見せる。
「別にふざけて言ってる訳じゃねえさ。用もないのに話し掛けるなというのなら、そうだな……俺とお喋りなんてのはどうよ?」
「斉射」
感情を押し殺した、淡々とした命令に従い、術式の縛鎖に囚われた火竜が開口。両顎の間に無数の術式が高速多重展開され射出。爆裂と熱線と猛火の魔法がメネケアを目掛け、幾つも進行する。
「【空壁】」
その全てを、メネケアはたった1つの魔法を発動させるだけで封殺する。爆音と熱波が周囲に破壊を撒き散らすが、その下に立つ老人は無傷。
しかしそこで終わりではない。火竜の魔法の発動が終わった瞬間を狙い済まし、立ち込める粉塵の上から鎌首を擡げた緑竜の咆哮。吐き出された呼気に宿るのは【陣風瀑布】の術式。単純な暴風の塊が束ねて絞られ、指向性を持って叩き付けられれば、人体など肉片に変わり果てる。
煙幕が全て暴風によって吹き飛ばされる中で、気流を突破して老体が飛翔。ただ防ぐのではなく、空気の壁を歪めて受け流すと共に揚力に変換し、竜の背に立つアベルの下へ。
その無防備に見えるメネケアに、横手から緑竜が喰らい付く。いや、喰らい付こうとした。しかし上顎に鉄槌が振り下ろされ、たった一撃で頭部が下へと落ちる。無理やり閉じられて砕けた牙の破片を縫って、殴り付けた衝撃で軌道を修正したメネケアが竜の背に着地。
咆哮と怒声。同胞の背に容赦なく前足が叩き付けられ、鱗の破片と血が跳ねる。一瞬早く背を蹴って上空に躍り出たメネケアが術式を平行展開。高速回転射出された捻れた槍が、追撃に息吹を吐き出そうとした火竜の下顎を貫通。強制閉口させて内部で炸裂させ、竜の頭部が煙と炎で包まれる。頭を下げたアベルの上を、煙幕を裂いて【魔刃】の術式によって生み出された半透明の刃が通過。代わりに竜の翼を半ばから切断する。
血飛沫が舞う中で肉が衝突する音。竜の背に降り立ったメネケアが拳を放ち、それをアベルが腕で受け止めた音だった。骨が軋み、砕けたかと錯覚するほどの威力に奥歯を噛み締めながら、次手に移行しようとするメネケアの腹部に爪先を埋める。
「ぐっ……!?」
骨こそ無事で済んだが、息が詰まり動きが一瞬止まる。その隙を逃さない拳の追撃とダメ押しの蹴りが再度腹部に炸裂し、老体が大きく吹き飛ばされる。
「「【爆雷轟撃砲】!」」
離脱時の置き土産に放った高位の爆撃魔法が、術式を見て正体を看破し、高速で紡がれた同様の魔法によって相殺。両者の間で大爆発を引き起こす。
「黙って行かせる訳ねえだろうが!」
その粉塵に紛れ、アベルの後方へと抜け出ようとするも、緑竜の来襲によって阻まれる。
「別に悪いとも思わねえがな、こっちの自己満足に最後まで付き合ってもらうぞ!」
言葉と共に人差し指と中指が突き出され、指先に灯った爆裂魔法の術式が放たれ石畳を粉砕。横に跳ねて回避した老人を、緑竜が追う。唸りを上げて迫る尾の一撃がメネケアの背後を通り過ぎ、建物を倒壊させる。
落下してくる瓦礫を蹴って跳躍。先にあったまだ無事な建造物を更に蹴って反転したメネケアが手刀を振るい、手に宿った【魔刃】の刃を飛ばす。本来ならば2、3メートル程度の直線の刃を生み出すだけの魔法だが、老人の魔力と技量によって発動されたそれは十数メートルにも及ぶ刃となり、緑竜の目を周囲の鱗ごと両断。まるで鞭のように自在に変化し、更に奥のアベルへと殺到し、六角形の集合結界によって分解される。
「ヴァイスの【無刃】並の柔軟さと斬れ味だな……っと!?」
唐突に倒壊した建物が震え出したかと思うと、人間が跳躍したかのように跳ね上がり、アベル目掛けて落下する。
咄嗟に背から飛び降り、竜が下敷きとなる事でそれを回避する。だが直後に伸びた【魔刃】の刃がアベルの手から伸びる、青い術式の縛鎖を切断する。
「竜を使役する……という事は、あくまで貴方が術式によって縛っているだけであり、素の状態では牙を剥きかねないのではないか。そう考えたのですが……」
押し潰された火竜と緑竜が、血を流しながらも咆哮。明確な怒りの籠ったそれは、アベルへと叩き付けられていた。
「どうやら正解だったようですね」
「このクソジジィッ!!」
怒声を上げるも、返答が来る前に2頭の竜が反逆。暴風と猛火が直前まで居た空間を薙ぎ払っていき、巨躯がうねり次々とアベルをも巻き込む破壊を齎す。
その光景を尻目に、メネケアが再び移動を開始。追いかけようとするも、尾の一撃が迫る。咄嗟に腕で受けるも、人間が耐え切れるものではない。肉が砕け、折れた尺骨の断面が腕から突き出て血が噴出する。
「この役立たず共がッ!!」
外面をかなぐり捨てた、憤怒の形相で反転し、竜たちを見据える。魔力を循環させて行き、空気を切り裂いて疾駆。
「【破爆掌】!」
瞬時に火竜の眼前に出現。遅れて地を蹴った音が響く程の瞬間に等しい高速移動。その勢いを乗せた掌打を顎に叩き込み、術式を送り込んで内側から爆ぜさせる。
さらに反転からの回し蹴りで、迫っていた緑竜の顎を蹴り上げる。数十トンはある筈の巨躯が浮かび、落ちるよりも先に頭上へと跳んだ緑竜の脳天へと回転踵落とし。地面を砕いて這い蹲った巨躯の胴体へと、更に容赦なく掌打。
「図に乗るなトカゲが!」
【破爆掌】の術式が掌打の連撃の度に送り込まれ、胴体の一部が無残に爆破され引き千切られる。その様子を見て怯んだ火竜へと歩を進める。三歩目でトップスピードとなり、胴体に同じく掌打と爆破のコンボを決め、さらに高位爆裂魔法の多重展開を追い討ちとして叩き込む。
それだけの攻撃を加えられた竜は、それでも手加減されていた事もあり、虫の息で留まる。程なくして溶けるように地面に沈んで行き、青い光となって消え去る。
「逃がすか老いぼれ!」
振り返り、走るメネケアを追撃。足下から土色の竜が出現。翼が空気を掴み、急速飛行。
「地の適性まで……!」
地竜の突進こそ回避するが、その背から降りたアベルの蹴撃は受けざる得ず、吹き飛ばされて建物に叩き付けられる。追撃を屋上に跳ぶ事で回避し、向かい合う。
「やってくれたな」
「……1つ尋ねたいのですが」
言葉の途中で、アベルの背後の貯水槽が破裂。激流がアベルを呑み込む。
その好機を予測していたかのように、事前に紡がれていた爆裂魔法が容赦叩き込まれる。爆風が吹き荒れ、巻き上げられた氷の破片がメネケアの頬を切る。
「今のは危ねえな。決まってたら詰みだった」
氷に包まれたアベルが嘯く。急速に凍りついた大量の水が盾となり、アベルは多少傷を負うのみで済んでいた。
「火と風に加えて、地と水の適性までお持ちとは……」
「違うな」
アベルの能力が判明している以上、水を凍らせたのは火と水の属性を複合させた魔法によるもので間違いない。そうなると最低でも4属性持ちという事になるが、アベルはその仮説を飄々と否定する。
もはや隠す意味は無いだろうと、折れた腕を修復。更についでとして、背後に青みの強い紫色の鱗を持った雷竜を顕現させる。
「まさか……!」
「先に言っておくが、生憎オレは、適性なんてもんは一切持ち合わせちゃいない」
驚愕に身を包まれたメネケアに先回りして、頭に浮かんだであろう言葉を否定する。
「竜を使役する能力だ。本来なら生み出す竜にも、他の奴らが限定的に生み出してる発息器官にも、本人の適性なんて制約は無い。単純に当人の無意識下で、適性の属性を持った個体の方が生み出しやすいが故にそうしてるだけで、本来なら全属性の竜を顕現させられる」
続けて蒼い鱗を持った水竜も生み出し、その背に立つ。その左右を地竜と雷竜が固め、6つの眼光がメネケアを射抜く。
「オレがやってるのは、生み出した竜を介して、魔法を発動しているだけだ。要するにオレは適性無しだが、擬似的に全属性を操る事ができるって事だ!」
会話で引き伸ばしている間に、最低限の傷を治した緑竜がメネケアの足下から出現。両顎で捕らえようとする。
直前で後退に成功したメネケアが、石弾の多重砲火。鱗を砕き、先端に宿った爆裂魔法の術式が肉を抉り取る。
元々瀕死だったのを重症程度に引き上げられただけの緑竜が、再び瀕死に陥り地面に倒れる。先程と同じように地面に消える前にメネケアが拳を頭部に叩き込んで潰し、息の根を止める。
仲間の骸を越えて、3頭の竜が進軍。土砂の塊と高圧水流と雷撃の三重奏が周囲の地形を変える。逃げるメネケアへと顔を向けようとする竜の横腹に、その巨躯を上回る大きさの建物の残骸が高速で飛来。鱗とその下の骨肉を砕く。
「何だってんださっきから……ッ!?」
通常ではあり得ない現象に苛立ちを露わにした直後に、自分の頭上に影が差したのに気付き、見上げて絶句する。
「貴方の知り合いはこれに容易く対処できてましたが、貴方自身はどうでしょうか?」
「こんの、クソジジィィィィィッ!!」
上空から落下して来る、直径数十メートルにもなる巨大な氷塊を見て、竜たちに指示式を送る。
先程の雷撃を何十も束ねた特大の息吹と、最大出力の高圧水流で氷塊を破壊。可能な限り細かく砕き、尚も降り注ぐ破片を、土竜に竜たちを纏めて覆うドーム状の壁て防ぐ。
「クソったれが……」
辛くも危機を乗り越えたアベルの顔には僅かな疲労。
アベルの生み出した竜たちは、その全ての体構造が魔力によって構成されている。それ故に引っ込めている間は通常では考えられない速度で傷が癒え、また死んでもしばらく日を置けば再び生み出す事ができるが、その代わりにその構成に必要な魔力をどこからか持ってくる必要がある。その魔力の出所は勿論アベルの保有するものであり、歴代の【吐竜息】の保持者たちが竜を生み出せなかったのは、それだけの魔力を持ち得なかったという理由が大きい。
その上、竜たちの息吹や展開する魔法に、体を構成している魔力を費やす訳にもいかない為、当然アベルの持つ魔力から割かれている。
1頭生み出すだけでも莫大な魔力を要する竜を、既に5頭も生み出している上に、常人では到底再現不可能な魔法や息吹にも魔力を費やしていれば、いくら桁外れな魔力を誇るアベルと言えど消耗は無視できないものとなっていた。
「だから行かせねえって言ってんだろうが!」
それでも持ち得る魔力を湯水のように使い、雷竜の息吹を放射状に放ち、進むメネケアを建物ごと呑み込む。更に地竜を介し、理脱者たちの戦う戦場に通じる道を数十メートルにも及ぶ巨壁で纏めて塞ぐ。
「やれやれ。ああいう能力の使い方は老体に響く為、何度もやりたくはないので、先程ので見逃して欲しかったのですがね……」
だが条件はメネケアも同じだった。彼の能力の行使回数こそ少ないが、それに費やされる魔力量はアベルと同等か、それ以上。そして元々の保有魔力ではアベルに分がある。
その上で、損耗を度外視してまで邪魔をして来るアベルを振り払うのは不可能と判断。ひとまずアベルを出し抜く事は辞め、排除する事を第一に変更する。
「先程のし損ねた問いの続きなのですが」
言葉を最後まで聞かず、水竜の吐き出す激流が襲い掛かる。後退し変わりにその奔流を受けた建物がどろりと溶解して行く。吐き出されたのは強酸だった。
水竜の両脇から地竜と雷竜が進軍。両前脚と尾の一撃が間断なくメネケアを襲っては捉え損ね、王都の建造物が身代わりとなる。飛び交う瓦礫と粉塵の間を縫って、メネケアの不可視の刃が竜の巨体を切り刻む。鱗の破片と血肉が怒号と共に撒き散らされ、直後に修復。水竜の紡ぐ治癒魔法は、数秒で竜の怪我を完全に無かったものにしていた。
「何故貴方はそうまでして、私が進もうとするのを邪魔するのですか?」
距離を取りながらも、言葉は止めず一方的に投げ掛ける。押し潰そうと迫る地竜の足下に亀裂が走り、鉄鎖が噴出。巨体を雁字搦めに固定。前を走る地竜が強制停止した為に、雷竜も急停止する。
「確かに私が介入すれば、戦局は揺れる可能性があるでしょう。しかし必ずしも、貴方がたの長であるリグネスト殿に不利に働くとは限らず、その逆もあり得る筈です。その可能性を度外視してまで動く程の事でしょうか?」
翼を羽ばたかせて飛翔した雷竜が、上空からの青い稲妻を生み出し地上を爆撃。さらに竜自身も口腔から雷撃を吐き出しメネケアを狙う。
地上から半透明の刃を伸ばして反撃するも、高い旋回能力を発揮して追撃の刃も含めて回避。雷球を口内に生み出し射出。地面に着弾した瞬間急膨張し、周囲の物体全てを呑み込み無に返して行く。
破壊された跡地を駆け、跳躍したメネケアの手に【魔刃】の術式。振り抜かれ、アベルの手元から雷竜の首から頭部まで伸びる術式を狙う。舌打ちして指示式を送り、縛鎖が急収縮し雷竜がアベルの元へと帰還。続く石弾の連射を、雷球の応射で撃ち落とす。
「何より貴方がたの行動は、当初と現在では大きく乖離している」
その言葉が投げられた瞬間、苦いものを噛み潰したようにアベルの口元が歪む。開かれ、言葉を紡ぐ。
「……さっきも言った通りだ。こいつはオレの自己満足だとな」
縛鎖を力任せに引き千切った地竜が、再度の突進。途中の地面で無数の発光。設置型の爆破術式が地雷として働き、一斉に起爆。合わさり巨大な火柱となって地竜を包み込む。
火柱が収まった後には、焼け焦げた地竜の姿。竜の中でも随一の頑健さと装甲を誇る種ではあるが、至近距離での巨躯を呑み込むほどの爆裂には無傷とは行かず、眼球が破裂し、全身の鱗が弾けて肉が炭化していた。
しかし息はまだあり、トドメを刺そうとメネケアが急接近。それを防がんと雷竜が急降下し、地面に突撃。岩盤を砕くもメネケアは直前で方向転換し、アベルへと向かっていた。
「3年前、ここに来るのは本当はカインの奴じゃなく、オレの筈だった」
メネケアの【魔刃】とアベルの【反魔相殺陣】の結界が衝突。半透明の刃を霧散させて行くが、消えて行く側からメネケアは魔力を送り込み、擬似的な拮抗を演出する。
「ただ紆余曲折あって、最終的にここに来るのはカインになった。仮の話に意味はねえが、もしそうじゃなくオレが来ていりゃ、今回の事態も……もっと言えば、あいつがあんな目に遭う事も無かったろうよ」
互いの息が掛かり合いそうな程の密着した距離で、囁きに近い、そして苦しみが僅かに混じった言葉が吐き出される。明確に何を、そして誰を示しているのかは理解できないだろうが、聞く者の大半が男が本心を語っていると判断するであろう言葉。
事実それは嘘ではなかった。しかし、理由の全てではないと、直前の間に気付いたメネケアは推測し更に踏み込む。
「自分なりの罪滅ぼしであると。本当にそれだけでしょうか?」
燃費の悪い術式を維持している自分の方が不利と判断したアベルの蹴りを回避し、続く足下の水竜の撒き散らす酸の雨から退避しながら、老人は言葉を心理的優位を得る為の矛として並べ突き付ける。
それは戦いの最中で、微かに感じていた事。元とはいえ理脱者であったメネケアであったからこそ感じ取る事ができ、またその正体を推測できた事。
それを具現化し、その心に突き立てる。
「貴方は彼を……リグネスト殿の事を憎んでいるのではないのですか?」
そして地雷を踏み抜いた。
次回予告
理の体現者は死を目前に最後の切り札を切り、老将が竜の主と鎬を削る。ぶつかり合う譲れぬ意思を前に、覚悟の差が勝敗を分かち、新たな使者たちが参戦する……みたいな。
感想欄にて質問がありましたが、一応設定上ではありますが、理脱者はアキリアとリグネスト以外にもウフクスス家の現当主とゼンディル魔導国家の魔導王が存在しています。機会があれば出し損ねたその辺りについても書けたらと思います。