頂上決戦②
「見ていて飽きないね。中々燃える戦いだ」
エルンストとリグネスト。その双方の衝突を、カルネイラは壁に投影された映像によって、食後のデザートのケーキを片手に安全な室内で鑑賞する。
「まさに最高のカードだ。わざわざ引っ掻き回して、絶対に成立するよう動いた甲斐があるってもんだよ」
部下という犠牲を払ってまで、エルジンや【レギオン】の者たちに介入したのは、たったそれだけの理由であるという宣言。
その宣言を耳にしても、背後に控えるイースとウェスリアの兄妹の表情には、一切の痛痒も浮かばない。
自分たちを含む、カルネイラ直轄の部下たちは、全て彼が楽しむ為だけに存在する道具であり、駒である――彼に拾われてから、そう理解し受け入れているからだ。
「片や無能者でありながら、圧倒的な暴力でその名前を知らしめて、20年前の戦いの結果を持って正式に最強となった【死神】エルンスト君。
もう片方は、かつて同じく最強と称えられながらも、エルンスト君に1度敗北。その後は2番手に甘んじながらも、最強の傭兵集団【レギオン】を作り上げ、その団長として君臨。そして3年前にエルンスト君が死んでからは、最強の称号を引き継いで保持し続けた【絶体強者】リグネスト君。
共に自他共に最強と認められ、その名に恥じない実力者だ。そんな2人が戦う劇なんて、滅多に見られるものじゃない」
表情に浮かぶのは喜悦。現場に居れば危険だろうが、その場に危険が及ばない事は百も承知であり、その安全な場所で人同士の殺し合いを楽しむ、歪んだ娯楽を堪能していた。
「単純な下馬評で行けば、既に1勝を挙げているエルンスト君の方が有利だね。一方で、エルンスト君の時は3年前に1度止まっている。20年前の時点でとは言え、互いに手の内を知り尽くしている中で、その空白の3年間がどう作用して来るのか……」
ケーキを食べ終え、皿とフォークを傍らのガラクタが積み重なってできた山の上に置く。それを後ろに控えていた、イースが回収し後ろに下げる。
そんな側近の動きさえも意に介さず、肘置きに肘を置いて頭を支え、黙考する。
「それでも、9割近い確率でエルンスト君が勝つだろうね」
理屈の上での結論か、それとも勘に近い結論か。いずれにしろ、確信を込めてそう断言する。
「だけど、リグネスト君が勝っても構わない。どちらにしろ、どっちに転んでもおかしくない戦いであり、そしてその結果次第で僕に不都合を生じさせる事は、何1つとしてないのだから」
何らかの目的を持っての鑑賞ではなく、純粋な趣味の範囲内であるという宣言。その上で、でもと続ける。
「それでもできる事ならば、リグネスト君ではなく、エルンスト君に勝って欲しいものさ。浅からぬ縁がある以上は、親しい間柄の相手に勝って欲しいと思うのは、人として当然の心情って奴だよねえ」
五感さえも騙す理脱者の殺意。それが齎すのは、まやかしの視界だけではない。
エルンストの殺気を向けられるリグネストが覚えるのは、肌を刺し肉を掻き毟る極寒の冷気と、嗅覚を錆びた臭いが刺激する。
対してリグネストの殺気は、全身を生暖かな粘度の高い液体に漬けられているような、不快な感覚を覚えさせられる。嗅覚に襲い掛かる血生臭いも合わさり、あたかも悪竜の口腔内に居るかのような錯覚を相手に与える。
そんな常軌を逸した殺気に続いて、双方が疾駆。大剣が放たれ、ナイフが振るわれる。互いの武器が相手の武器によって弾かれる、その際の反動さえも余さず次の手筋の源に変え、斬撃と刺突を重ねる。両者の武器の軌跡は銀色の残光を生み出し、演舞へと昇華する。
死神の大剣による刺突。ナイフの切っ先が払い、返す太刀を刃の腹で逸らす。合間に飛ぶ拳打は掌で受け止め、逆に掴み返そうとして逃す。お返しの突きは見切られ、互いの蹴りが衝突。
膂力ではエルンストの方が上の為か、僅かに競り負ける。だがそれさえも折込み済みで、既に次手の連続刺突を放っている。手首の柔軟性も合わさり、1度放たれた刺突は途中で軌道を自在に変化し、狙いを直前まで絞らせない。その全てをエルンストは勘で、超反射神経で、予測し、見切り、回避する。
絶対強者の左手が伸びる。手にはいつの間にか、もう1本のナイフ。目を狙う一撃も、エルンストは首を振って回避。軌道が変化し、頚動脈を狙う一撃へ。異音が響く。切っ先はエルンストの歯が上下から挟み込み、受け止めていた。
エルンストが笑い、首を振る。首の筋肉だけでリグネストを持ち上げ、放り投げる。その動作にリグネストは逆らわない。上下反転した空中の格好で、眼下のエルンストへ切っ先を放つ。間合いの大きな剣が入り込めない、必殺の間合い。しかしエルンストは手元で剣を半回転させ、柄でその一撃を受け止める。
背後に着地したリグネストに、振り返り様の一撃。それを必要以上に身を沈めて回避し、跳ね上がり様に蹴撃。エルンストが腕で受け止め、その威力に骨が軋む。代わりに前蹴りが放たれ、肩の肉を引っ張り引き千切る。
蹴りに使われた足が下ろされ、踵が飛び退いたリグネストの居た地面を粉砕する。飛び散る破片を縫ったナイフの斬撃を、大剣が側面で受ける。そのまま背後に流そうとするも、既にリグネストは腕を引いている。追撃の一撃を大きく後退して回避。置き土産に癇癪玉。
地面に1回だけ跳ねたガラス玉が、内部から破裂。爆風と熱気、ガラスの鋭片が飛び散る。
一瞬早く退避していたリグネストが、粉塵を切り裂いて出現。【超感覚】の能力があれば、視界の利かない煙幕の中でも十分に動けるが、驚異的な魔力探知能力を持つエルンストが相手では分が悪いと判断し、明瞭な視界下での継戦を望む。
エルンストが相手の姿を確認すると同時に急接近、袈裟懸けの斬撃。リグネストが左腕を掲げ、右腕を押さえる。更に足を狙う蹴りを放ち、エルンストが膝を上げて受ける。衝撃を完全に受け流す為に跳躍し、足元に掛かった力に沿って縦回転。遅れて横手に薙がれたナイフを回避し、一回転して遠心力を乗せた上段からの一撃がリグネストの影を叩き、地面に亀裂を入れる。
宙を再び地面の破片が舞う中で、離れた場所に退避したリグネストが、左拳を腰溜めに構える。
勘に従って横に退避。直前まで居た場所を、何かが通り過ぎて背後の廃屋の壁に命中。見れば壁に深く埋まっている、どこにでも転がっているような指先ほどの大きさの小石。
更に指弾の連弾は続き、次々と壁に穴が穿たれる。たかが石を弾いて飛ばしているだけであっても、リグネストがそれを行えば、脆い壁など容易く貫き、人体でも骨を砕く程度の威力はある。
「上手になったのは小細工だけじゃなく、宴会芸もか」
「どこでも道具が調達できる上に、意外と便利だからな」
左手で懐からナイフを抜き、投擲。道の半ばで指弾が撃ち落とすも、エルンストがその隙を突き、それ以上の中距離攻撃を嫌い再接近。双方同時に刃を放ち、鍔迫り合い。僅かに体勢的優位を確保したエルンストが押し込み、リグネストが逸らして退避。エルンストが後を追う。
必然的に並走する形となった両者の間で、無数の剣撃の応酬。一歩進むごとに、達人であっても目で追い切る事は不可能な回数、刃が噛み合っては離れ、弾かれる。その度に体に横からの力が掛かるが、双方共に体勢を崩す事なく走り続ける。
進行方向に、人が居なくなっても尚も水を吐き出し続ける噴水。ほんの僅かに先を走っていたリグネストが先に跳躍。その尾を追って大剣が振られるも、影を捉える事もできず、代わりに噴水が斜めに両断されて水が溢れ出す。
飛沫に囲まれる中で、視覚ではなく魔力感覚によって場所を捉えたエルンストが一閃。水音で場所を特定される事を嫌い、跳んだリグネストがナイフを立てて受け、明後日の方向へと飛ばされる。
移動方向にあった廃屋の壁に、両足を揃え、重力を無視して着地。さらに撓めて力を溜め、反動で突貫。迎撃の刃を切っ先で弾き、擦れ違い様にエルンストの腕を掴んで進路を転換、無理やり地面に降り、そのまま右腕を捻り上げようとする。
関節を極められる事を防ぐ為に、エルンストが反転。左の虎爪を放つも、読まれており悠々と回避される。やむを得ず、背後に回ろうとするリグネストの肩を掴み、凄まじい握力でその場に固定。
即座に体の向きを変え、向かい合おうとした瞬間、意味深に笑うリグネストを目撃。失態を悟った時には遅く、至近距離での指弾が額に命中。衝撃で思わず仰け反り、宙を仰ぐ。その隙に足を払われ、背中から地面に転び、水飛沫が上がる。
無防備な心臓へと、刃が振り下ろされる。ギリギリで間に合った左手が、腰の投擲用のナイフを握り、その切っ先を受け止める。だが用途の違い故に長くは持たない。
全身のバネを使って、エルンストが跳ね起きる。一瞬遅れてナイフが地面を穿ち、辛くも処刑台から逃れる。だが右腕は変わらずリグネストが掴んだままであり、動きを予想していたリグネストの方が一手早い。
跳ね起きたエルンストの背後へ回り、一気に捻り上げる。鈍い音が響き、予想していたのとは違う手応えに気を取られるのも一瞬。関節を自ら外して自由を得たエルンストが、首を狙ったナイフの一撃を回避し脱出。関節を素早く嵌め直した、死神の神速の斬撃。
咄嗟に逆手に握るナイフに、さらに左手を添えた、両手で受け止める。防いだのにも関わらず、尚も止め切れずに吹き飛ばされ、地面を一転してようやく止まる。
ナイフを握るリグネストの手には痺れ。リグネストの技量がいかに優れていようとも、まともに受け止めてしまえば、その圧倒的な質量差を完全に無いものとする事は不可能だった。
立ち上がった場所は、エルンストから10メートル弱離れた場所。その気になれば、両者共に一瞬で詰められる距離。
だが、両者がいくら一瞬で詰められると言えども、得物の間合いの違いがあるが故に、絶好の間合いは数センチ単位で違う。その差を埋めるためにリグネストは横手に動き始め、それをさせない為に、エルンストは反対側に動き始める。
結果、両者が円を描くようにゆっくりと動き始める。
「ガキの頃は無敵だった」
円周上を歩きながら、世間話を始めるかのようなノリで、エルンストが唐突にそう言い始める。
「周りに居た連中が、生きる価値も無いゴミにしか思えてならなかった。色々と理由立てて引き篭もっちゃいるが、俺に言わせりゃ、ただの負け犬以外の何物でもない。生きていても死んでるも同然だった」
「山間の閉鎖された集落にでも生まれたのか? そう言えば、お前の過去を聞くのは初めてだな。調べても一切出て来ないからな」
手に痺れが残るが故に、あえて会話に乗る。その意図を知ってか知らずか、似たようなもんだと、エルンストはくだらなそうに笑う。
「そんな奴らだったから、死んだところで何も感じなかった。いや、清々したからそれは間違いか」
「清々した、という事は……」
「ああ、俺が自分の手で皆殺しにした。人生初めての殺しだ」
リグネストの猜疑を、否定すること無くあっさりと肯定する。
「思えば、あれが原点だったのかもしれねえ。あれこれと理解できねえルールを強制して来るクソったれ共に、力でもって我を押し通した。人生で初めての殺しであると同時に、初めての本当の意味での勝利だったかもしれねえ」
「そこから、勝ち続ける人生が始まった訳か」
「何を持って勝ちと定義するかによって違うんだろうが、少なくとも、死ぬ事なく邪魔な奴を殺し続けた。それは間違いねえ。
外に出て最初に思ったのは、自分が井の中の蛙で、外の世界は想像もつかねえぐらいでけえって事だ。だが、無敵だったのは相変わらずだったな。何の根拠もねえ癖に、何でも自分でできる気がした。そして実際、大概の事は何とかなった」
勿論クソみたいに血反吐を吐きまくったがなと、自嘲するように付け加える。
「とにかく勝つ事が……勝ちを追い求める事が楽しかった。つっても、弱い者イジメが好きな訳じゃなく、困難な勝利ほど価値があるように感じた。言っちまえば、麻薬にも似ていた。
そうやって戦って勝って戦って勝って、勝ち続けて……気付きゃ、価値のある勝利に出会う事が少なくなっていた」
時を追うごとに当人の実力も上がって行き、より上の次元を楽しめるようになって行く。そして1度知れば、その前の次元の戦いでは物足りなく感じるようになり、さらに下に下がるともはや退屈とさえ感じるようになる。
それ故に楽しむにはより上の次元の戦いが必要となり、それに次元に反比例するように、同じ立場に立てる者が少なくなって行く。
それはエルンストだけに限らず、戦闘狂とされる者たちが共通して抱く、一種のジレンマのようなものだった。
「だからこそ、死ぬ寸前は、それはもう楽しかった。自分が死ぬかもしれねえ、それが分かった瞬間、どうしようもないくらい楽しくて楽しくて仕方が無くなった。生き残る事も、それどころか勝つという終着点の1つの事も、不肖のクソ弟子の事さえも、頭の中に思い浮かばなくなるぐらいにな!」
足場を円周の上から直径に変え、ナイフが大剣を迎撃。音が撓む前に拳と蹴りが飛び交い、互いの手足を固定。その場で武器と手足で押し合う形となり、膠着状態となる。
「んで、退場したと思ったら呼び戻されて、これだ。しかもそれに文句を言うどころか、楽しんでんだから、我ながら実に救いようのない話だぜ」
「お前自身は救われないかもしれないが、オレは救われているさ」
両者同時に身を離し、武器を衝突させて後退。再び円を描き始める。
「お前が死んだと聞いて、最初に抱いたのは悲しみでも、怒りでも喜びでもなく、ただひたすらの虚無感だった」
描かれる円の半径は徐々に縮まって行き、2人の歩が描くものは円から螺旋に変化する。
「どうしてそんなものを抱いたのか、全く理解できなかった。それまで自分が感情を抱くのは、全て理由付けされて行われていたのにも関わらずだ。
色々と自己分析も重ねたが、最終的に導き出した結論は、この有様の通りだ」
「全くもって傍迷惑な話だな。大人しく隠居して、子育てに専念してればいいものを!」
大剣を振り回し、ナイフが絡みつく。切っ先が逸らされ、空いたスペースにもう一本のナイフが繰り出され、エルンストの腕を掠める。
至近距離で癇癪玉を放るも、炸裂する前に、内部に封じ込められている術式ごと斬り裂かれて無効化。ナイフが立て続けに投擲されるも、放たれる前に筋肉の動きから狙いを看破し、掠める事もなく通り抜けて行く。
「その段階など当に過ぎた。それに、皮肉な事にそうできなかった事が、この事態に行き着く一因でもあった。何せ普通の接し方というのが、まったく分からなかったからな」
「放任主義か? 便利な言葉だな。もっとちゃんと構ってやれよ」
「心配する必要は無い。あれはあれで逞しく育ってる」
「やんちゃにも程があるがな!」
横殴りの斬撃が屈んだリグネストの頭上を通り過ぎ、前蹴りが顔面へと放たれる。腕を交差して受けるも、凄まじい威力に骨が軋み砕けそうになる。
何とか受け流し無傷で済ませるも、勢いまでは殺し切れず、大きく吹き飛ばされる。だが宙を舞うリグネストの口元には笑み。
「【鉄血膂剛力】」
瞬間的に術式が組まれ、発動。リグネストの全身に作用。身体能力を跳ね上げる。
「テメェ、魔法がお上手なこったなァ!」
「いくら才能が無いと言えども、20年もあれば、少しは形になる。さて……」
笑みを浮かべているリグネストとは対照的に、エルンストの顔色は豹変し、緊張感が入り混じっていた。
その表情に満足したように頷くと、ナイフを構える。
「ここからが本番だ。行くぞ」
強烈な踏み込み音を上げて、一気に懐に潜り込む。咄嗟に剣腹を前面に構えたエルンストに刺突が放たれ、金属音を置き去りにして吹き飛ばす。
地面に足を付けるも、体勢を崩すエルンストの背後に回り込み、得物を一閃。だが大剣が背後に先回りし、またも剣腹で受け止められる。続く蹴りも反転し、正面から腕でガードを作られ、威力の大半を流される。
「更に面白くなって来たじゃねえか……!」
縦横無尽に動き回り、攻撃と移動を繰り返すリグネストに対して、エルンストはその場に留まり防戦一方に追い込まれる。
だがそれも一時的なもので、最初は綱渡りのようだった防御も徐々に対応速度が上がって行き、程なくして危なげなく受けられるようになる。
すぐにでも反撃に転じられる――傍目に見ていてもそう予測でき、また実際にその機を既に伺っていたエルンストへ、リグネストが背後から奇襲。振り向き様に迎撃の刃が振るわれ、ナイフと衝突。反動で頭上を飛び越えたリグネストが反転。左に握ったナイフを突き出し、半瞬遅れて右手のナイフを振るう。
「……テメェ」
一手目のナイフはあっさりと防がれるが、二手目のナイフはエルンストの纏う防刃繊維の衣類を斬り裂き、その下に決して浅くない傷を付ける。
しかしエルンストが問題視したのは、その傷自体ではない。その意図を理解したリグネストが、さらに笑みを深める。
「習得したのは、魔法だけじゃない。魔法の基礎事項である魔力循環には、特に力を入れた」
エルンストが身体能力が強化されたリグネストの動きに即座に対応できていたのは、その魔力探知能力故だった。
体内に術式を張り巡らせ、恒常的に魔力を供給する事で発動する身体能力強化の魔法を用いた事で、ただでさえ感じ取りやすいリグネストの魔力に、さらに磨きが掛かる事となった。
その自己主張の激しい魔力を追えば、例え目で追う事が困難であっても、容易に位置を、さらには進行方向まで予測し特定する事ができる。
だがリグネストは、ほんの一瞬だけの事だったが術式を解除し、さらには循環させる魔力の流れのうち右腕のものだけを遮断するという芸当まで行ってみせた。それによってエルンストの感覚から、右腕の存在が
消え失せ、その一方で現実には存在する右腕によって不意を打たれる事となった。
もっとも、その程度の芸当、相手ができると分かっているのであればエルンストが対応する事は容易い。
エルンスト自身も経験するのは始めての手であり、実際それを可能にするのは、エルンスト並みに魔力探知に長けているか、もしくはそれを補うリグネストの【超感覚】の能力があってこそ。それ程の高等技術であるのにも関わらず、単に視覚情報だけに頼れば対処可能な小細工の類であり、それ自体は然したる脅威ではない。
問題しすべきなのは、別の事だった。
「どういう事を意味するか、お前なら分かるだろう? オレにもう、無拳は通用しない」
自由に魔力を循環、遮断する事ができるのならば、魔力を掻き乱して栓とする事で成立する無拳は、一切通用しない事となる。
それが20年前に無拳を受けて敗れたリグネストが、長い年月を掛けて会得した、対無拳用の技術だった。
「上等だ。テメェに勝つのに、無拳なんざ必要ねえ。別の手がある」
「それは重畳だ。出し惜しみするのは、無為でしかないからな」
リグネストの発言の意味を解しかねて、エルンストが疑念を抱く。直後に、目の奥に微かな痛み。
無視でき得る範囲内だが、もし強まれば戦闘に僅かに支障を来たし得るというもの。余りにも唐突で、且つあり得ない現象に、眉を潜める。
「……毒か」
「正解だ」
懐から小瓶を取り出す。中に入っているのは透明の液体。
目を凝らして観察してみれば、薄っすらとだがナイフの表面も、同じく透明の液体で濡れていた。
「色々と苦心して調合した毒で、死ぬ寸前までは大した症状は出ない。その代わり毒性は強力で、不死身のミズキアを数十回は殺せる代物だ。効果が現れるまで、あと大体1時間ぐらいか」
つまり1時間逃げ回れば、リグネストの勝ちが確定する。そういう意味にも取れる言葉だったが、エルンストは卑怯だと口にする事は無い。
これは騎士の正々堂々とした決闘ではなく、傭兵の何でもありの殺し合いなのだ。毒物の使用などありふれたもので、喰らった方がマヌケだというだけの話である。
「そして……これで条件は対等だ」
「ッ!?」
何を考えたか、唐突に瓶の蓋を開封し、中身を一気に煽る。
喉仏が動き、中身をきちんと嚥下するのが確認できる。空になった小瓶は地面に投げ捨てられ、細かく砕け散る。
「安心しろ、解毒薬もきちんと用意してある……1人分だけだがな」
同じデザインの、茶色の液体に満たされた小瓶を取り出し、懐に戻す。
「つまり、時間内にテメェを殺してそいつを奪えってか」
「どの道、この戦場では前回のような長い時間は掛けられない」
凶暴な笑みを浮かべて応じる構えのエルンストに、そう答える。
続けようと思えば、それこそ前回のように2日2晩、あるいはそれ以上の時間が掛かる事もあり得るだろう。だが、リグネストはそんな冗長な戦いなど求めていなかった。
戦いが長引けば、ティステアに属する精鋭たちが介入して来るだろう。そしてトローグの時と違い、それを完全に無視する事は非常に難しい。そうすれば折角の戦いに、水を刺される事となる。
毒を用いたのは、そして優位性を捨ててまで自ら毒を煽ったのは、そんな展開を嫌っての事。横槍が入った上での長い決着よりも、短くとも濃密で誰にも邪魔されない決着を。それがリグネストの求めるものだった。
「ある程度、お互いの手の内は知り尽くしているだろう? ならば、1時間もあれば十分な筈だ」
「安心しろ。その半分もあれば十分だ」
一歩踏み出し、二歩目を進む。三歩目からは早足となり、疾走へと変わる。大剣とナイフの応酬が行われ、余波で周囲の空気が軋み、地面と廃材が砕ける。
「勝った方が、最強の座に就く……」
粉煙を切り裂いて2つの颶風が激突。風同士がぶつかり合い、合わさって暴風へ。周囲を砂塵が舞い天へと渦を巻いて行く。
「ただそれだけだ!」
制限時間の設けられた、後に引けない理脱者同士の死闘。その火蓋が切って落とされた。
次回予告
理脱者たちの決戦は更に激化し、刃と拳が飛び交う中で、錆びた鎌の一振りが鮮血を生み出す……みたいな。
アベルの場面も付け加えようとしたけれども文字数的と気力的に燃え尽きたので次話にまわします。